257 くたびれ儲け?
土石で塞がれてしまった出入り口を見つめてコスモスはため息をつく。
タイミングが良かったのか悪かったのかどちらなのかと首を傾げながら、すり抜けられる自分には関係ないかと片眉を上げた。
「あーあ。これだけ埋まればどけるのは難しいね」
「そこまでして内部を調べようと思うかどうかは知らんがな」
「……死体は確認していないけど、ボスは死亡したってことでいいの?」
実は生き延びていてまたどこかで現れるのではないかと考えていたコスモスがそう言えば、アジュールは考えるようなそぶりを見せる。
風の大精霊は片眉を上げて軽く笑った。
「逞しくなったねぇ、コスモス」
「確認は大事でしょう」
「そうだけど。あれだけの光景見ても叫ばないし」
ちょっと寂しいな、と悲しげな笑みを浮かべる風の大精霊にコスモスは眉を寄せた。
視線を下げればアジュールが小刻みに震えている。
(二人とも私のことを馬鹿にして。確かに気持ち悪いとは思ったけど)
「儀式の最中にしては、雑な死に方でしたからね。一番目立つところで予定外のことが起きてるくらいは分かりましたし」
「とりあえず、戻ろう。ここにいても仕方がないだろうし、騒ぎを聞きつけて外の見回りをしている騎士もやってくるかもしれない」
「見つかったところで認識されないですけどね」
「いいから、戻るよ」
すり抜けられるのだから自分と風の大精霊はもう一度現場に戻って死体の確認ができるはず。
そう思ったコスモスだったが、むんずと掴まれて視界がブレる。
何が起こったのかと思った時には、崩落して塞がれた出入り口は小さくなり見えなくなっていた。
風を切る音を面白いと思いながら聞いていられるのは防御膜に包まれ害がないからだ。
「お帰りなさい。大変だったようですね」
そして気づけばトシュテンが仕事をしている部屋の中にいる。
視界がぐるぐる回る感覚に大きく体を揺らしながらコスモスは唸った。
「あ、ごめんコスモス。いつものクセで素早く移動したものだから酔っちゃったかな?」
「はぁ。風の大精霊様、これは酔うどころの話ではありません。御息女ですからこの程度で済んだようなものの、他であったなら原型を留めているのは貴方が触れてる箇所だけだったでしょう」
「えぇーそんなことないと思うなぁ」
ぐったりしているコスモスに近づいたトシュテンは、その様子を見てため息をつく。
彼女に手を翳して回復術を唱えるトシュテンの背後では、全く悪びれていない風の大精霊が高めの声を出して首を傾げていた。
「あー……あ?」
眩暈が落ち着いて、気持ち悪さも軽減する。
スッと痛みが引いていく感覚にそのまま寝そうになったコスモスだったが、ゆっくりと体を起こす。
本人にはその感覚も、他から見ていると軽く球体が浮かび上がっただけである。
「はぁ」
「少しは落ち着いたようですね。御息女、お水です」
「ありがとう」
差し出されたグラスを受け取るも、支えられながら彼女は水を一気に飲み干す。
お代わりを貰いながら二杯目を飲み干したところで大きく息を吐いた。
「風の大精霊様なら瞬間移動もできそうなものですけど、ああするしかなかったんですか?」
「瞬間移動ね。出来るけど、あまり力は使いたくなかったから。それにコスモスなら耐えられると思って」
「他なら千切れて欠片しか残らなかっただろうな」
「……風の大精霊様」
アジュールの言葉に表情を険しくするトシュテンだったが、直接大精霊に暴言を吐くこともできずただ目を鋭くさせる。
そんな彼に動じた様子もなく、風の大精霊は楽しげに笑みを浮かべていた。
「相手にするだけ無駄よ。命に別状がないの分かってるからやったんだろうし」
「マスターはそのまま休んでいるといい。説明は偉大なる風の大精霊様がしてくれるからな」
「えっ、いいけどさ。アジュールも本当にいい性格してるよね」
「褒めていただけるとは恐悦至極」
感心したように獣を見下ろす風の大精霊に、青灰色の獣は顔色一つ変えずにトシュテンへ視線を向けていた。
その精神的な強さに驚き、笑いそうになるのを堪えたトシュテンは深呼吸を繰り返すコスモスを膝に乗せてソファーに座る。
