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37 とばっちり

 これは喜ぶべきことなんだろう。

 ぼんやりとそう思いながらも素直に喜ぶことのできないユートは大きな溜息をついた。

 所属が変わっただけでやるべきことは変わらない。

 いつものように警備隊の一員として国の平和、民の安全のために頑張るだけだ。

「はぁ。怖いな。ヴレトブラッド家の所属になるなんて」

 優しく微笑んでくれた憧れの人物はいつも通りにしてくれて構わないと言っていたが本当にそれでいいんだろうか。

 何かあれば警備隊ではなくヴレトブラッドの用件を最優先するだけ。

「それが怖いんだけど」

「確かにね。でも、現場にいた以上その身柄を監視下に置こうと思うのは普通だからねぇ」

「監視……って御息女!?」

「ん?」

 てっきり教会へ戻ったとばかり思っていた存在がすぐ近くにいたのでユートは驚き飛びずさった。

 家に帰ってくるまで無言だったのが原因か、と彼は慌てて床に正座をする。

「申し訳ありません。てっきり自分一人だと思ったものですからその……」

「あぁ、勝手についてきた私も悪いから気にしないで」

「あの……教会へ戻らなくてよろしいんですか?」

「うん」

 即答したコスモスにユートは気まずい表情をしながら言葉を探す。

 恥ずかしい場面を見られはしなかったか、何か粗相はしなかっただろうかと記憶を辿って唸っていると「ごめんね」と謝られた。

 ぱちぱち、とゆっくり瞬きをしたユートは宙に視線を彷徨わせながら首を傾げる。

「え? 何がでしょう」

「いや、断りもなく勝手について来ちゃったから」

「そんなの気にしていないので大丈夫ですよ」

「本当?」

「はい。面白い物は何もない場所ですけど」

 どこにでもあるような普通の家だからとユートは呟いた。

 ソフィーアの家のように豪華ではないと言いたいのかもしれないが、コスモスは気にしない。

 教会に戻ろうかとも考えた彼女だが、戻るなりマザーに何か面倒ごとを押し付けられるのではと思ってユートについてきたのだ。

「うん。普通だから落ち着くわ」

「へ?」

「はぁ。気楽でいいというか、落ち着く」

 自分の姿を認識できるものは限られているが、どこで誰が認識できるかも分からないので意外と気を抜けない。

 それは慣れてしまったヴレトブラッド家でもだ。

 教会内でも完全にオフモードになれるのは自分の場所があるマザーの執務室くらいで、コスモスは苦笑した。

 ユートの家は彼女の本来いるべき世界の実家を連想させる。

 穏やかで落ち着いた雰囲気に自然と心が安らぐのだが、それを正直に言えるはずもない。

 ただ、落ち着くと繰り返して小さな欠伸をする彼女にユートは少し照れくさそうに笑みを浮かべながら「そうですか」と呟いた。

「無理かもしれないけど、そんなに気にすることないと思うけどな」

「え?」

「給料が上がるわけでもなく、昇格するわけでもないんだし。警備隊の仕事に加えてヴレトブラッド家の雑用みたいなのが増えたと思えば」

「そ、そんな雑用だなんて!」

 滅相もない、と顔を青くさせるユートを眺めながらコスモスはラグの上に座った。床の上で正座したままのユートは何かに気づいたように慌てて立ち上がるとどこかへ行ってしまう。

 来客だろうかとコスモスが後姿を見つめていれば、途中で足を止めた彼が戻ってきた。

「あの、作り置きしていた焼き菓子があるんですがもしよろしければ……」

「食べます! ごちそうさまです!」

 気を遣ってくれたのかと元気よく答えながらコスモスは小さく笑う。

 そして嬉しそうに笑ったユートを追いかけるように彼女も台所へと移動した。

 その途中で柱についた傷を見つけて彼女は目を細める。

(うちにもこれあったなぁ。いくつか傷があるから、兄弟がいるのかな?)

 成長を刻みつけられた柱の傷を撫でながらコスモスは一番小さい場所につけられた傷を見て、過去の家族光景を垣間見た気がした。

 少しでも大きく見せようと背伸びをして怒られる子供。

 成長を喜んで嬉しそうに柱へ傷をつける父親。

 書かれた数字を一緒に読む様子を見て微笑む母親。

(あ、駄目なやつじゃない? プライバシーを覗くなんて、最低だよね)

 そんなつもりはなかったとは言え、見てしまった以上どうすることもできない。

 微笑ましい家族の光景だから良いじゃないかと思うが、これが触れられたくない場面だったら一体どうなっていたことか。

 考えるだけでも気まずい上に心苦しいとコスモスは額に手を当てて溜息をついた。

(気をつけないと)

