49 腹を満たす
どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか、とか。
大人しくしていても情報が集まるわけがないだろう、とか。
理解したつもりで無理矢理目を背けていた感情をいとも簡単に見抜き、指摘された恥ずかしさにコスモスは埋まってしまいたい気持ちになる。
簡単に切り替えられるほどポジティブ思考ではないが、それでもグダグダし過ぎなのは自覚していた。自分でも顔を歪めてしまうくらいに鬱陶しい。
いい格好がしたくて、理解できている大人を演じたくて口先だけで「平気」だと言う。
心の中ではそんな自分を嘲笑っているもう一人の自分がいるというのに。
もう少し能天気に生きていられたらいいのか、と悩みながらコスモスは目を開けた。
「……はぁ」
夢も見ずに眠れたら良かったのだが、自分の嫌な部分ばかりが見えてしまった悪夢に表情を曇らせる。いつまでもウジウジしているわけにはいかない。判っているが、切り替えが上手くいかない。
頭と心がちぐはぐで、どうしたら同調してくれるのだろうかと息を吐けば貝に止まっている幸福の蝶と目が合った気がした。
(異世界召喚された人って、そんなに順応性高いの? だったら、私は間違いなくハズレなわけだけど)
頭を掻きながらのそりと起き上がる。
窓辺には老人の姿は無く、代わりに綺麗な花が一輪置かれていた。
鮮やかな赤色の花は大きな花弁を反らして誘うような甘い香りを放っている。鼻を近づけて匂いを嗅げば、濃い芳香に頭がくらくらとした。
鼻の頭に花粉がついてしまい、手の甲で拭ったコスモスは枕元にいる蝶を振り返るが彼はその場から動かない。
花の蜜はもう既に吸い終わったのだろうかと首を傾げるも、蝶が花粉で汚れた様子はなかった。
「向き不向きがあると思うのよね。そんな召喚してる事例が多いなら、初めて召喚された異世界人対象の講座とかあってもいいようなものなのに」
それとも唐突に見知らぬ世界に飛ばされた挙句、右も左も判らぬ状態で現状を受け入れて前向きに生きていく人物が多いのだろうか。
自分のような鬱陶しくていつまでもウジウジしている人物は一人もいないのだろうかとコスモスは小さく唸った。
「あーやっぱり若さが足りないのかな」
確かに二十七年生きてきた中でどこか他の世界、マンガやゲーム等の世界に行ってみたいと思ったことはある。だがそれは現実に有り得ないと知っているからだ。
もしくは行けたとしても帰ろうと思えばいつでも帰ることができる、という状態ならば「行きたい!」と年甲斐も無く思うだろう。
往生際が悪いとマザーに言われても仕方がない。
こんな状態で放り出されないだけマシだというのに、余りにも環境に恵まれてしまったので甘えてしまっているようだ。
もし自分が目覚めた場所が教会でもミストラルでもなかったら違ったのかもしれない。
「人魂だってメリットもあるんだから、現状にイヤイヤばっかり言ってちゃ駄目なのよね……分かってるつもりなんだけど、つもりなのよね」
帰れないかもしれない、ではなく帰るのだと強く思い続けなければ道は断たれてしまうのだろうか。
随分と楽になった体を軽く動かした彼女はそのまま寝台から下りて、落ちた。
「は?」
バランスを崩して床に転げ落ちた彼女は、そのままの格好で眉を寄せる。間の抜けた声にも落ちた音にも動じず蝶は呆れたようにコスモスを見下ろすだけ。
綺麗に掃除されている床で良かったと思いながら、今までに無い感覚に戸惑い考えていた彼女の耳に何かが突進してくるような音が聞こえてくる。
焦ったように叫んでいるのは老人の声だろうか、とコスモスは目の前にある棚の下に埃を被った金貨を見つけて這ったまま近づくと、狭い隙間に腕を伸ばした。
「ふぬぬぬっ」
指先が硬い物に触れたのと、大きな音が響いたのはほぼ同時だった。
白身魚のサラダに細かく刻んだ野菜がたくさん入っているスープ。見た目がカラフルな巨大魚は塩焼きにされていて大味かと思えばそうでもない。鮭に味が似ていてその塩梅に目を細めながらコスモスは皿に乗ったパンに手を伸ばす。
