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247 黒い泥

 最奥で待ち構えていた魔物は他よりも強かったが苦戦するほどではない。

 アジュールが先制し、レイモンドが補助する形であっという間に終わってしまった。

 コスモスとルーチェの出番はなく、少女は退屈そうにため息をついている。

 恐らく思ったよりも敵が弱かったので拍子抜けしたのだろう。すぐに彼女は周囲を調べ始めた。

「うーん、特に何もないわね」

「敵の気配はないけど、罠があるかもしれないから気をつけるんだよ」

 そう言いながらレイモンドは娘の傍にぴったり寄り添っていた。

 相変わらずだなと苦笑しながらコスモスは大きく伸びをして、振り上げた腕を下ろす。

(簡単に終わって良かったけど、帰るまで油断禁物よね)

「ふむ。流石だな、マスター」

「え?」

「黒い蝶を仕留めるために油断させたのだろう?」

「はぁ。本当にそう思ってる?」

 コスモスが腕を下ろした瞬間、たまたま近くを飛んでいた黒い蝶を直撃したらしい。

 そういえばこんなところにいたのかと思いながら彼女はため息をついた。

「魔物に寄生はしていなかったようね」

「そうだな。しかし、これで目撃は事実だったと証明されたわけだ」

「そうね。他にもいるだろうけど、魔物や生物への影響は見られない。だったら何をしているのかが疑問だけど、見つけるのも大変そうね」

 見つけたら蹴散らすくらいしか考えていなかったコスモスは小さく唸った。

 アジュールも見つけ次第消してしまえばいいだろうと言うので、それでいいかと彼女も頷いた。

「サンプルに持って帰れないものね」

 コスモスが触ればすぐに消えてしまうような黒い蝶も他の人にとっては厄介な存在だ。

 幸福の蝶と酷似しているために、被害が大きくなるのも嫌がられる一因だろう。

(幸福の蝶への風評被害がなければいいけど)

 滅多に姿を見ることができないなら大丈夫かと思いながら、コスモスは目だけを動かし花輪に止まっている蝶を見上げた。

 まるで装飾品のようにじっとしている蝶はコスモスの視線に気づいたのかゆっくりと羽を動かす。

「何をしているか、か。あれらに意思はないと思うがな」

「あー、うん。そんな感じもするけどさ」

「そうなると、それを操る者がいるかもしれないということだ」

「少なくともここにはいないようだけどね」

 うーん、と唸りながらコスモスはぐるりと周囲を見回した。

 倒した魔物がもう一度動き出す気配はないが、先ほどと違うところがある。

「あ、まずい」

 コスモスがそう呟き、気づいたアジュールが駆けたのはほぼ同時だった。

 父娘は何かないかと探しているようで、二人の様子にまだ気づかない。

「アジュール!」

 間に合え、と思いながら獣の名前を呼ぶ。

 黒い蝶に覆われた魔物の死体がモゾモゾと動き始めたのを見てコスモスは舌打ちをした。

(パワーアップとかやめて欲しいんですけど)

