253 ただの親切心です
コスモスが検査されている間、アジュールは一通り探索を終えたのか大精霊の足元で伏せながら終わるのを待っていた。
「ふむふむ。うーん……これは、違うな」
「もう終わります?」
「そうだね。うん、つまらない」
「何ですかそれ」
「つまらないほど異常なしってこと」
何か異常があってほしかったのか、と軽く大精霊を睨むコスモスだが彼は気にもとめない。
手の中にいるコスモスをぐにぐにと触りながら険しい顔をしていた風の大精霊はため息をつく。
「マーキングくらいしとくかなと思ったけど、あるのはあの神官の気配くらいだし」
「あぁ、迷子にならないように目印つけられたやつですね」
「それでいいの?」
「今のところ困ったことはないですね。ここにいるのも分かってるとは思いますけど」
「……ふぅん」
「本人には聞きませんよ。聞いたところで答えてくれるとは思ってませんし、知ってたとしても機密事項でしょう? 知らなかったら不信を植え付けるだけになりそうですし」
風の大精霊が聞きたそうなことを先回りして答えたコスモスに、彼は少し意外そうに目を見開いてから笑った。
「その通りだろうね。で? コスモスはどっちだと思ってるの?」
「知ってると思います。何となくですけど」
「そうだな。胡散臭いだけにそのくらいは当然知ってるだろう」
「教会側としても機密事項なんだけどねぇ。漏れてないならちゃんと守られてるってことだけど」
知っていても驚かないと鼻を鳴らすアジュールに、風の大精霊はニヤニヤしながらコスモスを撫でる。
浄化された部屋は誰も来ることがないので居心地がいいのだろう。
「また面倒なことになっちゃったね」
「えっ、何で他人事なんです?」
「だってコスモス、アレに気に入られてるみたいだし」
嬉しくない。
喜ぶとでも思うのかと尋ねるコスモスに、風の大精霊は腹を抱えて笑うだけ。
こっちは真剣だぞと告げても更に笑い続けるだけだった。
アジュールはため息をついてその光景を眺めている。
「それでこれからどうします? この場の浄化は終わって私も特に異常なし。懸念事項はこの場を浄化したシュヴァルツの存在ですよね」
「一番はそれだね。最優先事項と言ってもいい。封印されてるはずのアレがここにいる理由、その方法。封印を確認するのも少し危険かな」
「大精霊様なら遠隔でも分かるんじゃないですか?」
「できないことはないけど、力の消費も激しいんだよね」
「その隙を狙われるという可能性もあるわけか」
それはいけない。
そう呟いてコスモスは小さく唸った。
直接マザーに聞いてみるという手もあるのだが、正直に答えてくれるかどうか。
「天使の眼の情報を得るためにも本部には行きたいと思ってましたし、やっぱり行くしかないですかね」
「あぁ、そっか。アレは大喜びじゃないかなぁ」
「だから、そういうこと言うのやめてくださいって」
「ところで、この部屋は一体何だ? 説明もなしに終わりか?」
ため息をついたアジュールが話題転換とばかりに石碑を見つめる。
物言わぬ石碑を見下ろしたコスモスはそこに書かれている文字を読んで眉を寄せた。
「水の大精霊と神殿の礎になる魂たちここに眠る?」
「そうそう。コスモスは未だに王家を警戒してるようだけど、今の巫女も王族だったからね。ま、直系じゃないけどさ」
「は?」
「贔屓というわけではなさそうだな」
興味深そうに鼻を鳴らしたアジュールにコスモスは声を上げる。
そういえば風の大精霊は気になることを言っていたと。
「血、ゆえにってそういうことですか」
「そういうことなんじゃないかな」
水の大精霊は優しすぎるがゆえに人の子の願いを叶えようと身を削っていた。
身を削れば大精霊の存在が危うくなり、そうなってしまえば世界のバランスも崩れる。
水を司る大精霊が消えるというのは非常に危険なことだ。
それを理解しているのかいないのか、とコスモスは考えて首を傾げた。
