246 巻き込まれたくない
便利なものだなと思いながらコスモスは大きな欠伸をする。
それを見たアジュールは元気そうな主の様子に笑った。
(空の塔に長時間滞在してたと思ったけど、そうでもないのよね)
時間の流れが特殊なのだろうかと考えながらあの場所で見た転移扉を思い出す。
コスモスが今一番欲しいものは、元の世界に帰ることのできる転移扉だ。
行き先が確定していて固定されていなければ意味が無い。
(実際のところどこに行くかは通った人にしか分からないのが怖いけど)
知らないうちにこちらの世界に来たのであれば、知らないうちに元に戻っているというのが理想だ。
ここまできたら夢オチなんてそれこそ夢のまた夢だと鼻で笑い、コスモスは大きく伸びをする。
アジュールの背に乗って移動するコスモスは、何も聞いてこない彼の様子に安心した。
それはアルズも同じなのだが、元の世界に帰るという目的を持つコスモスにとって自分を慕ってくれる彼を見ていると良心が痛む。
何があろうと付いてくると意気込んでいる姿を見ても心が痛むが、最近は彼に恨まれてもしょうがないかと思うようになっていた。
(まぁ、アジュールが傍にいれば何とかなるとは思うけど……)
自分のことだけを考えて、自分が帰った後に残される彼らのことはできるだけ想像しないようにしてきた。
そんなことを考えたらキリがないからだ。
ミストラルにいる兄妹にしてもだ。
(再度眠りについて、いつ目覚めるか分からないとかいう設定にでもしておく?)
黒い蝶の脅威もなくなって、変な輩も大人しくなって女神が望むような状態になってからの話だとは思うが。
(あれ? 結構長くない?)
そう考えていたコスモスは、思った以上に道のりが長く険しいことを再確認して眉を寄せた。
(天使の眼もあるし、邪魔してくる勢力の存在もある。これ以上増えて欲しくないけど、悪目立ちしてしまう時点でそれはしょうがないか)
諦めるしかないね、と脳裏に浮かんだ鎧が笑いながら言ってくる。
(うっ……諦めたら終わるでしょうが!)
「神殿内のゴタゴタが終わったと思えば、魔物退治とか。上手く利用されてるわね」
「仕方がないだろう。黒い蝶が出たとの話を聞いたらじっとしているわけにもいくまい?」
「本当かも怪しいけど」
「それを確認する為にもこうして出向いているのよ。どちらの結果にしろ相手に損はないのが腹立つけど」
全ての精霊石が集まったせいか、コスモスはやる気がなさそうにため息をつく。そんな彼女を諭すように言うルーチェだが、彼女も眉を寄せており不満そうだ。
黒い蝶の目撃にすら食いつきの悪い主人に苦笑しながらアジュールは楽しげに尻尾を揺らした。
「念のためにアイツを置いてきただろう?」
「自分で残るって言ったものね。でも大丈夫かしら」
「その為にもアルズを残らせた」
「不満そうだったけどね」
コスモスたちの不在に神殿で何かあると困るので、トシュテンは自ら残ると言ったのだ。念のためにアルズを残らせたのはアジュールの指示である。
アルズはコスモス達と一緒に行動したかったので不満げな態度を露にしていたがそれでも指示に従った。
(先輩後輩の上下関係が完全に構築されてるわ。良いのか悪いのか……)
自分は楽ができていいけど、と思いながらコスモスは周囲を見回しているレイモンドに声をかけた。
「強敵いそうですか?」
「いや、ここにいる魔物はレベルが低いからね。深部にいるだろう魔物もそう大したことはないはずだよ」
「通常なら?」
「そう、通常なら」
黒い蝶が本当に目撃されているなら強化されている可能性も高い。
もしそうだとしても、このメンバーで負けることなど想像できないとコスモスは笑った。
「それにしても、お姫様がついてくるかと思ったらそうじゃないのね」
「あぁ。彼女はそうしたかったみたいよ。自分が出向くのは当然だって。だけど、陛下の命令で帰ってくるように言われて渋々帰ったわ」
自分よりも年上の相手だというのにルーチェの方がお姉さんのようだ。
実年齢よりも精神的に落ち着いているからだろうかとコスモスは苦笑した。
(マクリル王家の姫といえば、勝気で正義感が強そうな赤髪姫よね)
ミストラルで見た姿をぼんやりと思い出しながら、神殿内で全く彼女と接触していなかったことを思い出す。
