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28 兵士ユート17歳

 その昔は鉱物が採れて随分賑わっていたという洞窟は、今は薬草やありふれた鉱石の採取場となっていて偶に人が来る程度だ。

 弱いが魔物も出るので駆け出し冒険者や兵士の腕試しの場としても活用されている。

 そんな話を兵士から聞いたコスモスは一般人でも簡単に入れるのかと驚いてしまった。

「へぇ。ユート君のお祖母さんは近くの村に行商に来たところを見初められたのね」

「はい。ですので、祖父母からもよくこの洞窟のことは聞かされていました」

 残念ながら最深部に強大な魔物がいるわけではないですけど、とユートは笑う。

 そんなものが存在していたら起こさずに素通りしようとコスモスが提案すると、大きく頷かれる。

「動揺して忘れてましたけど、ここの洞窟はそう広くはないですし旧出入り口も一つしかないのでウルマス様がいるとしたらこの先だと思います」

「それは良かったわ。出入り口が複数あると面倒だものね」

「……」

 ユートと並んで歩いているクオークが先ほどからとても静かだ。

 真っ直ぐと前を見ているが時折突き刺さるような視線を感じてユートの声が震える。ちらちら、とクオークを窺いながらコスモスと会話していた彼は機嫌を損ねてしまったかと不安になっていた。

 そんな彼の不安など気にした様子もなく、クオークは神経を集中させてユートとコスモスの会話を推測していた。

 人には誰しも向き不向きがある。

 精霊が見えるか見えないかは努力してどうにかなるものではない。

 どれだけ研鑽を積もうと見えないものは見えないままだ。

 そう理解してはいるが、見たいものを見られない己が悔しくてたまらないクオークだった。

「そう言えば、ユート君は十七歳か。いいね、夢と希望で満ち溢れる年頃かぁ」

「そうでもないですけど」

 コスモスから見れば可能性に溢れている歳に映るのだが、ユート本人は違うらしい。

 世界が違い、十七で兵士になっているのだから考え方も違うのだろうかと彼女は首を傾げた。

「うーん、なりたいものとかは特にないのかな?」

「そうですね。今のまま兵士として人の為に役立てればそれで」

「ふーん。もっと上に行きたいとかはないの?」

「特にないですね」

 苦笑するユートを見つめていたコスモスは、下手に慰めて煽るのも悪いかと思って静かに頷く。

 彼は彼なりに色々と苦悩しているらしいが諦めるにはまだ早い歳だ。

 そんなことを思いながら、自分はその頃一体何をしていただろうと思った。

「あ、あの……クオーク様、何か?」

「いえ。気になさらず。君はそのまま御息女と会話を続けていればよろしい」

「は、はい」

(いやいや、そんなじっと見つめられたらユートだって困るでしょうに。彼の話から私との会話を想像してるのかしら?)

「あ、ここが旧出入り口に通じる道です。使用されていない現在は閉鎖されてますけど」

「なるほど。閉鎖されてから随分と経っているようですね。となれば、この先がどうなっているかは」

「すみません、判りません」

 ちらり、と視線を向けて反応通りに謝罪したユートにクオークは顎に手を当てながら立ち止まった。頑丈に鎖で封鎖されている錆付いた扉を開けるべくユートが剣に手をかけるのだが、静かに制されて首を傾げる。