 普通に触っただけでは問題ない。

 ここでどういうことがあったのか想像していたのが悪かったのかと首を傾げた彼女は、自分が今見た光景もただの想像かもしれないと思った。

 想像にしては鮮明で、その場の温もりさえ感じられるような感覚には驚いてしまったが。

(いいや。あとでマザーに聞こう)

 ユートが用意してくれたクッキーを食べながらコスモスは黙ったままカップを見つめる彼に声をかけた。

 適当な相槌を打っているのがバレたと思ったユートは慌てて謝るが、苦笑されて困惑する。

 大した会話じゃないから平気だと優しく告げるその声に安心しながら、首を左右に振って背筋を伸ばした。

「どこをとっても平凡で、とりえなんてない僕がヴレトブラッド家に気にしてもらえるだけでもありがたいなと思っていたんです」

「監視下においているだけだとしても?」

「はい。良いように使われたとしても名誉だと僕は思っていますし、処罰されないだけありがたいかと」

「……」

 浮かれることもなく、ひたすら恐縮しているユートを見つめていたコスモスはもう少し喜んでもいいんじゃないかと首を傾げた。

 それとも彼は自分の首が皮一枚で繋がっていることに恐怖しているのだろうか。

 もっとも、ヴレトブラッド家にそんな思惑はないと考えたいが実際のところどうなのかはコスモスでも分からない。

 いざとなればユートも教会に逃げてしまえばいいのにと思ってから、彼の家族を考えた。

 逃げるなら家族一緒でなければ意味がない。

(いやいや、私までマイナス思考でどうする。ウルマスがユートを気に入っているのは事実だろうから流石に最悪な事態にはならないと思うけど)

「そう言えば、ユート君はどうして警備隊に?」

「よくある子供のころの憧れです。あ、そう言えばきっかけの一つはヴレトブラッド家だったかもしれません」

「え?」

「昔からソフィーア姫は病弱で知られていたんですが、何としても姫に会いたいという不届き者が結構いて」

 屋敷から出られなかったと言っていたソフィーアの話を思い出してコスモスは溜息をついた。

 あの手この手で愛らしい姫に会おうとする輩は昔から多かったとユートは昔を思い返すように目を細める。

 大抵は警備隊にあしらわれて終わってしまうのだが、癖の悪い貴族の息子が無断侵入しそうになって大変な騒ぎになった事もあった。

「うわぁ、大変ねソフィーア姫も」

「はい。愛情深い家族に愛されて育った姫はさぞ美しいのだろうと噂が広まったせいですね」

「事実だけどね」

「はい。事実ですが」

 うんうん、と二人で頷きどちらからともなく笑い出す。

 穏やかなティータイムにほっこりしながらコスモスはユートの話に耳を傾ける。

 ヴレトブラッド家に貴族の息子が侵入しようとして大騒ぎになったこと。

 母親からその話を聞いて妹と一緒に激昂したこと。

「最初は衛兵になることが夢だったんです」

「騎士じゃなくて?」

「騎士は貴族でなければ登用されませんから。雲の上の人ですよ」

「そっか」

 王侯貴族たちを守護する騎士団は未だ憧れの存在だ。

  騎士にはなれずとも、衛兵ならば望みはあるとユートの将来の夢は“衛兵になる事”だった。

 警備隊はと言えば、確かに親しみやすく身分関係無く実力重視で採用されるので目指しやすくはあったのだが、格好良さに欠けていた。

 キラキラと輝き、王や重鎮を守護する騎士とは正反対に見えたと言ってもいい。

 汗臭く、泥臭くて、偶に酒場で暴れては追い出されたりする彼らは冒険者ギルドの冒険者と大差無かった。

 少なくとも幼い少年の目にはそうとしか映らなかったのだ。

 汚れて粗暴な警備隊と、人々の憧憬を集める騎士団と。

 どちらがいいかなんて比べるまでもないだろう。

「粗暴、か。想像できないね」

「そうですね。昔の警備隊は荒れてましたから……?」

 今はどうしてこう落ち着いているのだろうかとユートは考え首を傾げる。

 確か、あの頃の警備隊の隊長と副隊長は例の貴族が推薦し登用したと入隊してから聞いたことがある。

 それなりの地位と権力を持っていた貴族の意見が通り、そのまま彼らが警備隊を率いる事になったのだが素性が良く判らないものばかりだったと古参の兵士は苦虫を噛み潰したように教えてくれたのを思い出す。