 視界が一瞬で暗くなったが、暗闇を切り裂くように何本もの光が走る。

 聖なる力を纏った鎖は的確に対象を捉え動きを制限した。

「はぁ。第二戦しても負けるのに何を考えているのかしら」

「こんなに湧くとはね」

「あ、コーウェル侯爵家で見た怪しい魔法使い」

 周囲に紛れるような黒いローブを着ているがその雰囲気は間違いなくあの時の彼らと同じだ。

 コスモスが呟いた瞬間にレイモンドが手早く拘束する。

「へぇ。まだ諦めてなかったんだね」

 レイモンドに押さえつけられた不審者は床に押さえつけられながら、不気味な笑い声を上げる。

「お前たちは全員終わりだ! 我らはついに主を迎えたのだ! 暗闇の中で怯え慄くといい!」

 ケタケタと笑って意味が分からないことを言ったと思えば、白目を剥いて絶命した。

「チッ、毒か」

 防げなかったレイモンドはため息をついて立ち上がる。

「どうする? これ、連れて行かないと駄目かなぁ」

「必要ないと思うわ」

 男が叫んでいた内容について何も思わないコスモスにルーチェは軽く手を振って答える。

 証拠として検証するためには持っていくべきなのだろうが正直嫌だ。そう思っていたのでコスモスは笑顔で頷いた。

 このままここに転がしておくのも悪影響なので、いっそ燃やしてしまうかと彼女が思っているとローブがゆっくりと形を変えていく。

「うわ」

 どろり、と男の体が溶けて黒い泥になっていく様を見ながらコスモスは眉を寄せた。

 黒い泥は意思を持っているかのようにゆっくりと動いているので、それを邪魔するようにコスモスは黒い泥を踏みつける。

「コスモス!」

「私は大丈夫。だけど、これ凄いわね。肉体も魂も溶かしてこんなになってまで叶えようとする執念」

「狂ってるな」

 触れた箇所から黒い泥の解析をしていくコスモスは、毒があるから近づかないように父娘に告げる。

 アジュールは耐性があるのかコスモスの傍に来て、前足で黒い泥を触った。

 ぬちゃ、と粘度の高い泥は彼の前足に纏わりついて糸を引く。

「はいはい。聖炎でお掃除お掃除」

「その適当さ……罰があたるわよって言っても今更ね」

 コスモスの周囲に現れたいくつもの小さな炎がビュンと一気に散らばる。

 目の前の黒い泥に触れたままコスモスは聖炎の力でジリジリと泥を浄化させていく。

 接触している彼女だからこそ聞こえる呻き声や憎悪の声も恐怖に震えるには値しない。

(ふむふむ? 邪神を崇拝する狂信者の一員か。主を迎えたとか言ってたわね)

 泥の記憶を読みながら他に得られる情報はないかと探る。心配そうに見つめるルーチェは近づこうとするのだが父親に抑えられて眉を寄せた。

「今精霊ちゃんに近づくと危ない」

「分かってるけど……」

 今のコスモスは聖炎の力を纏って燃えている。正に大きな人魂になっている状態だが、下手に近づくと火傷だけではすまなそうなほど肌がピリピリする。

 熱くはないがそれだけ強い魔力が放出されている証拠だろう。

「仲間は他にいなさそう。どうやらここで黒い蝶を操りつつ魔物を凶暴化させるのが目的だったみたい」

「なるほどね。先に倒されちゃって予定が狂ったってことかな」

「おそらくは」

 もう少し情報を得たかったが絶命してしまってはどうしようもない。

 黒く液状化した後も少し記憶を辿れたのでどうやらあの状態になってからも彼らは生きているらしいとコスモスは眉を寄せた。

(あれを生きてると言えるのか謎だけど)

「黒い蝶はどうやって操っているのか分かるか?」

「うーん、使い魔のようなもの? 対価と引き換えに従属するようにしてるみたいだけど、出現させられる数は魔力に比例するようね。操るにしても魔力を消費するようだから、魔力量が少ないと数も少ないし精度も悪いみたい」

「黒い蝶を操るですって?」

「この教団? では黒い蝶が崇めてる邪神の一部と見られてるらしいわ」

「はぁ……邪神を崇拝する教団って頭おかしい集団のアレかしら」

「恐らくそうだねぇ」

 表情を変えるルーチェが父親を見上げて意味ありげな視線を交わしている。

 過去に何かあったんだろうかと思いつつコスモスは自分に触れた箇所から消えていく黒い泥を見つめた。

(他に有用な情報はなさそうだから、さっさと浄化しますか)

