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242 チャンス到来

 ぐるぐると世界が回る。

 ふわふわとした感覚に目を閉じて流されるがままにする。下手に逆らおうとするものなら気持ちが悪くてしょうがない。

 頭痛がして、お腹がぐるぐると鳴る。

 排出するものが何もないのは幸いか。

 どうしてこんなに疲れているんだろうかと不思議に思いながらコスモスは気を失うように夢に落ちた。

(夢も見ず寝られればいいのに)

 その願いが滅多に叶わないのは知っている。ふわふわ、と落ちていく感覚に身を委ねたまま自分を引っ張ろうとするナニカを振り払っていく。

(どうせ辿りつくなら動く鎧のところよね。今後のこともあるし)

 よし、と気合を入れてコスモスは動く鎧のことを思い浮かべる。空の塔の住人であり得体の知れない変な鎧。

 しかし、今一番コスモスの願いを叶えることができそうなのはあの鎧くらいだ。

(実際に異世界から来て帰還した人を知っているというくらいだし)

 それがどこまで本当なのか分からないのが頭が痛い。

 どこまで信用できるのか、鵜呑みにして馬鹿を見ないか。

 疑心暗鬼になりながらも縋るのがそれくらいしかない現状が悲しい。

 今のところ害はないが、注意していた方がいいだろう。

(異世界人や異世界からの召喚に関する情報が少なすぎるのが難点なのよね。禁術指定されてて閲覧にも制限があるから仕方がないとはいえ)

 ゆっくりと落ちていきながらこのまま帰還できればいいのにと思った。



(まぁ、そんな上手くいくわけないわよね)

 分かってましたと思いながらもため息をついてしまうのは、もしかしたらの可能性を期待しているからだろう。

 どれほど望みが薄くても、縋りつかずにはいられない。それこそが、コスモスを生かしているものだからだ。

 いっそ、元の世界なんて忘れてこの世界を謳歌すればいいと考えたこともあるが無理だった。

 今や人魂の姿にも慣れ、元の世界では扱えないような力も扱えるようになってきた。それが楽しいと思える気持ちもある。

(居心地が良すぎると、帰らなくていいかなと思ってしまうのが怖いのよね)

 違う世界にすぐ馴染んでしまう異世界人は最初からこんな感じなんだろうかと思っていれば、匂いが変わった。

「よいしょっと」

 爽やかな風が通り抜けて木の葉が揺れる。柔らかな草の上に着地したコスモスは自分が人型になっているのに気づいて自分の姿を確認した。

 最近、エネルギーの消費を抑えるために球体になっていることが多かったので少し不思議な気持ちだ。

(いやいや、こっちが本当なんだから違和感なんて抱かないで)

 定期的に人型になる必要があるな、と思っていれば金属音が聞こえた。

「早いですね」

「……切実だからね。約束通り全ての精霊石を手に入れてきたわよ」

「とりあえず、あちらへどうぞ」

 どこか嬉しそうな声の鎧を睨むように見ていたコスモスはため息をついて、いつものガゼボへと向かった。

 いつ来ても気持ちの良い天気の庭園は休憩するのには最適だ。もっと頻繁に来れたらいいのにと思いながら、コスモスは出迎えの用意が終わっているガゼボの様子に苦笑する。

「来るの分かってたってこと?」

「何となくね」

「ふぅん」

 掴みどころがなく怪しくて胡散臭い。けれど不思議と害を与えるような存在ではないと思う。

(それが油断だってアジュールに怒られそうだけど。アルズはアレよね、いざとなれば片付ければいいからニコニコしてるかも)

 呆れたようにため息をつく獣の隣で可愛らしい笑顔を浮かべる青年の姿が容易に浮かぶ。

 自分の中にいる管理人達はいつもと変わらず穏やかな笑みを浮かべてコスモスを見つめていた。

「よくもまぁ、こんなに揃えられるわね」

「ここで採れる木の実の他に菜園もあるからね。茶葉も栽培してるんだ。後で見るかい?」

「そうね」

 材料だけではなくそれを作るであろう鎧の腕も中々だ。

 いつも夢現の状態でここへ訪れているが、現実に来ても同じなのだろうかと疑問が湧いた。

(いや、空の塔を探索とか鎧の秘密に迫るとか今はそれが目的じゃないから)

