239 しばらく行方不明のままでお願いします
休憩している巫女の様子を見ていたコスモスは、調子が悪くない彼女に安心する。
(私とアジュールは普通じゃないからいいけど、巫女様は普通の人だから疲れるかと思ったけど健脚だし体力もあるのね)
一般世間の人間と比べたら巫女という存在は普通ではないが、コスモスやアジュールから見れば充分普通に見える。
(いや、でも大精霊の巫女をするくらいだから普通というのもおかしいかも?)
「ふぅ。こうして外を歩き回るのも久しぶりですね」
「基本的に神殿内から出ることはないだろうからな」
「はい。その通りです。外出しなければいけない場合は代理を立てます。それは他の神殿も同じですね」
「どうしても行かなきゃいけない時はないんですか?」
「そうですね……そういう時もありますが、ここまで歩き回ることはないですね」
それはそうだろう。
さほど疲れていない様子を不思議そうに見つめていたコスモスだが、目が合った巫女に微笑まれて少し気まずくなる。
「心配なさらずとも大丈夫ですよ」
「確かに。暗闇の部屋でも正常な精神を保っていたくらいだからな。大精霊に気に入られ巫女になるほどだ。普通であるはずもないか」
「アジュール」
窘めるように獣の名前を呼ぶコスモスだが、彼はフンと顔を逸らすだけ。
石の上に腰を降ろしていた巫女は、ふふっと笑って自分の影を見つめた。
「ええ、貴方の言う通りです。私は大精霊様に仕える巫女ですから普通ではありませんね」
気を悪くしたわけでもなく、ふふふと笑う巫女に安心しながらもコスモスはアジュールの無礼を詫びた。
「さて、もう少しですから頑張りましょう!」
誰よりも頑張っているのは巫女だと思うのだが、それを口にすることはなくコスモスは「おー!」と声を上げた。
一体どのくらい歩いて、夜を明かしただろうかと思いながらコスモスは大きく伸びをして欠伸をする。
音も無く現れたアジュールは日課になった見回りを終え、周囲に危険なものは何も無いと教えてくれた。
柔らかい草の上でスヤスヤと眠っている巫女を見つつ、コスモスはそっと彼女に近づく。
水の精霊達が巫女を守るように集まっているが、念の為である。
「そろそろ出発した方がいいだろうな」
「そうね。アルズと連絡は取れてるとは言え、未だに巫女は行方不明のままになってるわけだし」
「それは何か考えでもあるんだろうな」
水の神殿や王都では騒ぎが大きくなっているらしい。
どうやら水の神殿にいた神官達の大半が捕らえられ、それは貴族達にも及んでいるらしい。
王家も大体そうなることは予想していたようだが、もう少し穏便に済ませられると思っていただけに頭が痛いようだとのことだ。
(女王様はこれを機に反王家派や急進派の貴族を綺麗に片付けたいらしいけど、そう上手くいくのかしらね)
自分達の問題をどうにかする為に神殿が巻き込まれたという可能性もある。
証拠はないが、もしそうだとしたら王家も警戒すべき対象だろう。
「王家の人間も避けた方がいいんですよね」
「はい、できればそうしたいのですが」
「なるほど。遭遇してしまえば保護されるだろうから大精霊の元には行けないということか」
「ん? それって、王家側が邪魔するみたいに聞こえるけど」
話せば協力してくれるんじゃないかと思ったコスモスは、言いづらそうにしている巫女を見て「あ」と呟いた。
「言いたくない?」
「……はい」
「王家の騎士達に護衛してもらえば心強いだろうがな。騎士には平民もいるだろうが、そのほとんどが貴族だ。巫女捜索に関わっている者となれば更に高位になってくるだろうな」
「あぁ、秘密裏に動いてるとか言ってたわね」
女王に忠誠を誓うのであれば問題ないのではとも思うが、その中にスパイがいないとは言い切れない。
騒動になっている今が好機と思っているものもいるだろう。
「はぁ……近づきたくないから気をつけよう」
「それが一番だ。奴等の揉め事は奴等だけで解決させろ」
「そうね。私とアジュールはいざとなればどこでも逃げ出せるけど、巫女様はそうもいかないもの」
「いいえ、コスモス様が無事であれば望みはありますよ」
真っ直ぐと見つめる綺麗な瞳に嘘はない。そう分かるからこそコスモスは眉間に皺を寄せてしまう。
「いやいや、教会が直接王家に介入するとも思えませんし。王家が手厚く保護してくれればいいんですけど……その、信用できます?」
「はい。女王陛下とはよくお茶を飲んでいますよ。最近は忙しいようで御一緒してませんけれど」
「関係は悪くない、か」
「この国は別名、水の国とも呼ばれていますから。水の大精霊様を奉る水の神殿に敬意を示すのは当然のことでしょう」
水の大精霊の恩恵に与って国が繁栄しているのならそれは当然だろう。
だったらば尚更、捜索している騎士と出会えた場合は理由を話して同行してもらうのが一番だが。
(大精霊に関することだから、できるだけ他には知られたくない、かな?)
