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52 ひと月

 例外というものは何にでも存在する。

 けれどもそのほとんどが、いい意味での例外な様な気がしてならない。

「はぁ」

 溜息をついたコスモスは砂を掬いながらサラサラと零れ落ちる様子を見つめていた。何度もその動作を繰り返しながら、すり抜けてゆく砂に自分を重ねる。

(感情のコントロール私もしてほしかった!)

 何故漏れたのだろうとサンタに尋ねても知らないと返された。滅多に無いと言うよりも今まで聞いた事が無いとまで言われてコスモスの眉間の皺が増える。

 最低限の加護さえあったらこれ程までに悩んだり鬱陶しくならずとも済んだのにと怒り始める彼女に対し、サンタは面白いものを見るかのような瞳を向けていた。

 それに少々苛々してしまい、自分を帰すことができないのならばソフィーアの事をどうにかしてくれるようにコスモスは頼む。

 薄い膜のようなものが張っている彼女は姫という立場にあるのに守護精霊を持てない。

 守護精霊と心を通わせるには直接触れ合って同調しなければいけないが、膜に触れると精霊たちは酷い激痛を感じるので無理だ。

 簡単にそう説明しながらコスモスが反応を窺っているとサンタは読んでいた本から顔を上げて、片付けを終わらせた彼女を見る。

「無理じゃの」

「それも無理なの?」

「言ったじゃろ。ワシはお前さんが思い描くような存在ではないと」

 日中休んでいたお陰で妙に目が冴えてしまったコスモスは、家の中に戻ってからもサンタに色々な疑問をぶつけていた。彼女の突飛な質問にも嫌な顔をせずに答えていたサンタは自嘲するように笑う。

 質問攻めにするコスモスの声を聞きながらアジュールはゆっくりと目を伏せた。






 柔らかな感触と心地よい温もり。

 いつの間に寝てしまっていたのかとコスモスが目を覚ませば、ぼやけた視界に映るのは見慣れぬ景色だ。

 何度か大きく瞬きを繰り返し、ぼんやりとした思考でここはどこかと考えていたコスモスは、自分を優しく撫でる何者かの手に身を任せた。

「お寝坊さんね」

 苦笑しながら降る声は穏やかなアルト。

 身じろぎをしながら寝返りを打ったコスモスは目を擦って見下ろしてくるマザーを見つめた。

 紫の目が優しく細められ、細い手が彼女の頭を何度も撫でる。

 まるで本当の母娘のような光景だなと他人事のように思いながら、彼女はゆっくりと口を開いた。

「あの男は?」

「心配ないわ。丁重にお帰りいただいたから」

「黒い蝶の?」

「いいえ、それとは別よ」

 テンポ良く会話が交わされるが疑問が増えてしまう。自分はあの後一体どうなってここにいるのかと、横になったまま室内を見回した彼女は小さく欠伸をした。

 魔法の練習中に変な男に襲われたのは覚えている。その男の攻撃を防いで突き飛ばされた後の記憶が曖昧だ。

 気がつけば流されてアロハシャツを着たサンタに助けられていたというのは、やはり夢かと思っているとマザーは安心した様子で息を吐いた。

「それにしても良かったわ。森の中で転がってるまま目が覚めないんだもの」

「え、そうだったんですか?」

「そうよ。貴方はピクリともしないわ、アジュールは途中で消えてしまうわで困ってしまったんだから」

 ボールのように地面に転がっていたのだと言われてもピンと来ない。

 大きく伸びをするように体を動かせば、嫌そうな声が背後から聞こえた。視界に映る青灰色に謝りながらコスモスは撫でていた手を止めて離れてゆくマザーの姿を見つめる。

 彼女の執務室ではなく、コスモスたちの定位置でもないこの部屋は誰かの私室のようであった。

「ソフィーアもウルマスも心配していたわよ。ソフィーアの場合は特に誤魔化すのに苦労したわ」

「え?」

「貴方、ひと月近く眠り続けていたのよ?」

 ティーカップが並べられている棚を開けてマザーはその中から薔薇の花が描かれたカップとソーサーを取り出す。もう一組は鈴蘭に似た白くて可愛らしい花の絵柄のものだ。

 隣の棚には同じような四角い缶が綺麗に整列しているのを見て、コスモスはそれが茶葉の入った缶だという事に気がついた。

 執務室でお茶を飲むことが多いマザーはその時の気分によってよく茶葉を変える。色々な種類の茶葉を集めて飲み比べるのも好きだが、自分でブレンドするのも好きなのだと言っていた事を思い出し、コスモスは上体を起こした。