いつもなら嫌がって逃げる彼女だが、今はそれどころではないのか大人しい。恐らく体力を回復させることに集中したいのだろう。
二人から報告を聞き終えたトシュテンは深いため息をついた。
「はぁ」
ここへやって来てから一体どのくらいのため息をついただろうか。
数え切れないくらいでもう数えるのも嫌になったと思いながらトシュテンは凝り固まった眉間を指で揉みほぐした。
「そうでしたか。お二人も無事で何よりです。死体の確認は確かに大事ですが、風の大精霊様が生命反応無しと断定しているのなら大丈夫でしょう。アジュール、貴方も同じですね?」
「ああ」
二人が崩落したあの場所に生命反応はないと断定しているのなら今後出てくる心配もないだろうと、トシュテンは頷いた。
「死霊化とか、死体とか、不死身とかそれ系ではなくて?」
「それ系だったとしても、間違うわけがないよ。安心していいって、コスモス」
「……」
「あっ、この僕を信じてないんだ?」
疑うんだ、と呟く風の大精霊にコスモスは無言の笑顔で返す。
他の人には自分の表情を読み取れなくても、恐らく風の大精霊にははっきり見えているだろう。
「邪神を崇拝する教団が一つ潰れたんだから喜ぶべきなんじゃない?」
「そうですね」
「あの二人に共通点はなかったのかしらね」
「調べるにも時間はかかるでしょうね」
邪魔になる相手を殺害したのだとしたら、他の教団からの刺客か。
邪神を崇める集団はいくつかある。しかし互いに協力することはない。
(邪魔と言えば邪魔よね。相手の信者を取り込むならあんなことしなくていいはずだし)
「彼は、私達が来るのが分かっていたのよね?」
「それらしいことは言ってたね。でも、それが僕らに向けて言ったことかどうかは分からないけど」
「他の誰かだとしても、同じ事を言っていたかもしれないということか」
「そう」
自分達が来ることを予期していたというのは考えすぎだったかと思いながらコスモスは水を飲む。
見回り中の騎士であっても、壊滅させるために依頼された傭兵であっても同じだったのかもしれない。
風の大精霊とアジュールの会話を聞きながらコスモスは空になったグラスを見つめた。
「それで、どうするのかな?」
「それとなく騎士団に情報を流しましょう。御息女は休息を。お二人は似顔絵を作成しますのでお待ちください」
回復したから平気だと告げるコスモスを無視してトシュテンは風の大精霊とアジュールへ視線を向ける。
軽く了承する風の大精霊と、無言で頷く獣に頷いてトシュテンは空になったグラスに水を注いだ。
「ルーチェの力は利用しないんだ?」
「父親が嫌がるだろうからな。あの力は便利だが、疲労も大きいようだ」
「え、そうなの?」
占い師として路銀を稼いでいた時にもやっていたと本人が言っていた失せもの探し。
魔獣を探す時にも助けてもらったが、そんなに力を消費するとは思わずコスモスは視線を落とした。
「知らないうちに負担かけちゃってたのね」
「そこまで気にすることではないだろう。彼らは彼らの目的でこちらを利用してる。私達もまた、私達の目的で彼らを利用している。それを理解した上で同行してるんだ。そんな事を言ったらあのお嬢さんに怒られるぞ」
申し訳ない事をしたと思ったコスモスだが、アジュールにそう言われてハッとする。
確かに、危険で嫌なことならばレイモンドが頑として止めるだろうしルーチェも無理をしてまで頑張ることはしないだろう。
自分達の目的の為ならまだしも、今はこちらにつき合わせてばかりだ。
「本来なら私達と一緒に旅をするなんてできなかったでしょうからね。彼らにとっては千載一遇だと思いますよ」
「ふふふ。逞しくなったなと思ったけど、やっぱり甘ちゃんだ。コスモスはそうじゃなくちゃね」
「すみませんね」
にこにこと笑顔で見つめてくる風の大精霊にそう返し、コスモスは眉を寄せた。
「僕らの姿があっさり認識できるってことは、それなりの強い力を持っていると判断すべきだね」
「そこが一番頭が痛いのですよ。風の大精霊様やアジュールはともかく、御息女はコレですからどこで襲われてもおかしくないでしょう?」
(あれ? 馬鹿にされてない?)
