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279 邪神誕生

 ひらひらと舞い落ちる様子はまるで花びらのようで綺麗だ。

 音も無く落ちた蝶を見てジャックが瞬時に表情を変える。

「ふざけるな!!」

「攻撃が、ズレたか。まぁいい」

 彼の怒号にハッと我に返ったコスモスは、突如出現した存在を見て眉を寄せた。

(気配が全くしなかった。気づいたら音も無く蝶が切られてて……)

 真っ二つになった蝶は地に落ちて動かない。

 剣で斬りかかったジャックを、その人物はいとも容易く受け止め振り払う。

 その隙に蝶を回収したコスモスはそのまま飛んできた攻撃を回避し、光の矢を放った。

「フンッ!」

 しかし、あっさりと拳で粉砕されてしまい思わず口笛を吹く。

 これでは時間稼ぎにもなりやしない。

「コスモス」

「すみません。つい」

 ノアに注意されてコスモスはいたずらがばれた子供のように笑った。

 緊迫している状況にふざけるなというのは分かるが、普通の魔物なら一撃で消失する光の矢を軽々と粉砕されては口笛も吹きたくなるだろう。

(笑ってる場合じゃないけどね。思ったより強いし、それにあれは……)

 激昂するジャックのサポートをしているのは弟子だ。

 いつも自分に自信がなさそうにしているが、怒りの感情のままに剣を揮うジャックの隙を無くすように攻撃していた。

 彼がいなければ、ジャックなどすぐにやられていただろう。

「ただの羽虫を殺されてそれか。分からないな」

「……お前こそ何のつもりだ」

「見て分からないか? 下等生物はこれだから困る」

 大仰に両手を開きながらソレは「ヤレヤレ」と呟いて頭を左右に振った。

 鍛え上げられた褐色の上半身には何も纏わず、額からは特徴的な角が二本生えている。

 攻撃に特化した獣の牙のような鋭い爪、爬虫類を思わせるような尻尾。

 そして、バサバサと音を立てる背中の羽は蝙蝠のようだ。

「俺が新たなる神だ! 崇めよ! 讃えよ! 平伏せ! そして、死ね!!」

 宙に浮いたままうっとりと酔いしれるようにそう告げる自称神は楽しそうに口元を歪めジャックたちを見下ろした。

 彼の右手に強力な力が集まる。バチバチと音を立てる黒い魔力の塊にノアが舌打ちをする。

「我が怒りを受けよ!!」

 ビリビリと空気が震え、その場を覆いつくすような黒い雷に悲鳴が上がった。

 触れただけで生気を奪われるような黒い雷は、大きな音を響かせながら絶え間なく降り注ぐ。

「コスモス!」

「やってます。防御壁張ってるから大丈夫ですよ。でも、強いですねこれ」

「あれは何? 色々混ざってるようだけど」

 ドカンドカンと雷が落ちる音が煩い。コスモス自慢の防御壁越しでも、軽く痺れるくらいの威力である。

 防御壁を張ってこの程度なのだから、直撃したらひとたまりもないだろう。

 そんな中、コスモスは訝しげに突如現れた存在を見るノアに答えた。

「メランでしょうね。色々食べたみたいですから。恐らく、不意をついてジャックを食べようとしたけど蝶に遮られたって形だと思います」

「何もないところから攻撃だけ先に飛んできたからな。あれを避けるのは無理だぞ」

 驚いた様子もなくそう話すコスモスにアジュールは珍しく焦ったように唸る。

 退避してきたジャックは握っていた剣を落としそうになり、慌てて手に力を入れた。

「僕の……せい」

「はいはい。落ち込むのは後にしてね。今はあれを退けるのに集中しないと」

「それにしても、随分と悪食ですね。あれ、邪神も食べてますよ。恐らく邪神の核は彼の中にあるでしょうね」

 ジャックは剣を持っていない方の手で自分の顔を覆う。その体が小刻みに震えているのを見たコスモスは、攻撃を免れた小さい蝶がぴったり彼にくっついているのを見て笑んだ。

「弟子くん、分かるんだ」

「嫌ですけど、分かりますね。それにしても、趣味が悪い」

「タイプじゃない?」

「ないですね」

「二人とも、緊張感がないわね」

 コスモスとノアが張っている防御壁のお陰で直撃は避けられたがそれも時間の問題だろう。

 いつまでもこのままというわけにはいかない。

 コスモスと弟子が「分かる分かる」と頷き合っているのを横目に、ノアはコスモスほどの大きさの雷撃をメランに放つ。

 それを眺めていたメランは、面白く無さそうに拳で粉砕しようとして失敗した。

 肘から先が消失し焦げ臭い匂いが漂う。それと同時に黒い雷が止み、好機とばかりに弟子が飛び出した。

「師匠、コスモスさん、フォローお願いします」

「分かったわ。油断しないように」

 彼に続こうとしたジャックの服の裾を掴みながらノアは弟子の背中に向けて答える。

「貴方が今行っても邪魔でしかないわ。分かるわよね?」

「……大丈夫だ。それに彼一人じゃ無理だろ」

「だからって……」

「いいんじゃない?」

「コスモス」

 緊迫した状況だというのに、コスモスの返事は軽くてノアは思わず眉を寄せてしまった。

 咎めるような声になってしまったのは仕方がない。

