244 残念でした
「チャンスをふいにした馬鹿だって思う?」
「いいや」
ぼーっとしながらお茶を飲み、少しずつ落ち着いてきたコスモスが尋ねる。
何とも思っていなさそうな鎧の返事を聞いてから、自分は逆の答えを望んでいたのかという事実に驚いた。
(せっかくのチャンスを無駄にして、と責められたかったのかしら。馬鹿なことをしたっていうのは自分でも分かっているのよね)
「キミが嫌だと思ったならしょうがないだろう?」
「滅多に無い機会だったのは事実だもの。自分でもどうして飛び込まなかったんだって思うんだけど……」
「もう一度同じ場面を前にしたら飛び込んだ?」
「さっきと同じってことよね。それは……無理だわ」
ゆっくりと先ほどのことを思い出して、何度もシュミレートしてみる。
目の前には帰還できる転移扉があり、それは自分がずっと求めていたものだ。
この世界が嫌いなわけではないが、生まれ育った元の世界に勝るものはない。
自分の家庭があるわけでも、恋人すらいない自分にとっての大切なものは家族と友人くらいなもの。
日々は会社と家の往復だけで、刺激的なことがあるわけでもない。
それでも帰還を望むのは、そんな日々でも自分は満足していたからだろう。
(ヒーローになりたいとか、誰からも愛されるようになりたいとか、特別な存在になりたいとか思わないからなぁ)
人魂の姿だって望んでなったわけではない。気づいたらこうなっていたから仕方がなくそのままで過ごしているというだけだ。
恐らく体は元の世界にあって、中身だけがこちらに来てしまったのだろうと言われたが冷静に考えてみるとそれもそれで充分異常である。
(マザーのおかげ、か)
幽体離脱のようなものか、と思いながら自分の存在を安定させてくれたマザーには感謝しかなかった。
彼女のお陰で偉そうに色々な場所を行き来できているのだ。
「だったらしょうがないと思うけど。どうしたいかはキミが決めることだからね」
「それは……そうよね」
「後悔する気持ちも分からなくはないけど」
「そう?」
「もしかしたら、帰れたかもしれないっていう思いはこれらもずっと持ち続けると思うよ」
「そうね」
鎧の口調は穏やかだがその内容はコスモスの心を刺してくる。
その通りなんだよな、と思いながら彼女はお茶を飲み干してポットに手を伸ばし止められた。
どうやらお茶を注ぐのは鎧の役目らしい。
「はぁ。これからあの転移扉と似たようなものを探せばいいわけ?」
「そうだね。ここの他にもあるだろうし」
「知ってるの?」
「詳しくは知らないけど、あったとしても起動できないだろうね」
「じゃあ、ここしかないじゃない!」
鎧曰く気まぐれな転移扉を観察する日々が始まるのかと嫌な顔をしながらコスモスはシフォンケーキを口に運ぶ。
これら全てが鎧の用意したものだというのだからすごい。
「まあまあ。その手がかりを得るのも含めて教会本部にも行くんだろう?」
「あー、天使の眼のこともあるからね」
「お人好しだよね」
「協力してもらってるついで、よ。邪魔してくる人達もいるし、邪神復活を目論む変な集団もいるし……関わりないのが一番なんだけど」
向こうから関わってこられたら避け続けるにも限界がある。
さっさと処理してしまった方が後が楽だと考えてしまってるのも危ないがしょうがない。
「……人気者だね」
「本気で言ってる?」
「嫌味じゃないよ。それだけキミが彼らにとって邪魔だってことだけど」
「マザー狙うより私を狙う方が簡単だからじゃない?」
「それもあるだろうね」
下手な慰めをするでもなく鎧はコスモスの言葉を肯定する。
そこに悪意は感じられないが、からかっているのかと思ってしまうのもしょうがない。
(こんな人気者になりたいわけじゃないのになぁ)
「ただ無事に帰りたいだけなんだけど……ここに来る前の状態に戻して欲しいだけなんだけどなぁ」
「それがこんなに大変だとは思わなかったよね」