 手をついた布の上質さに絹かと首を傾げながら周囲を見回す。

「それ、いいベッドでしょう?」

 円形の台座上にふかふかとしたクッションが敷かれていた。コスモスが横になっても余裕があるクッションにはアジュールが身を丸くしながら寝そべっている。

 軽く彼の頭を撫でれば反応するように尻尾が揺れた。

「貴方は自分が人型に見えていると聞いていたから、大きめに作ったのよ。素敵でしょう?」

「でも、邪魔じゃないですか?」

「まったく、そこは喜ぶところでしょう」

 部屋が広いからとは言ってもその片隅にこんな物を置いてもいいのかとばかりにコスモスは眉を寄せる。マザーにも自分の姿は人魂にしか映っていないのなら、無駄だとしか思えなかった。

 それにコスモスは向こうの世界の生活リズムを引きずっていて、それを崩さぬように眠りはするものの場所を選ぶことは無い。

 寒さも暑さも然程感じなくて済む状態なので床で転がって寝ても問題ないのだ。

 アジュールが現われてからは彼を枕代わりにして寝ているくらいである。

 内部から見ても豪華な作りに気後れしながらコスモスは天井を見上げて顔を引き攣らせた。これもまた喜ぶべき事なのだろうがここまでされると申し訳ない。

(まさか、天蓋付きベッドで寝る日が来るとは!)

 一度くらいは体験してみたい事の一つに入るものがこうして簡単に叶ってしまい、彼女は複雑な気持ちでレースのカーテンに触れた。

 触り心地が良い薄いカーテンは細かな模様が描かれており、よく見れば台座にも瀟洒な飾りが施されている。総額どのくらいなのだろうとついつい考えてしまいながらコスモスは興味深く自分が寝ていた寝台を観察した。

「凄い……」

「ふふ。今更なんだから」

「お姫様になった気分ですね」

「そう?」

 天蓋付きベッドと言えばコスモスのイメージとしてお姫様のような高貴な身分の少女が浮かぶのだが、マザーはピンと来ないらしく不思議そうに首を傾げた。

 それでも子供のように高い声を上げてはしゃぐ“娘”についつい微笑まずにはいられない。

 歳に似合わず少女のように騒ぐ主の様子に目を伏せていたアジュールが呆れたように溜息をついた。ちらり、と赤の瞳を向けて軽く前足で叩けば邪魔だとばかりに払われる。

 立ち上がってもぶつからない、と興奮する彼女の足に噛み付いても反対の足で蹴られてしまった。

 どちらも痛くないのだがアジュールとしては面白くない。

「今度からここで寝てもいいんですか?」

「勿論よ」

「え、でもここって?」

「私の部屋。執務室の奥の部屋よ」

 そう告げられてコスモスはこの部屋に一度も入ったことが無い事を思い出した。流石に彼女も人のプライベートルームにまで土足で入り込むような度胸は無い。

 部屋主の許可を得た上で入るならば室内が無人でも話は別だが、最低限のマナーというものがある。第一、マザーの私室に入り込むような馬鹿な真似をする輩がいたら見てみたいくらいだとコスモスは頷いて腰を下ろした。

 不機嫌そうに鼻を鳴らすアジュールの頭を撫でて、その手を喉へと持ってゆく。

「流石に執務室のあの場所で寝られてはねぇ」

「……あぁ、アジュールですか」

 コスモスの姿は精霊以上に認識できる者が少ないので何をしようと心配することは無い。執務室に訪れる教会関係者の中で彼女の姿が見えたという存在は一人もいないのだから。

 だから彼女が定位置で何をしようが、目隠しにもなっている観葉植物たちのお陰で判らなかった。本を読んでも大きな音を立てなければ気づかれることは無い。

 しかし、アジュールが来てから話は変わった。彼は常にコスモスの傍に寄り添うので必然的に彼女の定位置にいる事が多くなる。

 黒いオーラを纏った見たことも無い青灰色の獣の存在は、その姿が見えなくとも息苦しい空気と共に異変を知らせた。一度不審に思った神官兵がマザーの止める声も聞かずに定位置へと足を向けた事があり、面倒な事になったのだ。

 娘の使い魔だからという事で一応の解決はしたのだが、どう見ても禍々しく恐ろしい外見のアジュールを不安に思う者は多かった。

 だからコスモスはできるだけ中庭にいるようにしている。中庭ならばある程度の人も集まり、移動に多くの人が行き来するので目に付きやすい。

 どう見ても禍々しくて教会とは正反対の場所に存在しそうな獣が、穏やかな陽光を浴びながら花畑の上で寝そべり大人しくしている姿は次第に違和感無く受け入れられるようになっていた。

 下手に手を出さないように、とマザーが注意していたお陰で遠巻きに見つめる者がいてもアジュールは気にしない。

 コスモスからも教会内の人物には害を加えないようにと厳命されているからかもしれないが、花畑でヒラヒラと舞う蝶を追いかけるように前足でじゃれる姿に彼のファンもできている程だ。