 火力を上げて一気に燃やす。コスモスの纏う炎に焼かれ消えていく泥は逃げ惑うように四散していくが、炎はそれを許さない。

 ジュ、と音を立てて消えた泥を確認してコスモスは周りを見回した。

 仕事を終えた小さな火の玉が次々に彼女の元へ戻ってくる。

「便利なもんだな」

「威力は弱いけど、遠くの距離まで飛んでいくから便利よ」

 纏っていた聖炎の力を解除すれば小さな炎も自然に消失していく。

 それを興味深そうに見つめているのはルーチェだ。



 神殿に戻り報告すれば、黙って聞いていたトシュテンは深いため息をついて額に手を当てた。

 アルズはいつもと変わらぬ様子で、お茶を飲むコスモスをにこにこと見ている。

 水を飲み終わったアジュールがお代わりを催促する前に水を注ぎ、ルーチェが食べようか迷っているケーキを小皿に取り分けて渡す。

「邪神教団ですか。そういう団体は教会が把握しているだけでも複数ありますが、一体どこの集団でしょうね」

「あぁ、コーウェル家にいた魔法使いと同じ匂いがしたけど」

「……コーウェル家の魔法使いですか」

 彼の様子を見るに生け捕りはできなかったのだろう。

 死体が残っていれば先ほどのように記憶を読めるかもしれないと思ったコスモスは、彼らが今どこにいるのか尋ねる。

「いえ、残念ながら服毒で……え? 遺体の場所ですか」

「それなら騎士団詰め所の遺体安置所にあるはずですよ」

「ふぅん。死体を詳細に調べた後なら教会に送られるかと思ったけどそうじゃないのね」

「調べても何も出なかったのでしょう。しかし、御息女……」

「はいはい。危険だと思ったらすぐに退きますよ」

「当然です」

 コスモスだからこそできるような芸当だが、一歩間違えれば取り込まれる危険性もある。

 自分の記憶か読んでいる相手の記憶か分からなくなるので繊細な調整が必要なのだ。

「騎士団には私から話を通しておきましょう」

「ううん、それは必要ないわ」

「御息女……」

「私が来るって分かったら何かあるかもしれないじゃない」

「誰かに聞かれたら強制連行されかねませんよ」

 幸い自分の姿は他者からは見えない。どこでもすり抜けられ、認識されにくい特性を活かしての情報収集。

 ふふん、と得意気な声色に笑うのはルーチェだ。

「僕も行きたいですけど、留守番ですよねぇ」

「ごめんなさいね、アルズ。貴方がどこでも通り抜けできるような体質だったら良かったんだけど」

「いえ、恐らく監視されてるでしょうから」

「え」

 気づかなかったという表情をしながらコスモスは慌てて周囲を見回す。

 その様子を見たアジュールは笑いながら大きく伸びをする。

 ついでにガリガリと前足で床を引っかけばコスモスに軽く睨まれた。

「お気づきでしょうが、神殿側の警備という名目で騎士が数名派遣されまして、暫く留まるとのことです」

「今の神殿はボロボロのガタガタですからね」

 ふぅ、と息を吐いてそう言ったアルズにトシュテンが口を開きかけてやめる。

「大精霊様と巫女様が戻ってきたとはいえ、事態がすぐに好転するわけじゃないものね」

「これからが大変だよね」

 うんうん、と頷く父娘の動きが揃っていて微笑ましい。

 コスモスは集中するように目を瞑ってから、なるほどと呟いた。

 警備の為に部屋の外に待機している神官兵の他に違う気配がある。

 恐らくそれが派遣された騎士の一人なのだろう。

(大精霊様と巫女は失踪したことも知られぬまま戻ってきた。恐らく騎士の中でもそれを知っているのは上だけなはず。でも、コーウェル家の謀反は大々的に知られているのよね)

 そのわりに思ったほど神殿内は騒がしくなく平和なものだ。

 事後処理に追われていて忙しいというのはあるが、最初に訪れた時とは雰囲気が違う。

「教会側の私がここにいるというのも、国側にとっては懸念事項なんでしょうね。まぁ、慣れてますし気にしませんが」

「貴方はいつだって気にしないでしょ。政治的なやり取りは得意そうだもの」

「まさか。やるべきことはやりますが、面倒なことはごめんです」

「誰だってそうですよ」

 皮肉めいてルーチェがそう告げると、トシュテンは笑顔で返す。

 片付けられていない書類を指差したアルズにレイモンドは苦笑した。

 片付けても片付けても減らない書類が机に山積になっているのはコスモスも分かっていたが本当に大変そうだ。

(残業確定、給料も出ない、残業代も出ないのにやらなきゃいけない仕事って嫌よね)

 元の世界のことを思い出しながら、幸い自分は会社に恵まれていたと心の中で手を合わせて感謝する。

「油断してはいけません。常に警戒を怠らないこと。もちろん、バレてはいけません。少しでも危ないと思えば逃げるんですよ」

 これも大精霊と巫女が戻ってきたお陰なんだろうかと首を傾げながらコスモスはトシュテンからの注意事項に頷いていた。

「心配するな。何かあれば、強制的に連れ帰る」

「ええ、ぜひそうしてください」

 アジュールの言葉にトシュテンが大きく頷く。恐らくコスモスのことをあまり信じていないのだろう。

「マスターも先輩もお気をつけて」

「こっちのことは任せて。貴方達の姿が見えない人が多いんだし、何とかなるわ」

 無茶ばかりしてとため息をつくかと思ったルーチェは笑みを浮かべる。レイモンドと視線を交わすと、二人とも悪戯っ子のように笑った。

「私は何も聞いていませんので報告はいりません。ただ、独り言ならどうぞ御自由に」

 部屋の外にはただ談笑しているようにしか聞こえないだろう。

 ルーチェから念のためとお守りを渡されたコスモスは、神殿内にいる精霊に手伝ってもらいながら偽装工作をしていた。

「必要ないと思うけど」

「一応ね」

「マスター、私はいつでもいいぞ」

「分かった。じゃあ、行ってくるねルーチェ」

 手を振りながらルーチェは「おやすみなさい」と返す。

 スゥと部屋を出れば巫女の指示か配置されるようになった神官兵が警備してくれている。

 近くに騎士の様子はなさそうだと確認してコスモスは部屋を出た。



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