薄く切られたパンはライ麦パンにそっくりでそのままで食べても充分美味しい。
一切れをそのまま食べたコスモスは、二切れ目から自家製ジャムをたっぷり乗せて食べていた。
家の近くにある森では美味しい木の実や果実が取れるのだと目を細めて教えてくれる老人に何度も頷いて彼女は口の周りを拭う。
程よく酸味のあるジャムは、見た目が青くて食欲が減退してしまいそうだが食べれば驚くくらいに美味しい。味はラズベリーに似ているが果物の形は全く似ていなかった。
「美味しそうに食べるのう」
「とても美味しいですっ!」
スープのお代わりをお願いしながらクレープのような薄い生地を手にとって首を傾げる。丸めて食べてみたが想像していた通り味はない。
何かを包むのだろうが、一体何を包むのかとテーブルに並んでいる料理を眺めていれば、スープのお代わりを持ってきた老人が「おやおや」と笑って四角い容器を指差した。
四角い容器には薄い黄色の液体に漬かった茶色い物体と色鮮やかな野菜がある。
「仕留めた鳥を唐揚げにしたんじゃが余ってしまっての。野菜と一緒に酢漬けにしておいたんじゃ」
「南蛮漬け!」
「ほぅ、お前さんのところではそう言うのか」
包んで食べなさいと言われた通り、コスモスは皿の上に薄い生地を置いてそこに容器に入った唐揚げと野菜を乗せる。そのまま包もうとすれば四角い容器の隣に置いてあった小さな器が目の前にやってくる。
宙に浮くそれと老人を交互に見比べれば「ソースじゃ」と言われた。
オレンジ色をしたソースを手の甲に乗せて恐る恐る味見をする。途端にビリッと舌が痺れてコスモスは嫌な顔をした。
「辛すぎじゃないですか?」
「甘酸っぱ辛いというのは中々良いもんじゃよ。量さえ間違えなければ大したことはない、いい刺激じゃ」
「……」
という事は酢漬けに唐辛子のような辛味食材は入っていないのかと彼女は納得したようにソースを掬う。量に気をつけながらソースをかけて、中身が飛び出してしまわないようにクルクルと巻いてゆく。
(辛味は好みで後からなら、南蛮漬けとは言わないか……)
具を盛り過ぎて不恰好になってしまったが気にせず頬張る。
酸味と辛味が口の中で混ざり合い、野菜のシャキシャキした食感と唐揚げに合う。唐揚げもハーブのようなものが効いていて外国料理にこんなものがあったなと首を傾げた。
(あ、ブリトーか)
偶に食べたくなるファストフード店の商品を頭に浮かべながら食べ終われば、微笑ましい表情をして見つめてくる老人と目が合った。
「美味しいです」
「そうかそうか。そりゃ良かった」
全部一人で作ったと聞いた時には驚いてしまったが、一人暮らしが長いと知れば納得する。それでも料理の腕はその人のセンスでもあるので普通以上に美味しくなれるには中々難しいだろうとコスモスは思った。
現に一人暮らしをしているコスモスでさえ、料理本を見て正しい分量で作ったりするが思ったほど上手くは作れない。
普通に作れるだけましか、と思いながら今度は白身魚のサラダを包んでみようと手を伸ばした。
「……アジュール」
「マスターばかりずるいと思うのだが。私も腹が減っている」
ペシペシ、と先程から足を尻尾で叩かれていたのを無視していたせいで今度は前足で軽く蹴られてしまう。食事をするコスモスの横で主を見上げた彼は、宥めるように伸ばされた腕に軽く噛み付いた。
「いたたた!」
甘噛みされているのは判るが、痛みが前の比ではない。ガリガリと本当に噛み千切られそうなくらいに力が入ったのを感じてコスモスは慌てて獣の頭を叩いた。
噛まれた部分を見れば歯を立てた箇所に痕が残っており、軽く内出血をしている。
暫く睨み合う主従の様子を眺めながら、老人は空になった彼の器に蒸し鶏を乗せると獣の頭を優しく撫でた。
「まったく、食い意地が張っているから未だ独り身なのだ。理解して受け入れろ、マスター」
「うるさい。今は楽しい食事の時間よ。文句があるなら後で聞くわ」
赤い瞳と睨み合ったコスモスは溜息をついてお茶を飲む。
「……」
