33 デェト?
兵士の格好のままでは目立つから、という事で着替えてくるというユートについてコスモスは彼の家へと向かう。
王都に住んでいるユートは家から通えるので楽だと言っていたが、遠くの町から警備隊を志願し入隊する人たちは警備隊宿舎で生活をしている。
驚いたことに少数ではあるが女性も存在するらしく、寮はきちんと男女別に分けられているとの事だった。
「へぇ、凄いじゃない。ユート君」
「いえ俺なんてまだまだです。でも、昔から憧れだったので実際警備隊に入れて嬉しいですよ」
辛い事も多いですけど、と付け足して笑う彼は歳相応の好青年だ。整った容姿でもなく、とりわけ運動神経がいいわけでもない。剣の腕も荒く、守るはずが守られる側に回ってしまうそんな自分が悔しいのだろう。
何も役に立てなかったと笑いながら呟く声はまるで自嘲しているようでコスモスはゆっくりと首を横に振る。
「そーんな、誰でもいきなり英雄や勇者になれるわけじゃないんだから。腰抜かさず必死について来れただけマシじゃない。逃げ出す事もしなかったんだし」
「それは、兵士としては当然の事です。護衛すべき対象を前に逃げ出すなんて!」
「真面目だね。志は立派だし確かにそれはそうだけど、でも命大事にしないと」
そんなことを言いながらコスモスは自分に置き換えて考えてみる。
あんな状況に巻き込まれたら、人魂ではないただの三十路近い女は邪魔でしかない。腰を抜かしてユート以上のお荷物になっていたに違いない。
(ま、命を大事になんて人魂の私が言うなってね)
「私だったら、すぐに逃げちゃうわよ。大して役に立てなかったし」
「そんな! 御息女は足手まといの俺を守ってくださいましたし、アクシオン氏の話も本当に聞いていただけで理解などできませんでした」
「……」
自分の無力さを思い知って打ちのめされている表情をしているユートは悔しそうに拳を握り締める。凡人だと自覚している自分にはここまでしかできないのかと溜息をつけば、頬に熱を感じて驚いた。
ぐりぐり、とユートの頬に体当たりをしているケサランを眺めながらコスモスは戸惑う彼を見つめる。
「あちっ、アチィ!」
「あはは。元気出せって言ってるわよ」
じりじり、と焼け焦がれるのではないかと思う熱さに頬に当たる何かを遠ざけようとするのだが、宙を掻くばかりで手応えがない。
あの時と同じだと思ってユートはコスモスに助けを求めた。
「あ、あの、御息女」
「ケサラン」
そう彼女が精霊を呼べば、彼はつまらなそうにしながらも大人しく彼女の元へと戻る。
熱が離れてホッとしたユートは大きく肩を落として息を吐いた。ごめんね、と謝るコスモスに慌てて首を横に振りながら「驚いただけです」と必死な形相で答える。
別に怒ったりしないのに、とコスモスが苦笑すると安堵したようにその表情を和らげた。
「御息女は、王都が初めてなんですか?」
「あーうん。箱に入ってたからね。外の事は良く分からないです。ごめん」
「い、いえ! そんな! マザーの御息女ですから当然です」
当然なのだろうか、という疑問は心の中だけで呟く事にしてコスモスは苦笑した。右も左も判らぬ箱入り娘とは些か嫌な設定ではあるが、こういう場合は非常に便利だ。
一般的に知られているものでもそれを理由にしてしまえばとりあえず納得させられる。
それはきっと、自分の姿が見えていないというのもいい効果を与えているのだろうなと少々複雑な気持ちになった。
「で、ユート君の家はこっちなんだ」
「はい。職人街にあるんです。父親が船大工をしていて、本当は跡を継いで欲しかったみたいなんですけど」
「ほっほう! 船大工」
それはまた好奇心をそそる単語だわ、と小さく呟いたコスモスは身を乗り出すようにしながらユートの話を聞く。
ふわり、と感じる風圧と花の香りに何度も瞬きを繰り返した彼は、照れたように頬を掻いて父親の腕がどれほど素晴らしいのかを彼女に説明する。
聞いていても良く判らない単語が出てくるのだが、それでもユートが父親を尊敬し大好きだという事は充分に伝わってくる。母親も同じように船大工として働いていたと聞いたときには驚いてしまったが、話を聞いているだけでも二人の仲の良さが知れた。
「ユート君、兄弟は? 一人っ子なの?」
「いえ。妹が一人」
「あらあら、お兄ちゃんなのね」
「ええ。歳が離れてるのでちょっと我儘というか、口うるさいんですけど」
困ったように笑ったユートについて職人街へと足を踏み入れる。住宅が多くなってきたが、所々に大きな敷地や建物があり、不思議そうに尋ねるコスモスに彼は一つ一つ丁寧に教えてくれた。
「武器防具等の装備品は主に職人街にありますから、旅人とかも多いですよ。下のほうには酒場もありますし、色々な国から来ている人たちの話が聞けて面白いです」
「へぇ。あ、アクセサリーは向こうの中心部近くにあったわね」
「そうですね。装飾品、高級な物だと向こうですね。こっちにあるとすれば骨董屋かなぁ」