好きで召喚されたわけじゃない挙句に中途半端な形でこちらの世界に来て、帰還までの方法が高難易度だということに何度心が折れそうになっただろう。
「帰ることしか願ってないのに、邪魔しないでほしいのよ」
「そうだよね。キミは邪魔されるから対処しているだけで、彼らの目的を知りたいわけでもそれを邪魔してるわけでもないんだよね」
「その通りよ」
面倒なことには極力関わりたくないのに、ちょいちょい関わってしまうのは向こうが自分の邪魔をするから悪い。
大きく何度も頷くコスモスに鎧は笑いながら切り分けたフルーツタルトを皿に乗せた。
「はぁ。とりあえず、ここに転移扉があるのは分かったから余裕はあるわ」
「気まぐれなのに?」
「気まぐれだろうと転移扉があるのも、その転移扉が生きてるのも事実だからね。何も無いよりはマシでしょう」
「前向きだね。あとはいつ起動するか分からないのに」
鎧の言う通り、次はいつ起動するのかは分からない。起動したとしても浦島太郎状態になっているかもしれないし、無事に元の世界へ帰れる保証もない。
分からない事だらけだからこそ、転移扉についての情報も必要だ。
「一喜一憂するなってことでしょ? 分かってるわよ。本当に分かってるかは知らないけど」
「あと百年後に起動するとしても構わないってこと?」
「帰還する時間が、ここに来る前の時間であれば何とかなるでしょ」
そのくらいの調整ならできるだろう、と安易に言い放つコスモスに鎧は思わず笑ってしまった。
どこまでも自分に都合の良い考え方だが嫌いではない。
「なるほどね」
「取説とかないの?」
「随分前のものだからね。転移扉の存在自体知ってるものは限られてるだろうし、それを熟知して扱えるなんていないだろうね。でも、取説か……もしかしたらあるかもしれないなぁ」
口伝のみで書き記したものがない場合は自力で解明していく他ないが、あるかもしれないという鎧の言葉にコスモスは希望を見た。
「結局それについても情報収集しながら頑張って探さないといけないわけか」
「そうだね。仮に知っていたとしても簡単に教えてくれるはずもないだろうし、もし誰かが取説を持っていたとしたら、厳重に保管してあるだろうからね」
「あー転移扉のことを知っていればそれも当然か」
自分がもし転移扉の存在を知る数少ない一人だったとしたら、知らないふりをし続けるだろう。
転移扉を探して誰かが訪ねてきたとすれば尚更警戒する。
「あ、それなら転移扉の存在私に教えちゃって良かったの?」
「教えたところでどうすることもできないからね。キミは無事元の世界へ帰りたい。それには転移扉が必要だ。他にも方法はあるかもしれないけど、今のところ有力なのは転移扉だけだろうね」
うんうん、と頷きながらコスモスは願いを叶える魔道具と併用すれば確実に自分の完璧な帰還が叶うのではないかと考えた。
(でも、願いを叶える魔道具は探すのやめるように言われたのよね)
「その転移扉の存在をキミは他に漏らすかい?」
「しないわね。帰還方法を奪われるかもしれないのに他人に教えるなんてとんでもないわ」
「そういうことだよ」
「そういうことか……」
頭を抱えるコスモスに鎧は笑った。
詰むじゃないと呟く彼女を見ながら、彼はのんびりお茶を飲む。
穏やかな日差しに爽やかな風が通り抜ける。ガゼボの中はいつもと変わらない。
唸りながら背もたれに体を預け、遠くを見つめるコスモスは時間を忘れてしまうこの空間に少しずつ眠くなってくる。
(そろそろ戻れってことかな)
「ふわぁ。ちょっと寝るわ。何か情報あったら教えて」
「分かった。おやすみ」
そうしていつものように帰ってきたと思ったコスモスは、雰囲気が違うことに気づいて目を開けた。
生命力溢れる緑と鮮やかな花。
穏やかな庭の中にあるガゼボの中で目覚めた彼女は眉を寄せた。
「え、帰ってない?」
「あ、おはよう」
「いや、うん。おはよう」