 彼の前に出たクオークが何かを考えるように扉と鎖を見て、触れながら何事かを呟いていた。

「あれ、ここ誰か通った?」

「え?」

 制された以上何もできないユートは大人しく待機しているのだが、コスモスの言葉に眉を寄せた。使われていないはずの通り道に誰かが通った形跡があるとは恐怖でしかない。

 その誰かはウルマスなのかそれとも他の誰かか。ユートは恐ろしいオバケを想像して身を震わせた。

「ウルマス様、でしょうか?」

「綺麗に封鎖されてはいるけどね」

 通るだけなら元通りにしておく意味が分からない。

 三人いるうちの一人が消えたとなれば騒ぎが大きくなるのはウルマスも分かっているはず。

 そう考えたコスモスは小さく唸りながら「気づかれないように?」と呟いた。

 どちらにせよこの先に進むにはここを通らなくてはいけない。

「あの、御息女が誰かが通った形跡がありそうだと」

「なんと! 流石は御息女。私もそう思っていたところなのですよ」

 ユートの言葉にクオークは嬉しそうに笑みを浮かべる。

 ふわり、と彼が纏っている蝶が揺れるのを見ても気持ち悪いと思わなくなったコスモスは溜息をついた。

「そう言われてもいつも通りにしか見えないのですが」

「確かに一見しただけでは分かりませんね。しかし、ここを通るに剣は必要ありません」

「え?」

「鎖と錠は見せかけですからね。この扉は魔力によって閉じられています」

 錆付いた鎖と錠に触れたクオークは静かに掌を扉に当てる。

 その瞬間、僅かな魔力の動きを感じたコスモスは興味深そうに彼の行動を見つめていた。

 音もなく開いた扉に驚くユートだが、クオークは気にした様子もなくそのまま先に行ってしまう。

「へぇ、すごい」

「本当ですね。魔力に関してはどうも苦手で、駄目なんですよね僕」

「あ、そうなの?」

「はい。あっ、いけない僕が先に行かないと!」

 国賓になんて真似を、と呟きながら駆け出すユートとコスモスの背後でバタンと扉が閉まった。ガチャガチャと音が聞こえるので鎖と錠前が元の位置に戻ったのだろう。

「なるほど。こういう仕組みなわけね」

 一人感心していると彼女を引っ張るようにケサランとパサランが騒ぎ出す。

 そんなところで悠長にしている暇はないだろうと怒られたような気がしたコスモスは、軽く謝罪すると走って彼らの後を追った。

 焦ったように周囲を見回しながら何かを呟いているユートに近づくと、自分を探しているのだと知る。

 冷たいクオークの視線を浴びながら必死に呼びかけてくるユートに答えると、彼はホッとしたように眉を下げた。

「ごめんごめん」

「良かったです。何かあったんじゃないかと思って」

「ふぅ。御息女は無事なようですね」

「はい。すみません、僕が急に走り出したりしたので」

 申し訳無さそうに縮こまるユートに考え事をしていた自分が悪いと告げたコスモスは、彼が提げているランタンの灯りが小さくなってきたのに気づく。

 一体どのくらい明るさが持続するのかとユートに尋ねれば、一時間程度と教えてくれた。

 彼は淡く消えかかっているランタンの光を見て、小さく呟く。

「今のは?」

「え、あの、灯りを持続させる魔術です」

「へぇ。苦手だという割にはちゃんとできるんじゃない」

「いや、でも才能はないですからね」 

 抜きん出た才能はないのかもしれないが、それでもコスモスから見れば凄い。

 魔法で灯りを点せることだって凄いと彼女が言うとユートは困った表情をしてコスモスの声が聞こえてくる方向に顔を向けた。

「あの、点灯の魔法くらいなら基本的に誰でもできるはずですが」

「あ、そうなの? へぇ、だったら日常でも使えばいいのにね」

 魔法の力で明かりを灯せるのだったら、燃える心配も無い。それなのに日常的に使用されている照明は火を使ったものが多かった。

「あの……俺のこれは支給品なんですが、携帯用ランタンは安いものでもそれなりに値段がするものなので、裕福な家庭以外では大抵普通の燭台や火を使う照明を利用してるんです、が」

 視線を彷徨わせながら歯切れ悪く説明をするユートに、くつくつと笑いながらクオークが頬に上ってきた蝶を振り払う。

 払われた蝶は塵のようになって暗闇に消えた。

「御息女は箱入り娘で世間を知らぬのですよ。そんな当たり前のことでも彼女には新鮮なのでしょう」

「あ、そうなんですか。なるほど」

 最初にウルマスがランタンを取り出した時に似たようなやり取りをしていたのだが、どうやらユートは聞いていなかったらしい。

 案内役になって緊張していたせいで、背後での会話が耳に入ってこなかったのかもしれないとコスモスは頭を下げる。

「ごめんね、物を知らなすぎて」

「いえ、納得しました。大丈夫です」

 マザーの娘たるものがその程度も知らないのかと不審に思っていたユートにクオークは気づいたらしい。自分の声が聞こえないのに会話の内容が良く判るなと感心しながら、今だけは箱入り娘という設定を非常にありがたいと思うコスモスだった。

「今や携帯ランタンも調度品としてデザイン性が高いものが多く流通していますからね。値段が上がっていくのも無理はありません」

「そうですね。冒険者も武器防具の次に必要なのは回復薬と携帯用ランタンだって言うくらいですから」

 腰に下げていた自分のランタンを手に取り眺めるクオークに近づいて、コスモスはその美しさを間近で見つめる。

 菱形のランタンは縁に沿うようにして銀色の縁取りがされている。シンプルだが上品で持ち手の部分に細かな飾りが施されており、今すぐ欲しくなる様な一品だった。

(コレクションしたいんだけど、高いのか。残念だなぁ)

「さて、この先は何があるか判りませんが準備はいいですか?」

「あ、あの!」

「いえ、貴方は私の後ろで結構。義務感で先頭に立たれても不測の事態に対応できないでしょうし」

 いざという時に盾となるために先導すると申し出ようとしたユートだが、掌を向けたクオークに制される。彼の言葉に何も言えず開いていた口を閉じた彼は視線を落として「すみません」と呟いた。

「でも、貴方は国の大事なお客様ですし!」

「結構と申したはずですよ。貴方より遥かに私の方が強いですからね。それに、いざという時は背後をお願いします」

「え!」

「御息女に、ですが」

(え、私! 相手にされてないユート君が可哀想だけど、しょうがない)

