252 早い再会
いくら風の大精霊とはいえ他神殿の封印を許可なく解く暴挙はどうなのかと思ったコスモスだったが、彼はスゥと吸い込まれるように扉の奥へ消えていく。
「……来いってこと?」
「共犯か」
「帰ろうかなぁ」
「そうするか?」
コスモスとアジュールは目を合わせると、同時に頷いて怪しげな扉から離れようとした。
「ちょっと待って。何でついてこないかなぁ?」
「え、大精霊様の罪を擦り付けられるの嫌ですし」
「何かやりたいならば、一人でやればいいだろう」
「ヤダー二人とも冷たいー」
何を企んでいるのやら、と扉から顔を出す風の大精霊に冷たい視線を向ける人魂と獣。
ノリでついて来るとでも思ったのだろうかと、二人はとても冷静に風の大精霊を見つめていた。
頬を膨らませて唇を尖らせる大精霊にも特に反応しない。
はぁ、とコスモスのため息がやけに響く。
「この先にはコスモスの力が必要なんだよね」
「……聖炎ですか」
「察しが良くて助かるぅ」
「大精霊くらいならその程度一人で何とかできるだろう。マスターを巻き込むな」
おいでおいで、と手招きをする風の大精霊にコスモスはため息をつきながら呟く。
彼女の一歩前に出たアジュールは軽く威嚇するように唸る。
「そう言わずにさ」
「分かりましたよ。大精霊様がそう言うってことは自分でやるのは面倒なんでしょう?」
「コスモス、僕の扱いが雑になってきたね」
「気のせいだと思いますよ」
慣れてきたというのはある。この程度の扱い方でも怒ることなく面白そうに笑う姿を見てコスモスはうんざりとした顔になった。
「第一、聖炎が必要な状況って相当マズイじゃないですか」
「神殿内にこんな場所があるということもな」
深いため息をつくコスモスに頷くアジュール。
神殿の闇なんて知らなくてもいいことだと呟く彼女に風の大精霊は苦笑する。
「いいからおいで。君は一応知っておくべきだろう」
「水の神殿の闇を?」
「水の大精霊から精霊石を直接授かってるからね」
「そういうものですか」
「そういうものなんだよねぇ」
どこかで避けられないと思っていたコスモスはやる気なさそうにのろのろと動く。
封印された扉から半分体を出していた風の大精霊はそんな彼女を見て小さく笑うと再び扉の向こうへ消えていった。
「マスター」
「はぁ。問題が起こるのが先か後かの問題かなぁ?」
「あぁ、それはあるな」
「できれば無しでお願いしたいけどね」
「その時は“何も無かった”ことにすればいい」
さらっと言ってくれるアジュールの言葉がありがたい。
コスモスが扉に触れる前、軽く振り返って誰もいない場所に向かって声をかけた。
「アルズ、何かあったら教えてね」
答えはないが気にせず彼女はそのまま扉の奥へ消えていく。
厳重に封印された扉も彼女にとっては意味がないようだ。
他の障害物と同じようにするりと通り抜けた先でコスモスは眉を寄せる。
広い部屋の中央には石碑のようなものがあり、その近くに誰かがいる。
扉の近くで警戒している風の大精霊を見てコスモスは首を傾げた。
「鎮魂歌か」
綺麗なハープの音色が広い室内に響き渡りそれを奏でている人物にコスモスは心当たりがあった。
(え、何でここに?)
