23 暗闇に明かりを
現地にて待機していた兵士がウルマスたちの姿を見るなり慌てて敬礼をする。
そして何度捜索しても低レベルの魔物しか存在しないことと、怪しい箇所は何一つ無かったということを報告した。
事前に聞いていた情報とほぼ同じ内容にクオークは「ふむ」と呟いて、同行していた魔術師に目を移した。
「魔力の気配は?」
「魔物以外感知できませんが、微量過ぎると感知するのも困難です。お恥ずかしい話ですが、私程度のレベルでは無理かと」
「……そうですか」
同行していた魔術師はギルドから紹介された人物らしく、その腕は中々のものだと言われている。粗野ではない言動にコスモスは「ほうほう」と呟いた。
(霊的活力は中程度。生命力よりも魔力のオーラが強い。なるほど、魔術師だわ)
信用していないというわけではないが、確かに中堅としては充分な強さだろう。平穏なミストラルにとってはこの程度であっても重宝されるはずだ。
「それで、どうするんですか? このまま帰ります?」
指名されて呼び出された上に現地にまで出向いて何も無かったでは格好が悪い。いくら探索しても無駄だと分かっているのだから、これ以上自分たちが探索しても無駄だろう。そう言いたいウルマスは首を傾げてクオークを見た。
彼は片手を顎に当てて何かを考えているらしく、じっと黒い蝶が目撃されたという洞窟の入り口を見つめている。
(私たちが入って都合よく見つかるといいんだけど……可能性は低そうだな)
ウルマスと同じ事を考えていたコスモスも溜息をついて近くの精霊たちを眺める。
この場所は他の場所と違って精霊の姿が少ない。
しかし、そんな場所もあるだろうとコスモスは欠伸をして隣にいるケサランに寄りかかった。
「あちらか出向いてくださると助かるのですけどね。そうもいきませんか」
「それだったら簡単に済みますね」
「どちらにせよ、本当に何も無かったのか実際この目で見たいと思っていたので確認するのも良いでしょう」
彼らの報告を信用していないわけではないのだろうが、実際自分の目で見たものしか信じられない性格なのか。
それとも、ただ洞窟内に興味があるだけなのかは分からない。
彼はいつもと変わらぬ冷静な表情のまま、ウルマスと空中で停止している蝶を見る。
「まぁ、簡単に見つかるとは思っていないからこそマザーは貴方がたを指名したのでしょうがね」
「あぁ、そういう事。ソフィー関係でちょうどいいからって呼ばれてると思ったんだけど」
ウルマスはマザーの姿を思い浮かべて苦笑した。
最初から活躍を期待されているわけではないと思っていたが、と彼はコスモスがいるあたりを見上げる。
「ごめん」
「気にしないでよ姉様。お役に立てるなら光栄だって」
マザーが一番協力してもらいたかった存在は、か細い声で謝罪を口にする。
何をそう謝る必要があるのかとウルマスは笑い、心優しい彼女に向かって笑みを浮かべた。
箱入り娘の世間知らずというわりには想像していたような我儘娘ではない。
どこか抜けているような会話も心地がよく、可愛い妹も彼女のことを話す時はいつも楽しそうだ。
最近その会話に加わるようになっているウルマスも、三人でいる時間がとても楽しいと思っていた。
「マザーも直接言えばいいのに、回りくどいよね」
「ね……」
一体何を期待しているんだろうと思いながら、コスモスは拒否権もなく可愛いムスメをこんな場所へと送り出した人物を思い浮かべる。
頭に浮かぶ彼女の姿はいつでも穏やかな笑顔だ。だからこそ、余計に腹が立つのだが。
「本来ならば、守護精霊の姿を認識できるソフィーア姫に同行願いたかったのですが病人に鞭打つほど私も残酷ではありません」
「当たり前だよね。もっとも、本調子であってもお断りするだろうし、守護精霊を同行させている時点でどうかと思うんだけど」
「それは……その、真に申し訳ないとは思っていますが」
「あーいいよいいよ。両陛下も父も、マザーですら了承してるんだから」
パタパタを手を振りながらウルマスは笑うが、その目が笑っていない。
怒っているのだろうかと心配したコスモスはウルマスとクオークを交互に見ながら様子を窺っていた。
他国の男から可愛い妹の名前を聞いて不快になったのだろうかと、クオークを見据えるウルマスの雰囲気にコスモスは困惑する。
「贅沢を言えばマザーにご同行願いたかったのですが、それは無理ですから。となれば、その声を聞けるという貴方が指名されるのは当然でしょう」
「だろうね。他に僕より秀でた人物なんて知らないし」
「ん? でも、所長が指名したとか言ってなかった?」
謁見の間での会話を思い出したコスモスが口を挟むと、ウルマスもそれに気づいたように首を傾げる。マザーからの指名ならば最初からそう言えば良いのに何故所長が指名したからという事になっているのだろう。
「でもおかしいな。僕は陛下から所長が指名したって聞いてるんだけど」
「あぁ、それは最初にそう提案したのがメレディス氏ですから」
話を聞けば、所長であるメレディスが途中報告にマザーの元を訪れた際にどうにも上手く行かないという事を相談したらしい。
研究者として謎の黒い蝶の事も気になるが、このまま事態の収拾が長引けば国に対して、ソフィーアに対して悪い噂がつきまとうのではないかとも心配していたとのことだ。
とりあえず捜索場所に行ってみないことには分からない。しかし、自分は忙しいので手伝いたくても無理だ。ならば、自分の代わりに精霊の声が聞けるウルマスを連れて行ってはどうかと提案したらしい。
何故そこで精霊が絡んでくるのかと不思議がる彼に、ソフィーアについている守護精霊の声も聞けるのだと知ってそのまま陛下に頼みに行ったということだ。
(ソフィーア姫の守護精霊は、表向きケサランになってる。黒い蝶に狙われていたのはソフィーア姫だからその守護精霊に協力を求めるのは当然か。で、ケサランが協力すると言っても単体で協力することはまずない。ケサランが協力するならそれは私が協力するのと同じ、ってとこかな?)
