261 副業ですか?
出発日は休日の前夜に指定した。
後で調整できると言われたが、これは気分の問題だとコスモスはカレンダーを見ながら一人頷く。
「よし、と」
本当なら週末は暴飲暴食して映画でも見たい気分だが、後の事を考えるとしょうがない。
(気分転換に遠出するのも疲れそうだから、ダラダラしてるのが一番よね)
「次の日が仕事なんて嫌だから助かったわ」
「嫌な仕事なら辞めたらいいのではないか?」
もっともな意見にコスモスは何も言えなくなる。
はぁ、とため息をついて腰に手を当てると彼女は横になる獣を見下ろした。
「それができてたら苦労しないわよ。さてと、栄養ドリンクも飲んだし準備はできた」
いつでもこい、とファイティングポーズを取るコスモスを見上げたアジュールは暢気に欠伸をする。
事前の予定通りに女神が現れ、彼女の世界に飛ばされてから何分経過しただろう。
「それでいいのか?」
「困った時には女神パワーで何とかしてもらうわよ」
「随分雑というか、開き直ったな」
「そうでもなきゃ戻らないでしょ。で、いつまでこの暗闇は続くのかしらね。まーたあの女神は何かやらかしたな」
「マスター、心の声が出てるぞ」
協力すると言わない限りあの女神は何度でもコスモスの夢に出てくるだろう。
もしかしたら現実にも侵食してくるかもしれない。
それを思えば承諾するしかなかった。
(今回は前と違って正体不明の召喚主じゃないからマシだわ)
それでも正体不明から女神に変わっただけだが、怪しいことは変わらないかとコスモスは首を傾げた。
「開いているわよ。いつものように出ていらっしゃい」
「いつものように?」
(それはつまり……こういう?)
見知らぬ声の主に外からそう言われてコスモスは上へすり抜けようとする。
ふわりと軽い体は何かを突き抜けて外へ出たと思えば、天井にぶつかって下に落ちた。
「いたっ」
「勢いをつけすぎだ」
いつもなら天井もすり抜けられるのに、と思いながらコスモスは床に転がる。
そんな彼女の前に影が落ち、ほっそりとした綺麗な手がコスモスを拾い上げた。
濃紺のロングドレスを身に纏い、頭部をすっぽりと覆うほどのヴェールを被ったその人物はコスモスの様子を確認する。
撫でられたり軽く突かれたりするが不快ではない。
コスモスはくすぐったさに笑い声を上げて彼女の手の上で転がった。
「この姿でいいの?」
「これが一番力を発揮できる姿らしいので」
「人型にもなれるでしょう?」
「なれますけど、球体が省エネで自由に動きやすいんですよね」
どこも異常はないと確認した女性はコスモスを離す。
ふわり、と浮いた彼女は感覚を確かめるように室内を浮遊する。
「うんうん、時間が開いてどうなるかと思ったけど違和感はないかな」
「その順応性の高さもどうかと思うがな」
「貴方に言われたくないなぁ」
違う世界でもすぐに慣れて寛いでいた獣は、視線を逸らしてしまう。
軽く室内を飛び回って調子を確かめたコスモスは、女性の目の前に戻って彼女が差し出す掌の上に着地した。
「自己紹介がまだだったわね。私はフォンセ。貴方達のことはルミナスから聞いているし、見ていたから知っているわ」
「フォンセ……闇の女神か」
「ルミナス様?」
「あの子は貴方をこちらに連れてきた影響で疲れたから少し休むそうよ。その間は私がサポートするから心配しないでちょうだい」
光の女神であるルミナスと違い、落ち着いた雰囲気のフォンセにコスモスは頷いた。
(神々しさはルミナス様と同等だけど、フォンセ様の方が接しやすいわ)
ルミナスがそれを聞いていたら頬を膨らませて怒っていたことだろう。だが、彼女は力を消耗して休息中だ。
「世界の主たる女神様でも、消耗激しいんですね」
「他の世界に介入するのは難しいのよ。先方の世界に迷惑をかけないように、慎重にしないといけないから」
「そんなに大変だったんですね」
「そうなのよ。禁術指定した召喚術だってバンバン使われるとバランス崩れるから調節するの大変なのに……はぁ」
実感のこもったため息に、裏で一生懸命頑張っていたのだと知ったコスモスはふと疑問を口にした。
「その禁術自体を女神様の力で消し去ることはできないんですか?」
「そうできてたら苦労しないんだけど、できないから困ってしまうのよね」
「なるほど。だから、リスクを重くしたりしているわけか」
「そう。もっと万能だと思うでしょ? でも実際にはその程度が精一杯なのよね」
困ってしまうわ、と呟きながらフォンセは部屋から外に出る。
ひんやりとした石造りの螺旋階段を上がると広い部屋に着いた。
作業部屋なのだろうか、複数ある机の上には調合で使うような器具と様々な素材がある。
積み上げられた分厚い本を眺めながら、壁を覆うような本棚へと視線をやったコスモスは、部屋の中央にあるソファーに降ろされた。
黒い鉱石で作られたテーブルの表面はつるりとしていて傷一つ無い。
「ここは作業部屋か?」
「そうよ。ほとんどここで過ごすことが多いの。他の場所が良かった?」
「いや、もっと派手で豪華かと思ってな」
「ふふっ。意外と普通で驚いたでしょ」
戸惑いながらも質の良い絨毯の感触を確かめていたアジュールは、気に入ったのか喉を鳴らして伏せた。
「ちゃんとした執務室は隣にあるのよ」
