280 第二形態
青い肌に大きな二本の角を持つメランに似た人型の上半身。
それが中央に埋まっているように見える巨大な肉塊は、ボタボタと何かを垂れ流しながら宙に浮いている。
落ちた場所には腐臭が漂い、息を吐けば黒い靄となって周囲を汚染した。
「あちゃー。この程度じゃ無理か」
光の矢を何本か放ったコスモスだったが、異形の存在はぴくりともしない。
攻撃されたことに気付いてないと彼女は呟いてノアを見た。
「見るだけで吐き気がするから、モザイクかけたいくらいだよね……って、ノア大丈夫?」
宙に浮かび掠れた声で呻いているような声を上げる異形の存在を見つめ、ノアは小刻みに震えていた。
心なしか顔色も悪く、精神も不安定になっているようだ。
「気分が悪いなら安全な場所で休んでるといい。この場では足手まといにしかならないからね」
「鎧!」
「まぁ、安全な場所なんてないんだけどさ。やあ、コスモス。お待たせ」
顔を顰め耐えているジャックやノアですらこんな反応になるのはしょうがない。
そんな彼女の弟子は、棄てられたメランだったもののガワをしゃがみこんで観察しているようだ。
(この状況であのメンタル。弟子くん凄いわ)
そんなことを思いながら、コスモスは突如現れた鎧に声を上げた。
彼は何も無いところから出てくると、ノアを覗き込んで何かを呟く。
(思い出しちゃった? って何を)
弾かれたように顔を上げたノアは親の仇と言わんばかりの形相で鎧を睨みつける。
「はぁ……ふぅ。少し驚いただけよ。ごめんなさいね、コスモス」
「ううん」
「状況は最悪みたいだけど、幸運なのはまだアレが不完全ってことかな」
ノアは鎧を突き飛ばして弟子の元へと向かった。
軽く両手を上げた鎧は「これはすごいね」と他人事のように呟いて浮かんでいる巨大な肉塊を見上げる。
「さっきから攻撃してるんだけど、効いてないみたいなのよね。困るわ」
「状態が整うまではそうだろうね。休憩時間と思えばいいじゃないか」
「のん気すぎない?」
さすがの自分もそこまでじゃないぞ、と思いながらコスモスは「お茶でも飲む?」と聞く鎧に嫌な顔をした。
「うわ、あれ何よ。私じゃなかったら精神崩壊してたわ」
「ボクもルーチェがいなかったら気絶してたね」
「嘘つく余裕があるなんて素晴らしいわね、お父様」
「ありがとう。可愛いボクの娘」
合流してしまった以上はしょうがない、とコスモスは彼らにも状況を説明した。
可愛らしい声を上げて驚いたルーチェはすぐにその情報と異形の存在を見比べて嫌な顔をした。
「嘘でしょ……あんなの、外に出したら皆発狂して終わりよ。滅ぼされる前に滅ぶわ」
「天使の眼で慣れたボク達にとっても、よろしくないよね」
コスモスから攻撃が一切効かないが、向こうからの攻撃も特に無いと聞いたルーチェは試すように攻撃魔法を打ち込む。
しかし、それらは全て肉塊に届く前に無効化されてしまい目を見開いた。
「えっ……あれ、どうしろっていうの?」
「うーん。休眠モードみたいなものかな。戦闘体勢になったら攻撃が通ってくれないと一方的にやられて終わるんだけど。困ったね」
「アレについては今解析してるところ。本格的に動き出す前までには何とか間に合わせるわ」
コスモスの言葉にルーチェは「ふぅ」と息を吐いてカバンの中から分厚い本と皮袋を取り出した。
「分かった。できるだけ早くしてちょうだいね」
「がんばりまーす」
「緊張感ないって、怒られなかった?」
「怒られた」
「でしょうね」
溜息をついてルーチェはレイモンドと共にノアの所へ向かっていく。
無言でコスモスを見つめていた鎧は何か言いたげだが、何も言わない。
「何よ」
「いや、解析できるんだね」
「管理人と女神様に丸投げだけどね。影響が及ばないように気をつけてエステル様にも手伝ってもらってるわ」
「なるほど」
よく見れば肉塊の周囲には幾重にも張り巡らされた防御壁がある。
あれでどれだけ防げるかは分からないが、何も無いよりはマシだろうと鎧は頷いた。
「で、鎧はどうやって来たの」
「ちょいちょい、と空間の裂け目を広げて飛び込んだらここに」
「ちょいちょいって……はぁ」
どこにそんな簡単に空間の裂け目を広げられる人物がいるというのか。
前々から何かあるとは思っていたが、最後の最後で裏切ったりしないだろうなコスモスは不安になる。
(まぁ、その時はその時かな?)
