245 手下ではない
ふぅ、と息を吐いて眉間を揉む。
何冊も本を読んでいたせいで頭が重く疲れた。
「少し休憩したら? 難しくて頭が痛くなるだろう?」
「ありがとう。貴方は内容把握しているのね」
「時間はあるから」
否定しないのかと思いながら、先ほどから増えているような気がする本を見る。
読むのは苦痛ではないが、難解な部分も多く理解するのに難しい。
無理に理解せず、管理人に任せて読むだけにしようかと思いながらコスモスはお茶を飲んだ。
「分かっているとは思うけど、一応ここの本は持ち出し禁止だから、外では話さない方がいいよ」
「あぁ、面倒なことになるものね」
「そうそう。キミの目的を知らない人が多いだろうから大丈夫だとは思うけど、天使の眼に関するようなことも本に書かれているかもしれないからさ」
うっかり口を滑らせて、どこでそれを知ったんだと詰められ両手を上げる自分の姿が容易に想像できた。
ぶるぶる、と頭を左右に振りながらコスモスはここで読んだ本は別にしておくべきだなと心の中で呟く。
軽く目を瞑るとカウンターで作業をしていた管理人が笑顔で頷いていた。
(本当に頼りになって助かるわ……管理人がいないと生きていけなそう)
いなくなったらと考えるだけでゾッとする。
アジュールといい、管理人といい手助けしてくれる周囲に恵まれているなとコスモスはしみじみ思うのだった。
「教会本部に行って情報収集をすれば、教会で読んだ本に書いてあったかなぁ? とか言えるんだけどね」
「次の目的地はそこだろう?」
「うーん、そうなるわよね。戻って話し合うとは思うけど、精霊石を集めた以上は天使の眼を追うだろうから教会本部に行くと思うのよね」
「キミがいれば色々と便利だろうね」
「すんなりいくといいけど」
ぽっと出の素性の分からぬマザーの娘を全ての教会関係者が受け入れているとは思えない。
変な陰謀に巻き込まれませんようにと呟きながら祈るコスモスに鎧は嗤った。
「変なのがいたら蹴散らせばいいだけだろう?」
「貴方ってたまに、攻撃的なこと言うわよね」
「避けてばかりはいられないことも多いからね。ある程度の力を見せることも大事だよ」
「その辺りは上手くないのよね……こんな状態だから回避するには困らないんだけど」
強化もしたので教会本部に行こうと自分を認識できる存在は少ないと思うコスモスだが油断はできない。
「いや、結構暴れてると思うけど?」
「え?」
「え?」
首を傾げて顎に手を当てる鎧にコスモスも同じように首を傾げて声を上げてしまう。
消極的で小心者で、戦うことは極力避けたいチキンな自分がそんなことできるわけがないとコスモスは本気で思っていた。
この場にアジュールがいれば鼻で笑っていたことだろう。
「いやいや、意外と大胆で好戦的だと思うけどな」
「まるで見てたかのように言うのね」
「長くいれば自然とそういうこともできるようになるのさ」
そうだろうか、と眉を寄せるコスモスに鎧は笑って返す。
どうせ深く探ろうとしても弾かれ、余計に警戒させてしまうだけだ。
(今の私じゃ彼に叶わない。彼より強くなるのも無理でしょうね……)
だったらやはり、彼が自分の味方でいてくれるのを祈るだけだ。
「天使の眼も物騒だし、調べたいことは他にもあるし……精霊石を集め終わったらシンプルに終わると思ってたのになぁ」
「何度同じ事を言っても現実は変わらないよ」
「分かってるわ。はぁ」
「他に調べたいことを教えてくれたらそれに関するかもしれない資料を持ってくるけど」
申し出はありがたいがどうしたものか。
小さく唸るコスモスはちらりと鎧を見上げた。
「見ていたなら分かると思うけど」
「……ヴァイスとシュヴァルツについて?」
「やっぱり知ってるんじゃない」
「とぼけても無駄かなと思ってさ。ヴァイスについては本人に聞くのが一番だろうけど、シュヴァルツか……。面倒なやつがまたいたんだね。とっくに死んだかと思ったよ」
引寄せてしまうかもしれないからと口にできない名前を鎧は平然と口にしてしまう。
この場に突然シュヴァルツが現れても対処できるという余裕からだろうか。
「女神様の慈悲のお陰なんでしょ? だったらしょうがないんじゃない」
「女神様の慈悲ね」
そう呟く鎧の声にはどこか嘲笑のようなものも含まれているような気がしてコスモスは首を傾げた。
(女神の慈悲によって命だけは助けられたけど、改心しなかったからほら見ろみたいな感じかしら?)
