276 優しい風の大精霊様
飛来する風の刃に風の塊をぶつけて相殺する。
(よし、何となく慣れてきた)
力の加減が難しいが、文句を言ってる時間も無い。
少しでも気を抜けば鋭い風の刃が容赦なくコスモスを襲ってくるからだ。
大小様々な風の刃は飛んでくる方向もバラバラで回避するのが忙しい。
(一つ、二つ……)
数えながら三つ目を処理したコスモスは背後からの殺気にため息を飲み込んだ。
「っ!」
振り返る間もなく勘だけで避ける。紙一重でなんとか回避できたが、風の刃は彼女の防御膜を削って消える。
「コスモスー、ちゃんと見てないと」
「私の背中に目はないんですよ」
「そんなの感知すればいいじゃん。心眼くらい使おうよ。あえての縛りならしょうがないけど」
(簡単に言ってくれるわ)
風の大精霊が退屈そうに欠伸をしながら空中で胡坐をかいている。
彼がくるくると人差し指で回している輪は、コスモスを襲う風の刃のもとだ。
軽く指を揮うだけで大小さまざまの風の刃が飛んでくるのだから恐ろしい。
「女神様から強化してもらったんだから、ちゃんと使えないともったいないよ」
「おっしゃる通りです、ねっ!」
渦巻く竜巻を大声と共に消失させたコスモスは、大きな風の塊を大精霊に向けて放つ。
「はぁ。僕相手にそれは悪手でしょ。自暴自棄には早いと思うんだけど」
やれやれ、と呟きながら風の大精霊はその風の塊を簡単に消してしまった。
少しは楽しめると思ったのにとため息をついた彼は、すぐに表情を変える。
風の塊の中に隠された聖炎が風の大精霊を包み込んで消えた。
「うーわ。僕じゃなかったら危なかったー」
「やっぱり分身か。再生能力も高いし、攻撃力が弱すぎたかしら」
違う方向から大精霊の声がして、コスモスは舌打ちをする。
(あの程度じゃ無理だとは思ったけど)
「分身とはいえ僕の一部なんだけど。再生するにも時間がかかるし、結構大変なんだよ?」
(どのくらい分身を用意できるかは大精霊様次第か。これは持久戦になるの? 嫌なんだけど)
分身を潰していくにも手間がかかり、コスモスのスタミナが減るばかりだ。
本体を探してダメージを与えるしかないのは分かるが、攻撃を受けた瞬間に分身へとすり替わってしまえば長期戦を覚悟するしかない。
そう考えていたコスモスの前に鎧がぬっと出てくる。
「うわっ」
「彼女の強化具合はどうでしたか?」
模擬戦闘中に間に割って入る危険行為に驚きながらコスモスは呼吸を整えた。
「女神の強化はすごいね。ただコスモス自身が使いこなせてないから残念だけど」
「それは慣れるしかないでしょうね」
「そうそう。だからこうしてるんだよ。僕は優しいからね」
ウインクをしてパチンと指を鳴らす風の大精霊。
スッと風を纏った剣を向けられてコスモスは慌てて回避する。
(前に鎧がいるからって油断してたわ)
舌打ちした風の大精霊に彼女は眉を寄せた。
「不意打ちがお好きなようで?」
「あらゆる事態に対応しなきゃ」
「それ、エテジアンの国宝じゃないですか! こんなところで気軽に使っていいものじゃないですって」
ただの模擬戦闘のはずなのに何故国宝まで持ち出してくるのか。
両者の間に入った鎧も流石にそれは予想外だったようで、驚いた様子で風の大精霊を見つめている。
「ハハハ。よく知ってたね」
笑いながら彼は指を振る。
まるで指揮をするような動きに合わせ、剣がコスモスを襲う。
剣自体に意思があると言われても信じてしまえるくらい、その動きは滑らかで容赦がなかった。
「ふんふふ~ん」
「ほら、コスモス。ちゃんと攻撃を見て」
「見てるから避けてるんですけど!」
「避けてるだけじゃだめだろう? 反撃しないとやられてしまうんだから」
(鎧……お前を盾にしてやろうか)
鼻歌を歌いながら指を振る風の大精霊は楽しそうだ。
避けるのに必死なコスモスにアドバイスという名の煽りをするのは鎧である。
(自分は素早く逃げたくせによく言うわ)
そんなこと言われなくとも分かってると歯軋りをしながら、コスモスは鎧を睨みつけた。
(反撃しようにもタイミングがつかめないし、避けるので精一杯なんだってば)
間合いを取っても風の刃に襲われ防ぐので手一杯だ。それに気をとられていれば、剣の攻撃が彼女を襲う。
直接ダメージは受けていないが、ガリガリと防御が削れているが分かった。
「さすがは風の大精霊様だね。素早い攻撃で反撃の隙を与えない」
「ちょっとやりすぎな気もするけど」
二人の邪魔にならないように移動していた鎧は何度も頷いてそう呟く。
その近くでは心配そうにしているフォンセがいた。しかし彼女はコスモスの表情を見て小さく笑う。
「はぁはぁ……休養、してたはずなのに。疲労がたまるわ」
「うん、まあまあかな」
「いきなりハードすぎるんですけど」
「そんな悠長に言ってられないだろ? これは僕なりの優しさなんだから」
実戦を兼ねているが、これでもまだ易しいほうだと言われてコスモスは黙る。