旅をするに必要なものは武器防具、それから道具やあたりだろうか。装飾品まで拘って身に着けているとなると余裕がある人らしい。
確かに、旅をするにあたって装飾品は特に必要ないよなぁ、と思いながらコスモスは周囲を見回した。
「骨董屋かぁ。後で覗いてみたいです」
「はい、判りました。当たり外れ多いので気をつけてくださいね」
冷やかす分には楽しいですけど、と付け足して笑うユートは足取り軽く細道に入っていく。
「この下町って感じがいいねぇ」
「そうですか? 俺もこの辺りに来ると安心するんですけど」
「懐かしいって感じするよねぇ」
穏やかなコスモスの声にユートの表情も緩む。
自分が生まれ育った場所に好感を抱いてくれるのは嬉しいからだ。
こうしてマザーの娘であるコスモスと会話できることも彼には考えられないことだ。
洞窟で案内をしただけなのに、それが事件へと発展して色々な人物と繋がりをもつことができた。
最初はどうなる事かと心配したユートだったが、出会う人がみなとても優しくて恵まれている事に強く感謝する。
運悪く自分が案内役にならなければ、ただ兵士であり名前など覚えてもらえなかっただろう。ウルマスにしっかりと顔と名前を覚えられた事は周囲にやっかまれたりもしたが、彼にはどうすることもできない。
最近はその中傷が同情に変化し、どうしてそうなったのかと不思議に思っている。ウルマスとコスモスの二人は心配する事ないと慰めてくれたがユート本人はまだ不安だった。
そのうち、隊長に呼び出されて僻地に出向してくれと言われそうな気もする。
(辞めろって言われるまでは兵士でありたいけど、そこまでしがみ付いてやることなのかな)
「色々見て回りたくてワクワクするわ」
ふふふ、と笑い声を上げながらコスモスは周囲を見回しどこから行こうかと考える。オススメの場所はあるかとユートに聞こうとした彼女は、浮かない顔をしている彼に気づいて首を傾げた。
ウルマスに急に自分の世話を押し付けられて迷惑だったのかと思ったコスモスが心配そうに尋ねると、慌てた様子でそんな事はないと返される。
(まぁ、正直にイヤですなんて答えられるわけないだろうけど)
質問にも丁寧に答え、欲しいものがあればコスモスの代わりにちゃんと購入してくれる。
ウルマスに言ったりしないのでイヤならイヤだとはっきり言ってくれとコスモスが言うと、申し訳ないと謝罪された。
一人でいるよりこうして案内をしていた方が気分転換になるので決して嫌ではないと必死に言われてしまう。
気にしなければいいだけの話なのだが、無理に付き合わせてしまっているのは事実なので近くのオープンカフェでお茶をしたいとコスモスは店を指差した。
精霊が食べる、と言えば驚いた反応をされるものの店員はきちんと対応してくれる。
コスモスの事をどう説明したらいいのか悩んでいたユートに彼女が「精霊みたいなものだから、適当に言っておいて」と告げたのだ。
メニューを見て、周囲の客の注文を眺めドリンクとケーキを注文したコスモスは座ったと同時に溜息をついたユートに声をかけた。
「大丈夫? 疲れちゃった?」
「あ、いえ。大丈夫です」
「そう? 結構連れ回しちゃったけど」
興味があるものをとにかく見る。そして買うのかと思えば買わずにブラブラ。
ウインドウショッピングがほとんどだとも言える女の買い物に付き合わされ、だいぶ疲労しているのではないかとコスモスはユートを気遣った。
ウルマスならば一緒に騒げそうなものだが、ユートは見たところ生真面目な所があるのでずっと緊張してそうだと思ったのだ。
(まぁ、仕方ないか。マザーの娘のお守りをウルマスから頼まれたとなればね)
粗相があればいけないとか、何か無礼なことをしたら、と色々考えているのかもしれない。
いるだけでプレッシャーを与えてしまう存在になるとは考えもしなかった、と思いながらコスモスはできるだけ明るい声で彼に話しかけた。
「ユート君。楽にしていいからね。もっと気さくにしてくれていいよ?」
「あ、はい」
「まぁ、デートの相手が乾いた年増じゃあ申し訳ない気持ちでいっぱいだけど」
「そんな事ありません!」
(あ、しまった。これは逆に気を遣わせてしまったか)
自虐ネタで笑いを誘おうと思ったコスモスの目論見は失敗する。慌てて首を横に振って強く否定するユートに「ごめん」と謝れば丁度いいタイミングで店員が品物を運んできた。
シュワシュワと泡が弾ける薄青色の飲料と、木苺のケーキがコスモスの目の前に置かれる。
「何か悩んでるんだったら聞くよ? 解決にはならないかもしれないけど、聞くだけならできるよ?」
「……はぁ」
ユートは麦茶の入ったグラスを見つめながらテーブルの一点を見つめている。
会って間もない人物に気軽に自分の悩みなど相談していいものか、と彼は暫く考えていたのだが精霊とケーキの取り合いをしているらしいコスモスの声を聞いて思わず笑ってしまった。