(優しすぎて人の為にと思うなら、そんな無茶しなそうに思えるんだけど)
そこまで考えずに自己犠牲してしまうのだろうか。
(それはそれで迷惑なんだけどね。他の国はとばっちりを喰らうわけだし)
森で回復しようとじっとしている水の大精霊の姿と、風の大精霊に説明されたことを思い出してコスモスは王家が必死になってまで神殿を守る理由がなんとなく分かったような気がした。
「しかし、王族とここまで近い神殿も無いのではないか?」
「うーん。無くはないけど、珍しいよね。水の大精霊は恩恵を、王家は質の良い贄を。本人達が良ければそれでいいんじゃない?」
昔からの関係性なので国民も特に何も思っていないのだろう。
寧ろ尊いことだと喜び、敬う。
そんな積み重ねでやってきたのだとしたら、今回の事件は相当驚いたのではないか。
「王家に対する信頼が揺らいだのか、それとも神殿に対する尊敬の念が薄くなったのか。あとは、大精霊を軽んじているのかな……あぁ、そっか邪神崇拝者が中心になって騒いでたんだっけ」
「コスモスの独り言面白いよね」
「本人なりに考えをまとめようとしているのだろう。基本、マスターを認識できるものは稀だからな」
「そうだねぇ。コスモスの許しがなければ認識できない。更に強化されて良いことだよ」
にこにことご機嫌で笑う風の大精霊はやっと機嫌を直したようだ。
「水の大精霊様とマクリル王家を引き剥がそうとはしなかったんですか?」
「したよ。でも、有効な手がなくてね。下手をすれば水の大精霊が消えることにもなりかねないから面倒なんだ」
「そこまで深く絡みついてるということか。それは厄介だな」
「そうそう。この場所も本来なら無いほうがいいんだ。でも、無いなら無いで水の大精霊が不安定になる。あればあったで澱みが溜まるから定期的に浄化しなきゃいけない」
その役割も神殿の中では巫女が担っていると聞いてコスモスは頷いた。
「澱みを放置してれば、それはそれで水の大精霊様が不安定になるんですか?」
「そうだよ。面倒くさいだろ」
「ふむ。それでは、マクリル国は王家が水の大精霊と結びつきが非常に強いため、それを盾に外交もできるわけだ」
水を司る象徴でもある大精霊が一国に掌握されているような状態を他の国が許すわけもない。
下手をしたら戦争だろう、と想像したコスモスはアジュールの言葉を聞いて眉を寄せた。
「だから、あの神官がいい仕事をしてるわけさ」
「オールソン氏のことですか?」
「そうそう。監視役として教会の目が厳しいはずなんだけど、それを掻い潜ってコレだからね。おまけに王都にある教会では神官が数人不審死を遂げている。事故として処理されてはいるけど」
「はぁ?」
思わず変な声が出てしまうのもしかたがない。
いくら邪神崇拝者が暗躍しているとはいえ、そう簡単にやられてしまうものなのかと驚いた。
「貴族内部にも入り込んでいたんだろう? だったとしたら王城に忍び込んでる可能性も高い。早急な対処をし損ねたマクリル王家はどうするのやら」
「なるほど。派遣された騎士団が大人しくオールソン氏の指示を聞いてるのも、そう命令されたと考えれば分かりますね」
「理由なき教会の介入、巫女にも次ぐような大事な仕事をこなしながら神殿内の管理もほぼ任されているだろうからねぇ。王家としては正直嫌だろうけど、そんなこと言ってる場合じゃないし」
「未然に防げなかった責任は重いだろうな。神殿を完全に掌握しようとしていたのは自分のところの貴族だ。いくら邪神崇拝者と成り果ててようと管理不足と言われてても一応は自分の臣下だからな」
家の取り潰し、一族郎党全て罪人として処刑か国外追放か。
そう呟くアジュールにコスモスは言葉を失くす。
しかし、冷静に考えればそれで済むだけまだマシだろう。
マクリルと神殿を完全に切り離せという声が上がるに違いない。
「初手も悪いからね。よりによって、大精霊と巫女が不在の時に、訪れたコスモス達を殺そうとしたわけでしょ? マザーの娘であるコスモスを殺害しようとしたっていうのもマズイよね」