彼女も精霊の加護があるのなら、恐らくコスモスを認識しやすいはずだ。
ルーチェが相手をしてくれたお陰で会うことは無かったのが幸運かと考え、首を傾げた。
(でも、ミストラルにいた時は気づいた様子がなかったのよね。だとしたら、油断しない限りは大丈夫かしら)
彼女の守護精霊がうるさく騒ぐなら、その前に黙らせればいい。
物騒なことを思いながらコスモスは一人頷いた。
「レイモンドさんはどう思います?」
「今回のコレ?」
「そうです」
「分断にしては拙いよね。どっちもそれなりの戦力があるわけだから」
「コスモスを神殿から遠ざけたいとか?」
「こーら、ルーチェ。それじゃあ依頼してきた彼らが悪いみたいだろう?」
周囲で誰が聞いているか分からないというのに、少女は平然とそう告げる。少しだけ慌てた様子でレイモンドが注意するもルーチェは知らん顔だ。
女王陛下の代理だという男からの依頼でコスモス達はここへ来ている。
身なりとその雰囲気から貴族なのだろうということは分かったが、霊的活力は普通だったなとコスモスは彼の姿を思い出す。
「マスターのことを利用するにしても、これからだろう。いざとなれば私達は脱出できるから心配するな」
「そういう心配もしておかなきゃいけないのね。国が絡むと面倒だわ。お偉いさんに気に入られるのが大変なのは分かってたけど、本当に面倒なのね」
「ルーチェ」
「大丈夫よ、父様。こんな場所まで来て私たちを監視してる人達がいたら、よっぽどの暇人でしょう?」
視線で周囲に怪しい人がいるかどうか尋ねてくるルーチェに、コスモスは静かに体を左右に揺らした。
第一、視認できるようなものが潜んでいたらアジュールに気づかれるだろう。
「精霊ちゃんも大変だよねぇ」
「そう言えば父様、コスモスは精霊ではないんだからその言い方はどうなのかしら?」
「えー、でも精霊ちゃんは精霊ちゃんだからなぁ。ボクが御息女って畏まって言うのも違うし、精霊ちゃんはこの呼び方で構わないっていうからいいんじゃないかな?」
コスモスとしては自分のことだと分かればどう呼ばれても構わない。
(うーん、でも変な呼び方は嫌だわ)
人魂ちゃんと呼ばれるよりは精霊ちゃんと呼ばれた方が可愛いだろう。
この姿が可愛いかどうかは分からないが、とコスモスは自身の姿を見つめる。
「はぁ。コスモス、貴方はもう少し自分の立場というものを理解した方がいいわ」
「……オールソン氏みたいなこと言うねぇ」
「私はっ! 貴方のことを心配して言ってるの!!」
トシュテンと同じ事を言うとコスモスに指摘されただけなのに、ルーチェは眉を寄せて言葉を荒げる。
彼女の怒りを孕んだ声に近づいてきていた低レベルの魔物が悲鳴を上げて消えていく。
すごい、と思わず拍手しそうになったのを我慢してコスモスは「ごめんね」と謝った。
背中が揺れるのでアジュールが笑いを噛み殺しているのが分かる。
大声で笑うと思いきや、彼は彼なりに気を遣っているらしい。
ここでアジュールまで笑ってしまえばルーチェの機嫌が更に下降するだろう。今後の戦闘に影響が出たら大変だ。
(才能があるからってまだ幼いルーチェを当然のように戦力として考えるのもどうかとは思うけど)
それでも子供だからと扱えば彼女は不機嫌になるだろう。
(精神的に大人びていても、体力的にはまだ子供だからその辺りは父親のレイモンドさんに任せよう)
彼ならばコスモスが何か言う前に娘を抱えて戦線離脱するなりするだろう。
そんなことを思いながらレイモンドを見れば、彼は頬を膨らませ眉を寄せている娘の機嫌をとっていた。
「レイモンドさんがその呼び方をしてくれるお陰で私の存在があやふやになるから助かっているのよ。だからそのままでいいと思うの」
「……コスモスがそう言うならいいけど」
少し落ち着いたのかルーチェはふぅと息を吐いて周囲を見回した。
何か彼女たちの手がかりになるようなものがあるか探しているのだろう。
残念ながら今のところそういったものは何もない。
「サクッと行ってサクッと帰りますか」
「向こうはすぐに帰ってきてほしくなかったりしてな」
「それは様子を見てよ」
「あえて早く帰って様子を窺うという手もあるわよ?」