「全てはマザーの掌の上……か」
「姉様それちょっと本当に笑えない」
「うん、私も笑えない」
精霊を認識できる者は、各国の姫を除くと非常に少ない。それ故に、声だけが聞けるウルマスも珍しい存在だ。
精霊の声を聞けるが意思疎通は出来なくて不便だと言っていたが、人魂であるコスモスの声も聞こえているし会話も出来た。
霊体と話したことはたまにあるらしいが、コスモスが許可していないのに彼女の声を聞けたのはウルマスくらいだ。
コスモスとしては、精霊を認識できるよりも凄いことだと思うのだが本人は中途半端で苛々することも多いらしい。
「貴方が、精霊や、姉様の声を聞くことが出来たら手っ取り早かったんでしょうけどね。残念だなぁ」
(あ、駄目だよウルマス。彼は本当に精霊が認識できない事に関して悔しがってるんだから)
口に出さず心の中で叫ぶように言うのは、きっとウルマスが判っていてそう言っているからだ。わざとらしい言動にぴくりと片眉を動かしたクオークが洞窟の入り口を見つめながら歯噛みする。
「……そうですね。是非会話してみたかったものです」
「はいはいはい。じゃあ、早く洞窟探検しちゃってさっさと終わらせて帰ろうよ。日が暮れてお店やってなかったらソフィーにお土産買えなくなるよ! ね、ウルマス!」
険悪な雰囲気になってきたとコスモスは慌てて洞窟入り口まで移動すると、中へ入ろうとウルマスを急かす。軽く肩を竦め苦笑して歩き出す彼にクオークは眉を寄せた。
「姉様がさっさとしろってさ」
「確かに。入る前から無駄に時間を潰すのは得策ではありません」
入り口のところでウロウロしながら二人を待っていたコスモスは、暗闇が広がる洞窟内部をちらりと見て体を震わせた。
一人では決して来られない場所だと思えば、同意するようにケサランパサランも鳴く。
幸い内部の地図を作成し大体の地形を把握しているという兵士が先導してくれることになった。
「ウルマスさん、真っ暗なんですけど」
「ああ、ちょっと待って」
暗くて怖くて嫌です、と呟いているコスモスに苦笑してウルマスは腰に下げていた球体を取り出すと、何事か呟いた。
瞬時に物体の内部に光が点って明るくなるが、火ではない。
「えっ、なにそれ」
「携帯用のランタンだよ。よっと、じゃ行こうか」
ぽかん、としているコスモスの傍では兵士もクオークも同じようなものを取り出して明かりをつけている。
自分の知っているランタンとは違うと、少し興奮しながらコスモスはウルマスに尋ねた。
「これはね普通の火じゃなくて、魔法の火だよ。だから、ランタンが壊れても燃え広がったりしないんだ」
掌サイズのランタンは透明な球体のガラス部を支えるように金の細工がされている。腰のベルトに吊り下げられるようになっているらしく、飾りが施されたランタンはウルマスの手の上で明るく輝いていた。
「この上の傘を引っ張ると中の台座が閉じる仕組みになってて、それで火が消えるんだ」
持ち手と傘の部分も金で出来ており、上品だが豪華な仕上がりになっている。傘の上部には摘めるような突起がついており、恐らくそこを引っ張ると中心部の傘と台座が閉じる仕組みになっているのだろう。
(うわぁ、いいなぁ)
小型でありながら明るい。そして安全性も高いとくれば素晴らしいの一言に尽きる。
見れば先導する兵士とクオークの腰に下がっているランタンはウルマスのものとは形が違う。種類がいくつかあるのかと思って見ていると、ウルマスの話に気づいたクオークが僅かに眉を寄せた。
(ほうほう、クオークさんのは菱形ね。兵士さんのはウルマスと同じ球形だけど、質素だわ)
クオークが持っているのはきっと彼の国のものだろう。珍しくもなく、冒険者や兵士には必需品とも言えるらしい携帯用ランタンはきっと色々な種類があるに違いない。
その国ごとのランタンを集めるのも可愛くていいだろうなとコスモスが彼らの周囲を飛んでいると、ウルマスがくすくすと笑った。
「携帯用のランタンは小型でデザインも色々あるから、調度品としても好まれているよ。あとは、旅先のお土産とかね」
「分かる分かる。これは集めたくなっちゃうもん。収集心をくすぐられるわ」
「……そんなに物珍しいものですか?」
