46 乱入者
嬉々として攻撃魔法を次から次へと発動させる上品な老婦人が、何故かコスモスにはラスボスに見えてならない。
死に物狂いで必死に防御壁を維持し、彼女からの攻撃に耐えていた彼女は全身の震えが止まらないまま自分の命の火が消えていく映像を頭に浮かべた。
(サービスだって何がよ! 火、氷、水、土と来て次は何!?)
手加減をしてくれるものだと油断していたコスモスも悪いのだが、楽しそうに術を発動する年寄りもどうかと思う。マザーは未だ耐えているコスモスに小さく手を叩きながら「うふふ」と笑った。
優しそうな雰囲気とその表情で、非道な事をする。
色々な属性の魔法を間近で見れることはコスモスだってとても嬉しいのだが、如何せんこの場所は特等席過ぎないかと首を傾げた。
終わる気配のない状況に声を上げて終了を求めても、マザーに笑顔で却下される。
(アースニードル来た時はどうしようかと思った。本当に人魂で良かったぁ)
土属性魔法のアースニードルは地面を起伏させて針のように尖らせ対象を攻撃する技である。
コスモスは半円状にしか防御壁を展開させていなかった為に、下はノーマークだった。突き出た大地からの攻撃に動揺した彼女の力が乱れる。
その隙を突くように飛来する岩でできた円錐状の物体は、下から攻撃してくる物と形が酷似していた。
術を自在に扱えるようになれば、アースニードルもこういう使い方ができるのだと教えてくれるのはとてもありがたい。
だが、そんな事を聞ける余裕のないコスモスは突き出る土のトゲを必死に避けながら半泣きで逃げ回っていた。
(ドシロウトだっていうのに手加減なし。スパルタだなぁ)
逃げるコスモスを追尾するアースニードル。防御壁を展開していたお陰でかすり傷程度の負傷で済んだものの精神的なダメージが大きい。
一度、逃げ場が無い状況まで追い込まれた彼女は諦めて死を覚悟したのだが、そのせいで防御壁の効果が薄まってしまいアースニードルはコスモスの体を通り抜けて背後の木々へ突き刺さった。
どうせすり抜けられるなら防御壁など関係無いじゃないかと思った彼女に、抉るような衝撃を与えたのは遅れて飛来したアースニードルだ。
先程のものはすり抜けたのにどうしてだ、と地面に倒れながら呼吸を整える彼女にマザーは軽く肩を竦めて頬に手を当てる。
(防御壁展開し続けないとああなるって……しんどい。凄くしんどい)
通常の魔術師の攻撃ならば全てすり抜けることも可能だろうが、力が強い者になるにつれそれも利かなくなるとマザーに言われてしまった。
人魂だから何があろうとすり抜けて無敵状態というわけにはいかないらしい。
事実、マザーのような実力のある人物が放った攻撃魔法ならば、それがいくら初級程度のものでしかなくとも大ダメージを与える事ができてしまう。
習得しやすい順から初級・中級・上級と分けられている魔法も、初心者が初級魔法を使用するのと熟練の上級者が初級魔法を使用するのでは差が大きいとの事だった。
だからマザーが放つ魔法はどれも初級魔法だが恐ろしいくらいの威力があり、規模も大きかった。
初級程度でこの威力か、と呟いたコスモスはゴクリと唾を飲み込む。
「まだ大丈夫みたいね? ふふふ、じゃあ次は何にしようかしら」
(何で楽しそうなんですかね)
勘弁してくれと心の中で泣きながらコスモスは立ち上がる。
体についた汚れを軽く落として、ゆっくりと呼吸をして気持ちを落ち着けた。
膜のように自分に纏わせている防御壁は消える事は無い。自分が負傷して倒れても残っている事に安心し、彼女は球状の防御壁を展開させた。
半円形でないのはアースニードルの攻撃を受けたからだ。
(どこからどんな攻撃がくるのか分からないから油断はできない。相手の攻撃によって形状も変えないとダメってことか)
防御壁が大きく、多くなればなるほど力の消費も大きい。
守るという事がこんなに難しいとは知らなかったと息を吐いたコスモスは、ぐっと踏ん張った。
体が重くてフラフラとする。
睡眠も食事も必要としないコスモスだが、今はそのどちらも強く欲している事に気づいて苦笑した。