 ユートには悪いが確かにクオークの言う通りだ。何かあっても彼は大した盾にもならないだろう。時間稼ぎにしても数秒が限度か。

 コスモスも彼を貶めるつもりはないのだが、彼の実力から言ってそれくらいが限界だろうという事実。

 それでも何があるか判らない場所で先頭に立つというのは中々言える発言ではない。普通の兵士ならば情けなく尻込みしてもおかしくはないのだから。

 奮い立たせたその勇気は褒めるべきだがここは我慢してもらうしかない。

「すみません、大してお役に立てず」

「いいえ。判っていた事ですから気にしないで下さい」

「ここまではっきり言われると、寧ろ気持ちいいね」

 クオークの言葉は事実なだけにユートも反論しようがない。馬鹿みたいにムキになる性格でもない彼に慰めの言葉とは思えぬ発言をするコスモスだが、ユートは小さく頷いた。

「それに貴方はウルマス殿がいない今は御息女と会話できる唯一の人物ですからね」

「あの……疑ったりしないんですか?」

「御息女との会話をですか? ふふ、自作自演で何の得があります?」

 聞こえているように見せかけているだけだとも取れるのにクオークは最初から疑ったりはしなかった。聞こえていないのにおかしいとユートが尋ねたのだが彼は「愚問を」とばかりに鼻を鳴らす。

「その……貴方がたを困らせる為だとか?」

「困らせて何になります? 儀式を混乱させ、ウルマス殿は行方不明。それが貴方に何の得があるのですか?」

「お、お金とか……」

「はぁ」

 盛大な溜息をついて軽く腕を振るったクオークの袖から黒い蝶が離れる。数匹の蝶たちはそのまま暗闇が広がる通路へと飛んでいき、点々と紫色に淡く光りながら消えていった。

「貴方には無理ですよ。馬鹿正直に感情が顔に出ています。それに、先程胸部に受けた衝撃は間違いなく御息女によるものでした。それは間違いありません!」

(私というより、ケサランなんですけどね。精霊なんですけど)

「何で判るんですか?」

「言葉では上手くいい表す事ができませんが、そう! とても熱い情熱がこの私の胸に強く刻み込まれたのですよ!!」

(ケサランやっぱり熱いのか。ユート君も熱がってたしなぁ)

 何やら勘違いしているクオークだが別に訂正する必要も無い。大きな声で叫ぶ声が反響して、この通り道を抜けた先に誰かがいたら非常にマズイのだが彼は気にせず大きく両手を上へと向けた。

 ランタンの明かりに照らされた黒い蝶が、ザワザワと彼の興奮した声に合わせて羽を動かす。

(うん、やっぱり気持ち悪い)

 慣れてきたと思ったのは気のせいだったか、とコスモスは顔を歪めながらクオークを見つめた。少数であれば気にならないが集団になると途端に気持ち悪くなるものは数多く存在する。黒い蝶もその一つだ。

 儀式の事を思い出してコスモスはヤケ食いに走りそうになるのをぐっと堪える。

「第一、大金目当てにしてもやる事が雑過ぎます。余りにもリスクが高い。そんな愚かな真似をするにしても、貴方は下っ端の下っ端でしょうね。どうなってもいい捨て駒です」

「……」

「まぁ、つまり貴方が犯人だとは思っていませんよ。せっかく警備隊に入隊できたのですから、そんな馬鹿な事をしてご両親を悲しませるつもりもないでしょう?」

「!」

 どうしてそれを知っている、と驚いたユートにクオークは続ける。

「貴方のご両親は健康体ですし、大病を患っている親戚もいなければ大金が必要な事もない。脅されている事もないですし、手を貸す理由がありませんね」

「な、なんで」

「調査隊の一員として同行を許された時点で貴方の素行調査は済んでいますから。個人情報等の事で色々思うことはあるでしょうが、これもミストラルの為、可憐なソフィーア姫の為と思って諦めてください」

 ソフィーアの名前を出すのにわざわざ“可憐”とつける辺り要注意人物かとコスモスは目を細める。実際何かしたわけでもないのでこちらから行動は起こせないのだが、注意するに越した事はない。

 自分の素行が細かく調査されている事に衝撃を受けたユートは「ミストラルのため」と呟いてゆっくりと息を吐いた。

 顔を上げた彼は大きく頷いて「そうですね」と納得した様子で小さく笑みを浮かべる。

 予想外の反応だったのか、クオークは首を傾げてから「ふむ」と呟いた。

「あ、そろそろ抜けそうじゃない? 何があるか判らないから警戒しとかないと。ちょっと見てくる?」

 途中何度かあった分かれ道を迷わず進むクオークは、己に纏わせている蝶を先に飛ばしてどのルートを通れば外へ抜けられるのか判断しているらしい。

 彼曰く、蝶自体に意思は無く魔力の塊のようなものなので操作するのは思ったより簡単だったとの事。

「クオークさん、御息女が先に見てくるかとおっしゃられてますが」

「迷子になられたら困りますからね。もうすぐ出られそうですから大人しくしていてください」

(迷子になると断言されてるような気が…いや、否定はしませんけど)

 言葉遣いは丁寧だが目を鋭くさせるクオークに「はーい」と軽い返事をして、彼女は元の位置に戻った。




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