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53 軽いトラウマ

 スポンジが水を吸い取るような感じだと思いながら、コスモスはゆっくりと息を吐いた。

 限界がなく、次から次へと流し込まれる情報が頭の中で最適に処理されてゆく。頭に浮かぶのはパソコンのデフラグ画面。

 コスモスが考える前に整理されてゆく感覚は気持ちが悪く怖い。だが反対に情報を吸収していく感覚は爽快で気分が高揚してきた。

「コスモス、今日はそのくらいにしておきなさい」

「はーい」

 マザーに声をかけられたコスモスは手にしていた本を閉じて隣に置く。彼女の周囲には積み重ねられた分厚い本が塔のようになっていた。

 眠っていた間に起こった事を聞いてから彼女はまずマザーの指示に従って今まで読んでいた本を読み返していた。

 難解な専門用語も、意味がさっぱり判らなかった文章も前とは比べ物にならないくらいに頭にスッと入ってゆく。

 気持ちが悪いと漏らした彼女に苦笑しながらマザーは「我慢なさい」とだけ告げた。

 厚い本の文字を追うだけでも疲れるというのにそれを頭に入れてゆく作業は単調だが結構疲れるものだ。目頭を押さえながら軽く揉んでいたコスモスは背後で丸くなっているアジュールに寄りかかると溜息をつく。

「……はぁ」

「あまり無理はしない方が良いと思うぞ、マスター」

「うん」

 マザーには一度だけではなく最低三度は繰り返して読むようにと告げられていた。一回だけでは駄目なのかと首を傾げた彼女に「定着しないからよ」と答えたその意味がいまいち分からない。

 何が何に定着するのだろうと首を傾げ、コスモスは大きく伸びをした。

(私の頭に、本の情報が定着しないってこと? それは記憶とは違うのかな)

 とりあえず今日の読書はこれで終わりだ。マザーから言われた以上無視して続けるわけにもいかない。

 少し頭が痛いとコスモスはこめかみを揉みながら肩を回し、同じ体勢で固まってしまった体を解した。

 ぱたり、と尻尾で程よい弾力のあるベッドを叩いたアジュールは小さく欠伸をする主を見つめて鳴いた。その声にコスモスは息を吐き天井を見つめる。

(襲ってきた男と、ソフィーたちを誘拐した男は別か)

 てっきり同じだと思ったのはその外見が良く似ていたからだろう。詳しく観察していたわけではないので本当に同一かと言われても曖昧な返事しかできない。

 前髪は長くざんばらで、全体的に薄汚れていた彼にしては饒舌に話すものだと違和感はあったのだがそれくらいだ。

 黒い蝶の賊と乱入者がどうして違うのかとコスモスが問えば、マザーは簡単にその理由を説明してくれた。

 それは、乱入者が訪れる三日前に捕らえていた賊の男が影も形も無く消え去っていたという事実。

 頑なに口を開こうとしない賊に長期戦になると睨んでいたらしいが、牢に入れて翌日の見回り時にその姿が無かったらしい。夜中の見回り時にはいたらしいので、その間に逃げたのではないかと言われている。

 だが、牢の鍵はかかったままで、生憎窓も何も無い場所だ。鉄格子が壊れた様子もなく文字通り“消え失せた”ので随分と騒ぎになったと言っていた。

(緘口令敷かれたって漏れるわよねぇ……)

 それはそれで色々と面倒な事があったらしいがマザーがその話をすることはなかった。別に聞きたいとも思わないコスモスは疲れたような彼女の横顔を見て、大変さを推し量る程度だ。

 乱入者に簡単にやられてしまうような自分が首を突っ込んだ所で何が変わるというわけでもない。

 やぶ蛇になるのは嫌なのでコスモスは突然現われた乱入者の事を思い出していた。

(黒いローブ、男の声、黒い……蝶?)

