263 ウォーミングアップ
シュヴァルツの目的は一体何なのか。ろくでもない事だろうがいまいちはっきりしないとコスモスは眉を寄せる。
(女神様も蘇った邪神よりもシュヴァルツの存在を脅威としてるのよね。邪神が完全体だったとしても、それに仕えるシュヴァルツの方が脅威になるのかしら?)
邪神の存在も、その恐ろしさも昔の文献で知る程度だ。
鎧に聞けば少しは分かるだろうかとコスモスは部屋を出る。
「え、シュヴァルツのこと?」
「あからさまに嫌な声」
表情は見えないのに嫌な顔をしているのが見えるようだ。
知り合いなのかとコスモスが聞けば、食事の支度をしていた鎧が無言になる。
「私はいい人の面しか知らないのよ」
「私もここから外には出ないから分からないな。力になれなくてごめんね」
「そう。知ってそうな人って女神様以外で誰がいるのかしら?」
「そうだね。あの頃の人が生きてるとしたら……マザーかエステル様くらいかな」
エプロンをつけて手際よく食材を切っていく鎧の手元を覗き込んでいたコスモスは、懐かしい名前を聞いて彼女との日々を思い出す。
(久しぶりに会いに行くのもいいかもしれないわね。今のところ女神様からの通知もないし)
「……何が知りたいのかな?」
「邪神が器を得て完全に蘇ってもシュヴァルツの方が脅威なのかとか、シュヴァルツの目的は何なのかとか色々」
「目的は本人に聞いたところで正直に話してくれるとは思えないけどね」
「それは分かるわ」
「あまり深く考えなくていいと思うよ。世界の平穏を邪魔する存在として考えればいいんじゃないかな」
「そうね……」
平和を脅かす存在には違いないので排除する。
ただそれだけ考えればいいかとコスモスは納得した。
「そうよねぇ。あんまり深く考える必要もないわよね。どうせ倒すんだから」
「そうそう」
「簡単に言ってくれるけど、やるのは私なのよ」
「一体倒したんだろう? 幸先いいと思うけどね」
あれは強い相手だったのかと疑問が残る。
どの程度の強さだったのかコスモスには分からないから、他にどんな敵がいるのか手探り状態だ。
(恐らく向こうはこっちの戦力を把握してそうよね。もっと強かったら邪神が器を得て完全体になる前に攻撃してしまうのに)
不完全な今が攻め時なのは分かるが、居場所も分からない。
恐らくその近くにはシュヴァルツもいるだろうから彼との戦闘も避けられないだろう。
(最悪、邪神とシュヴァルツの二人を相手にするとして勝ち目があるかと言われたら微妙なのよね)
「難しい顔してるね」
「戦闘らしい戦闘はまだしていないから。次からが本格的になりそうだけど」
「……後で、少し相手しようか?」
「それは嬉しいけど、邪神やシュヴァルツ陣営について知ってることがあったら教えて」
一回、全員揃って顔見せに来てくれればいいのにと思いながらコスモスは笑った。
本当にそんなことになったら大ごとである。
「なぜ私なのかな?」
「フォンセ様から情報はもらってるけど、相手が相手だけに違うところもあるだろうって言われて」
「それで、どうして私なのかな?」
「女神様から貴方が古株だってことは聞いているわ。シュヴァルツのことも私より知ってるだろうし。向こうの陣営についても分かるかなと思って」
「昔は昔だけどね」
空気がピリッとしたのを感じながらもコスモスは怯まず鎧を見つめる。
ふぅ、とため息をついた鎧は目の前で浮かぶ人魂に苦笑した。
「教えられたら良かったんだけど、大した情報は持っていないよ。昔と今じゃ構成メンバーも変わっているだろうからね」
「そっか……そうよねぇ。実際問題が起こって対処してからじゃないと無理か」
「残念ながらそうだろうね」
「事前に分かってたら対策できるかなと思ったんだけど、そう上手い話はないってことね」
少しでも有利になればと思っていたコスモスだが、そうそう簡単にいかないことを知ってため息をついた。
「……そうされると困るから相手も考えるだろうね」
「でも、恐らくシュヴァルツはこっち側の戦力を分かっているわよ? それってずるくない?」
(女神様に負担かけるのもどうかと思ってそこまで聞かなかったけど、こんなことなら聞いておけばよかったかしら)
「あははは! ずるい、か。そうか、そうだね、確かにずるいね」
「そんな笑うほどじゃないと思うけど」
大声で笑う鎧にドン引きしながらコスモスはスゥと後方へ下がる。
彼がこれだけ笑う姿を見るのは初めてかもしれない。