「……水の大精霊様が自己犠牲厭わず人の為に、マクリル国のため? に彼らの願いを叶えようとするのは自分に王家の魂が吸収されてるからなんですかね? 巫女様も遠縁とはいえ王家の血筋なんでしょう?」
「巫女を選ぶのは大精霊の意思。仮に、生贄として捧げられた王家の者の命が大精霊に溶けているとしたら、巫女に王家の血筋を選ぶのも当然というわけか」
ちらり、と答えを待つように主従は苦笑する風の大精霊を見つめる。
「そんなことあるわけないじゃん。偶然だよ、って言えたら良かったんだけどね。水の大精霊とマクリルの関係があまりにも濃いからこうなるんだよね。マクリル国が興るまではこんなんじゃなかったんだけど」
「あの、多分ですけど今の水の大精霊様はマクリル王家との繋がりが薄いんじゃないですか?」
「え? そうかな……あぁ、でも……え?」
「王家としては表に出さなかったとしても、水の大精霊との強固な絆は他の何にも変えがたい誇りであり自慢だろう。自らそれを手放すとも思えんが、何か理由でもあるのか」
前を知らないので何とも言えないコスモスは、もじもじしながらちらちら風の大精霊を窺う。
そしてこの場には風の大精霊とアジュールと自分しかないのだと気づいて息を吐いた。
「行方不明の大精霊様を見つけたときに、瀕死状態だったって言ったじゃないですか」
「そうだね」
「本当にマズイ状況で、それはもう巫女様が自分の命を消費しようとしてたくらいだったんですよ」
そうならずには済んだが、とやっと探し当てた水の大精霊のことを思い出す。
「でも、周囲の水の精霊の力や自然の生命力でゆっくり回復していったようなんですけど」
「うん」
「私達が大精霊様を見つける前に、大精霊様は自分が吸収した生贄の魂を消費してたりして? と思って」
そんなことが可能なのかは分からない。だが、風の大精霊が言うほど水の大精霊から王家の匂いがしなくてもしかしたらと思ったのだ。
(直接会ってはいないけど、ルーチェと仲良くなったお姫様の気配を思い出せば、巫女様の方があれに近い匂いだもの)
「……巫女と比べてどう?」
「うーん。顔を出すお姫様と直接会ったことは無いけど、遠くから見たことはあるわ。あれを基準にすれば確かに巫女様の方が繋がりは強いと思う。でも、水の大精霊様は薄いのよね。全く無いというわけじゃないけど」
「うわ、アイツそんなことまでしていったのかよ。理由が分からなくて気持ち悪いんだけど」
暫く黙って考えていた風の大精霊が何かに気づいたかのように嫌な顔をする。
「一人で盛り上がられても困るんだが」
「アレだよアレ」
「ライト……シュヴァルツですか?」
未だにあのライトがシュヴァルツであるという事実が上手く受け止められないコスモスは怪訝そうな顔をしてそう尋ねた。
「そう。アレならできる」
「え、だから何を?」
「水の大精霊を支えるものでもあり、ある意味縛り付ける鎖でもあるこの場所の浄化」
「ああ、澱みの浄化やってくれてましたよね」
「勝手にやった、ね?」
真剣な表情でそう言われてコスモスは必死に頷く。
ライトことシュヴァルツに関しての発言は気をつけようと思いながらため息をつく風の大精霊を見つめる。
「浄化というか、消滅だよね」
「え?」
「消滅。残留思念も魂の一部も全て消し去って行きやがった。あいつ絶対分かってたやったな!」
叫びにも近い声でそう言う風の大精霊にコスモスは慌てて集中する。
深呼吸をして探れば、室内に感じる気配は自分達と精霊のみ。
風の神殿地下に巣食ってたような気配は感じられない。
「いつもなら、ここには今まで生贄になった人の魂や思念が集まってるんですよね?」
「そうだよ。水の大精霊とも密接に繋がってるから下手に切れなかったから残すしかなかったの」
「ふむ。しかし、それをあの男は見事にやってのけたというわけか。水の大精霊に被害を与えることなく」
