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35 絵になる兄妹

 唇を尖らせ、深い溜息をつくコスモスはユートと共にヴレトブラッド邸に向かいながら溜息をついた。

 綺麗に整備された石畳の道を仲が良さそうなカップルが通り過ぎてゆく。

 きゃっきゃ、とハートが乱舞してそうな様子を横目で見ながらコスモスは頭を横に振った。

(副隊長は既婚者か……残念だった。でも当然か。こっちの成人は十五なんだし)

 そう考えればソフィーアも彼女の兄たちも結婚していてもおかしくない年頃だ。

 ソフィーアにはアレクシスという素敵な相手がいるのだから、彼らにもちゃんとした婚約者がいるのだろう。

 長兄のアルヴィが未だ結婚していないのも不思議だが、それには色々と事情というものがあるのかもしれない。

(ソフィーの事があるから相手選びにも慎重になりそうだわ)

 その容姿は元より、家柄も良い彼らだ。

 是非自分を、または自分の娘をと売り込みに来る人物は多いに違いない。

 特にアルヴィとウルマスには殺到しそうだ。

 イストは、黙っていればいいが妹大事で脳内を占めているのはほぼ妹という残念な美形だ。実際にそんな人物を目にすることがあるなんてと思いながらコスモスは溜息をついた。

(ソフィーの事がなければ、ちょっと冷たいけど素敵な美形なのに)

 もしソフィーアがアレクシスと結婚したら、流石のイストも諦めるのだろうか。

 あそこまでアレクシスに対して敵意を剥き出しにし、妹に近づく異性は家族以外許さないとばかりに恐ろしい表情をするあの男が。

「……」

 皆が幸せを喜ぶ晴れの結婚式で、大暴れしそうな彼の姿が浮かびコスモスは額を軽く叩く。

 流石にそこまでの事はしないと思いたい。

 例え他の兄弟に監禁されていたとしても、自力でそれを破って出てきそうだから怖い。

 ソフィーアに説得されれば一応大人しくはしていそうだが、それでも血涙くらいは軽く流しそうだ。

(み、見てみたい気もするけどそれを望むとバッドエンドだわ……)

「あの、着きましたよ」

「ハッ!」

 気がつけばヴレトブラッド邸が目の前にあり、コスモスは相変わらずの光景に溜息をついた。

 正門に人だかりができているが、恐らくそのほとんどが見舞い客だろう。対応している使用人は大変そうだ。

 少し離れた場所からその様子を見ていた二人は、落ち着くまでと眺めていたが一向に減る気配がない。

 ユートが不安そうに視線を彷徨わせるのでコスモスは自分を探しているのかと声をかけた。

 大きく頷いた彼は数歩退いて身を隠せそうな場所まで移動すると小刻みに震えだす。

「無理です。あそこを割って入るなんて、到底無理です」

「いや、でも呼ばれてるんだから行かないとね」

(私は人魂だから姿見えないし、すり抜けられるけど)

 人の目を気にしなくていいというのは非常に便利だ。自分もユートの立場だったらあの貴族の群れを掻き分けて中に入る勇気などない。

 身なりも家柄も自分とは遥かに違う、上流の人々。

 望んでもどうにもならぬ出自を悔やむくらいならばと努力しただけで、一体どこまで上り詰められるのか。

 秀でた才能が何かあればのし上がれるかもしれないが、そんなものもなければ?

(厄介な事にならないように、ああいう人たちとは距離を置くのが正解よね)

 高貴な身分の人たちが皆優しいなんて夢物語。

 ミストラルはそれでも穏やかな人々が多いだろうが、門前に殺到している人々は少々殺気立っている。見たことも無いような民族衣装に身を包んだ人たちもいた。

 婚約者がいると知られているはずなのにこの人気。

 未だ療養していると言うのに、屋敷正面のバルコニーから出て対応してくれるという優しさ。

 儚げな表情で、丁寧に対応してくれる少女の話を聞けばその噂だけで更に人を呼ぶだろう。

 呼び出しを受けているのだから正々堂々と説明すれば入れてくれるだろうと思ったコスモスだが、いくら用事があるからと言っても自分たちを差し置いてと腹立たしく思う輩がいるかもしれない。

