273 えらばれなかったものたち
何が起きたのか。
真っ暗な場所でコスモスは「ふむ」と呟いた。
自分のその呟きが思ったよりも面白くて笑う。しかし、それに反応するものはいない。
(結界修復の合間にまったり休んでたら女神様から連絡が来て、何か言ったなと思ったらコレよね)
フォンセが言っていたことを思い出す。
「確か、天使の眼の封印が解かれたとかなんとか」
それはマズイのではと思った時にはもうコスモスはその場から消えていた。
高速で流れる景色、弾力のある何かにぶつかって現在こうなっている。
「ぶつかって止まったというより、めりこんで中に入った?」
つい先ほどの出来事だというのに展開が早すぎて困惑してしまう。
コスモスはため息をついて自分がこうなった原因を思い出す。
(多分、鎧が私を掴んで投げたんだと思うけど)
シンプルだが、恐ろしい。
(鎧の反射神経と強肩には驚かされるわ。女神様の話を最後まで聞く前にとりあえず私を投げるとか、ボールか何かだと思ってる?)
それでも瞬時に人型ではなく球形になった自分も凄いと思う、とコスモスは胸を張った。
人型で投げられている様子など想像しただけでも嫌だ。
「さてと。ここはどこなのかしらね」
現状把握をしようと周囲を見回したコスモスはため息をついて目を閉じた。
「……お久しぶりです」
彼女の言葉に、彼女を見つめていた無数の目玉たちはゆっくりと二回瞬きをする。
暗闇の中、無数の目玉に囲まれている状況は懐かしささえ感じてしまう。
(重症ね。とりあえず、明るくするか)
暗闇に慣れれば周囲に何があるのか把握するのも容易だが、明かりが欲しかった。
慣れたように己を発光させたコスモスに、目たちは眩しそうにその目を細める。
「相変わらず、口はないのよね。目だけ」
薄い桃色の弾力がある壁に張り付いている目たちはじっとコスモスを見つめた。
「いや、久しぶりとは言ったけどあの時とは違うのかしら? 似たようなもので別?」
せめて投げる前にどこに投げるのか教えて欲しかったと呟くコスモス。
目たちは困ったようにそれぞれバラバラに動いた。
どうしたらいいのか探っているようだ。
「うーん。まさか、天使の眼の内部とか言わないでしょうね」
さすがにそう都合のいい展開があるわけない。そう軽く笑ったコスモスに、周囲の目たちはゆっくり二回瞬きをする。
「……え、本当に? ここが、そうなの?」
冷や汗を流しながら問いかけるコスモスに、目たちはゆっくり二回瞬きをした。
「え、じゃああの時も私は天使の眼の内部に飛んだってこと? それからエステル様のところまで飛んだの?」
一体どういう仕組みになってるんだと首を傾げる。
「ううん、似てるけど違う場所かもしれない」
何箇所もここと同じような場所があるのもどうかと思うが、偶然の一致とは思えない。
偶々似たような場所だっただけだと思いたいコスモスを否定するように、目たちはゆっくりと瞳を左右に動かした。
「同じ場所だったの。何であの時ここに飛んだのかは後で考えるわ。どうせ偶然で意味なんてないかもしれないし」
コスモスの独り言を目たちは黙って見つめる。
興味があるのか、浮遊しながらブツブツ呟く彼女の動きを追っていた。
「私が最初に飛んだときにはまだ封印が解かれていなかったはず。でも今は封印が解かれてる」
ちらり、とコスモスが目たちを見る。すると彼らは彼女の言葉に瞬き二回で答えた。
「……現状は? ええと、無差別破壊行動?」
それはいけない。
慌てたコスモスがすぐに止めるように告げるが目玉たちは困ったようにそれぞれを見つめる。
コスモスの言葉に瞬き二回で返すものもいれば、左右に動かすものもいた。
(前回と比べたら、黒い目だけじゃなくて、青や緑、金色もあるわね)
「とにかく破壊行動は即刻停止!」
声を荒げるコスモスに彼らは驚いてぐるぐると目を回す。
ちらちら、と互いに視線をかわしていた目たちも大人しく二回瞬きをした。
「本当に止まったのかしら? 外の様子を確認できないからどうなってるのか分からないのよね」
「破壊行動は停止したよ。大きな目玉からビーム光線とかすごい光景だったけどね」
「……気配なく登場するのやめてくれない?」