ルーチェの提案にコスモスは苦笑しながら断った。
神殿でのできごとは帰ったらトシュテンが報告してくれるだろう。
マクリル王家が何を考えているのかは知らないが、ここがマクリル王国の領地内である限りあまり目立つことはしない方がいい。
(現状を見れば、水の神殿の地位は他の神殿と比べて低いようだし)
それはコスモスの感想である。表向きは他の神殿と変わらず大事にされているが、大精霊と巫女の人の良さにつけこんでいるロクデナシが多すぎると彼女はため息をついた。
(国が積極的に介入できないとはいえ、神殿があれだけ食い物にされてるのに放置してたなんてね)
「マクリルは水の神殿を軽んじているのかしら」
「どうしてそう思う?」
「邪魔な貴族を一層するために神殿を利用したって考えもあるかなと」
アジュールの背に揺られながらコスモスは自分の考えを口にする。
ぎょっとした顔をするのはレイモンドだけだ。ルーチェは楽しそうな表情をして笑う。
「だって水の神殿があの有様になるまで知りませんでしたってことはないでしょ? いくら水の大精霊様と巫女様が自己犠牲大好きなお人好しだとしても」
「精霊ちゃん、言いすぎだよ。それは大精霊様と巫女様に失礼だと思うな」
「……言いすぎました。すみません」
めっ、と幼子に叱るような口調でレイモンドに怒られたコスモスは素直に謝罪する。
「水の大精霊様と巫女様に何かあればマクリル王国も危ういはずよ。水の恩恵を受けて成り立っている国だもの。でも、コスモスの言うことも無視できないわね」
「死なない程度にすればいいかなとか思ってそうで」
「マクリルの女王陛下はキレ者だって噂ではあるけど……そこまでするかな。バレたら神殿や教会を敵に回すことになるのに」
女王の腹のうちなど分かるわけがないが、コスモス達の戦力を当てにして厄介な問題を一掃したのであれば油断できない人物だ。
「自分の国と民を守るのが第一なら、利用するかもしれないじゃない。要は利用したと知られなければいいのよ。自発的にそうするように仕向ければいい」
「コスモスも言うわね」
「絶対に会いたくない人だわ。城に来るように言われても適当なこと言ってお断りしようっと」
代理としてトシュテンを行かせれば済むだろうと思いながらコスモスはフラグを立てないように気をつける。
姫が手伝いとして神殿に来ていたのも探るためかもしれない。
(姫本人にその気はなかったとしても、従者はそうじゃないだろうし……何人か騎士や城の人間が残っているはずだから)
帰ったら悟られぬように軽く探るかと考えながらコスモスは小さく唸った。
念のために行動する前にはトシュテンに相談してみるのがいいだろう。
「コスモスはいいわよね。適当な理由をつけて断れるんだから」
「ルーチェたちが呼ばれることはないんじゃない?」
「どうかしら。私はお姫様と仲良くなってしまったようだから」
「あ……」
「オトモダチを招待してくれるかもしれないわね」
断れないわけではないけど、と何かを思い悩むようなルーチェの姿にコスモスは口を開いた。
「城にある資料や管理する図書館に情報があるかもしれないから?」
「そうなのよ。でも、情報欲しさに危ない場所に行くほどではないけどね。貴方のお陰で教会本部にはいけるわけだし」
「行ってみてどうなるかは分からないけど、マザーに頼んでみるわ」
恐らくマザーはあっさり許可を出してくれるだろう。
知っていることを直接教えてくれれば楽なのは確かだが、多忙だろう彼女の時間を割くのは悪い気がする。
(それに全て知ってたとして、マザーが教えてくれるかどうかも分からないし)
天使の眼について、教会のトップであるマザーが知らないわけがない。
管理が杜撰だったからレイモンドやルーチェの一族が大変な目に遭ったのだ。その責任を問われてもおかしくないし、彼らに恨まれても当然だろうが二人にその気配はない。
「本当に助かるよ、精霊ちゃん」
「もし、駄目だったら私が探してくるわ。教会本部の警備も掻い潜ってみせる!」
「それは、危ないんじゃないかな?」
心配するレイモンドの言葉にコスモスとアジュールは揃ってニヤリと笑った。
似たもの主従だなと思いながらレイモンドは「無理しないようにね」としか言えず、苦笑してしまう。