 きっとユートはそれも考慮して無理だと震えているのだろう。

「ユート君、こっち。こっち来て」

「え? どちらでしょう? 俺、姿は見えないので」

(あ、そうだった)

 音を頼りにそれを追えと言っても可能だろうか。

 面倒だから見えるようにしてしまおうか、と考えてコスモスが悩んでいると飾りのように花輪に止まっていた蝶がひらりと舞う。

 きらり、と一瞬輝いた蝶はそのままユートの目の前に移動して驚いた彼の前で羽をゆっくりと動かした。

 驚いた彼が悲鳴を上げる前にケサランが鳩尾に衝撃を与える。大声を上げる事無く「カハッ」と息を漏らしたユートはその場に崩れ落ちた。

 膝をついて壁に手を付いた彼にコスモスが「ごめんねー」と謝る。

「騒いじゃうと注目されちゃうから。手荒な真似して悪いけど、この子の姿見える?」

「は……はい。こ、こうふくの…」

「そ。まぁ、そう言うわけだからこの子についてきて。できればあの人たちに気づかれないようにそっとね」

 変に気づかれると面倒だが、あれだけ騒いでいるのならば気づかれることもあるまい。

 しかし、念には念を。

 何度も頷くユートを見ながらコスモスは慣れた様子で路地を浮遊する。その後を幸福の蝶が追い、ユートが続く。

 彼は被っていた帽子を目深に被り直しながら挙動不審にならないように気をつけて歩いた。しかし、緊張していたのか両手両足が一緒に動いているので逆に目立ってしまいそうだ。

 けれども門前に殺到している人々は目の前の屋敷と自分の目的に夢中で、そんな彼の姿に気を留めるものなど一人もいなかった。

「こっちなら大丈夫だと思うんだけど」

 さすがに裏から入ろうとする不届きな者はいないだろう。

 少しでも自分の心象を良くしたいのならば正面から面会を申し出るはずだ。

(あーでも前に一回子豚ちゃんが押し入ろうとして、イストさんの餌食になってた事があったか)

 使用人と揉めていたどこぞの貴族の息子に、書類を取りに来たイストが現われた時には非常に頼もしいと感じたのを思い出す。

 相手が相手だけに手荒な真似ができずにいた使用人たちも、ホッとしたように彼の登場に安心していたくらいだ。

「大丈夫でしょうか?」

「大丈夫じゃない? わざわざユート君呼んでるんだから何とかなるでしょ」

「……そうですよね」

 不審者に思われないだろうかとしきりに心配する彼にそう答えて、コスモスは屋敷の裏にある出入り口へと近づいた。すると彼女が到着する前に裏門が開く。

 びくっと身を強張らせるユートを他所にコスモスはそこから姿を現した人物を見て、勢いよく飛んでいった。

 撫で付けられた綺麗な白髪に、きっちりと着こなされた執事服。

 老人にしては長身で優しそうな顔が特徴的だが、あのイストを黙らせてしまう実力を持っている人物だ。

「出迎えしていただけるとは感激です。スティーブさーん!」

「え?」

 黄色い声を上げて老人の元へと飛んでいくコスモスに、声が遠くなっている事で何となく気づいたユートが首を傾げる。

 用件を告げても信じられずに追い返されてしまうのではないだろうかと思っている彼が門前に着くと、出迎えたスティーブは笑顔で中に入るようにと促した。

「あ、あの、自分は警備隊所属のユートと言います。ほ、本日は…」

「はい。ウルマス様より伺っております。一つご確認させていただきたいのですが」

「は、はい!」

 慌てて帽子を取って自己紹介をするユートを微笑ましそうに見つめながら、スティーブは優しく問いかけた。緊張を解すような柔らかな物言いにユートは何度も頷く。

「コスモス様はご一緒でしょうか?」

「あ、はい。あの、見舞いをしたいから一緒に行くとおっしゃっていましたので。あの、いけませんでした?」

「いえいえ。コスモス様は出入り自由ですので問題はありませんよ。さ、中へどうぞ」

 穏やかに告げられてからユートは顔を真っ赤にする。

 自分の言葉はまるでコスモスを下に見ているような言い方だと気づいたからだ。視線を落とし、屋敷の中に入りながら口をもごもごと動かす彼にコスモスは「気にしてないよ」と告げる。