どうやってこの場に来たんだと思いながら嫌な顔をするコスモスに、鎧は「ははは」と笑う。
鎧の登場に目たちも驚いているようだ。
「へぇ。天使の眼の内部ってこうなってるんだね」
「はぁ」
「いきなりコア部分に突入とか、さすがとしか言いようがないね!」
「投げたのは誰でしたっけ? そもそも、移動できるなら最初からそうすれば良かったじゃない」
投げる必要があったのかと疑問に思う彼女だが、鎧は聞いていない。
「なるほどね。もっと禍々しいかと思ったけど見た目だけか。生々しいけど中身がないというか。あぁ、だから素直なのかな」
興奮したように呟く鎧をコスモスは冷めた目で見つめる。
目玉たちの動きで戸惑っているのを感じた彼女は鎧にあまり怖がらせるなと注意した。
「心配で追いかけてきたんだけど、その必要はなかったみたいだね」
「どうせ来たんだから少しは活躍していったら?」
「厳しいね。あぁ、天使の眼の実体が想像とかけ離れててがっかりしてしまったかな?」
「外に出ないとどうなってるのか分からないけどね」
(内部がコレなら外見も期待はできないわね。鎧も変なこと言ってたし)
「うーんとね、こんな感じだよ」
「……」
わざわざ見せてくれるのは優しさか、それとも嫌がらせか。
どっちだろうと思うコスモスに、鎧は天使の眼のミニチュアのようなものを出現させた。
宙に浮かぶそれを見て彼女は思わず眉を寄せる。
大きな目玉に翼が六枚の生物。
どこからどう見ても魔物にしか見えない。最初に出会わなくて良かったと思いながら、コスモスは鎧を見る。
「これが、て、天使の眼?」
「そうだよ。これが、天使の眼だよ」
(この中身だから外見もそれなりなんだろうなとは思ったけど、ここまで気持ち悪いとは)
残念ながらコスモスはそれを可愛いと思えるような感覚はない。
しかし、前回目玉達とのやり取りで彼らが少し可愛く見えてきたように見慣れれば可愛くなるかもしれない。
(いやいや、可愛いより怖いわ)
精神的ダメージを与えるには充分の見た目だと頷きながら、コスモスはミニチュアの天使の眼を色々な角度から眺めた。
「それで、停止したのはいいけど、これからどうなるの?」
「捕縛されて、再封印か破壊だろうね」
「あ、ルーチェの光の鎖で拘束されて攻撃されてる感じがする」
まさに今ではないか、とコスモスは軽く揺れる感覚に周囲を見回した。
ぱちぱち、と少し驚いたように目たちも瞬きを繰り返す。
「へぇ、衝撃が最小に抑えられるようにしているんだね。攻撃された箇所も素早く回復するようになってる……特性を活かしてるのか」
冷静に分析している場合ではない。
隣にいる鎧を見ながらコスモスは唸る。
(女神様からの指示は特に出てない。ということは現場に任せるってこと? それもそれで適当ね)
「うーん」
ふとコスモスの脳裏に浮かんだのは北の廃城でのできごとだ。
気がつけば魔物の体内にいて、飛び出たと同時に破壊した光景は今でも鮮明に思い出せる。
アレを再度やれないことはないが、ぐるりと自分達を囲むように見つめる目玉たちに決断ができない。
「はぁー」
何度目か分からないため息をついて、コスモスはアジュールに呼びかけた。
天使の眼の内部にいること、攻撃は停止していることを告げる。
大して驚いた様子もなく笑って返す様子から、恐らく彼はコスモスが内部にいるのを知っていたのだろう。
「何だって?」
「完全破壊できないから封印する予定だったらしいわ。これ以上攻撃しないのであれば向こうも助かるって」
今から封印されるかもしれないというのに、周囲の目たちに混乱した様子は見られない。
破壊されるよりマシだからかと思いながらコスモスは首を傾げた。
「シュヴァルツの指示で動いてるの?」
「それはどうだろうね。目だけで口がないし、接触しようにも弾かれてばかりだから分からないけど」
コスモスの独り言のような呟きに鎧はそう返す。
周囲の目は揃って左右に動いた。
「創造主はシュヴァルツ?」
「女神が創造したんだとしたら相当趣味が悪いよね」
周囲の目はゆっくりと二回瞬きをする。
(天使の眼を作ったのはシュヴァルツだけど、攻撃指示はシュヴァルツからじゃない?)