できるならば今ここで眠ってしまいたいがそれではマザーにボコボコにやられてしまう。
それに忙しい合間を縫ってこうして実技指導してくれているのだ。多少スパルタであっても感謝するに越したことはない。
(見込みがあるから厳しくなってるんだと思いたい……うん)
自分の為だ、と彼女が何度も呟いて気合を入れていると視界の隅に青灰色の影が映った。
「アジュール?」
「クゥン」
彼は珍しく高い声でそう鳴くと地面に置いたフルーツを咥えて見上げてくる。
食べろという事なのだろうかと首を傾げたコスモスは、次の魔法を考えているマザーに手を上げて一旦休憩を申し出た。
少々体力回復したい、という彼女の申し出にマザーは快く了解する。
(実戦だったらこんなわけにはいかないだろうけど)
アジュールの頭を撫でて彼が持ってきてくれた果物を口にしたコスモスは、飲むように胃へと流し込んでやる。彼女が食べ終わる前に次の果物を運んでくるアジュールは、嬉しそうにガツガツ頬張る主を見つめていた。
「っぷはぁ……よし」
「グルゥ?」
「ありがと、ごちそうさま。残ったのは食べていいよ」
頭を撫でてから喉を念入りに撫でてやる。
コスモスに撫でられてグルグルと喉を鳴らしたアジュールは、瞳に生気が宿った彼女を見ると安心したように残った果物を咥え後方へと移動した。
「終わりましたー」
「あら、そう? じゃあ続けましょうか」
「お願いします!」
元気の良い声に笑みを浮かべながらマザーは両手を合わせる。次の魔法を何にするのか決めたのだろう。
彼女の傍にいるケサランとパサランは少し不安そうにコスモスを見つめていた。
地面に立ち並ぶ雷に防御壁越しでも肌がピリピリとするのを感じながらコスモスは目の前の光景を静かに観察する。
稲妻は意思があるかのように訓練場を縦横無尽に駆け巡る。
見ているだけで痺れそうだと目を細めながら壁に当たって力が消失してゆく様を見つめた。
(重ねがけしたお陰で思ったより損傷は低いな。でも無効、にはまだ遠いか)
それでもじりじりと体力が削られていく感覚はあるのだが、然程ではない。防御壁の内側でエネルギーを摂取し続ければ持久戦だって勝てそうだと思いながらコスモスは自分の隣にいるアジュールを撫でた。
(でも、エネルギー補給しながらってのもシュールよね。補給切れたら終わりなわけだし)
パチッと電気が走ってアジュールがコスモスを睨みつける。
「あ。ごめん」
「グルゥ」
コスモスが展開させた防御壁内に居座っているアジュールは、不快な静電気に目を細めたが大人しく伏せたまま目の前の光景を見ていた。
目がチカチカとしていつまでこの状態が続くのだろうと逆立つアジュールの毛並みを見ながらコスモスは息を吐く。
マザーはと言えば顎に手を当てコスモスたちを見つめ何やら嬉しそうに笑っている。
(マザーって本当はもっと凄いのよね。あんまりそう見えないけど)
ミストラルにある教会のトップというだけでも凄いのだろうが、どうにもあの性格からそれほどの人物とは思えなくて困ってしまう。
もっとも、今こうしてスパルタ過ぎる素敵な訓練をしてくれている彼女は本人ではなく影武者なのだが。
それにしてもこれだけの実力があるのだから凄いとしか言いようが無い。
どこからどう見ても守られる立場であり、上品で奥ゆかしい外見と雰囲気からは想像もできない程の好戦的性格。
訓練だから仕方がなく、と本人は呟いていたが魔法を発動させる時の彼女の表情と言ったら嬉しそうで仕方が無い。確かにこんな風に魔法を使用できる場など無いだろうなと思って、コスモスは消えない雷に小さく欠伸をした。
(これも軽く遊んでる程度の感覚なんだろうなぁ。ああ、恐ろしい)
視界を埋め尽くしていた雷は一瞬で消え、コスモスはマザーの様子を窺う。
これでもう終わりなのか、それともまだ次があるのかと思っていればアジュールが低い唸り声を上げる。いつもと様子が違う彼に眉を寄せたコスモスがマザーを見ると、彼女も何かに気づいたのか浮かべていた笑顔を消した。
(え? 何?)