確かにこの程度で音を上げるようではこの先は耐えられないだろう。
(はぁ。一度引き受けた以上はちゃんとやらないと)
「聖炎頼りっていうのがいけないよね。そんなんじゃすぐに対策されるよ」
「しょうがないじゃないですか! どの属性も大精霊様には効果が薄いし、その中で強いのが聖炎なんですから!」
「邪神相手なら何とかなるかもしれないけど、シュヴァルツ相手じゃそうも言ってられないだろ?」
「あ……腐っても聖騎士」
「ふふっ、腐っても……」
風の大精霊の指摘にコスモスは目を見開いて眉を寄せる。失念していたとばかりに頭に手を当てた彼女を見ながら、鎧は顔を逸らして笑いを堪えていた。
「そうね。邪神復活を目論んで女神の加護も祝福も遠くなったとは言え、それでもシュヴァルツはルミナスの寵児だもの。聖炎ではダメージを与えにくいわ」
「他の属性もだろ? あの女神も余計なことしてくれるよなぁ。自分の手に負えないくせに」
「……アジュールがいるから大丈夫ですよ。それでもどこまでやれるか分かりませんけど、邪神さえ潰してしまえば彼の目的もなくなるでしょう?」
最悪、シュヴァルツは倒せなくとも問題ない。邪神を倒すまでの足止めさえできればそれでいい。
(そうなると、邪神とシュヴァルツを引き離して、できるだけ速やかに邪神を倒す必要があるけど)
できるかどうかは分からない。
けれど、しなければいけない。
「鎧、いざとなったらシュヴァルツ足止めできるわよね?」
「うーん、また難しいことを言ってくるね。でも、コスモスがそう望むなら頑張ってみるよ」
「そう。じゃあ、よろしく」
「うわっ、軽っ。軽すぎない?」
腕を組んで片手を顎に当て軽く唸った鎧だが、苦笑しながらコスモスの頼みに頷く。
その様子を見ていた風の大精霊が驚いた顔をして二人を交互に見た。
「え、一応世界の存亡がかかってるってこと分かってるよね? というか、お前協力できるならもっと前からしろよ」
「自由気ままな生を謳歌している風の大精霊様に、そんなことを言われる日が来るとは思いませんでした」
「嫌味か?」
「嫌味ですよ」
自分だって積極的に介入しようとせず、傍観していたくせにと遠回しに言っているのだろう。
何となくコスモスにはそう聞こえた。
「はぁ。まぁ、いい。コスモス、小休止したらまた再開するよ」
「えっ」
「えっ、じゃない」
終わりじゃないのかと驚くコスモスに、風の大精霊は腕を組んでそう告げた。
「相手は余裕で待ち構えてるんだよ? 聖炎でごり押しするにも、力をつけなきゃ意味がない」
「いや、それでにも限度というものが……」
「限界を超えろ」
「急にそんなヒーローもののテンションで言われても困るんですけど」
風の大精霊の目が静かに燃えている。
ぶつぶつと呟くコスモスに小さな竜巻が投げつけられた。嫌な顔をしながらそれらを軽く振り払った彼女に、風の大精霊は片眉を上げる。
「また後で連絡するわ。適度なところで止めてちょうだいよ」
「分かってます。大丈夫ですよ」
「貴方も結構厳しいわよね」
そう呟いてフォンセは消えた。
腕を組みながらコスモスと風の大精霊の模擬戦闘を眺めていた鎧は、軽く手を振って女神を見送る。
(コスモスの力は前とは比べ物にならないくらい強くなってる。それこそ、邪神やシュヴァルツとまともにやり合えるくらいに)
戦力的には問題ないだろう。何を考えているか分からないシュヴァルツは一旦置いておくとしても、今の面子で負けるとは思えない。
そう考えながら鎧は腕を組んだ。
(戦闘経験が少ないのはしょうがない。コスモスが邪神と戦えるまで守りきれば勝ちは見えるだろうけど、問題はシュヴァルツか)
世界を破壊して作り直すために邪神がいて、シュヴァルツはその目的のために動いている。
ならば、要になる邪神にコスモスを近づけさせないようにするだろう。
(私でもそうするからね。向こうが余裕でいられて未だに手を出してこないのは、コスモスが未熟だと分かっているからだろう)
しかし、コスモスが熟すまで待っていては間に合わない。
(邪神の器が完成して、完全復活してしまう前にしとめないといけないからね)
だからできるだけ急いでコスモスを鍛えようと風の大精霊も必死なのだろう。
(今の邪神はノアでも余裕で抑えられる。だからやっぱり、シュヴァルツが邪魔だよね)
「分身はずるいですって!」
「そんなこと言ってる暇ないと思うけどな」
少しずつ速度を上げて攻撃している風の大精霊。
そんな彼にしっかりとついていくコスモスは恐らくそのことに気づいていない。
(攻撃力も少しずつ強くしてるのに、気づかずちゃんと反撃してる。この程度なら大したことないってことかな)
彼女の呼吸に乱れはなく、不満を口にしながらも大精霊の攻撃を避けて反撃していた。
(足りない分は実戦しかないね。コスモスなら何とかなるかな)
本人の知らぬところで鎧は一人頷きながら彼女たちの様子を見つめ続けていた。




