248 そして死体は泥に
事前にアルズから死体安置所までの道を聞いていたコスモスとアジュールだが、迷わないように等間隔で精霊達が彼女たちを導いてくれた。
想像以上に早く目的地に着いた二人は周囲の確認をしてから目の前を見つめる。
「意外と律儀なのだな」
「念のためよ。その方が協力してくれるかなーって気持ちもあったから」
「あの二人が断るはずもないだろう」
「うん。それを狙っただろと言われても否定できない」
人の良さにつけこんで、と責められてもしかたがない。コスモスは笑った。
「裏切り者は追放されたとはいえ、油断はできんからな。治安維持と復興の手助けという名目で騎士団が派遣されたがその真意は分からん。裏切りではないが神官内にも王家側のスパイがいないとも限らんからな」
「それなのよねー。だから余計にオールソン氏がピリピリしてるようだけど」
「あいつも中々大変な役回りを押し付けられたもんだな」
恐らく真面目なトシュテンは教会に詳細を報告しているだろう。そしてそのことを王家側も知っているはず。
(教会に報告されたところで大精霊様も巫女様も、気にしないだろうけど)
かわいそうに、と呟くアジュールはどこか楽しげで言葉とは裏腹に楽しんでいるのが一目瞭然だ。
「さてと、やりますか」
「周囲に人の気配はない。この暗がりだが……マスターと私であれば問題ないな」
「そうね」
ひんやりとした室内を照らすのは壁に設置されている蝋燭の明かりだけだ。
今にも死霊が出そうな場所だが、死体安置所なのだから当然かとコスモスは笑う。
「これだな」
「遅かった?」
石床に置かれているのは粗雑な布が二つだけ。
遅かったかと眉を寄せるコスモスに、アジュールはある場所を目で示した。
部屋の隅、暗闇に同化するように蠢いているものがある。
「どういう条件でこうなるかは分からんが、警戒が薄い時間を狙っているとすればまだ意思があるということか」
「誰かに操られてるだけかもしれないけどね」
様子を見ながらコスモスはそれらに近づいていく。
周囲に防御壁を展開して逃げ場をなくす。
部屋の隅でもぞもぞと動いている黒い泥は、その一部を尖らせて近づいてくるコスモスへと伸ばした。
「こいつ!」
アジュールが唸って飛び掛るものの、コスモスをすり抜けた触手のようなものはそのまま落下する。
彼女に触れた箇所から消滅していくことに苦痛は感じていない様子だ。
ちらり、と本体を見ればアジュールに押さえつけられ噛みつかれている。
得体の知れぬ、元人間だろう泥だが彼には関係ないらしい。
「スライムほど柔軟ではないのね」
「まだ、なりたてだからだろう。知性も低い、ただ生存のために動いているようなものだ」
「さてさて、早いところ済ませましょう」
一人が二人になれば強化されると思っていたがそうでもないのか、と思いつつコスモスは黒い泥に触れる。
「うーん、大した情報はないかな。変な周回とか邪神を崇め讃えてその教えを広めようとしてたりとか。他には……」
コスモスがドシッと黒い泥の上に座っている間、泥はもがくように動いていた。しかしアジュールにも押さえつけられ上手く身動きがとれないようだ。
「ふむ。エネルギーとしては品質が良い方か。魔法使いの肉体と魂が溶けてこうなっているのだから、当然と言えば当然だが」
コスモスが目を瞑って彼らの記憶を見ている間、アジュールは泥の一部を噛み千切って食べていた。
餌としてはいいかもしれない、ともうひと齧りすれば黒い泥は逃げるように形を変える。
ぐぐぐ、と小さく盛り上がった部分を見ていたアジュールはそれが蝶の形になったのを見て目を鋭くさせた。
前足で捕まえようとすれば簡単に消えてしまうほど弱くて脆い。
「なるほど」
「……はぁ。下っ端程度じゃだめか」
新しい情報は何も得られず、個人情報は興味がないので見る気もしなかった。
ため息をついてコスモスは聖炎の力を纏う。
「は?」
目を開けた彼女が見たのは無数の蝶。
黒い泥が消える前に逃れようと変化した姿だったのだろう。
結局、聖炎の前では塵すら残らず消えてしまいコスモス達はとりあえず神殿に帰ることにした。
夜も遅いので報告は明日にしようかと思ったコスモスだが、一応声をかけてトシュテンがいる部屋へと入る。
「お帰りなさい。その様子だと無事に終わったようですね」
「監視も緩んでいるようだな」
「ええ、夜ですし。私達は外部の者とはいえ神殿を救った恩人でもありますからね」
「大変なことになるまで放置してた王家にはいい印象ないのよね。知らなかった、なんて嘘でしょ」
聞こえないから言い放題のコスモスに苦笑してトシュテンはハーブティを入れる。
アジュールは大きく伸びをすると姿が見えない後輩に首を傾げた。
「ああ、彼には神殿の見回りをお願いしているんです」
「ふむ。騎士もいるから動向を探るには最適か」
「ただの見回りですよ」
礼を言ってお茶を飲むコスモスをちらりと見てアジュールは笑う。
帰ってくる前と後ではトシュテンの様子もだいぶ違うので、一仕事を終えたのだろう。