 どうして自分が賊の男と同一だと勘違いしてしまったのかと考えていた彼女は、共通する点を頭に浮かべながら眉を寄せた。乱入者はフードを被っていたせいでその容貌は詳しく窺い知ることはできなかったのが惜しい。

 けれどもコスモスが見た感覚ではやはり非常に酷似している。

(マザーは違うって言ってたから嘘をついてるわけないだろうし)

 それに彼女が告げていた通り、三日前に逃げ出したのにわざわざ戻ってくるという理由が判らない。

 洞窟で転がっていた男を思い浮かべながら唸っていたコスモスにアジュールが耳を立てた。ゆっくりと頭を動かし眉間に皺を刻む彼女の腕を尻尾で叩く。

「どうかしたのか? マスター」

「あぁ、うん。ちょっと、気になって」

「……あの輩か」

「そう言えばアジュールは私が吹っ飛ばされてからもあそこにいたのよね?」

 何を気にしているのか彼女が言う前に理解した様子で頷いたアジュールは、投げかけられた問いに短い返事で答えた。そしてきちんと付け加える事を忘れない。

「とは言っても私もすぐにマスターを追ってあの場を去ったからな。その後はどうなったのか知らん」

「そっか」

「賊と襲撃した男が別人である事に何か不都合でもあるのか?」

 そう言われてもコスモスは低く唸ったままだ。

 自分でも良く判らないモヤモヤを頭の中で整理しながら、独り言のように呟いてゆく。

「そうじゃないけど、凄く似てると思って」

「それがどうかしたのか?」

「気持ち悪いと思わない?」

 何も思わないのかと驚きながらコスモスが問いかけてもアジュールは「そうか?」と告げるだけ。自分だけそんな事を思っているのだろうかと彼女は腕を組んで襲撃者との短い接触を詳細に思い出すよう記憶を辿っていた。

(黒いローブ、黒い蝶、フードから見えた黒髪、若い男の声。同一じゃないにしても、似すぎてる気がするんだけどなぁ)

 何より引っかかりを覚えるのは黒い蝶だ。

 ソフィーアの儀式を乱し、人々を混乱に陥れた幸福の蝶に良く似た黒い蝶。

 不幸の象徴か、と溜息をついてコスモスは次第に腹が立ってきた。いきなり攻撃をしかけてきたあの男がその後どうなったのか気になったのだがマザーは語ろうとはしない。

 にこやかな笑顔を浮かべて「お帰りになったわ」と告げるだけ。

 胡散臭い視線でコスモスが見つめても、しつこく聞きだそうとしても鼻歌を歌ったりして無視されてしまっていた。

(気になるのに話してくれないのよね。攻撃食らった身としては聞く権利があるって言っても知らん振りだし)

 あの場に残った乱入者との間に何かあったのではないかと勘ぐるコスモスだが、彼女が疑いの眼差しを向けてもマザーは気にした様子もなく仕事を続けていた。

 あの男がまた来るかもしれないとコスモスが声を荒げれば「それは無いわ」ときっぱり断定される。

 何故そこまで強く言えるのかと尋ねても「物分りの良い子だったからよ」としか答えてもらえなかった。まさかコスモスがマザーのその言葉を鵜呑みにするわけがない。

 だからこそ余計にあの場でどんなやり取りがなされたのか気になるのだ。

「まぁ、私としては次に会った時ははらわた引きずり出して振り回してやりたいがな」

「……その程度でいいの?」

「そういう反応をするマスターも、大概だが良い傾向だ」

「良くないけどね」

 ホラーやスプラッタが好きなわけではない。

 だが、コスモスとしてはアジュールがその程度で済ませてしまうとは思えなくて疑問になっただけだ。それなのにアジュールは驚いた様子で軽く目を見開いた後、嬉しそうに喉を鳴らす。

