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31 簡易契約

 やっとのことで捕まえられた男は猿轡を噛まされてもなお、自分の身を縛るロープを解こうと必死だ。

 フードをかぶっているので表情は分からないが最後の最後まで抵抗するつもりなのだろう。

 彼の身を縛るロープはどこにでもあるような麻縄にしか見えないのだが、魔力を編みこんでいるらしくびくともしなかった。

 どんな仕組みになっているのやら、と思いながらコスモスは冷静に男を見下ろすクオークへ視線をやる。

「無駄だ、と何度言っても貴方には通じないのでしょうね」

「……」

 綺麗に整えられていた髪が僅かに乱れ、それを軽く直すようにクオークは手で髪を撫でるように掻き上げた。

 なまじ顔がいいだけに、そんな所作でも画になる。

(普通にしてればかっこいいのに、あの狂喜っぷりだからなぁ)

 溜息をつきながらその様子を眺めていたコスモスは、美形はそれだけで得だなと呟く。同意するように大きく頷いたユートは慌てて周囲を見回してから口を開いた。

「あの、どうしましょう」

「そうだね。とりあえず王都まで運ばないといけないね」

 戸惑うユートの言葉に落ち着いた様子でウルマスが告げる。彼の視線は地面で転がる男に向けられたままだ。

 何を考えているのか分からないウルマスを心配しながら、コスモスは作られた笑みを浮かべる彼を見つめる。

「君の事は色々知りたいな」

 綺麗な微笑みに眉を寄せた男は軽蔑するような眼差しでウルマスを睨んだ。

 しかしウルマスも動じず笑みを浮かべたまま男を見つめている。

(どんな理由があるにしろ、姫の儀式を汚したことには変わりないわ)

「警備隊が到着するまで待ちますか?」

「そうだね」

 ユートの言葉にウルマスはゆっくり立ち上がり大きく頷いた。

 コスモスはじっと男を見つめながら何か探れないかと考える。

霊的活力オーラも今は弱ってるから暴れる心配はないはず。私の姿も見えないようだし)

 暫く男を見つめてみるが、鼻息荒くゴロゴロと動いている彼と目が合うことはない。

 コスモスを通して射殺すような視線をウルマスに向けているだけだ。

 例えソフィーアの熱烈なファンだったとしても、ここまで過激な行動に出る理由は何なのか。王都に移送されてからはっきりするだろうが、この様子では素直に口を割ることはないだろう。

(寧ろ、王都内に潜入できるのをいいことにまたソフィーア姫に近づくことがないといいんだけど)

 今回はちょうどアレクシス王子が見舞いに来ていたので撃退できたと聞いている。

 四六時中誰かが傍にいることもできないだろうが、警備体制を通常より厳重にしているというのにこれだ。

 どこからどうやって侵入したのか。

 内部で誰か手引きしている人物がいるとは考えたくないが、可能性としては考慮しなければいけないだろう。

(うーん、モヤモヤするなぁ)

 詳しい調査はプロに任せるのが一番だとは思うが、長引きそうな予感がしてコスモスは唸り声を上げる。

 積極的に関わるような真似はしないが、放置できるほど鈍くもない。

 もう少し若かったら平気で首を突っ込んでいたんだろうかと彼女は苦笑した。

「おや、どうやら到着したようですね」

 調査隊の隊長を先頭にした警備隊の到着にクオークが軽く手を上げる。慌てて彼らに駆け寄ったユートは簡単な説明をしながら転がっている男を指差した。

 男の傍ではウルマスが綺麗な笑みを浮かべて「丁重に頼むよ」と言っている。

 未だ戦意を失っていない男は身動きが取れない状態だというのに拘束を解こうと必死に暴れ続けていた。

 どう考えても不利だと分かっているはずなのに、強い光を放つその目だけは変わらない。

「姉様、僕たちも帰ろうか」

「うん。そうだね」

 連れて行かれる男をじっと見ていたコスモスは溜息をついたウルマスに頷いた。

 穏やかな性格の多いミストラルだが、ソフィーア関係になると内部がどう動くのかは判らない。それに今回は他国の王子まで巻き込まれてしまうという事態になっている。

 アレクシス自体は気にしません、と言ってはいたがそれをそのまま鵜呑みにするのも危険だ。彼個人は良くとも国は違うかもしれない。

(計画的にソフィーア姫を狙って儀式を妨害したのだとしたら、厄介なことになりそうよね)

