260 オネガイ
解読不能なメールはあれからも送られてきていた。
どうにか解読できないものかとアジュールと頭を悩ませていたコスモスだったが、解決しないまま日々は過ぎていった。
眠っても変な場所に飛ばされることはなく、仕事に追われて悲鳴を上げるような夢を見る程度。
「はぁ。相変わらず意味不明なメールは送られてくるけど、どうしようもないのよね」
「こちらから連絡がとれない以上はどうしようもない」
今日も今日とてアジュールは部屋の真ん中で毛繕い中だ。
まるで部屋の主のようだなと思いながら、そんな彼の為にラグを新調した自分に笑う。
ふぅ、と息を吐いたコスモスは一応保存しているメールを眺めて眉を寄せた。
「解読できて返信できればなぁ」
「もう二度と戻るのは嫌なんじゃなかったか?」
「コレがある以上、平穏な生活なんて無理ってことでしょ」
分かってるくせにと呟いてコスモスはスマホを置いてテレビをつけた。
ちらちら、と視界の隅に輝くものが映る。そちらを見たコスモスは、その眩さに慌てて顔を正面に戻した。
変な夢を見ていることは分かっている。
けれど、朝になって起きれば忘れてしまう程度だ。
「ふぅ。頑張ってもこのくらいなのねぇ」
どこかで聞いた事のあるような声が聞こえるが、自分には関係ないだろうと目の前の光景を眺めた。
日差し差し込む室内で、レースのカーテンが揺れている。
心地の良い温度と雰囲気に身を委ねていれば、声が笑った。
「しょうがないわ。無理矢理呼んでるんだものね」
「……嘘でしょ」
「御機嫌よう、コスモス。それとも……」
良い声で本来の名前を呼ばれコスモスは顔を歪めながら目の前の人物を見つめた。
「もう、嫌なんですけど」
「気持ちは分かるけど、コスモスの力を借りるのが一番なんだもの」
「いや、貴方の世界の出来事なんですから、自分でなんとかしてくださいよ女神様」
何をしに彼女がこうして現れたのか聞かずとも理解したコスモスはため息をつきながらそう告げる。
しかし、女神と呼ばれた長いヴェールを被った女性は楽しげに笑うだけ。
いつの間にか出現した椅子に座っていたコスモスは、白磁のカップに口をつける女を見つめた。
「そんな冷たいこと言わないでちょうだい」
「いえ、事実です」
すっぽり覆われたヴェールで顔が見えなくとも絶世の美女だというのは分かる。
直視すれば目がつぶれ、魅了されて膝をつくのだろうと思いながら態度悪くコスモスは腕を組んだ。
「第一、貴方に召喚されたわけでもなく事故みたいなものでしたから。やっと帰れて日常のありがたさを感じているのにまた厄介ごとに巻き込まれるなんてごめんです」
「それはそうだけど……困ってるから助けて欲しいなって思うのよ」
「私がどうして言う通りにしてたのか分かりますよね」
(せざるを得ない状況だったっていうのもあるけど)
美女が悲しんで憂いているとなれば、ぐっと思う人もいるだろう。だが、コスモスは冷めた目で彼女を見つめてため息をついた。
「元の世界に帰るためよね」
「そうです。そしてそれは無事叶いました。マザーの了承も得ていますし、問題はありません」
「ええ、そうね」
「だったら、意味不明なメール送るのもやめてください。私はもう関係ないでしょう?」
少しばかり感情的になってしまったと発言してからコスモスは反省する。しかし、望んでもいないのに他の世界に飛ばされて苦労したのだ。このくらいなら許されるだろうと彼女はフンと鼻を鳴らした。
「意味不明な、めーる?」
「解読不能な文章をスマホに送ってきたでしょう?」
「すまほ?」
「携帯端末のことです」
「携帯端末に……めーる」
何のことかと首を傾げ宙を見つめる女神にコスモスは眉を寄せた。
知らないふりをしたところで騙されるものかと思っていた彼女だが、女神の頭の上に大きなハテナマークがいくつも浮かんでいるような気がして組んでいた腕を解く。
(今ここにスマホがあれば見せられるのに)
夢の中でそんなことができるわけもない。
コスモスが苛々していると、目の前のテーブルにフッと自分のスマホが出現した。
「あ、これ!」
「見せてもらってもいい?」
「はい。ちょっと待ってください。保護しておいたので」
フォルダに入れておいて良かったと思いながらコスモスはスマホを操作してフォルダの中身を表示する。
「私が帰ってきてから、こんなのが何回も送られてきたんです」
「へぇ……あらあら、本当ね」
女神に画面を見せながら一つ一つ送信されてきたメールを開封して解読不明なメールの文章を見せる。
コスモスの操作を見てどう扱うか分かったのか、彼女はメールを全て読み終わると困った顔をした。
「私ではないけれど……ええと」
「心当たりがあると?」
「そうね。一応、貴方でも読めるようにしておくわね」
そう言って返されたスマホを見て、コスモスは絶句した。
気持ち悪い文章に吐き気がする。相手を間違っているんじゃないかと女神を見れば、彼女は苦笑した。
「何ですか、この能天気で甘すぎる文章というよりポエム? あて先絶対に間違ってますよね。ラブレターだったとしても今どきこんな気持ち悪いの有り得ないですよ」