「気を遣って遠慮していたのだが、問題ないというわけか」

「いやいやいや、遠慮してください」

 これからそんな惨劇が目の前で繰り広げられると想像しただけで暫く食欲が無くなりそうだ。必要ないと言われようが食べる事が好きなコスモスにとって、食事はストレス解消の一つでもある。

 自分が暮らしていた世界と似たような、けれども違う料理を目にして口に運ぶたびにそれが微妙な味だろうと新たな発見に心が躍るのだ。

(サンタさんの料理美味しかったなぁ)

 またあの場所に行けるだろうかと、ご馳走になったものを思い浮かべながらコスモスは垂れそうになった涎を慌てて啜る。

 アジュールはつまらなそうに鼻を鳴らして目を細めた。

「もし、食べるなら綺麗に食べてよね。私の見えないところで」

「……のたうち回る様を眺め、阿鼻叫喚をせせら笑いながら希望を一つ一つ潰してゆくのが快感なのだろうが。全くマスターは何も判っていない」

「そんなの分からなくて結構よ」

 それが分かるようになってしまえば自分はここにいないだろうとコスモスは溜息をついた。それからこの場は「こわーい」と可愛い子ぶって叫んでおくべきだったかと後悔しながら、ペチンと額を叩く。

(そんなことしても、何のアピールにもならないのよね)

 軽蔑の視線を受けながらアジュールは自慢の牙と爪を出して襲い掛かる真似をする。

 しかし興味が無さそうなコスモスを見て溜息をつくと、尻尾で彼女の腕を叩いた。

「まぁ、生まれが生まれだからしょうがないけど」

「そうだ。そして、そういう私を隷属させたのはマスターだぞ」

「あー嬉しくない」

 赤の双眸が宝石のように輝いてコスモスを見つめる。綺麗なその目に彼女の姿が映ることは無いが、アジュールはしっかりとコスモスを見つめていた。

 彼が頼りになるのはコスモスも分かっているが、あまり頼りすぎるのも怖いと思っている。契約は絶対で主従の関係も揺らがないとは言われていてもいつどうなるか分からない。

 考えすぎなんだろうと笑っても不安は拭えぬまま、結局何かがあればすぐ青灰色の獣に頼ってしまう。

 中途半端だな、と己に腹を立てながらコスモスは試すような視線のアジュールを睨み返した。

「割り切って考えればいい。力が必要なら私を利用すればいいだけのことだ」

「そう簡単に言ってくれますけどね」

「私はただの道具だ。マスターの牙であり爪だ」

 平然とした様子で告げるアジュールに、ふと視線を感じたコスモスはマザーと目が合った。書類に走らせているペンを動かしたまま、彼女はにっこりと微笑んでくる。

 器用だなと思いながらコスモスもまた笑って返した。

「それでも最終的には自分の身を守るのは自分だ。鍛錬するのはいい事だと思うぞ」

「マザーからも言われたけどさ。練習が地味だから……ね」

 毎日欠かさずしている防御の練習。

 最初の頃よりもスムーズに防御壁を展開できるようになり、耐久度も固さも良くなっているとマザーから褒められた。

 しかし、万能ではないから気をつけるようにとよく注意されている。

 突破された場合の対処法はもう少ししてからと言われたが、それが緊急の時に上手くできるかどうかが心配だ。

(というかそもそも、そんな状況に陥りたくない)

 今回の乱入者に襲われたのは偶々だっただけだと思いたいのだが、子供のように幼さを残すあの口調が耳から離れずにコスモスはぶるりと体を震わせた。

 本当にただ軽く遊んでいるとでも言いたげな声は、彼の強力な力も相まって恐ろしいとしか言えなかった。

 万が一、そんな輩とまた顔を合わせる事があったら気配を感じ次第即行で逃げ出してしまいたいのが本音だ。

 戦って勝てるとは思っていないから、逃げる。

 それもまた一つの手だと思うコスモスだが、そんな事になりませんようにと手を合わせて必死に願った。




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