シュヴァルツ以外で天使の眼に命令できる存在となれば限られる。
恐らく邪神だろうと考えたコスモスは、ハッとして鎧を見た。
「え?」
「あぁ、うん」
驚くコスモスに、鎧はいつもと変わらぬ様子で答えた。
しかしその左手が何かを掴んでいる。
『ぐっ……』
それは苦しそうな呻き声を上げ、地に足が着かずプラプラと揺れていた。
ぼんやりと人の形を取っているが、輪郭がはっきりしないので黒い靄にしか見えない。
「あの、それ……」
「うん。ちょっと待ってね。片付けるから」
「え」
邪神じゃないのかと尋ねようとしたコスモスだったが、爽やかな声に遮られる。
これからゴミ捨てに行ってくるね、と告げられたような感覚に彼女は首を左右に振った。
(ハッ、今何か幻覚が見えたような気がする)
「はい終わり」
鎧が左手をグッと強く握り締めれば、か細い呻き声と共に靄が消失する。
もう少し粘るかと思った黒い靄は綺麗に消えてコスモスは驚いた。
(え? あれって、だって……)
「ふぅ。どうしたの? コスモス」
「いや、どうしたってさっきのアレ」
「あぁ、ゴミ?」
突然湧いてきたんだよね、と爽やかな声で言うものの内容がひどい。
「邪神じゃないの?」
「あぁ……え? いやいや……あんなに弱いはずないよ」
「そうかな……そう、なの?」
「そうさ。いくら器がなくて中身だけの不安定な状態でも、邪神だよ? 一応神を名乗るくらいなんだからあんなに弱いわけないだろう?」
「いや、でもあの気配は……」
「はいはい。お話はあとで、ね?」
悩み始める彼女をやんわりと制して、鎧はこれからのことを提案した。
「とりあえずここを出ようか?」
「そうね。でも、ルーチェに怒られそうだわ」
「ううん。彼らとは会わず北の城に行こう」
てっきりアジュール達と合流するのかと思ったコスモスは、思わず周囲の目たちに視線をやってしまう。
しかし、目は全て閉じられており開く気配がない。
「え……」
「落ち着いて眠ってるんだろうね。さ、移動しようか」
鎧に抱えられてその場から消えたコスモスは、移動後に詰め寄る。
「ちょっと、鎧さん? あんな方法で簡単に移動できるなら、最初からそうすれば良かったんじゃない? 私のこと投げる必要あった?」
「急だったからね」
緊急時だったので咄嗟に投げてしまった。
それならしょうがない、と自分を納得させようとしたコスモスだったがもやもやする気持ちは残ったままだ。
「北の城に来るように連絡するといい。アジュールは知っているんだろう?」
「連絡するまでもないでしょう。私の気配を辿ればどこにでも来れるから、とっくにそうしてると思うわ」
居場所をすぐに特定されるのはプライベートも何も無い。
だが、それにも慣れてしまっているとコスモスは苦笑した。
「そうか。主従関係だからね。それもそうだ」
だからといって異なる世界にまで着いてこられた時には驚いたが。
(あれはきっと偶発的なんだろうけど)
「それもそろそろ潮時かなと思うんだけどね」
「アジュールとのことかい? うーん、そうだね。落ち着いてからでいいんじゃないかな」
「それもそうね。早く落ち着いてほしいわ」
お互いに利用し合う関係だが、今のコスモスは女神のバックアップもあるので前ほど彼を必要とはしていない。
それでも居てくれると助かるのは事実だ。
鎧はコスモスが考えていることを察しながら優しく笑う。
「コスモスは優しいね」
「普通だと思うけど」
違うのかしら、と呟きながら考え込む彼女を見て鎧は自然と笑みを浮かべる。
「お帰りなさい。食事を用意しているけど、寝るのが先かしら?」
「ただいま、ノア。ご飯食べてから寝ようかな」
「そう」
「もしかしたら、休んでる間に来客あると思うけど……」
「貴方のお仲間ね」
装置がある部屋ではない場所から現れた鎧とコスモスを見て、ノアは淡々と告げる。
まるでその場所に二人が出現するのが分かっていたかのようだが、気にせずコスモスは大きく伸びをする。
人型の姿になって軽くストレッチをするコスモスと会話しながらノアは顎に手を当てた。
「とりあえず、さっさと食べて休みなさい。眠くなくてもベッドに横になって目を閉じるのよ?」
「はーい」
「鎧、貴方もだから」
「はい」
コスモスを掴んで連れて行く様子を笑いながら見ていた鎧だったが、自分にも鋭い眼差しが向けられて素直に頷く。
少し離れたところでは、彼女の弟子がその様子をニコニコしながら見ていた。