 騎士団とも水面下で火花を散らしていたらしいのだが、そんな事は全く知らなかった。

「陛下や大公が黙ってないと思うんだけど」

「そうですよね……」

 胡散臭い貴族に横柄な態度を取らせて対応に困っていたというのも何か変だ。

 自分が考えるべき範疇を越えているとは思うのだが、気になるものは気になるとユートは眉を寄せた。

 騎士団は正義の味方。

 同じく人々を守るはずの警備隊は逆に迷惑をかけてばかりで、怖くて嫌いだった。

 酒を飲んで暴れ、女に手を出そうとして揉める。服も汚れてて、その手もゴツゴツしていて汚いと思っていた。

 そんな警備隊に助けられた時の事を思い出しながら、ユートは図書館に行きたいとコスモスに告げる。断る理由もない彼女はノリノリで了承すると残っていた菓子を綺麗に平らげた。

「へー。中にはちゃんとした人もいたのね」

「僕も驚きました。警備隊なんてみんな同じだと思ってましたから」

「特定の貴族が強権を持っていたのも気になるわよね。絶対厄介なことになりそうだけど」

「う……」

「しょうがないわ。気になるなら調べてすっきりしないと」

 モヤモヤした感覚が嫌でその頃の新聞を見てみようと王立図書館へと向かっていたユートの足取りが重くなる。

 せめてコスモスが帰ってからでも良かっただろうと溜息をつくユートだが、近くにいるコスモスは鼻歌を歌っていた。

 その気楽さを感じるだけで自分の心も少し軽くなったような気がしてユートは大きく深呼吸をした。





 どうして今更こんなことを気になっているのかと不思議に思いながら、ユートは新聞が纏めてある書架へと向かう。

 建物の外観を見てからずっと興奮したように声を上げているコスモスにも気にせず、彼は書架の前で立ち止まった。ぶつぶつと何かを呟き、ユートは背表紙に書いてある数字を指でなぞりながら目的の年を探す。

「へぇ、もしかしてこれ全部新聞なの?」

「はい。ファイルに纏めてあるんですよ」

 新聞創刊時のものは貴重なので特別な部屋に保管されているが自分が生まれたくらいの年ならば普通に並んでいるとユートは自分の生まれ年の数字か書かれているファイルを見つけ、トントンと指で叩いた。

「御息女は、図書館は初めてですか?」

「ここまで大きいところは初めてかな。あーでも、興奮するね。なんだろうこのワクワク感」

「そうですね。ちょっと同感です」

 ユートにとっては見慣れてしまったものでもコスモスにとっては新鮮だ。

 分厚いファイルを両手で抱えるようにして持ちながら彼は空いている席に座る。

 溜息をついてしまいそうな程の厚さだがこの中に求める答えがあるのならば仕方ない。気がかりなのはコスモスが退屈しなかどうかだが、そんな心配はなさそうだ。

 自分だけに聞こえる鼻歌に笑みを浮かべながらユートは目立った記事が無いかと探し始めた。

 ファイルに綴じられた新聞に集中する彼を横目にコスモスは適当に持ってきた新聞のファイルを開く。

 ファイルの背表紙に書かれている数字はユートの生まれ年だ。

 適当に流し読みしていたコスモスだが、読んでいるうちにその当時の光景が見えてくるような錯覚に陥って溜息をつく。

(早く制御できるようにならないとなぁ)

 便利でいいが、やっていいことなのかと不安になる。

 見えるのは自分しかいないからいいかと思いながらも、万が一のことを考えてマザーに報告しなければいけない。

(早く帰りたいなぁ)

 焦ってもいい結果は出ないとのマザーの言葉を思い出したコスモスは大きく欠伸をする。

「おかしいな」

「どうしたの?」

「いや、僕の記憶違いかもしれませんけどそれらしい記事がなくて」

「あらら」

 権力で潰されちゃったかと物騒なことを呟くコスモスに驚いたユートは慌てて周囲を見回す。誰かが耳にしていたら恐ろしいことになると顔を青くさせたが、そもそも彼女を認識できる人物が少ないことを思い出した。

 心臓に悪いと溜息をついてユートは新聞を捲る。

 すると、例の貴族の絵が載っている新聞を見つけて彼は手を止めた。

「この人ですね……」

「ん? どれどれ。ええと、フェノールからミストラルに?」

 いかにも小悪党という顔をした人物に関する記事を読んでいるとコスモスの不思議そうな声が聞こえる。

 フェノール貴族だったこの男が王妃を助けた際に乞われてミストラルに移ったとユートが説明する。あまり気のない返事で彼が指差す記事を読み始めたコスモスは「胡散臭い」と呟いた。

 そこにはフェノール貴族だった男が使者としてミストラルに滞在していた時に、ミストラル王妃が何者かに襲撃されるという事件があったと書かれている。

「御息女、聞かれていないとはいえダメですよ」

「いいのいいの」

 コスモスはパタパタと手を振りながら不安そうな表情をしているユートに笑いかけた。気にしすぎだと彼の肩を軽く叩いて彼女は記事の続きを読む。

 王妃は孤児院を訪問していた帰りに待ち伏せをされて襲撃された。

 賊は偶々その場に居合わせた貴族とその従者によって討ち取られ、王妃は傷もなく無事だったらしい。

 両陛下から感謝された貴族はそのまま頼まれてミストラルに移ったところまで記事には書かれていた。

 一介の他国から来た貴族が王妃を助けたくらいでそんなに権力を揮えるものだろうか。

(洗脳とか、そういうのがない限りはなぁ。いや、平和でのどかなミストラルなら付け入る隙がありすぎるかな?)