彼はあそこから出られなかったのではないかと疑問に思い、近づこうとした彼女は風の大精霊に制止される。
「何でお前がここにいるんだ」
「悲しみに沈む泣き声を宥めるのも私の役目ですから」
静かな声で優しくそう告げる彼に風の大精霊は眉間に皺を刻む。
大精霊を前にしても動じることなく、ハープを奏で続ける男にアジュールが低く唸った。
(大精霊様もアジュールも警戒態勢だわ)
「貴方が彼女にやらせようとしたことを、私がしただけですよ。何も問題はないでしょう?」
「僕はどうしてお前がここにいるんだと聞いているんだけど」
室内は中央に石碑がポツンと置いてあるだけで他には何もない。
嫌な空気が漂っていることもなく、綺麗な音色で満たされた部屋は居心地がいい。
入る前に嫌な感じがしたが、あれは気のせいだったかとコスモスは首を傾げる。
「そう警戒しないでほしいな。困ってると思って助けになれたらいいなって思っただけだから」
「本当かなぁ?」
綺麗な笑顔、優しい言葉に美しい音色。全てが完璧で非の打ち所がない。
そんな彼に思わず疑問を口にしたコスモス。
「疑われてますね。この状況ではそれも仕方ありませんが。元気そうで何よりです、コスモス」
「ライトも胡散臭い登場ありがとうございます」
礼を言うのは違うような気もしたが警戒と虚勢が混ざった感情ではそう言うのが精一杯だ。
探る視線を弾き、受け流しながらコスモスはライトを見つめる。
彼は相変わらず穏やかに微笑みながらハープを弾いているだけだ。
「ふふふ」
「詳しい説明をと言ったところで無理なんでしょうね。で、これからどうするつもりなんです?」
「今回は本当に手助けに来ただけですよ。困っているのではないかと思いまして」
攻撃態勢に入ろうとしている大精霊とアジュールを止めながら、コスモスはふわりと前に出た。
室内にいる水の精霊達にも異常は見られない。
「困ってることなら他にもたくさんあるんだけど」
「そうですね。助けてあげたいのは山々ですが、私もそろそろ帰らなければいけない時間なので」
「あら、ずるい」
「また会いましょうね」
ふんわり、と優しい笑顔を浮かべてそう告げるとライトの姿がその場から消えた。
彼の近くにいた精霊達は寂しげに彼がいた場所に集まって鳴いている。
それが気に入らないのか、風の大精霊はその場に移動して足で乱暴に精霊達を退けた。
「コスモス、アレと知り合いなわけ?」
「舌打ちして睨みつけながら聞いてくるのやめてもらえますか」
「大問題なんだけど」
「拘束して地下牢にでも転がしておきます?」
「すり抜けて終わりだろ」
全身で不機嫌を表していた風の大精霊は、投げやりなコスモスの言葉を聞いてため息をついた。
額に手を当てて軽く頭を左右に振り「有り得ない」と呟く。
「風の大精霊様の目的は達成しました?」「そうだね。おかげさまでね!」
「私に八つ当たりしてもしょうがないと思いますけど」
「じゃあ聞くけど。アレとコスモスの関係は?」
部屋から出る気配もなく、風の大精霊は腕組みをしながらコスモスを見下ろす。
無視して帰るわけにもいかなそうなので、彼女はため息をついて答えた。
「夢? か何かで会って話しただけです。特に害があるようにも思えなかったけど油断はしてません」
「……本当かなぁ?」
「さっきも特に害を与えるような雰囲気はなかったと思いますけど」
ライトが来る前の状況は分からないが、少なくとも今のように清々しい空気ではなかっただろう。
コスモスに聖炎を使わせようとしていたくらいなのだから、恐らく浄化目的だったはずだ。
(ライトはハープを奏でるだけで浄化させられるの? 水の大精霊様の演奏も上手いけどライトも上手いのよね)
「油断してるんじゃないかなぁ」
「正直、本気出されたら私なんてすぐに消滅すると思います」
「ということは、向こうが上か」
「読めない、見えない。探るにしても私程度の力じゃ無理よ」
コスモスがあんな対応ができるのも相手がそれを許してくれているからだ。
彼女の言葉に何かを考えるように尻尾を揺らしたアジュールはライトがいた場所まで移動すると匂いを嗅ぎはじめた。
「わざとらしい痕跡は残しているが、この程度では何とも言えんな」
「まさかコスモスに接触してたなんて思わなかったよ。本当に何もされてないんだろうね?」
「私が知る限りでは」
「……コスモス、悪いけど後で身体検査するよ。精神干渉もするし、少し荒っぽくなるけど我慢してよね」
有無を言わせぬ言葉に嫌だと言えるはずもなくコスモスは頷いた。
どうやら風の大精霊がピリピリするほどライトの評判はよろしくないらしい。
「風の大精霊様はライトと知り合いなんですか? 私よりもある意味親しそうでしたけど」
「……昔、自分が新たな神になるために世界を消滅させようとした奴がいるって話したよね?」