「あ、こら、ケサラン! あ、ちょパサランまで!」
「キュルー」
ケサランを抑えれば頭上から降りてきたパサランがケーキに齧り付く。結局その殆どを精霊二匹に食べられてしまったコスモスは、ぶつぶつと恨み言を呟きながら炭酸飲料を一気飲みする。
追加オーダーを、と低い声で告げる彼女にユートは慌ててメニュー表を彼女の座っているらしい席の前に広げた。
「木苺のケーキ、ワンホールプリーズ!」
「は?」
「切り分けしないで、一つ丸ごとお願いします。あと、飲み物はさっきのやつお代わり」
近くにいた店員を呼び止めて注文をしようとすれば、最初に注文を取りに来た店員が慌ててやってくる。何か要注意な客になってるな、とぼんやり思いながらユートは注文を繰り返した。
一瞬驚いた表情をした店員だったが「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」と一礼すると店の中へと消えてゆく。
代金はきちんとあるのだし、他の客に迷惑をかけるような行為はしていないがやはり精霊と一緒に飲食するというのは珍しいのだろう。
周囲の視線が集まるのが気恥ずかしくて、ユートはまだ手をつけていない自分のケーキをコスモスの方へ移動させた。
「あの、俺の食べますか?」
「駄目。それは貴方のよ」
コスモスの声に続いて精霊らしきものの鳴き声が聞こえて彼は少し驚いた。
元々精霊というものがどういうものなのか良く分からないユートにとっては、この前の件で彼らの声を初めて聞いた。その存在自体に関する知識は有していたが、実際目にして見なければ分からない事は多い。
精霊の鳴き声も、とある魔法使いが「ワンワン」と言っていた事もあってそれを信じていた彼は少々混乱したものだ。
「この子達もそれは分かってるから手出しはしないわ。大丈夫」
「はぁ」
箱入り娘であるマザーの娘についても分からないことは多い。
しかし、あのマザーの娘ならば精霊を従えていても、その姿が気軽に見ることができなくても何となく納得してしまうから不思議だ。
彼女が気さくなお陰で近所のお姉さんと話すような親しみやすさで会話ができるのは、ユートにとってもありがたかった。
「ま、とにかく悩み事なり愚痴なり言って軽くなるなら吐き出しちゃいなさいな」
「いえ、大した事ではないんですが」
「ん?」
「ウルマス様も御息女も、違うだろうと慰めては下さいましたが……やはり、周囲の態度が妙におかしいのは俺に辞めてほしいからかな、と」
(あ、そっちの話?)
てっきり緊張する相手のお守りを負かされて疲れた顔をしていたのかと思っていたコスモスは、ホッと息を吐いた。少なくとも自分が原因ではなかったので安心する。
ユートは麦茶のグラスを手にしながらその表面を撫でるようにして目を細めていた。
「お待たせいたしました。木苺のケーキと、オリオアの浜辺です」
オリオアの浜辺というのは薄青色をした炭酸飲料の名前だ。カクテルのような名前のつけ方だなとその味が気に入ったコスモスは嬉々としてフォークを手にした。
(とりあえずはケーキをってまた、あんたたち……)
コスモスがナイフで切り分けて小皿に取ろうとする前から、ケサランとパサランがそのままダイレクトに食べ始めてしまっている。何とか自分の分を確保した彼女は嬉しそうな声を出しながらケーキを食べる二匹を他所に、話のタイミングを失ったユートに続きを促した。
「どうしてなのか聞きたいんですけど、聞く勇気も無くて」
「うーん。貴方の気のせいかもしれないけど、心当たりでもあるの?」
「無いです。てっきり、洞窟の件での失敗を責められるとばかり思っていましたから」
聞けば反省文も書かなくて済んだらしい。
ウルマスが自分を強く庇ってくれる旨の発言をしてくれたのかとも思ったらしいが、本人はそこまでは言っていないと答えていた。
「……隊長に直接聞いちゃえば?」
「で、ですからそれが怖くて仕方がないんです」
消え入りそうな声で呟いたユートの姿を見つめながらケーキを頬張っていたコスモスは、彼の予定を思い出して訓練所の事を尋ねてみる。
「訓練所ですか? 警備隊詰所の近くにありますが」
「よし、じゃあ食べたら訓練所へ向かって情報収集だ!」
「え、でもまだ町歩きが……」
「続きは楽しみにとっておくわ。またお付き合いしてね、ユート君」
訓練所が見てみたいとか、警備隊詰所はどれだけ汗臭いのかとかそういう事が気になって仕方が無いわけではない。
何度も頷きながらコスモスは鼻息荒くユートを見つめると、誰にも見えていない事をいい事に大きく切り分けたケーキを口いっぱいに頬張った。
(腫れ物扱いされてるのは何でなのか、私も気になるからなぁ。辞めろってことなら直接そう言うだろうし)
悩めるユート君の為に力になりたいのです、と言ってコスモスは気乗りしなかった彼の目を潤ませるのだった。