 安心したように頬を緩ませた彼はすぐに真面目な表情をして、先を行くスティーブの背中を見つめた。

 本当はきょろきょろと周囲を見回したいのだろうが、それは失礼だと思ったのだろう。けれども、顔は正面を向いたままで視線だけを動かしているあたり、好奇心には勝てなかったようだ。

(そりゃそうよね。貴族の屋敷に入るなんて初めてだろうし)

 騎士団に入っていればそんな機会もあるだろうが、ミストラルの騎士団はそのほとんどが貴族の出だ。自分の家と似たようなものにそう興味を示すはずも無い。

 警備隊が一般市民に親しまれる身近な存在ならば、騎士団は憧憬の存在だろうか。

「ユート君、手と足まだ一緒」

「!」

 長い廊下を歩きながら一体どこへ連れて行かれるかと不安なのだろう。

 少し離れた場所にいる侍女たちがその様子を見て笑っているのを見て、コスモスは苦笑する。

 馬鹿にしているのではなく、緊張している様が可愛らしいと思って笑っているのだろうが当の本人にそれが判るはずもない。

 聞こえていないならいいのだが、顔を真っ赤にして俯き加減に歩いている様子から彼の耳にも届いていたようだ。

(これはまずいなぁ)

 強く握り締められる帽子を見つめながらコスモスは軽く彼の頭を撫でる。

「!?」

「取って食われるわけじゃないから、少し落ち着いて。無理かもしれないけど」

「……」

 いきなり変なものに頭を触られたとばかりに肩を強張らせるユートにコスモスが声をかける。無言で返されたが「無理です」と言っているように聞こえて彼女はもう一度彼の頭をポンポンと叩く。

 少し癖のある髪をくしゃりと掻き混ぜてから手で整えてやると彼女はやさしい声で囁いた。

「とりあえず、傍にいるから。ほどほどに頑張れ!」

「……」

 そんな事くらいしかできないけれど、と言うコスモスにケサランとパサランも「キュルー!」と声を上げる。勇気付けるその声を聞きながら今にも泣きそうな顔をしてユートは大きく頷いた。





 銀髪の少女が透き通るような翠玉の瞳を輝かせながら笑う。

 花が咲くように楽しそうに笑う。

 鈴を転がすような可愛らしい笑い声で、頬をほんのり桜色に染めながら。

 

「……」

 ユートが呼ばれたついでに見舞いにと訪れたのはいい。

 彼女の体調も思ったより良さそうで何よりなのだが、コスモスは目の前の光景を受け入れたくないと思ってしまう。

 現実を直視しろというどこからか聞こえてきた言葉と、嫌だという気持ちがぶつかり合って彼女は微妙な表情をしていた。

 逃げるように視線を逸らしてユートを見れば、彼は小さく口を開けながらその様子を黙って眺めている。

(そりゃそうか。美少女があんだけ綺麗に笑っていれば釘付けになるわよねぇ)

 壁にぴったりと背中をつけて自己紹介をし終えた彼は気が抜けたのだろう。

 自分が間抜けな表情で彼女たちを見つめているとも知らずに、高嶺の花を見つめ続けている。

「ユート。悪かったね、急に頼んじゃって」

「い、いえいえ。とんでもない」

「……ソフィーの事気になる?」

 声をかけてきたウルマスの存在に遅れて気づいたユートは、慌てながら「ごめんなさい」と繰り返した。悪戯っぽく尋ねてくる言葉に顔を青くして頭を横に振る彼を慰めるようにコスモスが声を荒げるとウルマスは笑いながら謝る。

 ウルマスの言葉にではなく、ギリッと鋭い視線が飛んで来たことに怯えたのかもしれないユートは一切そちらの方を見ようとはしなかった。冷や汗を流して今にも泣きそうな表情をしながら彼は預かっていたお金を返す。