何が起こったのかと周囲をきょろきょろ見回すコスモスの目の前を、ひらりと何かが横切る。
ひらり、ひらり、と飛ぶそれは黒い蝶。
一匹だけ通り過ぎてくその姿を目で追っていれば全身が総毛立ち、コスモスは身構えた。
得体の知れぬ感覚に戸惑いながら上から降る衝撃に耐える。
「!?」
グググ、と何かに押しつぶされるような感覚。
目視できないのだから“何か”としか言いようが無くてコスモスは焦った。
状況からしてマザーではあり得ない。ならば誰か。
息苦しさを堪えながらも押し返すように腕を上げて力を入れると、笑い声のようなものが聞こえてきた。
「面白い事やってるみたいだからさ、混ぜてもらおうかなーって思って」
笑い声の混じったその声は若い男のものだ。
少し、幼さを残したような声の響きに眉を寄せて、コスモスは踏ん張って何とか押し返す事に成功した。
また潰されては敵わないので軽く後方へ飛んで距離を取れば、先程までいた場所がボコンと音を立てて抉れる。
押し返す事に成功しなかった場合は自分がああなっていたのかと思うと寒気がする。コスモスは手加減する気のない攻撃に薄ら寒さを感じながら防御壁に力を入れた。
「へー。そのくらいはできるんだ。すごいねぇ」
小馬鹿にしたようなその声を追うように見上げれば、黒いローブを羽織った男の姿がある。
ひらひら、と飛んでいた黒い蝶が彼のローブに吸い込まれるように消えた。
どこかで見覚えのある容貌と声に目を細めていたコスモスは、突然腹部に強い衝撃を受けてそのまま吹っ飛ばされる。
(え?)
攻撃力は大したことがなく無事防御壁で防げた。
しかし、体が何かに引き寄せられるように後方へと飛ばされてゆく。
力を入れて踏ん張ろうにも引き寄せられる勢いが強く、止まる事ができぬまま背後にある森に体が飛ばされてゆく。木々に衝突して酷い事になるのではと考えた彼女を無視するようにその姿は森の奥へと消えて行った。
その場から退場してしまったコスモスに、男は両手を頭の後ろにやりながら溜息をつく。
「もっと楽しめるかと思ったんだけど。大した事ないね。何だかよく判らないものだったけどさ」
「……」
コスモスが吹っ飛ばされてからすぐに後を追ったアジュールにも大して興味が無いらしい。空中で頬杖をつきながら自分の髪の毛に指をクルクルと絡ませていた男は、コスモスが飛んで行った方向へ目をやりながら「うーん」と唸った。
「でもまぁ、褒めてあげてもいっかな。一撃目は防いだわけだし」
精霊がざわざわと騒ぐ。
ケサランとパサランを彼女の元へと行かせながらマザーは小さく笑みを浮かべた。
上空にいる男は「つまんないのー」と唇を尖らせて静かに下りてくる。彼はマザーを見つめると、その場で優雅に一礼をしてみせた。
「ごきげんよう、マザー・プリン」
「あら、ごきげんよう」
男が自分の名前を知っていてもマザーは動揺した素振りは見せず、同じように挨拶をして返す。にっこりと浮かべた穏やかな笑みを見つめた男は嬉しそうに頬を緩ませた。
「凄いやマザー。流石だね」
「そうかしら。貴方もその若さでそれだけの魔法が使えるなんて素晴らしいと思うわ」
「あぁ、それはしょうがないよ」
自分の力を目の当たりにしても尚、落ち着いてその場に居続けられるマザーに感心しながら男は軽く肩を竦めた。
ゆっくりと一歩踏み出そうとして途中でやめると彼は楽しそうに笑い出す。
「でも、お怪我はありませんでしたか?」
「あら、どうして?」
「だって魔物退治をしていたんでしょう?」
男のその言葉にマザーは口元に手を当てながら穏やかに笑い始める。笑われた男は不思議そうな表情をしながら首を傾げて森の奥へと目をやった。
「何がおかしいんです? もしかして、マザーが魔物を飼っていたとか?」
「……」
「それはそれで、色々と不味いんじゃないですかね」
純真そうな瞳を細め、口元を歪めた男にマザーは頬に手を当てながら空中へと視線をやる。
男の着ているローブから黒い蝶が零れ落ちるのがなんとも気持ちが悪い。黒い染みのように大地を染める様子を視界に入れつつ、マザーは困ったように溜息をついた。