 そしてその隙をつくように、ジャックは駆け出す。

「はぁ。見境無く感情のまま暴れたら面倒でしょうが」

「少しは落ち着いたと思うけどな」

 小さい蝶はジャックにぴったりくっついて離れない。

 コスモスの視線の先を追ったノアも、蝶の存在に気付いて顰め面になる。

「だからって……」

「それより、二人に協力して欲しいことがあるの」

 強制的に話題を変えられ、楽しそうに話すコスモスにノアは思わずアジュールと視線を交わして片眉を上げた。



 ブン、と風を切る尻尾は鞭のようにしなって先ほどまでいた場所を抉る。

 メランからの攻撃を回避しながら攻撃魔法を叩き込む弟子だったが、どの属性も大ダメージを与えるには足りない。

(無属性ってわけじゃないだろうけど、四属性の中なら火属性くらいしかまともにダメージ与えられないな)

「お前、武器は使えるのか?」

「ええと、少し。あ、でも憧れはあります。王道の剣もいいですけど、リーチのある槍もいいですよね。大斧も振り回してみたいですし、特殊武器を使ってドヤ顔もしてみたいです」

「いや、今そんな話は聞いてないんだけど」

 素早く攻撃を回避する二人が気に入らないのか、メランは再び黒い雷を呼び出す。

 しかし、それすら簡単に避けて攻撃してくる弟子の姿に彼は苛立っていた。

「邪神もシュヴァルツも、皆喰ってやった。それなのに何であんなのに手こずらされてるんだ?」

 余興と思えばいいとゆったり構えていたのも最初だけだ。

 誰もが平伏し恐怖する力を手に入れた自信があるのに、目の前の雑魚すら片付けられない。

 力では圧倒的に自分が上なのに、と思いながらメランは自身の中で渦巻く力の流れに眉を寄せた。

「僕はまだまだ未熟なので、武器の使い方は教えてもらってないんですけど」

「……余裕だから大丈夫じゃない?」

「いえ、まだ精進が足りません」

 どの武器にしようか未だ迷って決められないと告げる弟子に、ジャックは乾いた笑い声を上げながら目の前に降ってきた雷撃を避けた。

 コスモスが防御膜を展開してくれてるお陰か、地を這う雷の攻撃も軽減されている。

「それにしても、ここでボス登場とかもっとこうなかったんですかね」

「というと?」

「前座みたいなのを置いて、この先で待ってるから来いみたいな。仁王立ちして出迎えての最終決戦とか徐々に気分を盛り上げていくべきだと思うんですけど」

「ええと、君は何を言ってるのかな」

 首を傾げながら宙に浮くメランに対して不満を告げる弟子に、ジャックは顔を引き攣らせた。

 少なくともこんな状況下で言うようなことではない。

「あれは今、邪神やシュヴァルツさえ取り込んだろくでもないものだろう? 攻撃を避けるのでっ、精一杯だっていうのに!」

「そうですね。でもパターン化してくるので分かりやすいですよ。イライラしてるみたいですからね」

 火の魔法を中心に攻撃をしている弟子は、体力ゲージが目視できればいいのにと思いながらメランの腕を切るジャックをサポートする。

 片腕を切られ、もう片方は肘から先がない。

 てっきりにゅるりと生えてくるかと思ったが、そんなことは無かったなと残念そうに弟子は溜息をついた。

「ジャックさん下がってください。様子が変です」

「分かってる!」

 言われるまでもなく後方へ退いたジャックと弟子の二人。

 地鳴りと共に先ほどまでいた場所が大きく抉られ、バチバチと火花が散っている。

「何だ、アイツ」

「あー、第二形態ですかね」

「だいにけいたい?」

 うんうん、と頷きながら呟く弟子の言葉にジャックは眉を寄せた。

「アハハハハハハ!!」

 大きく天を仰ぐような格好のメランは大きな声で笑い、その全身からは黒い靄が出てくる。

 目は虚ろで濁り、ブツブツと呟く内容は聞き取れず唸り声になって響く。


 ズリュッ


 胸部を突き破って出てくる黒く大きな手。

「ハ?」

 大きく目を見開き驚愕の表情をするメランを見て弟子は少しだけ彼に同情した。

「あーあ。強くなろうと色々取り込んだのはいいけど、結局使いこなせず逆に乗っ取られるとこでしょうね」

「いや、冷静に言ってる場合か?」

「でもあの状態で今突っ込んで行っても、勝ち目ないですからね」

 メランを通して何かが外に出てこようとしている。必死にそれを押し込めようとしているメランの姿が滑稽で思わず笑いそうになった。

 そんな弟子を冷ややかな目で見ているのはノアだ。

「あいつ、悪い癖が出てきたみたいね」

「最悪、自分が器として利用されるかもしれないのにゾクゾクしながら笑っちゃうのが弟子くんらしいね」

「コスモス」

「元は同じなんですし、しょうがないですよ。メランだってびっくりしてますけど、あれは脱皮みたいなものでしょうし」

 ビリビリと大気を震わせるほどの大きな咆哮が響いたと思えば、メランだったものは力なく地面に伏せてぴくりともしない。

 そんな彼の中から出てきた異形の存在は、その全てが禍々しい形をしていた。

 


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