心当たりがあるなら教えてくれと女神に視線で問うコスモスに、彼女は咎めるように言った。
「コスモス、そんなことを言ってはだめよ。相手は貴方のことを思ってのことなんだから」
「……一方通行なのは、ただ気持ち悪いだけですよ」
「そうかしら。私は嬉しいけれど」
「それよりこれ、誰なんです?」
あて先を間違ったであってくれ、と祈りながらコスモスは女神の返答を待つ。
「シュヴァルツという聖騎士よ。昔色々あって、今は教会の地下で反省しているんだけど」
「嘘でしょ……あ、女神様に送るつもりで間違えたとか?」
「あら、シュヴァルツのこと知ってたのね」
話が早いわと笑う女神にコスモスは露骨に嫌な顔をしてため息をついた。
(嬉しそうに笑わないで欲しいんですけど)
コスモスは頭を抱えそうになりながらも、お茶を飲んで気持ちを落ち着かせる。
すっかり冷めてしまったと思ったお茶は温かいままで少し驚いた。
(おかげで少しだけ落ち着いたけど)
「私宛だったらこんな面倒な真似しないと思うわよ」
「私もあの人からこんな甘いポエム受け取るような関係じゃないです。気持ち悪いを通り越して怖すぎますよ」
「いい子だと思うけど」
「いい子は世界滅亡を企てたりしないと思いますけど。女神に仕える聖騎士となれば、教会の中でも地位は高いでしょう? それなのに女神に牙をむいたんですよ?」
「それは、そうだけど。あの子にも何か思うところがあったんでしょうし」
「そちらの混乱の元が、シュヴァルツだったとしても同じこと言うんですか? 封印じゃなくて消滅させるなりしておけば黒い蝶が現れて世界が不安定になることもなかったのでは?」
この場にトシュテンなり向こうの世界の人物がいたらコスモスを厳しく窘めていただろう。
彼らが崇める世界の主に対しての暴言など許されるはずもない。しかし、世界が違うコスモスとしたらどうでも良かった。
自分を巻き込むなということを視線にこめながら女神を見つめる。
翌朝、夢の中で女神と再会したことをアジュールに告げたコスモスはカレンダーを見ながらこれからの予定について話す。
夕食であるステーキを食べながら、コスモスは幸せなため息をついた。
奮発していい肉を買ってきただけあって美味しいと呟く。
「マスターがそう判断したならばいいが、どういう心境の変化だ?」
「きちんとこっちに元気な状態で帰れる保証をしてもらったわ。それと、女神の祝福と加護の強化」
「……女神の手先でいいのか?」
「そう思われるのは嫌よね」
アジュールも軽く焼いた良い肉を食べながら、幸せそうな顔をするコスモスを見上げた。
あれだけ関わりたくなかった存在と何をやり取りしたのかは知らないが、ろくなことにならない。神との取引など恐ろしい末路しかないだろうにと彼はマスターの身を案じていた。
「でも、向こうからお願いされたのよ。自分の力じゃ限界があるから、他世界の私の力が必要なんだって」
「それならマスター以外でもいいだろうに」
「マザーの娘という立場で大精霊から精霊石を授かる私と同等か、それ以上に育てるのは難しいんですって」
「だから上手く利用されてるじゃないか」
「そうね」
否定せずに焼いておいた二枚目のステーキを切りはじめるコスモスに、アジュールは盛大なため息をついた。
「マスター。神との契約は……」
「大丈夫。証人もいるし、女神様が裏切ったとしても彼女が酷いことになるから」
その時のことを思い出したのか、ふふふっと笑うコスモスにアジュールは何故か寒気がした。
「つまり、今回は女神の依頼で世界を渡るのか」
「そうそう」
面倒なことは放り投げたいコスモスの性格を知っているだけに、アジュールは皿を舐めながら今後のことを考える。
恐らく何かとても良い提案をされたのだろう。
しかし、聞いても秘密と言われるだけだ。
「目的は?」
「世界の安定ですって。具体的にはシュヴァルツの企みを阻止するらしいわ」
「らしい」
「女神様の指示だからね。それをやれば黒い蝶は自然と減るだろうって」
「あやふやだな」
「……本当。こんなことになっても封印しかできないんだから」
低い声で呟くコスモスはどこか遠くを睨みつけているように見えて、アジュールは尻尾で彼女を叩くとお代わりを要求した。
「女神の力で消せないのか?」
「シュヴァルツは女神の祝福と寵愛を受けている聖騎士だったんだけど、だから消すのが難しいんですって」
「……なるほど。人の域を超えたか。教会地下に封印されているという話も本当だろうな」
「厄介すぎるでしょ」
関わりたくないと呟くコスモスに笑って、アジュールは口の回りをペロリと舐めた。
「そんな奴とやりあう気ならば、対策はあるんだろうな?」
「正直分からないわ。女神から祝福と加護の強化は受けたけど、それがどこまで通じるやら」
「ほほう。正にマザーの娘らしくなってきたではないか」
「そうね」
ため息をつきながらの言葉にアジュールは笑う。
「迷惑かけるわよ」
「いまさらだ。気にするな」
しかしお代わりはしっかり要求するアジュールにコスモスは首を横に振った。
もう無いよと言う彼女にアジュールは赤い目を輝かせて喉を鳴らす。獣の嗅覚を舐めてもらっては困る、と低い声で言えば舌打ちで返された。




