258 目の前にぶら下がった餌
最初にそれに気づいたのは風の大精霊だった。
とは言うもののコスモスは何か違うような気がすると思うだけで、違和感の正体には気づかない。
誰かに相談しようとしたのだが、風の大精霊に制されてそれもできなくなった。
「水の大精霊様は気づいていないんですか?」
「気づいていないわけがないんだけどね」
空中で足を組みながらそう呟く風の大精霊にコスモスはこれもトシュテンに相談すべきかと考えたがやめた。
ふと、何かに気づいたコスモスが顔を上げればこちらを見つめている巫女がにこりと微笑んで手招きをする。
何かあったのかと近づくと、お茶をしないかと誘われた。
「ありがとうございます」
「ふふふ。お気に入りの茶葉なんですよ。こちらの菓子も私の手作りなんです」
「器用ですね」
巫女の部屋に案内され、すすめられるがままお茶を飲んだコスモスはその味があまりよく分からなかった。
にこにこと笑顔の巫女は皿に乗った菓子の説明や、瓶に入ったジャムは神殿内で採れた果実を使って作られたものだと教えてくれる。
ほんわりとした雰囲気も、忙しく仕事をしている神殿内の人々に比べ異質に思えてしまった。
「それで、私に何か聞きたいことがあるのでは?」
「……触れなくていいことなら良いかと」
「うふふふっ。記憶の通りの方ですね」
わけもなく冷や汗が出て言葉も上手く紡げない。美味しいお茶や菓子を食べているはずなのに味がしない。
どうしてこんなに緊張しているのかと自分でも不思議に思うほど、コスモスは椅子に積み上げられたクッションの上に座りながらカチコチに固まっていた。
「はぁ。自由に動ける僕らを神殿から遠ざけたのはこれが理由かな? 別にキミがどうなろうがいいけどさ。他所の巫女だし」
「怒っていらっしゃるのですか?」
「まさか。水の大精霊が困るならこっちも面倒なことになるから嫌だけど、そうじゃないなら勝手にしろって思うよ」
「ふふふっ。風の大精霊様ならばそうおっしゃってくださると思っていました」
他の大精霊を前にして緊張した様子もなく会話をする巫女を見つめていたコスモスは、彼女と目があって慌てて逸らしてしまった。
そんなコスモスを見つめる巫女の目はとても優しい。
アジュールはテーブルの影に潜んだまま静かにしている。
「コスモス様、おっしゃりたいことがあるのでしたら、どうぞ」
「でも……」
「遠慮はいりませんよ」
水の大精霊と似た容貌で微笑まれてはそれ以上拒否できない。
(聞きたくない。聞きたくないけど、聞けって巫女は言ってるのよね)
言いたいなら自分から言えばいいのにと心の中で愚痴りながら、コスモスはお茶を飲み干し息を吐いた。
真っ直ぐと巫女を見つめて口を開く。
「私が知っている巫女様はどこへいったんですか?」
見た目も雰囲気も声も変わらない。
霊的活力にもさして変化はないが、中身は別人だと確信している。
風の大精霊もアジュールもそれを知っているからコスモスの発言には何も言わなかった。
ただ、彼女にそう言われた巫女だけが嬉しそうに笑っている。
(この状況で笑うの?)