人が大人しく回復に集中しているのを良いことに言いたい放題だなと思うコスモスだが口には出さない。
額に手を当てて目を伏せ、ため息をつくトシュテンは自分の失言に気づいていないようだ。
(いや、この男ならわざとだったとしても笑顔で流すだけだわ)
「ああ」
「分かる」
風の大精霊とアジュールも納得するように大きく頷くのも気に入らない。
いざとなればすり抜けて回避して逃亡すればいいんだろう、と心の中で叫びながら彼女は水を飲んだ。
「でもさ、今までだってやろうと思えばできたわけだよね? しなかったってことはそんなに心配しなくてもいいんじゃないかな」
「マスターならいざとなっても自力でどうにかできるだろう」
一度死にそうになった件はなかった事にされてるのか、誰も真剣に心配している様子はない。
(皆の言う通りではあるんだけどね。現状だって死んでるようなものだし。ん? 肉体に戻るまでの制限時間とかあったら終わりじゃない)
自分の望む形での帰還ができなかった場合、例え戻れたとしてもホラーにしかならない。
そんな未来を想像してコスモスは顔を青くした。
(五体満足なのは当然、この世界にくる寸前と変わらぬ健康体で、ついでに肩こりや腰痛、眼精疲労も治ってたりする状態で夢かと笑って済ませるように元の世界に戻りたい!)
エステルが聞いていれば呆れた顔をしてため息をついていただろうが、コスモスの心の声を聞くのは二人の管理人のみ。
二人とも否定するわけがなく、ニコニコと笑って力強く頷いていた。
コスモスならやればできる、とでも言うように。
「精霊石は集め終わったけど、神殿を襲撃したりする存在やシュヴァルツの目的、他にある邪神崇拝者たちの動向、何より増加傾向にあって各地で目撃されてる黒い蝶とか問題が多すぎるのよね」
全部解決しようなんて思ってないけど。
そう呟くコスモスにアジュールは笑う。トシュテンは片眉を上げたが何も言わず膝の上の彼女を優しく撫でた。
「黒い蝶は邪神崇拝者たちの成れの果てなんだろう?」
「今のところは」
「他にもありそうな言い方だね」
「だって、ミストラルの成人の儀を御存知だと思いますけど、あの蝶が大量に出たんですよ? あれほど酷い状態は他では見てませんけど」
一人の狂信者から生まれる黒い蝶はどのくらいなのか分からない。
だが、こちらの世界についてから見ることになったあの光景は未だ鮮明に覚えている。
可愛らしくてしょうがないソフィーアを思い出しながら、コスモスは頬を緩ませた。
「あれは、出席していた他国の人々にとっても衝撃だったようですからね。それを見事におさめられたソフィーア様も御立派でしたが」
「んー、あれってコスモスが手伝ったんだろう?」
「そうですよ。さすがは隣国。見てますね」
「あの子の守護精霊は風の精霊だから、そりゃ当然さ」
ぱち、とコスモスと風の大精霊の目が合う。
ほぼ同時に微笑み合うと風の大精霊が目を逸らした。
(なるほど。さすがは大精霊。その程度ならお見通しってこと。でも、何も言ってこなかったのは管轄外だから? 関係ないから?)
どちらにせよ、ソフィーアに守護精霊がいないという事実は極秘事項である。
国が揺らぎ、世界から白い目で見られかねない。
ミストラルなど小さな国は耐えられないだろう。
(マザーの指示で私が関わっていたなら、様子見でいいかと思ったのかしらね)
「なるほど。守護精霊の力が強いのかと思いましたが、御息女が補助していたのだとしたらあの威力も納得できますね」
「なに?」
「いえ、御息女は素晴らしいなと改めて思っていただけですよ」
「マザーの指示だからマザーを讃えたら?」
「それは日々、毎秒しております」
(ああ、そう)
ちょっとドン引きだわ、と声に出すコスモスに風の大精霊も同意した。