「そうだよ。だから、アレはきっと水の大精霊が王族との繋がりが弱くなったのを知っていたんだろう」
油断ならないと呟く風の大精霊に、鼻を鳴らすのはアジュールだ。
「今までの話を聞いていれば、あの男がそれを知らずにやった可能性の方が高いと思うのだが」
「繋がりが消えて大精霊が不安定になればいいってこと? シュヴァルツが邪神の右腕だとすればそれもそうかしら」
いいことをしたように見せかけて本当はというやつか。
優しい表情と穏やかな声色にだまされてしまいそうになるのも仕方ない。
(油断するなって言われたけど、難しすぎるわ)
「それが普通だよね。そうなんだよなぁ」
「え?」
「アレは水の大精霊をどうにかしようってつもりはなかったはずだ。瀕死になることで吸収した今までの魂や命を消費すると知っていたとすれば、先回りして浄化したのも分かる。ただ、理解できないのはその理由だ」
「マスターに聖炎で浄化されてはまずかったわけか」
「結局、その場凌ぎだからね。僕はいつものことだからコスモスに頼めばいいやって思ったけど」
まさかその思考まで読んでたわけじゃないよね、との呟くに寒気がする。
相手は大精霊だぞと言いかけたコスモスだったが、教会本部地下で厳重に封印されているはずなのにこの場に現れた時点で有り得るかと苦笑した。
何よりも実際に会ったことがあるらしい風の大精霊が本物だと認めている。
「でも、そんなことして気づかないほど大精霊様って鈍いですか?」
「他はそうもいかないだろうけど、相手が水の大精霊だからね。はぁ……本人に言うにしても不安定になられたら面倒だから隠しておくか」
「もし、全てあの男の計算通りだとしたら勝ち目はないな」
「あるとしたらコスモスが気に入られてることくらいだよ」
「ああいうのは気まぐれで、興味をなくせばあっさり捨てるものですよ」
確かにシュヴァルツは美形だが、それにあっさり騙されるとでも思うのか。
(思われてるんだろうなぁ)
考える間もなくすぐに返ってきた言葉に風の大精霊は楽しそうに笑う。
「とりあえず今回は、ラッキーと思っておきましょう。後でこっそり水の大精霊様の検査もするんでしょう?」
「しないといけないだろうね。あぁ、こうなるなら来るんじゃなかった。でもしょうがない。コスモスも手伝ってよ」
「できる範囲でやりますよ」
はぁ、とコスモスがため息をついたと思えばコンコンと扉がノックされる。
「どうやら時間のようだな」
「このまま抜けるからお前も早く離れろ」
コスモスがありがとうと声をかければ、アジュールが短くそう告げる。
扉の近くからアルズの気配が消えたのを確認してから、コスモスは風の大精霊に掴まれて、アジュールは影に身を潜めその場から消えた。
随分とご機嫌ですねと言われて首を傾げた男に、自称占い師の男は笑う。
「計画が順調のようで何よりです」
「ええ、我らが主も目覚めましたからね。こちらに来るまでそう時間はかからないでしょう」
「それは素晴らしい。私は主をお迎えする準備をいたしましょう」
「頼みましたよ」
優しく微笑んで穏やかに告げる。内容はとても物騒なものだが、その存在と雰囲気に頭が混乱しそうだと占い師は心の中で呟いた。
全てを見透かすような瞳の前では下手なことを言えば命取りになる。
一礼をして去った占い師の男の足音が消えてから、残された男は「ふふふ」と笑う。
「この身も悪くありませんね。本調子には程遠いですが、仕方ないでしょう」
コスモスにライトと名乗り、風の大精霊にシュヴァルツと呼ばれた男は自分の右手を握ったり開いたりしながら感覚を確かめる。
ゆったりと歩いて着いた先は自分の部屋だ。
(彼女は失望してしまいましたかね)
想像に容易いことをわざわざ考える。
せっかく仲良くなれたと思ったのに自分の手で壊すことになってしまったのだから当然だろう。
残念と呟いて彼は小さく笑った。