聞いてしまったら自分が知っている巫女が消えてしまいそうで聞きたくなかったのに。
胸の内で呟かれるその言葉を聞くのは管理人しかいない。
「どこへもいっておりませんよ。ここに、ちゃんといます」
「では?」
胸元に手を当てて柔らかく微笑むその姿は、コスモスの知る巫女と何も変わらない。
けれど、違う。
「私は初代の水の巫女です。コスモス様が救出した彼女は大精霊様を解放すべく、自らの命と引き換えに私を目覚めさせたのですよ」
「自らの命と引き換えに、初代の巫女を?」
「はい。私は彼女の祈りに応えてこうして目覚めました。やるべき事は分かっていますし、彼女の記憶を見ていますから過去のことも知っています」
どこから初代の巫女がきたのかと大きく瞬きをして驚くコスモスに、彼女は笑う。
珍しく椅子に座って菓子を摘んでいた風の大精霊は面白くなさそうにため息をついていた。
「何でこのタイミングなのかね。寿命が短いとか、力が弱まってるならまだしも」
「私も驚きました。いくら水の巫女とはいえ、私がここに眠っているのは知らないはずですし」
「じゃあ、何で」
「水の大精霊様をお守りし、対抗する手段が他になかったとでも言いましょうか。現状、王家があまりにも干渉しすぎているようですし」
「適度な距離を保っているのでは?」
陛下と巫女はその血の濃さに差があれど、同じ王族には違いない。
そして二人は良くお茶をするほど仲が良いと言っていたのを思い出してコスモスは首を傾げる。
(水面下バチバチお茶会だと思ったのは私の勘違いかと思ってたのに……)
「マクリル王国の強みは豊富な水資源です。それは立地もありますが、水の大精霊様の影響が大きいでしょうね」
「そんなことはコスモスだって知ってるよ」
「あら、ごめんなさい。ですが、それ故に最近は水の大精霊様が身を削ることが増えたようで。全く、あの方にも困りますね。ご自身が消えたら元も子もないというのに」
はぁ、とため息をついて頬に手を当てる巫女はどこか緊迫感に欠けた。
「神殿に行儀作法見習いとして貴族の子供を招き入れたのも、コーウェル侯爵家に幽閉されていたのも全ては彼女の意思ですが」
「……」
「私達の存在は計算外だったか?」
「そうですね。できれば時間稼ぎをしたかったようですがそうもいかず。ならば、組み込んでしまおうと思ったようですけど、それも上手くいかなかったようですね」
じゅうぶん成功しているように思えるが、とコスモスは微笑んだままの巫女を見つめた。
彼女は時折何かを探るように宙を見つめ、言葉を紡ぐ。恐らく記憶を見ているのだろう。
「成功してるじゃん。現にこうして君がいるわけだし」
「ええ、結果的には」
「もっと……過激にしたかった?」
「ふふふ。神殿のみ無事で周囲を水浸しになんて恐ろしいことは考えておりませんよ。しかし、王家にはもっとダメージを与えたかったようですね。私としたら当然のように大精霊様の恩恵に与りながら感謝も忘れてる国民も同じだと思いますけど」
貴族や王家の力が入り込み、ほぼ機能しなくなった水の神殿。
邪神を崇拝する侯爵家に連れ去られた巫女。
疲弊して虫の息に近かった水の大精霊。
「王家も気づいてるんじゃない? そのわりに乗り込んでこないけど」
「乗り込んで来ませんでしたが、姫様は従者と共に来られましたよ。陛下に手紙を渡してくださいとお願いして帰らせましたが」
「強い」
巫女は、にこりと微笑んでコスモスの空になったカップにお茶を注ぐと近づいてきた精霊達を軽く撫でる。
「そのお姫様の用件は?」
「何だったんでしょうね。お忍びで来たところを待っていたのですが、驚かれてしまって」
「それは、驚くでしょうね」
待ち構えていたように水の神殿の巫女に出迎えられたのだ。恐らく姫と従者達は相当驚いただろうと想像してコスモスは彼女達に同情した。
「で、彼女の目的は君を目覚めさせて自分の仕事を押し付けることってわけか。はー、迷惑」
「風の大精霊様には申し訳ないと思っておりますよ? 助力に来てくださったのも感謝しております」
「当然だよね」
にこにこ、と風の大精霊に対しても動じた様子は全くなく落ち着いている。
本当に別人になってしまったんだと思いながらコスモスは巫女を見つめた。
「で、これからどうするの?」
「どうもこうも、私達の目的は最初から変わりませんよ。水の大精霊様にお仕えして、世界のバランスを保つことです」
「それは、その、前の巫女様では無理だったんですか?」
「無理だったので私がこうしてここにいるのです」
聞かずとも何となく分かっていた答え。
はっきりと彼女の口から聞いてからコスモスは後悔した。
(そうだ。自分じゃ無理だって思ったからこうなったんだろうし)
心のどこかでそれを否定して欲しかったのだろう。
「御心配なく。歳はとっていますがそれなりの経験はありますので」
「あ、はい。あの、貴方も王族の関係者なんですか?」
「いいえ。私は王家とは何も関係ありません。ただの村娘でした」
この身は王族の血を引いていますけどね、と柔らかく微笑む巫女に風の大精霊はためいきをついた。