「地上の様子は心配じゃないの?」
「アルズとオールソン氏がいるし、何よりマザーがいるから。エステル様もいるし、大精霊様も協力してくれるって言うからそれほど心配してないわ」
「そう」
「あ、そうそう。貴方に言われた通り、ソフィーア姫の周辺は特に厳重にしておいたわ」
「そう。それは良かった。これでコスモスも憂いなく戦えるってわけだね。で、実行はいつかな?」
コスモスの頭の中でアメシストとガーネットの二人が笑顔で「解析完了しました」と告げてくる。
「?」
「いつも君の傍にいるはずのアジュールがいないよね。こんな時なのに」
「それが?」
「はぁ。やっぱり一人で行くつもりなんだ」
ノアとアジュールに頼んでいたことが鎧にバレたとしてもコスモスは動じない。
だから何だと言うんだとばかりに鎧を軽く押しやった。
「他に案があるわけ? 方法は貴方が教えてくれたんだけど?」
「あぁ、天使の眼の時のね。咄嗟とはいえ、まずいことしちゃったな」
「貴方がやる事と言えば、あの時のように私を投げることね」
「そっか。それが一番か。ということは、アジュールはもう中に?」
鎧が見つめるのは宙に浮かぶ肉塊だ。中央のメランに似た人型のものは時折口を開いては何かを呟いている。
それは黒い靄となり肉塊の周囲を覆っていく。撒き散らされた黒い靄に当たった防御壁は消失するので、減ったそばから新しく追加しなければいけない。
昔のコスモスなら泣きながらやっていただろうが、今の彼女にとってはそのくらい造作もない。
その場凌ぎだと分かっているが、時間を稼ぐには必要なことだ。
「そうよ。先行してくれてる。私と繋がってるからアジュールが消滅することはないし、属性が一番近い自分が適任だって本人も言ってたわ」
「だろうね」
ノアとアジュールと相談した作戦はこうだ。
あの肉塊の内部にある邪神の核を破壊する為に、内部に侵入して直接破壊すること。
それには天使の眼の時のように、外部攻撃と内部侵入の二つに分かれなければいけない。
「それにしても、良くアレの中に入れたね」
「弟子くんのお陰よ。弟子くんとジャックも協力してくれたから、ちょっと傷つけることができたの。すぐに修復しちゃったけど、アジュールにはそれで充分だもの」
「なるほどね。で、中で待機している彼と合流してキミが破壊活動をするってわけだね」
「そう。思い切り投げてくれればあの程度すり抜けてみせるわ」
気持ちが悪いのは一瞬で、内部に入ってしまえば核を探して破壊すればいい。
こんな身で良かったと思うべきか、悲しむべきかと思いながらコスモスはくるりとその場で回った。
「女神様が一瞬で浄化して邪神の核破壊してくれるといいんだけど」
「そこまで世界に干渉すると、逆に世界を壊す可能性があるから無理だろうね」
「うん。そんなこと言ってたわ。意外と面倒なのよね」
防御壁をルーチェの光の鎖で強化しながら解析結果を共有する。
大体予想通りだと呟いたノアは弟子とジャックに指示をすると彼らは素直に頷いた。
「なるほど。私達はまた外から時間を稼げばいいのね。これは楽しくなりそうだわ」
「ルーチェ、そんな顔しちゃ駄目だよ」
「あら、お父様だって楽しみにしてるのに?」
仲良く笑い合う親子の声を聞きながら、コスモスはノアに近づいた。
「ノア、大丈夫?」
地面を見つめていたノアはコスモスの言葉に深呼吸を繰り返す。
ちらり、と眼だけを上げてコスモスの傍にいる鎧を見るとニィと口を歪めた。
「大丈夫よ。私はいつだって大丈夫。今度は絶対に失敗しないわ」
「鎧が変なこと言うから」
「そうかな?」
ノアがおかしくなっちゃった、と呟くコスモスに鎧は首を傾げた。
「コスモス」
「はい」
「全力で行くわよ」
「お願いします」
いつもの調子を取り戻したノアに名前を呼ばれコスモスは笑顔で答えた。
ゆっくりと息を吸ったノアは詠唱を始める。彼女を中心に走る光の線は緩やかに、彼女の意のまま紋様を描き始めた。
それを見たルーチェはレイモンドと共に弟子たちのサポートに回る。
肉塊から零れ落ちる肉片が蠢いて人型になり、襲ってくるがそれほど強くはない。
ただ数が多いのが厄介だ。
「それにしても、アレを体内で育ててたんだからメランも凄いわよね」
「育ててたというか、羽化した結果? みたいなものだよね」
「趣味が悪いわ」
彼の魂は完全にあの肉塊に吸収されて自我を失っていると弟子が言っていた。
防御壁が破壊される音を聞きながら修復し、コスモスはノアに指示された通りの場所で待機する。
空は赤黒く不気味で、時々降る黒雷は生気を奪っていく。
ルーチェやレイモンドのサポートを受けながら押し寄せてくる魔獣の群れを捌く弟子とジャック。
「あのまま身を削ってもっとスリムにならないかしらね」
「軽量化すればそれはそれで面倒になりそうなんだけど」
「あぁ、不安定な今がチャンスだものね。本来ならもっとスマートな姿になってたってこと?」
「それは分からないけど、多分ね」
コスモスを掌の上に乗せながら、鎧が何か呟くと魔獣の群れが一瞬で薙ぎ払われる。
(うわ、遠距離攻撃の威力も半端ない)
最初からやってよね、と呟くコスモスに笑いながら鎧は黒い靄を吐き続ける肉塊を見上げた。