そう推測しながらアジュールは死体安置所での出来事を説明した。
コスモスはお茶のお代わりを頼もうとして、代わりにホットミルクを差し出される。
「ふぅ、落ち着くわ」
「しかし邪教徒である魔法使いが死後に黒い泥に変化し、そこから黒い蝶が生まれたとは……」
「黒い蝶は邪神の一部でしたか。でしたらその教徒が黒い蝶に変化するのも分かりますね」
「魔法を発動させようとしたのもいたけどね。最終的には、邪神と一つにってところ?」
彼らにとってはこの上ないご褒美のようなことだろう。
自分達が崇拝する存在の一部となれるなら喜んで死にそうだ。
「黒い泥の状態では魔物に近い味がしたな」
「えっ、食べてたの? 悪食……」
「フン。主に似るのかもしれんな」
「私は食べてませんし食べません」
黒い蝶は食べたけれど、と心の中で呟いてコスモスは嫌な顔をした。
何でも食べそうなコスモスだが、流石に黒い泥は食べる気がしなかった。
理由は単純で不味そうだからである。
「不純物も多いが、濾過すれば回復・増幅剤にはなりそうだな」
「えー? それには量が足りないんじゃないの?」
「だろうな」
「物騒な話はそこまでにしましょうね」
にっこりと綺麗な笑みを浮かべるトシュテンに主従は黙る。
しかし、自分達がそう考えるということはとうにそういう物が存在していそうだ。
(表に出回ることなく、教団内だけで流通してるのか。いや、それだったら闇ルートで流れてる可能性もありそうね)
「はぁ。せっかく全ての精霊石を集められたのにな……これから動こうにも神殿をこのままにはしておけないもんね」
「そうですね。大精霊様と巫女様の許可はいただいていますから、ここを拠点に動くことになるでしょうね。ルーチェ嬢とレイモンドさんも了承してくださっているので助かりますよ」
「……オールソン氏がひとりで」
「私は御息女の護衛も兼ねておりますので」
一人でここに滞在して仕事をすればいいのではないか、とコスモスが最後まで言い終わる前に強い口調で笑顔を浮かべるトシュテン。
じっと見つめてくる瞳が怖くて、コスモスは出そうになった悲鳴をホットミルクと共に飲み込んだ。
「じょ、冗談ですって」
「しかし、マスターが政治に巻き込まれるのはゴメンだぞ。人間の醜いゴタゴタなどそっちで片付けろ」
「はぁ、耳が痛いですね。それについては私も充分に配慮しているつもりですし、巻き込むつもりもありません。ちなみに御息女はどう思っていますか?」
「絶対嫌。王家と貴族と教会と神殿のゴタゴタに巻き込まれるなんて面倒で帰りたくなるわ」
コスモスは一応教会所属ということになるだろうが、神殿にお世話になっている以上は教会・神殿側となるだろう。
しかし、王族や貴族が絡んでくるとめんどくさいとしか言いようが無い。
(権力闘争とかは教会も神殿も同じだろと言われたら何も言えないけどね。一応は教会の最高権力者の娘だもの。下手に手は出せないでしょうし)
教会や神殿関係者は基本的にコスモスを認識することができないが、トシュテンが彼女に同行しているので“いるものだ”として接してくれている。
(一応、王家もオールソン氏がいる以上は存在するものとして扱ってくれているようだけど。私を認識できてる人が今のところいないのよね)
今回の神殿の一件も、陛下を初め王家は何も知らなかったと言っている。
「コーウェル家があんなことになるまで、全く気づきませんでしたって……本当に?」
「あちらの公式発言はそうですよ」
「ふぅん」
「御息女」
「分かってるわ」
今日のように城に忍び込んで探りでもいれるかと考えていたコスモスだが、その考えは既に見抜かれていたようだ。
窘めるように彼女を呼ぶトシュテンの声に、コスモスはため息をついて頷いた。
ぐるぐる、と喉を鳴らして座りなおしたアジュールはちらりと彼女を見る。
「まだ、大精霊と巫女が狙われるかもしれないからな」
「でも、大精霊様と巫女様は神殿から出ないでしょう? ろくでもない神官や行儀見習いで来ていた貴族の子はいなくなったからどうやって狙うのかしらね」
「今は騎士もいますからね」
これ以上まだ狙うようなことがあるなら愚かとしか言いようがない。
しかし、敵にすればお人好しな大精霊と巫女の他にマザーの娘がいると思えば御馳走にでも見えるのだろうかとコスモスは首を傾げた。
「当面は再びやってくるかもしれない敵に備えろということか」
「また懲りずに邪教徒がやってくるかもしれないですからね」
ホットミルクを飲み終わったコスモスは大きな欠伸をする。
ちょうど戻ってきたアルズに一緒に寝ましょうと言われたがお断りしてコスモスは用意された部屋へと戻る。
そこではレイモンドとルーチェ父娘が眠っていた。
「レイモンドさんがいないと思ったらこっちにいたのね」
ソファーをベッド代わりにして眠っているレイモンドを見たコスモスは、周囲の精霊達を呼んで彼を自分のベッドへと降ろす。
そしてコスモスはソファーで横になった。
「はぁ。疲れたけど、よく眠れそう。おやすみ、アジュール」
「あぁ、おやすみ」