 ひどいことを考えながらコスモスは王妃に護衛はいなかったのかユートに尋ねた。

「僕も当時のことは分からないですけど、護衛がいないというのは有り得ませんね。隊長とかに聞けばもっと分かるとは思いますけど」

「けど?」

「隊長も副隊長もその話は回避したがるみたいなんですよね」

 深く突っ込んで聞いた事はないが、歯切れ悪く話題を変えてしまうことが多いように思うとユートは呟いた。

 貴金属で自分の身を飾っている貴族の絵を見つめながらコスモスは首を傾げる。

 結構好きにやっていたらしいこの人物も息子の不始末で国外追放されてしまった。警備隊も彼に関係する輩は全て追放されてミストラルには平和が戻る。

(めでたし、めでたし、か)

「王族に関係することですし、あまり僕も深入りしたくないので聞かないでいたんですけど」

「それがいいかもね」

「……深入りしろって言わないんですね」

「私はそこまでひどくないよ! ユート君がいなくなったらそれこそあの研究者と契約結ばなくちゃいけなくなるじゃない」

 それだけはお断りだと声を荒げるコスモスに気圧されたユートは慌てて謝る。一人で頭を何度も下げながら謝罪を繰り返す彼の姿はとても奇異だ。

 それを見つけたある人物は笑みを浮かべそっと彼に近づいていく。

「こんにちは。奇遇ですね」

「あ、は……」

 言葉を続けようとしたユートは顔を上げて固まってしまった。

 予想外の人物の登場に彼の頭は真っ白で隣にいるコスモスが心配する声が聞こえる。

「きぐうですね」

「おや、どうかしましたか? 私の顔に何か? それとも、御息女が何か?」

「いえ、驚いただけです。すみません。それに御息女は一緒じゃないので……」

 何とか言葉を紡いだユートは自分でも驚くくらい冷静に対処できていることに驚いた。てっきり一緒にいると言われると思ってたコスモスも驚いてユートを見つめる。

 軽く頭を下げながらユートが謝るとチッと舌打ちが聞こえてきたような気がして彼は顔を上げた。

 そこにいるのはいつもと変わらぬ表情をしたクオークである。

(うわ、舌打ちしたよこの男)

 クオークは難しそうな題名が書かれている本を数冊抱え直して暫くユートを見下ろすと、彼が見ていたものに目をとめた。

「新聞、ですか」

「あぁ、はい。ちょっと気になった事があったもので」

 他国のクオークに自国の恥になるような事を知られるのは嫌だという気持ちからか、ユートは静かにファイルを閉じる。 

 何も言わずに一つ頷いたクオークは用がないとばかりに背を向けたが、数歩進んだ先で思い出したように彼は振り返り静かな声でこう告げる。

「あぁ、そう言えば気に入っていただけましたか? ヴレトブラッド家に貴方の素晴らしさをお伝えしたので待遇も良くなったかと思うのですが」

 その言葉にユートの目が点になった。

 一瞬、言われた意味が判らずぽかんと口を開けていた彼だが、クオークの姿が小さくなっていくにつれて言葉の意味を理解する。

「あっ……」

 大声を出したい気持ちになったユートだがここが図書館だということを思い出す。静かにしなければいけないと寸前で飲み込み、やり場の無い思いを机にぶつけようとして止めた。

 机を叩いたところでどうとなるわけでもない。

 慰めるように背中を擦るコスモスの手が優しくて情けなくも涙が出そうになった。

「前向きにいくしかないね、ユート君」

「……はい」

 項垂れるように謝ったユートは机に両肘をつくと組んだ両手に額をつけて深い溜息をつく。

 こんな面倒なことになった元凶は分かったが、何か恨まれるようなことでもしただろうかと彼は考えた。

 不手際はあったがそれは許しを得ている。しかし、そう思っているのは自分だけなのかとユートは強く目を瞑った。

 それ以外では粗相はしていない。自分が使えないという以外で気分を損ねるような真似は決してしていないと彼は自信をもって言えた。

「……あ」

「ん?」

 しかし、思い当たるとすれば一つだけ。

 それは自分が悪いのではないが、とユートは隣にいるはずのコスモスのことを考える。

 そうなると完全なるとばっちりか、と思いながら彼は大きく肩を落として溜息をついた。



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