「早速ですが、風の大精霊様には水の大精霊様のフォローをお願いしたいのです」
「フォロー? いつもやってるんだけどなぁ」
「ふふふ。本来の彼女がいないことで不安定になっていると思いますし、このままでは大精霊の間が洪水になって神殿も水没、周辺の河川にも影響を与えて水浸しになってしまうかもしれないので」
「はぁ? 先にそれを言えよ。って、マジか……分かった。ちょっと行ってくる」
とても大変なことになっているのではないかと震えたコスモスに、巫女は笑みを崩さず風の大精霊に頭を下げた。
舌打ちをして姿を消した彼に、コスモスはお茶をしてる場合ではないと食べかけのお菓子を皿に戻した。
「えっと」
「風の大精霊様なら大丈夫でしょう」
「水の大精霊様は?」
「そのうち落ち着くかと」
とてもあっさりとした答えに拍子抜けしながら、コスモスはすすめられるがまま食べかけの菓子を再び口に入れた。
「コスモス様は、願いを叶えるものをお探しだとか」
「えっ」
「どこでそれを知った?」
咽そうになったコスモスは慌ててお茶を飲む。のそり、と姿を現したアジュールを見て巫女は「まぁ」と声を上げて微笑んだ。
「これでも私は初代ですから。そりゃまだぼんやりとはしていますが、コスモス様が異質だということくらいは分かります」
「……」
「そんな顔をなさらないでください。私は貴方をどうにかしようというつもりは一切ありません」
マザーの娘ではないことも見抜かれていそうだ。
ごくり、と唾を飲み込んでコスモスは窺うように巫女を見つめる。
「色々お世話になったのですから、少しでもお役に立ちたいのです」
「それが本心ならありがたいな」
「信用できないのは分かります。ですが、コスモス様の願いを叶える方法を知っているのも事実ですよ」
どうする、とアジュールに視線で問われてコスモスは小さく頷いた。
「確実にそれを叶える方法は分からないんですけど、貴方の言う方法は私の願いを確実に叶えられるものですか?」
「そう言われますと少々自信がなくなってしまいますが、私がお手伝いしますので可能かと」
可能だと言い切れるということはそれだけ自信があるということだ。
初代水の巫女がどんな人物だったのかは分からないが、目の前にぶら下げられている餌は非常に魅力的である。
「見返りは?」
「あら、そんなもの必要ありません。言ったではありませんか。色々とお世話になっていると」
「それは私だけではないので」
「ふふふ。マザーの御息女らしいですね。悪い者に騙されなくて良かった」
らしいとは何を指してのことか良く分からない。
だが、コスモスは先ほどから雰囲気を変えない巫女に希望を見出していた。
(望みに限りなく近い形で帰れるかもしれない。そんなこと言われたら飛びつきたくなるに決まってるわ)
「自分は悪い者ではないとでも?」
「まぁ、そうですね。見ようによっては極悪人でした」
「それをサラッと言えるほどなのだから、自信があるのだろうな」
呆れてため息をつくアジュールの頭を撫でながら巫女は穏やかな声で笑う。
「いかがなさいます? コスモス様」
「詳しい話を聞かせてください」
「はい。風の大精霊様なら大丈夫ですよ。水の大精霊様のフォローで時間がかかるでしょうから」
まるで最初からこうなることを予期していたかのような動きにコスモスは視線を泳がせる。
(もしかして、みんなの行動を把握した上で?)
「さて、ではお話しますね。コスモス様は全ての精霊石をお持ちですから、その力を利用すれば願いは叶うでしょう」
「あー、それ聞きました。でも、固定できるか分からない上に座標指定もできないからどうなるか分からないって言われて無しだなって思ったんですよ」
「普通はそうでしょうね。でも私は経験者ですから可能ですよ」
「は?」
「経験者?」
穏やかな微笑みと共に放たれた言葉は衝撃的で、コスモスもアジュールも驚きの表情で固まる。
「私の時代では禁術指定されてませんでしたから、お客様がそれなりにいたんですよ」
(確実に私の願いを分かってる人だ)
「しかし、時代は変わっている。それにお前も自分の体ではないその身でどこまでできる? マスターを危険な目に遭わせるのは避けたいんだが」
アジュールが意外と自分の身を心配してくれていることに驚き、嬉しくなる。
「確かに私の体ではありませんが、可能です。何度も見送って来ましたから」
「この場でできるということですか?」
「さすがに急にはできません。準備も必要ですから」
「どうする?」
「マザーに報告するわ。皆には悪いけど、好機を逃すわけにはいかないもの」
さすがに何も言わずに消えるわけにはいかないだろう。
自分がいなくてもどうにかなるだろうが、と思ってコスモスはマザーの姿を思い浮かべた。
(連絡を取るにしてもオールソン氏に頼むわけにはいかないし。エステル様に頼んでみる?)
「必要でしたら私がマザーに連絡をとりましょうか?」
「え、できるんですか?」
「はい。また夜に来ていただければと」
「ありがとうございます」
何を悩んでいるのかも見抜いた巫女に感謝しながら、コスモスは椅子の背もたれに体を預け息を吐いた。
大願成就も近い。