 気になるけども、と心の中で呟くとカウンターで資料整理をしていたアメシストが苦笑したのが分かる。

 ため息をついて座りながらもお茶を飲んで落ち着いてしまう自分に気づいてコスモスは再びため息をついた。

 そんな彼女を見ても鎧は何も言わない。

 全身鎧の彼の表情など窺い知れないが、何となく笑っているような気がしてコスモスは片眉を上げた。

「のんびりできていいわね」

「おかげさまでね」

「私の理想だわ」

「そうなのかい?」

 空の塔の内部だというのに穏やかな光景が広がっている。

 外界の騒ぎもここにいる限りは関係ない。

 周囲は魔物が出る森に囲まれているために侵入者なども滅多にいない。

 たまに迷い込んでくる者はいるかもしれないが、塔の内部に侵入できたものはいないだろう。

(魔物も塔内部にはいないのよね。結界が張ってあるにしろ、本能的に近づかないようになってるのかしら?)

 そんなことを思いながらコスモスは茶菓子を摘んだ。

「本当はもっと豪華にしたかったんだけどね。想像以上に早かったから私も驚いてしまったよ」

「来るの分かってたんじゃないの?」

「なんとなく、だよ」

 三段ケーキとか作りたかったなぁと呟く鎧を見たコスモスは、自分が食べていた茶菓子をよく見る。

(全身鎧なのに、料理上手いのね。凝った細工までしてるし。ホテルの庭でアフタヌーンティを楽しんでる気分だわ)

 ついつい気が緩みがちになりながらコスモスはここに来た目的を思い出す。

 思えば気持ち悪さも頭痛もなく、現実ではないからかと首を傾げながら鳩尾のあたりをさすった。

「具合でも悪いのかい?」

「悪かった……いや、今も悪いのかなぁ」

 起きたら吐きそうになっているかもしれないし、頭痛も腹痛ももっと酷くなっているかもしれない。

 そもそも、寝ているというよりは気を失ってここに来たのかもしれないと思ってコスモスはカップに口をつけた。

 ふわり、としたいい香りに気持ちが少し落ち着いた。

「大精霊様から精霊石をもらえたのはいいんだけど、水の精霊石を手に入れた途端に具合が悪くて」

 今までとは比べものにならないくらいの具合の悪さだが、最後の精霊石だからそれもしょうがないかと思っていた。

 三つの精霊石を取り込んでいるのに崩壊しない時点で凄いと言われていた意味がやっと分かったような気がして彼女は息を吐く。

 空になったカップにお茶が注がれ、鎧が正面に座る。

「なるほど。今まで精霊石を手に入れてから具合が悪くなったりした?」

「ちょっとね。落ち着くまで少し気持ち悪くなったり、こう、落ち着かない感じになったりはしたけど大したことなかったわよ」

「水の精霊石を入手して四つの精霊石が揃ったことで支障が出たのか。短期間に三つを取り込んで何事もなかっただけ幸いかなぁ」

 本人を目の前にして不安になるようなことを言わないでほしい。

 そんなことを思いながらコスモスは鎧を睨むように見つめた。

 視線に気づいた鎧は彼女の不機嫌な理由を察して「ごめん」と謝罪する。

(素直に謝られると調子が狂うけど、そうね。この人はこういう人だったわ)