「あぁ、昔々に軽く殺し合ったとかいうやつですね」
ヴァイスの部屋で話したことを思い出しながらコスモスは頷く。
(確か、女神様の慈悲で殺されなかったとか)
けれどその存在は亜空間に封印され、空の塔はその存在が出てこないように監視と楔の役割を果たしているはずだ。
何か異変があれば空の塔がどうにかなっているらしいが、今のところそういう情報はない。
(何となく、あの鎧が存在してる以上はそう簡単にどうにかなりそうにもないけど)
「まさか、その関係者だとでも言うのか?」
「そのまさかだよ」
ため息をついて風の大精霊は室内にいた少数の風の精霊を擽るように指を動かす。
楽しそうに鳴いて転がる精霊に少しだけ表情を緩め、石碑にある台座に腰を降ろした。
ライトが座っていた場所をじっと見つめ、大精霊はため息をつく。
「封印が解けていない以上、それの配下ということか。それは厄介だな」
「アレ、ライトとか名乗ってるらしいけど自称新世界の神を名乗るやつの右腕だからね」
「シュヴァルツ……」
まさかそう繋がるとは思っていなかったコスモスは、フラフラとしながら石碑の上に着地した。
ひんやりとした感触が心地よい。
「新世界の神か。最近、邪神崇拝集団が活発なのもその右腕が動いているからかもしれんな」
「え、ちょっと待って。確かシュヴァルツも封印されてるはずじゃない?」
「……コスモス、それどこの情報かな」
またマズイことを言ってしまったのかと思ってビクッとしたコスモスだったが、風の大精霊の視線がいつも以上に真面目なものだったので小さく体を左右に揺らす。
「瀕死状態のまま封印されたはずって、信用できる人から聞いたの」
「ふーん。ま、いいか。コスモスがそういう相手も珍しいから気になるけど関係者なんて限られてるし」
「そうなると、封印された方が事実なのか?」
不思議そうに尋ねるアジュールに大精霊は微妙な表情をして頬杖をつく。
言うか言わないか悩んでいる様子だ。
「一般的にシュヴァルツの消息は不明になってる。封印されたともされてないとも正式に発表されていない」
「親玉は封印されたってなってるのに?」
「……まぁ、コスモスとアジュールならいいか。シュヴァルツはね、教会本部の地下に封印されているんだ」
主従をちらりと見てどうでも良くなったのか風の大精霊は機密事項だろう発言をしてくる。
これは聞かなかった方が良かったのでは、とコスモスがアジュールを見れば彼は一瞬視線を寄越しただけで静かに頷いた。
(私がマザーの娘になってるからっていうのもあるのかな)
まさか教会本部の地下にライトことシュヴァルツが封印されているなんて思わなかったコスモスは頭を抱えた。
教会本部には行くつもりだったが、それを聞いたら行きたくなくなってしまう。
しかし、情報を得るには一番いい場所である。
「教会本部の地下で封印されてるのに、あの状態なら危ないと思いますけど」
「そうなんだよね。よりによって一番安全安心の教会に封印されてるはずなのに、アレだもんなぁ」
「なるほど。確かに結界も封印の威力も他とは段違いでマザーの力が一番強い地だというのにアレはまずいな」
納得したように何度も頷くアジュールは、何か得られるものがないかと匂いを嗅いだりじっと見つめたりしている。
「でしょー? それなのにコスモスはのほほんと話してるし。何を企んでるのか知らないけど、アイツはにこにこ穏やかだし」
「毒気が抜けたってことは……なさそうですね」
「皆それに油断するんだよね。だから、油断しないようにって、しつこいくらいに言ってるの」
うっ、と言葉に詰まるコスモスはそう言われても油断しない約束はできなかった。
ライト特有のというべきか、あのふんわりした雰囲気はどことなく女神と似ていて気がついたら相手のペースになってしまうのだ。
呑まれそうで危ないと何度思ったことか、とコスモスは彼との出会いを思い出す。
「しかし、大精霊を狙ってる輩とは別ということか? アレはこちらを助けたように思えたが」
「さぁね。何を考えているのやら。案外、コスモスに会いに来たか恩を売りに来たのかもしれないよ」
「えぇ……。それはないと思いますけど」
会いに来たとしても理由が分からない。恩を売りたいにしろ、コスモスがそれを恩に感じるはずもない。
他に何かを企んでいるとしても相手に気づかれず探るのは難しいだろう。
「コスモス、ちょっと」
「はいはい」
諦めたように返事をしてコスモスは自分を呼ぶ風の大精霊の元へ移動する。
ふわふわ、と飛ぶ彼女を捕まえた大精霊は両手で掴んでじっと見つめた。
抵抗することなく大人しくしている彼女はちょっとやそっとの痛みを受け流すか遮断するように設定を変える。
(人外に近づいているとは思うけど、便利よね)
そんなことをぼんやり思いながら、コスモスは風の大精霊を見つめて彼を観察することにした。