実際、その時の女神の対処が甘かったお陰で現在また危なくなっているのだろう。
(自分の尻拭いを私にさせようとしてるってこと? 相手が神だから逆らえないし、悪く言えないの分かってて? あぁ、それだったらあの女神を苦手だって思うのは当然なわけね)
自分がこの世界の存在ではないから、綺麗で優しそうだけど避けたいと思っているとばかり思っていた。
強すぎる力を目の前に圧倒されて拒否できない空気に心臓が掴まれる感覚だったのも事実だ。
(女神様に私を害する気はなくても、絶対的な味方とも言えないだろうし)
「平気でそう口にできる貴方が羨ましいわ。どこで聞いてるかも分からないのに」
「ははは。聞かれていても平気だからだよ」
「信者とかいたら酷い目に遭うわよ」
「それは確かに」
明るく笑ってしまうようなことではない。
世界に降りてこられないだけで、あの女神はどこかでこのやり取りも見ているのだろう。
「キミは大変だね。マザーの娘だから尚更」
「嫌なものは嫌だけどね。半ば強制的に女神の手下みたいにされたけど」
「手下!」
コスモスの表現に鎧は手を叩いて笑う。そんなに面白いことは言っていないと彼女はため息をついた。
「やっぱり、私臭いかな?」
「ん? あぁ、女神の匂いがプンプンするね」
「ううっ! これ、消せないの?」
「うーん、本人に言って消してもらうしかないんじゃないかな。誰もが羨む女神からの祝福なんだから喜ばないと」
「欲しいと言った覚えはないのよ」
正直、自分を元の世界に満足な形で帰すことのできない女神などどうでもいい。
口に出して言わない自分を褒めながらコスモスは額に手を当てた。
(本当は私を無事に帰せる力があるかもしれない。でも、問題ごとを片付けたいから知らないふりをしている可能性もある)
けれど、本当にどうにもできない問題なのかもしれない。
(帰還を餌に手伝わせることだってできたはず。でも、女神はそうしなかった。だったらやっぱりできないと考えるのが普通よね)
「あの女は昔から自己中心的だからね。本気で良かれと思って押し付けてくる鬱陶しさは吐き気がするよ」
経験者かと思うくらい感情がこめられていてコスモスは周囲を見回した。
流石にそこまで言って何も無いとは思えない。
(昔からってことは関係者だろうなぁ)
どこかで見ているかもしれない女神の機嫌が悪くなったら大変だ。
「気にしなくていいよ。何かがあるとしてもそれは私にだけだから」
「……色々と怖いわ」
「ははは。これからもっと怖くなるかもしれないから気をつけて」
笑いながら気をつけろと言われても気をつけようがない。
空にぼんやりと浮かんだ女神が頬を膨らませながら「失礼しちゃうわね」と言っている様子が見えてコスモスはため息をついた。
(あの女神様なら、どれだけ悪態つかれようがその程度で終わらせるんだろうけど)
「それ、笑えないのよね」
「大抵のことは大丈夫だろうから、いつも通りで問題ないと思うな。マザーの娘にしてエステル様の加護もあり、女神ルミナスの祝福も濃いから」
「それって、悪目立ちしてない? できるだけ気配薄くしていたいんだけど」
パチパチと拍手しながら煽るように口笛まで吹いてくる鎧を軽く睨んでコスモスは自分の気配を薄めるよう集中した。
周囲に溶けるように違和感なく姿を消したコスモスは、試しにガゼボから出て様子を窺う。
「あまり遠くに行ってはいけないよ」
「……」
子供じゃないんだけど、と思いながらコスモスは慌てたような鎧の声を聞いていた。
彼はガゼボから飛び出ると、周囲を飛び回るコスモスの姿を追う。
(はぁ。前よりも更に気配を薄くして認識されにくくなったと思ったのに、鎧相手には無駄か)
「強化したはずなのに無駄に終わったのが分かって良かったです」
「あ……あぁ、私は別だから他と一緒に考えない方がいいよ」
「貴方にも認識されにくくすれば安心じゃない」
「それはやりすぎ。あんまり突き詰めると、キミの存在自体が薄まるからやめた方がいい」
「……分かった」
急に真剣な口調で言われてコスモスは素直に頷いた。
「さて、これを飲んで落ち着いたら帰るといい」
「そうね。随分と長居しちゃったものね」
「あまり気にしなくてもいいとは思うけど」
するり、とガゼボに戻って薄めていた気配を元に戻したコスモスは、大きく伸びをして読み終わった本を見る。
「そっちで疲れたらまた来るといい。いつでも歓迎してるよ」
「ありがとう。助かるわ」
まさかここが休息所になるとは、そう思いながら欠伸をするとコスモスは眠りに落ちる。
彼女が寝入った後、その姿が薄らいで消えた。
どうやら無事に目覚めたようだと鎧はホッとする。
「そんなに肩入れしていいの?」
「誰かさんの尻拭いだと思いますが」
気配もなく姿もない。ただ声だけがそこにある。
警戒することもなく、鎧は座ったままふぅと息を吐いた。
「それは……その通りね」
「彼女達のこと、お願いしますよ」
「分かっているわ」
その声には疲労が滲み鎧は少し同情する。
能天気な誰かさんに責任をとらせればいいのにと思うが、そうなった場合上手くできないから全て破壊してしまえともなりかねない。
「不可抗力で違う場所に飛ばされた挙句、上の手駒になって尻拭いをさせられる。同情しかないでしょう?」
「管理不行き届きというのなら、その通りよ」
「先回りして障害を排除してくれてもいいんですよ?」
「私達が下手に動けばもっと面倒なことになるって分かってるでしょうに」
できるならとうにそうしている。
そう呟く女の声に鎧は笑いながらカップにお茶を注いだ。
「相手は大喜びでしょうね」
「だから頭が痛いのよ」
「いっそのこと、まっさらにしようと思うくらいに?」
「私は思わないわ」
ため息をつく声に鎧は積み上げられた本の背表紙を撫で、一冊を手に取る。
パラパラと捲り適当なページを開くと、温い風が吹いた。
「本当にそうだといいね」
風と共に消える気配を感じながら鎧は誰もいないガゼボの中で呟く。
開いたページには神託を受けた勇者と呼ばれる存在が集い邪神と対峙している絵が描かれていた。