 その中身を見たウルマスは「あれ?」と首を傾げた。

「あんまり減ってないね。あ、急に呼び出しちゃったから? あーごめんね」

「い、いえ」

「大丈夫よウルマス。それなりに楽しめたし、いつでも観光はできるから」

 まだまだ見たい場所はあるが、幸いなのか時間はたっぷりとある。

(いつでも……か。本当に、いつまでいるんだろうなぁ私)

 今すぐにでも帰れるというわけではない状況に諦めてこの世界を楽しもうとしているコスモスは、パタパタと手を振りながら申し訳なさそうな顔をするウルマスにそう答えた。

「欲しいものは大体買えたし。というよりも、お金あるのに出してもらってごめんね?」

「ううん。僕が姉様に何かしたいから役に立ったならいいんだ。あ、心配しないでね。あのお金は僕のお小遣いだから」

「え! そんな貴重なお小遣いを!」

「いいのいいの。働きに見合った報酬だし」

 お小遣いとは親から貰うものではなかっただろうかと首を傾げたコスモスに、ウルマスは今回の事件に巻き込んだお詫びを陛下から貰ったのだと教えてくれた。

(甘いなぁ陛下)

 いらないと言っても押し付けてくるので有効利用させてもらったと告げる彼は「姉様貯金として取っておくからね!」と嬉しそうに笑みを浮かべる。

 悪いからと何度も辞退するコスモスだったが、ウルマスは聞こえていないふりをしてにっこりと微笑んだ。

「僕が自由に動けないときは、ユートに頼もうかな?」

「ハッ!?」

「ユートも姉様と随分仲良しみたいだし。あ、じゃあ僕とも友達だよね?」

「お、恐れ多いです。申し訳ないです」

 洞窟での黒い蝶騒ぎの一件では余裕がなかったのだろうが、今のウルマスはコスモスが知っているいつもの彼だ。天使のような愛くるしい容姿をしていながら、悪魔とも思える言動をしてしまう恐ろしい子。

 彼はユートのからかいやすさに気づいたのだろう。その素直で感情がすぐ表に出てしまう彼をニコニコしながら見つめているがコスモスにはそれがニヤニヤにしか見えなかった。

(遊ばれてるな、ユート君)

「俺なんて、いや自分なんてとんでもないです。お許しください」

「え? 僕と…友達になってくれるのは、嫌なんだね。そうだよね、僕は貴族のお坊ちゃまだし、良いように振り回されるなんてごめんだよね」

 気づかなくてごめんね、と無理して笑うその表情は正に天使であり悪魔。

 判っていてやっているのだから本当にタチが悪いとコスモスは思うのだが、ユートは混乱した様子でパクパクと口を動かしていた。

「ウルマス、いい加減にしてあげなさい。彼が困っているだろう?」

「えーアル兄様。僕はもっとまともな友達が欲しいだけなんですけどー」

 苦笑しながら助け舟を出してくれたのは長兄であるアルヴィだ。父親に似た面立ちで爽やかな笑顔は乙女たちの心をキュンとさせるには充分の破壊力を持っている。

 恋人にしたいというよりも夫にしたいと言われそうなタイプだなと思いながら、コスモスは久しぶりに見るアルヴィをじっと見つめていた。

 可愛らしく頬を膨らませたウルマスにユートは一人困った様子で二人を交互に見る。

「悪いねユート。弟が迷惑をかけてしまって」

「あ、いえ! とんでもありません。気を遣ってありがたい言葉までかけていただいて、非常に恐縮です」

(これは人気あるわ。他国の乙女たちの心も鷲掴みだわ。何度見ても恐ろしい兄弟)

 当然のように婚約者はいるだろうし、と充実している彼らに内心で毒づきながらコスモスはだらしなく壁に寄りかかる。恋人が欲しくないと言えば嘘になるが、今はそんな事を考えたくない。

 恋人と言って思い出すのは嫌な事ばかりだ。それ以上にいい事もあったはずなのに、おかしいくらいに嫌な気持ちしか蘇ってこない。

(男探しにここにいるわけじゃないのよ。それなのに……馬鹿みたい)

 考えるべき事はもっと別にあると自分に言い聞かせながら、じくじくと痛む胸の傷に無理矢理蓋をする。

 それでもやっぱり気が晴れないので後でヤケ食いをするかとコスモスは溜息をついた。



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