「前に私がルミナス様と会った時には、もっとこう、豪華な神殿内みたいな感じでしたけど」
「ああ。あれは彼女の趣味ね。確かにそういう場所もあるわ」
「広そうだな」
「そうよ。広いから勝手に出歩いて迷子にならないようにね。アジュールは大丈夫だと思うけど」
もし何かあれば自分を呼びなさい、と言ってくれるフォンセの優しさが身に染みる。本当に女神様だと感動するコスモスにアジュールは苦笑した。
「あ、そうだ。あの、私が飛び出たあの入れ物は何ですか? 棺みたいな形してましたけど」
気のせいですよねと付け加える前にフォンセが「棺よ」と答える。
嫌がらせか、と首を傾げたコスモスを見て彼女は慌てて説明した。
「あれが一番安全だったのよ。ルミナスは宝箱にしようとしたんだけどね」
「宝箱……」
「そう。マザーの箱入り娘だから、世界唯一の宝箱を作ろうって。貴重な鉱石を使ってどんな物理攻撃や魔法攻撃にも耐えうる宝箱。もちろん、豪華な宝石をふんだんに使って装飾するのよ」
想像したコスモスは、中身が空だろうが箱に価値がつきそうだと思った。
「でも、そんな時間もないからあるもので済ませてしまったの。不快に思ったならごめんなさいね」
「いや、悪意がないなら大丈夫です」
「あれは元々、他の人に対して作ったものなのよ」
「シュヴァルツですか?」
「ふふっ! 残念ながら違うわ。あの男をここに連れてくるなんて危険行為しないもの」
「そんな男とこれから戦わないといけないんですけどね」
そう考えると気が重いが避けて通れぬ道だ。
「ルミナス様は、シュヴァルツに対して随分と甘いようですし?」
「それは耳が痛いわね。私達が簡単に消せない存在にしてしまったのが悪いから何も言えないけど」
「シュヴァルツのせいで大勢が犠牲になっているからな。そしてその犠牲は邪神を作るためのもとになった」
前回の戦いはそれを封じた戦士達がいたから成立したが、今回は違う。
対策を練らなかったのかとコスモスが声を荒げて怒るのもしょうがないだろう。
(何かあればマザーやエステル様の力を借りるつもりだったんでしょうけど、相手はあのシュヴァルツでしょ?)
「ええ。そしてその邪神が蘇ったのね」
「そうなの。ついさっきね」
「はぁ。急なことだな。戻ってきたと思ったら状況が悪化しているとは」
だからこそコスモスがわざわざ呼び戻されたのだが。
世界を運営する女神二人がなんとかすればいいものをと思いながらアジュールはため息をつく。
「完全に蘇ったわけじゃないから、今すぐ世界滅亡というわけではないけどね」
「いっそ、滅亡した方がやりやすいのではないか?」
「アジュール」
「いいのよ、コスモス。彼が怒るのも無理ないわ。女神として怠慢だと言われるのもしょうがないもの」
パッとテーブルの上に並ぶ軽食と飲み物に驚くこともなく、コスモスはどんな顔をしたらいいのか分からなくなる。
ルミナスのような性格ならまだしも、フォンセの反応があまりにも良い人だからだ。
(それが演技の可能性もあるけど)
「下手に介入すると均衡を崩すから難しいんですよね。でもアジュールの言った通りシュヴァルツの行為を見逃して世界を滅亡させたところでどうにもならない」
「どうにもならない?」
「世界が死ぬだけってこと。まっさらにしてまた新しく構築することができないのよ」
自分の分身を作るにしても時間がかかる。ならば昔のように対抗できる人選をして彼らに託すのが一番だが、それをするにはもう遅い。
だったらいっそのことシュヴァルツ達の好きなようにさせて世界の滅亡を待つという手もあるが、そうなるともうどうしようもない。
コスモスは事前にルミナスから聞いていたのでそれを知っていた。
「できないのか?」
「できないのよね。昔、一度やってしまったから。二度はできないんですって」
「昔にやったのか!?」
「らしいわよ」
「あら、あの子はそこまで話したのね」
コスモスに一冊の本を渡してそれを読むように告げたフォンセは驚いた表情をしてそう呟いた。
「帰った私を連れ戻すくらい、切羽詰ってたようですから」
美人に助けを求められ、貴方しかいないとお願いされて二つ返事でついていく人の気持ちが少しだけ分かったコスモスだ。
自分がもう少し若かったらチョロくて大変なことになってただろうと想像する。
「最大限のサポートはするわ」
「はい。ルミナス様にもそう言われました」
「そのようね」
「なるほどな。つまりマスターは女神の武器になったわけだ」
「簡単に言うとそう。私がそうなったってことは、自動的に貴方もだからね」
「それは問題ない。私は元からマスターの牙のつもりだからな」
楽しそうに笑うアジュールにため息をついて、フォンセから渡された本をパラパラと捲るコスモスはいつの間にか人型になっていた。
この場所にいる間はさほど消耗しないので球体でなくともいいと判断したのだろう。
「すぐに突撃しようとはしないのね」
「この状況ですから、多少なりとも時間はあるんだなと。それに、無闇に突っ込んでもいいことないですからね」
「心配しなくてもいい。マスターがもしそんな馬鹿なことをするつもりだったら、私が止めていた」
「ふふっ。頼りになるわね」
なぜここでアジュールが褒められるのかと納得いかない顔をしながら、コスモスは女神に撫でられて満足気な獣を見つめた。