独特の渋みが残るお茶を飲みながら横目でアジュールを見れば、彼は器からはみ出すくらいの蒸し鶏を前足で器用に抑えながら食べていた。
蒸し鶏はアジュールの事を考慮してか、ただ蒸しただけだと老人は言っていた。
普通の獣ではないのだから人と同じ食事を与えても平気だろうと告げるコスモスに彼が苦笑した事も思い出す。
(ちゃんと体はあるし、アジュールは普通に喋るし)
人魂だった時を思うとこんなに動き辛かったのかと思うくらい制限があることを知る。元々肉体を持って過ごしてきたというのにちょっと人魂になっただけでこれだ。
コスモスは自分の手を見つめながら「サンタでいい」と本名を名乗らぬ老人へ声をかけた。
「片付け、手伝います」
「いやいや、お客さんじゃからゆっくりしておれ」
「いえ。お世話になってばかりですし」
美味しい料理を満足ゆくまで食べられた事は幸せだ。そして自分が知らないことを知っているだろう彼には聞きたい事がたくさんあるとコスモスは笑みを浮かべる。
何から聞こうかと悩んでいる時に食事をしようと言われたので忘れていたが、本番はここからだ。
ここは一体どこで、彼は誰なのか。
どうしてここにいるのか。
とりあえず最初に聞くのはそれかと首を傾げながらコスモスは食器を洗う。脂っこい皿はザラ紙で汚れを落としてから羊毛みたいなもので洗う。
洗剤らしい緑の液体を羊毛らしきものに含ませて洗うのだが、コスモスの知っている洗剤とは違って泡立つことは無かった。
それでも薬草から作られているのか、いい香りがする。
すすぎの為に用意された水の張ったたらいは複数あり、二つ目のたらいで仕上げすすぎをした食器を、サンタへと渡す。
「サンタさん。質問したい事たくさんあるんですけど」
「ここはそうじゃの……果てのような場所でワシはサンタさんじゃ!」
「それは私が言ったからですよね」
先回りをするように告げた老人にコスモスは溜息をつく。
不貞寝する前に見透かされるような感覚を受けたので自分の言動の先回りをしても別にどうとも思わない。その存在自体が胡散臭いので仕方ないと諦めているとも言えるが。
リビングでは、アジュールが暢気に欠伸をしながら転寝をしている様子が見えてコスモスは溜息をついた。
「それだけ凄いなら、ここじゃなくてもいいのに」
「のんびりしたいんじゃよ。隠居の身だからのう」
夢の中ではないのかという問いには「似たようなものじゃ」と返される。
確かに今の自分は肉体もちゃんとあって、着ている服はこちらに飛ばされる前のままだ。少なくともパジャマやジャージ姿でなくて良かったと彼女はホッとした。
私服のままちょっと一休みとばかりに寝ていたお陰だろう。
そもそも、あの時に寝ようと思わなければここにいなかったんじゃないかと考えコスモスは眉を寄せる。
「隠居……山奥とかじゃなくてですか? また不思議な場所ですね」
「そうじゃな。ワシでなければ居れんからの」
さらりと簡単に告げられた言葉に一瞬動きを止めたコスモスは最後の一枚をすすぎ終えてサンタに手渡す。受け取ったサンタが白い布巾で拭く様子を見ながら彼女は手を洗った。
「……つまり、ここってどこです?」
「お前さんが知っている世界とは違うのう」
つまり元いた世界と、飛ばされた世界のどちらとも違うという事なのだろうか。サンタが言っていた“果て”という言葉に引っかかりながら手を拭いた彼女はリビングに移動して身を起こしたアジュールの頭を撫でる。
グルグルと声を上げながら気持ち良さそうにするアジュールの隣に腰を下ろす。
台所からやってきた老人は手に二つのカップを持って彼女の向かいに座る。
目の前に置かれたカップに入っていたのはお茶だ。興味を示したアジュールに飲ませたところ、咳き込みながら何度も吐こうとしていた。害は無いので心配していないのだが、どうやら彼の口には合わなかったらしい。
「サンタさんはどっちも知ってるんですよね」
「異世界の存在じゃろう? 当然じゃ。知っておる」
詳しい事をぼかしながら尋ねてもピタリと当ててしまう鋭さ。
判りやすく顔に書いてあるのかと戸惑うコスモスにサンタはお茶を飲みながら楽しそうに彼女を見つめた。