口元を拭って体を起こした彼女に、外に出て草花の様子を見ていたらしい鎧が声をかける。
特に驚くことのない彼にぽかんとしていたコスモスは周囲を見回して、目の前に置かれたカップに気づいた。
テーブルの上を埋め尽くすように並べられていた菓子類が乗った皿は片付けられており、レースのテーブルクロスの上には一組のカップとソーサーだけが存在する。
「目覚めにはハーブティーがいいと思って」
「はぁ、どうも」
「すっきりすると思うよ」
この展開は初めてで動揺しながらコスモスは言われた通りカップに口をつける。
爽やかな香りと同じようにすっきりとした味で目が覚める。
「びっくりした?」
「そりゃそうよ。いつもならアレで戻ってるはずだから」
「そうだよね。私も驚いたけど、消える気配がないからただ寝てるんだなと思ったんだ」
「驚いたようには見えないけど」
「もともとこういう顔だからね」
少し照れたようにそう告げる鎧に、コスモスはどこから突っ込むべきなのかと首を傾げた。
(顔? 顔ってどこ? 声の調子から何となく感情は分かるけどあの兜が表情を変える? いや、変わってないわ)
無機質な全身鎧が金属音を立てながら草木に水をやったり、木の実り具合を確かめているだけだ。
見た目とは違い穏やかで優しそうな青年の声でコスモスの様子を心配している。
(どういう仕掛けになってるのかしら)
探ろうとすれば弾かれ、彼を見る前に気づかれるのは知っている。
今の関係性を揺るがすような真似はしたくないが、好奇心と興味はあった。
(魔力で動いてるって考えるのが妥当よね。本体は他にいるとか)
「別に急いでいるわけじゃないんだろう? だったら焦らずにゆっくりしてるといいよ」
「そうね。水の大精霊様から精霊石をもらったばかりだし」
「馴染まないうちに飛んできたものだから、調子が悪かったのかな」
「どうなのかしら」
自分の体なのに良く分からない。死んでないから大丈夫だろうと欠伸をしていたコスモスは、似たようなものかと笑う。
「何か参考になりそうな資料とかない?」
「うーん。転移扉や天使の眼に関するようなこと?」
「そうそう」
「それだと……この辺りかな」
そう簡単に見せるわけにはいかないと言われるかと思ったコスモスは、パチンと指を鳴らした鎧に驚いた。
ドサドサ、とテーブルの上に何冊か本が積み上げられる。
突然現れた本を手にとって表紙を眺めたコスモスは、鎧と本を交互に見た。
「見てもいいからそこに置いたんだよ」
「あ、ありがとう」
「意外だった?」
「うん。外部持ち出し禁止どころか閲覧禁止だと思ってたわ」
「あはは。確かに、キミはここの関係者じゃないからね。でも何回か会って話してキミの人柄は分かったから大丈夫」
(え、知らないうちに分かられてた?)
鎧がただ単にお人好しなだけじゃないかと思ったが、一人でこんな所で暮らしている物好きだ。そんなわけがない。
(警戒され続けるよりはマシだけど……)
まぁいいか、と思ってコスモスは本を読み始めた。
パラパラと一枚一枚丁寧にページを捲りながらも本当に読んでいるのかと思える速度に鎧が不思議そうに尋ねてくる。
「キミって速読の才能があるんだね」
「まぁね。こっちの世界限定だと思うけど」
「なるほど。異世界人ゆえの才能か。見たところどんな文字でも解読できるみたいだね」
「それも助かってるわ。最初から言葉は通じるし文字も読めるから。それができなかったらもう、詰みよね」
時間をかけてどうにかして理解しようとする前に心が折れるだろう。
標準装備のようなものではないのか、と不思議そうに顔を上げたコスモスに、彼女の考えていることが分かったらしい鎧が小さく笑った。
どこか寂しそうに見える姿に首を傾げたコスモスだったが、再び本を読む作業へと戻る。
「標準装備……か。どうだろうね」
読書に夢中なコスモスに鎧のその言葉が届くことはなく、彼は風に揺れる小さな花たちを見つめていた。