 それと同時にそんな獣を従えているというマザー息女に対する評価も鰻上りでコスモスとしては非常に心が痛い。

(じ、実力が追いつかな……い)

 そもそも実力があるのかと突っ込まれてしまえば何も言えず曖昧な笑みを浮かべるしかないのだが、と彼女はゴロゴロと喉を鳴らすアジュールを見つめる。

「あれは、夢だった?」

「似たようなものだ。どうやらマスターは中身だけ飛んだようだがな」

 人魂に中身も本体もあるのだろうかと不思議に思いながら、耳に心地よい声を聞いていたコスモスは眉を寄せてアジュールを見つめた。

「やだ、夢じゃないのに喋ってる」

「何か不満であったか?ならば、黙っているが」

「は? 何、最初から話せたの?」

「動物のふりをしていた方がマスターは好むかと思ったのでな」

 人語を話し会話ができるのは先程見たばかりの夢の中だけではなかったのか、とコスモスが大きく目を見開けば苦笑しながらマザーが近づいてきた。

 近くにあるローテーブルにトレイを乗せた彼女は喋るアジュールに驚いた様子もなく、天使の飾りが取っ手になっている陶器の蓋を開けると中から白い花びらを取り出す。

 チョコレートで出来ているのだというそれを薔薇が描かれた皿に乗せ、マザーは一枚を口に含んで笑顔を浮かべた。

「……最初に言って欲しかったなぁ」

「そうか。それはすまなかった。いきなり人語を話す獣など、警戒されると思ったのだが」

「それ以前に充分警戒されていると思うんだけど」

 自分の雰囲気や存在自体が他者に恐怖や不安を与える事を理解していないのだろうかと、コスモスはマザーからお茶の注がれたカップを受け取る。

 彼女の寝台の上にはいつの間にか来ていたケサランとパサランが寄り添うようにして転がっていた。

 二匹とも久々に起きたコスモスが嬉しいのか、彼女に纏わりつくようにしてじゃれている。

「負の感情を抱かせないようになるべく力を抑えていたのだが、無駄だったのだろうか?」

「無駄ではないわね。けれど、抑えるにしては力が足りなかったと言うべきかしら」

 初めて会った時から動じる様子もなくアジュールの存在を受け入れいてたマザーは苦笑しながら彼にはミルクを与えた。床に置かれた陶器の器を見て彼はのそりと身を起こす。

 寝台をソファー代わりにして腰掛けているコスモスを一瞥して下りると、器用に皿を移動させて彼女の傍へ持っていく。

「そうか。悪い事をした。危害を加えるつもりはなく、マスターが少しでも過ごしやすいように抑えていたつもりだったのだが」

「そうねぇ。アジュールはコスモスさえ無事であれば他はどうでもいいものね」

「あぁ、そうだ」

 穏やかに紡がれるマザーの言葉にはっきりと答えるアジュール。

 彼らの会話を聞きながらお茶を飲んでいたコスモスは、もっと柔らかい言い方はできないものかとミルクを飲んでいる従者へと目をやる。

 しかし、それを彼に強要した所で彼の行動が変わる事はない。そんな事は確かめなくとも想像ができてコスモスは小さく息を吐いた。

 彼のこんな態度にも関わらずマザーは怒ることをしない。ただ楽しそうに彼らを見つめて笑うだけだ。

 アジュールも最初の頃に比べればマザーの存在を許容したのか唸る事も殺気立つこともなくなった。得体が知れないとは今もまだ呟くが、コスモスに害を加える存在ではないと認識したのだろう。

「美味しいです。でも、この前のお茶の方が好きですね」

「あら、そうなの。コスモスはシンプルなものが好きなのね」

「そうですね。香りだけ楽しむならこれも有りだとは思いますけど」

 向こうの世界にいた時からそれ程紅茶を飲む方ではなかったせいか、フレーバーティは少々苦手だ。その中でもシンプルなものや香りが強くないものを好んでいた。

 お土産やプレゼントで貰った場合は飲めるものから飲んで危なそうなものは最後に残していたのを思い出す。

 最近の当たりと言えば苺の甘酸っぱさとお酒の香りがする茶葉が中々良かった。コスモスにしては珍しくその茶葉を購入したくらいだ。

 少々香りがきついお茶を飲み干せばマザーが空になったカップにお代わりを注いでくれる。味としては上品で穏やかなので口当たりは良い。

 薔薇の絵皿に散りばめられている白い花弁のお菓子を摘んで口に入れ、お茶を飲む。程よい甘さと深みが増してまた違う味になった。

(何から聞けばいいのやら)

 これは自分が眠っていた間の情報を聞く前の下準備のようなものか、とコスモスは小さく笑みを浮かべて軽く目を伏せた。




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