 儀式の時に黒い蝶を使って妨害し、混乱させたのもこの男なのか。

 全てはソフィーアのためだと言う男の真意も分からない。

「これは、厄介なことになりそうですね」

「……」

「そう怖い顔をなさらないでください。別に他意はありませんから」

 ぽつり、と呟いたクオークの言葉にウルマスの表情が硬くなる。鋭く見つめる彼の視線も気にせず、クオークは困ったように笑った。

「信用できない、ですか。当然ですね。しかし、私は信用していただかなければなりません」

「何故です?」

「……全ては、御息女のために」

 静かにそう告げたクオークにウルマスは軽く目を見開いて「馬鹿馬鹿しい」と告げる。

 その言葉に首を傾げたクオークは不思議そうな顔をして腕を組んだ。

「私は真剣ですよ」

「好奇心と研究の為に姉様へ近づくのであれば、僕は容赦しませんよ?」

「そうですね、それは否定しません。しかし、信頼できれば可能だと御息女はおっしゃいました」

「あの短時間でもう信頼されたとでも?」

「まさか」

 正式にコスモスとの契約をマザーに頼んだところで通らないというのはクオークも分かっているのだろう。しかし、この好機を逃すわけにはいかない。

 信用できる人物であれば考えなくもない、というコスモスの適当な言葉を真剣に受け止めて実行しようとしているのだ。

「信用を得るのはとても難しいと分かっています。ですから私は見習いになるのです」

「は? 見習い?」

「ええ。最初から契約を結んでいただけるとは思っていません。ですから、御息女のしもべ見習いとして精進する所存です」

(あー、これ面倒なやつだわ)