 アジュールなら鼻で笑い、トシュテンなら笑顔で誤魔化していただろうなと思いながらコスモスはお茶を飲む。

 ふぅ、と自分の吐く息も良い香りがして体の中が少しだけすっきりした気がした。

「ここで休んでいくといいよ。向こうに戻るよりは居心地がいいはずだから」

「それはその通りよ。痛みも気持ち悪さも軽減してるから」

「四つの精霊石が君の中にあるからね。強大な力が安定するまで時間がかかるんだろう」

「……はぁ。お言葉に甘えて休ませてもらうわ」

「大精霊様から直接渡された彼らの精霊石だからね。普通のものとは違うからこそ内包されている力も強いんだ」

 背もたれに寄りかかりながらコスモスは頬を撫でる爽やかな風に目を細めた。

(精霊石は全部入手できた。願いが叶う魔道具が見つけられなくても他の方法はあるらしいから、ゆっくり帰るために英気を養って……)

 そこまで考えていたコスモスの頭にルーチェとレイモンドの姿が浮かんだ。

(あ……天使の眼か)

「色々と悩み事がありそうだね」

「四つ揃えたところですぐに帰れないのは分かっているから」

「そうだね」

「何か情報はつかめたの?」

「今すぐ帰還するなら可能だってことくらいかなぁ」

 一瞬、言われた意味が分からず視線を彷徨わせながら彼女は鎧の言葉を心の中で何度も繰り返す。

「は?」

 それを理解して出た言葉はそれだった。

 自分でも情けないと思ってしまったが、それどころではない。

 四つの精霊石を集めたところでまた何か探したりしなければいけないんだろうと思っていただけに拍子抜けである。

 あっさりと求めていたものが手に入っていいのだろうかと怖くなった。

(罠? いや、この鎧が私を罠にかける理由がないわね。例えマザーに恨みがあって娘である私を殺したとしてもマザーにダメージを与えられるわけでもないし)

「ごめんなさい。ちょっと、混乱してるわ」

「そうだよね。いきなりそんなこと言われたらそうなるよね」

「……からかってるの?」

「まさか」

 疑いながら尋ねれば即答されて反応に困ってしまう。

「このタイミングなの」

「向こうがこっちに合わせてくれると思ってた?」

「こっちの自由なタイミングで帰りたかったわ」

「ははは! そういう素直なところいいよね」

 褒められている気がしない。

 せっかくこっちで気分も良くなって落ち着いてきたというのに、また違う意味で頭が痛くなってきたと彼女は呟いた。

「今? 今なの? 今すぐ?」

「そうだね。少なくとキミがここに滞在している間かな」

「心の準備とかさぁ! いや、帰りたいは帰りたいけど中途半端ァ!」

 ここにいるのは鎧だけだからいいと思ったのか、コスモスは頭を抱えながら急に叫び出す。

 そんな彼女に動じる様子もなく、鎧はのんびりとお茶を飲んでいた。

「休みながら考えるといいよ。ここにいる限り、じかんはたっぷりあるからね」

「はぁ……」

 少し前の自分ならわき目もふらずに飛びついていただろう。今すぐにでも帰りたいと休むこともせず詰め寄っていただろう。

 しかし、今はどうだ。

 自分でも驚くくらいに躊躇っている。

(何も躊躇うことなんてないはずだけど)

「チャンスは一度だけ?」

「いいや。キミが持ってる精霊石を使えば恐らく帰還は可能だよ。ただ、面倒なだけで」

「……面倒で時間がかかる上に成功する確率も低い?」

「うーん、そうだね。実際やってみないと何ともいえないだろうけど。私もざっくりしたことしか分からないから」

 だからこそ召喚に関する情報を少しでも多く集めなければいけない。

 しかし禁忌とされた術だからこそ探すのも難しい。

(天使の眼に関する情報も含め、召喚に関する情報もあるんじゃないかって思ってるのが教会本部なのよね)

「でも今キミの願いが叶うチャンスがあるっていうのは事実だよ」

「……どういうものなのか、確認させてもらってもいい?」

「もちろん。心の準備が終わったら案内してあげるよ」

 見たところでそれが本当に帰還できる術なのかどうなのかは試してみなければ分からない。

 しかし、このタイミングで何故という疑問もあったコスモスに鎧は穏やかにそう答えるのだった。


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