ちらり、とコスモスがアジュールを見れば彼は周囲を見回して頷く。
幸いまだ自分達に気づくものはいないようだと思いながら、コスモスは防御膜を張りなおした。
それを見ていた巫女も何かを呟いてローブのフードを被りなおす。
「いい具合に朝靄が出ていますね。食事を摂ったら移動しましょう」
「はい」
移動中に見つけた木の実や、アジュールが持ってきてくれた保存用食料を食べている巫女は、いつものようにコスモスが入れてくれる薬草茶を飲んでほっと息を吐く。
(本当なら購入すべきなんだろうけど、接触はなるべく控えたいから仕方ないわね。ちゃんとお金も置いてるわけだし)
そんな面倒なことをするのか、と嫌な顔をしていたアジュールだったが、気持ちの問題だとコスモスに押し切られる形で分かってくれた。
姿の見えない客が出没するらしい、とちょっとした噂になっていることはまだ知らない。
トントンと人差し指でこめかみを叩きながら書類に目を落としていたトシュテンは、ふぅとため息をつく。
「どうですか?」
「順調のようですよ。でも、合流してもいいと思うんですけど」
「どうやらあの方にはやりたいことがある様子。いくら気配を消して後を追っても、見つかるのは時間の問題です」
不満そうに腰に手を当てるアルズに目もくれず、トシュテンはペンを動かした。
彼の周囲には書類の山ができている。
巫女不在ということは伏せられ、大切な祈りの儀式中で邪魔をすることは禁じられていると表向きには言っているがどこまで通用するものか。
ソファーに座って同じように書類仕事をしているレイモンドは眉間に皺を作りながら必死に手を動かしていた。
「面倒なことに巻き込まれちゃいましたね」
「神殿だけのことですめば良かったのですが、貴族が複数絡んだ由々しき自体ですからね。女王は最初から分かっていて見過ごしたのか……」
「オールソン君」
「分かっていますよ。私達は立派な監視対象ですからね。術を使って誤魔化してはいますから心配せずとも大丈夫です。それより、ルーチェ嬢はどうしました?」
愛娘の名前を出されたレイモンドは深いため息をついてペンを置くと、ソファーの背もたれに身を預ける。
「赤髪のお姫様と妙に意気投合しちゃって、今日も一緒にいるよ」
「そうですか、それは良かった」
「あまり良くないんだけどねぇ」
深いため息をつくレイモンドにお茶とお菓子を出しながら、アルズは首を傾げた。
「少しクセが強いですけど、悪い人じゃないと思いますよ。評判も良いですし」
「そういう問題じゃないんだよねぇ」
「ふふ、貴方の娘さんならそのくらい承知の上でしょう?」
「まぁ、そうだろうけどね。変に気に入られるのも後々面倒でしょ」
巫女が行方不明であると知っているのは、オールソン達を含め少数の神殿関係者と、その知らせを受けて秘密裏に動いている王家の一部の人間だけになる。
「オールソン氏が言う通り、王家側で動いているのは女王の命を受けた者達のようですね」
「そうですか」
「表に良く出る親衛隊ではなく、裏から王家を助ける部隊か。ボクも紹介して欲しかったなぁ」
噂によれば、出自は問わずその実力と女王に認められた者だけで構成されると言われる部隊だ。
「マスター達なら心配ないと思いますけどね」
「そうですが、念のためにこちらでも対策しておきましょうか」
「あーはいはい。お使いですね」
「おや、素直ですね」
「マスターと先輩のためですから」
会話をしながら何かを書いていたトシュテンはそれを丸めて紐で結ぶと、アルズに手渡した。
中身が何かも聞かず、彼はトシュテンに言われた通りお使いに出て行く。
「素直でいい子だよねぇ」
「御息女に関して、ですがね」
「それはキミも同じだろう?」
「当然ではないですか」
にこやかな笑みを浮かべながら言い切るトシュテンに、この場にコスモスがいたら変な顔をして嫌がるんだろうなとレイモンドは笑った。
(本当は、マザーの為にだろうけど)