 ミストラルを離れ時間が経ってしまえば契約の話は流れてしまい、きっとクオークも忘れてしまうだろうと思っていたコスモスは溜息をつく。

 この様子では諦めるなんてことはなさそうだが、諦めてもらわねばとコスモスは助けを求めるように慌ててウルマスに駆け寄る。

 何かいい案はないかと尋ねたが、困ったような溜息を返されて彼女は肩を落とした。

「何がそこまで貴方を動かすんです?」

 マザーの娘とは呼んでいるが得体の知れぬものである。

 声すら聞こえないのにそんなものと主従関係を結びたいと熱望するクオークが分からず、ウルマスは首を傾げた。

 彼は幼い頃から精霊の声が聞こえるのでコスモスの声も聞くことができた。

 一緒にいて彼女の人となりを大体分かってきた頃だから、悪いものではないと言える。しかし、目の前の研究者は違う。

 それが何であろうと構わないと言っているも同然だと自覚しているんだろうかと彼は眉を寄せた。

「精霊の類は古来から神秘に満ちています。声を聞ける者、姿まではっきり認識できる者の共通点は未だ不明ですが、先天的なものだと言われています」

「ええ。後天的にというのは、稀ですね」

「だからこそ、この機会を逃したくない」

 コスモスが良いものだろうというのはウルマスやユートを見て判断したと彼は告げる。

 芝居をして騙しているだけかもしれないと言うウルマスに、クオークはちらりとユートを見て彼に演技させるのは無理でしょうと笑った。

「第一、マザーの娘を騙るのはリスクが高すぎる。それに、マザーご自身が自分の娘だとおっしゃったのですから疑いようがありません」

「では、正式な手続きを踏めばいいだけでは?」

「それが難しいからこうして個人的にお願いしているのです」

 コスモスが了承すればマザーが渋っても押し通せると思ったのだろう。

 直接会話したわけでもないのに性格を把握されているような感覚がして、コスモスはぞっとした。

 特定の人物にしか認識されないからといって油断しすぎたことを反省しクオークを見つめる。

「……しつこい方は苦手だと姉様が言ってますが」

「それは困りました。気分屋だというのは考慮していましたが、嫌われてしまえば終わりですからね」

「諦めては?」

「いえ、可能性が少しでもあるなら努力します。しつこくない程度に、お役に立ってみせましょう」

 面倒な人物にしか見えないが、味方になれば頼もしいだろうとコスモスは思う。

 しかし彼は精霊の類に興味があるだけで、コスモスを裏切らないという保証はない。

 クオークがもし悪い人物だったら、簡単に利用されてしまうなと他人事のように思いながら困っているとウルマスの笑い声が聞こえた。

「随分と正直なんですね。姉様はとても優しく親しみのある方だから悪い奴に騙されそうで僕は心配なんですけど」

「言葉巧みに騙すという方法もありますが、嘘がばれた場合のリスクを考えると正直に思いを告げた方が印象も良いかと思いまして」

「言っちゃうんだ。それ、言っちゃうんだ」

 心の中で呟くことじゃないのか、と少々声を荒げてコスモスが突っ込みを入れるとユートが横を向いて「ぶほっ」と変な咳をする。

「だからと言って簡易契約という方法を取るのもどうかと思いますけど。ただの口約束のようなものでしょう? 」

 いまどき使う人物などいない、と呟くウルマスに簡易契約とはどんなことなんだろうとコスモスは彼に尋ねた。

 すると、ウルマスが説明するよりも早くクオークが口を開く。

「ですから、私から不利な条件を足すのですよ。それが分かっていたから貴方は反対したのでしょう?」

「……はぁ」

「え? どういうこと?」

 説明してくれないとさっぱり分からないと言うコスモスだが、溜息をついたウルマスは苛立つように足で地面を叩き始める。

 テンポのよい音を聞きながら戸惑うコスモスとユート。

「説明が必要ですか?」

「は、はい!」

 急にそう聞かれて思わず返事をしてしまったユートは、軽くウルマスに睨まれて「やっぱり結構です!」と叫ぶように言った。

 しかし、笑顔のクオークは聞く耳持たずで説明し始める。

「私は御息女と契約を結びたい。しかし、正式な契約では恐らく無理でしょう。そこで簡易契約です」

「は、はぁ」

「簡易契約は普通に使用すれば口約束と変わりがないもの。簡単に破ることができます。しかし、自らに不利な条件を追加すれば契約を強固にすることが可能なのです」

 そんな裏技があるのか、と呆れたように呟くコスモスにユートは難しい表情をしながら何度も首を傾げた。

 ウルマスは先ほどから沈黙したままでリズムを刻む足が速くなっていく。

「つまり、私は絶対に御息女には逆らいません。全て貴方に従いますという条件を足すと、その誓いが破られず御息女に危害が及ばぬ限り契約は有効になります」

「ふーん。簡易契約だろうが、契約結んだところで私が嫌だって思えば無効になりそうだけど」

「あの、それはクオークさん次第ということですか?」

「……なかなか鋭いですね」

 恐る恐るといった様子で首を傾げたユートにクオークは苦笑しながら頷いた。

 呆れた表情をしているウルマスはコスモスを呼んで、安易に受け入れないようにと小声で告げる。

 本気で契約する気のないコスモスは頷いて、早く忘れられるのを願っていると呟いた。

「私からの破棄はできないの?」

「契約に縛られている以上は有効かな。ユートの言う通り、研究者次第ってことになるね」

「うわぁ」

 そうなると、やはり契約なんてしない方がいいじゃないかとコスモスは溜息をつく。その言葉にウルマスは笑いながら頷いた。

 取り返しのつかないことになる前に、よく考えなければ駄目だよと優しく囁く彼にコスモスはやる気に満ちた顔をしているクオークを見つめる。 

「無理に契約を迫ったりはしません。それこそ信頼などされませんからね。じっくりと、腰を据えて努力する所存です」

「……よし、マザーに相談だ」

「それが一番だと思うよ」

 困ったことがあればすぐマザーに頼ってしまう癖はどうにかしたいと思うコスモスだが、自分で勝手に判断して最悪な事態になるよりはマシだと大きく頷く。

 あわよくば、マザーからクオークに契約拒否の意を伝えて欲しいのだがそれは無理だろう。

 自分で撒いた種ならば自分でどうにかしなさいと笑顔で言われそうな気がして彼女は額を押さえた。

「僕との簡易契約を断ったくらいだから、あれはしつこいと思うよ?」

「あぁ、そう言えば。ごめんね、ウルマス」

「姉様は悪くないから気にしないで。世間知らずの姉様に漬け込むような真似をする輩だから油断はできないけど」

 それでも自分のせいでウルマスはクオークと何かしら契約をしてしまった。

 落ち込むコスモスを慰めるウルマスを見ていたクオークは、眼鏡をクイと押し上げて口を開く。

「御息女、どうぞご安心を。貴方が心配されるような不利な契約はしておりませんので」

「聞こえていないはずなのに会話ができてるのって怖い」

「あはは。僕たちのやり取りから推測したんじゃないかな。その程度のことなら容易みたいだから」

 だったら認識できないままでもいいんじゃないだろうかと思ったコスモスだが口には出さず、じっとこちらを見つめてくるクオークに溜息をついた。



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