「でも、さすがのシュヴァルツも配下の一人を一瞬で撃破されるとは思ってなかったと思うよ」
「彼なら大笑いして喜んでそうだけど」
「あぁ、それはあるかもしれないね」
その姿がすぐに浮かんで、きっと彼ならそういう反応をするだろうと思ってしまう自分にコスモスは嫌な顔をした。
理解したくないのに分かってしまう感覚が嫌だ。
それすら彼は見通して嬉しそうに笑うんだろうと思えば、更に不快になる。
「とりあえず、フォンセ様からの連絡が来るまではゆっくりしているといいよ」
「外は大騒ぎだっていうのに、暢気でいいのかしらね」
「教会の力が強いから、この程度の騒ぎですんでるよ。各国も喧嘩して争ってる場合じゃないから軍備は増強してるみたいだけど」
「相手が相手だものね」
「そう。マザーはキミが帰ってきたのを知ってるはずだから、余裕ができたんじゃないかな?」
コスモスが戻ってきた理由を知っているだろうマザーなら、多くは語らずとも民衆を安心させることができるだろう。
恐ろしいほど絶大な影響力だなと呟いたコスモスに、鎧は小さく笑った。
「可愛い娘が危険なことをしようとしてるのに、止めるどころか鼓舞するなんて。マザーらしいわよね」
「分かってるじゃないか」
嘘でもいいから慰めの言葉が欲しかったコスモスは、笑顔で言ってくる鎧に無言になった。
食事を終えた後、コスモスは軽く鎧と手合わせをする。
こちらに戻ってきてから戦闘をするのは久しぶりだが体が覚えているようで、苦労はしなかった。
当たり前のように扱える精霊石はすっかり体に馴染んでいるようだ。
球体の姿でも、人型の姿でも違和感なく力を発揮できる。
問題があるとするなら、火力調節やコントロールくらいだろうか。
「え、キミ元の世界でも力使ってた?」
「そんなことあるわけないでしょ」
「……だよね」
「管理人の補助もあるからじゃない?」
「なるほど」
周囲に散らばった木端微塵の的を元に戻しながら、鎧はぶつぶつと呟いている。
ちなみにコスモスは何度も鎧に対して術を叩き込んだりしたが、綺麗に弾かれてしまうばかりだった。
どういう仕組みになっているのかは知らないが、鎧を傷つけられたことはない。
「その体なのにフットワーク軽いのずるいわよね」
「ははは。鍛錬の賜物かな?」
彼の動きは重さを感じさせない。軽やかなステップを踏み、コスモスの球弾を全て避ける姿は綺麗なものだった。
「各属性を球弾にして無数に放つやり方は考えたこともあるけど、まさか本当にできるものなんだね」
「珍しいの?」
「制御が難しくて力の消費も激しいからね。できたとしても威力は小さいからほんの足止め程度にしかならないし。積極的に使おうとは思わない技だよ」
火球弾ができるなら、他の属性でも似たようなものはできるだろうとやってみたコスモスは一般的じゃないのかと首を傾げた。
「そっか」
「キミの場合は各属性の力を圧縮して放つから凶悪なんだよね。数が増えれば威力は弱まるのが普通だけど、圧縮されてるだけで威力は強いままだからね」
そんな球が飛んでくると想像しただけでも普通の魔術師はゾッとするだろう。
大した計算式もなく簡単に圧縮する様も恐ろしいと言われるに違いない。
しかし、目の前の人魂は不思議そうな声を上げて小さく唸るばかり。
そんな様子を見て鎧は楽しそうに笑った。
「魔法は誰に習ったんだっけ?」
「ええと、マザーとエステル様と、あとは本を読んで」
「なるほど。マザーの娘で、母親とエステル様からの英才教育。本はどんなのを読んでたのかな?」
「誰でも分かる魔法入門から上級編までは読破したわ。あとは、よく分からないけど渡された本を流し読みして管理人が管理してるわね」
「……なるほど」
何か思うところがあるのか、鎧はそう呟いた。
「古い本とかも読んでたかな?」
「あぁ、古代文字のやつね。読んだわよ」
「……マザーはキミを書庫にでもするつもりかな」
「管理するのは私じゃないからいいけどね」
「いや、そういうことじゃ……」
「ん?」
「いいや。何でもないよ」
強化した的を相手にコントロールの精度を上げる練習をしているように言われたコスモスは、素直にその指示に従っている。
「感覚で扱うならその姿が一番適してるってことか。マザーも本当に娘として大事にしているのかそれとも……」
その先は考えたくはないが考えずにはいられない。
長く生きていると嫌なことばかり考えてしまうと思いながら、鎧は自嘲してため息をついた。