ありふれた物だというのに、と呟いてクオークが会話に加わる。ウルマスが彼を見るとクオークは眉を寄せながら止まったまま動かない蝶を見つめていた。
蝶は相変わらず花輪に止まって大人しくしている。
「姉様は箱入りの世間知らずだって、マザーも説明してたと思うけど?」
「いえ、確かにそうらしいですが。それにしても、あまりにも浮世離れしているというか……妹君もそうなのですか?」
不審がられるくらいこちらの世界ではありふれた物なのだろう。しかし、異世界から来たコスモスにとってはこちらの世界で見るもの全てが新鮮で好奇心を擽る。
これはまずい態度をとってしまったか、と焦る彼女にウルマスは笑顔を浮かべて前を行く兵士の背中を見つめた。
「ソフィーはアレクから色々聞いてるから知ってると思うよ。色々と彼からプレゼントされているからね」
「アレクシス王子ですか」
「そ、アレクはソフィーの婚約者だから」
笑顔で牽制するウルマスは妹の事を心配している兄の顔をしている。クオークが妹に興味を示し、狙っているのではないかと警戒しているのだろう。
コスモスはそんなに心配することもないだろうと思うが、兄としては心配し過ぎても損はないのかもしれない。
「そうでしたね。ああ、私も見舞いに伺わせていただきましたが、あれでは妹君がお可哀想ですね」
「見舞い客がみんな大人しかったら誰も苦労しないよ。ま、思慮ある輩は迷惑に思われるような振る舞いはしないさ。拒否されても来るような輩は、それだけ必死で上辺しか見てない“おばかさん”だってことだけど。予想以上に多かったな」
「ええ。見舞いと称して自分を売り込むのに必死な人物があれほどいるとは思いませんでした」
「そんなものだよ?」
人前に出る事がなかった姫を儀式で見るなり心射抜かれた人物はどのくらいいるのだろうか。
婚約者がいると知りながらもあれだけ求婚してくる人物が多いのだから、ウルマスたち家族は相当苦労したはずだ。
笑顔を浮かべて丁重にお断りしても、エルグラードが少々威圧気味にお断りしても、めげる事無く見舞いと称して少しでも親密度を上げようとする様は迷惑でしかない。
本当に一目惚れなのか、野心に利用できそうな従順そうな姫だからなのか。
強固な家族の壁に何度も立ち向かってくる輩を冷めた目で眺め、ソフィーアの元へ顔を出すのが日課になりつつあったコスモスは、今頃どうしているだろうかと愛らしい少女の姿を思い浮かべて息を吐いた。
「まったく、エテジアンの第三王子が婚約者だって言うのに引かないのは面倒だね。位が高ければ高いほど、厄介だよ」
「……それは、大変でしょうね」
よけいなことをしてしまった影響だろうか、と悩みながらコスモスは少年少女のことを思い浮かべていた。
ウルマスが言うように第三王子たるアレクシスが舐められているのか、それともミストラル王国が小さい故に甘く見られているのか。
どちらにせよ面倒なことになりそうだが、ソフィーアは全ての求婚を断って教会へ移るだろう。
体調が良くなり次第、移動できるように準備すると言っていたのでコスモスは少し寂しくなった。
あれだけ仲の良い婚約者のアレクシスと一緒になることができないのだから、ソフィーアとしても辛いはずだ。
しかし、彼の妻となるにはハードルが高すぎる。
守護精霊は元々いないのだからそれをどうするのか。
ケサランとコスモスは期間限定の手伝いをしただけであって、生涯ソフィーアと共に過ごすつもりはない。
コスモスが説得すれば、ケサランは守護精霊の代わりを務めてくれるかもしれないが彼女がいないなら精霊の力も使えなくなる。
二人のハッピーエンドを望んでも、その為に自分を犠牲にすることはできない。
コスモスは元の世界に彼女が望む形で帰りたいという願いがある。それこそ、何にも代えることができない願いだ。
(ソフィーア姫には悪いけど、私にも譲れないものがあるからな)
教会で過ごすことになればマザーの加護もあるので安心できる。どこの国から何を言われても対処できるだろう。
「それにしても、本当に何もないですね」
「出現する魔物も事前に聞いていた通り、弱いものばかりですからね。無視しても問題ないですから」
相手が強いと判断すると大抵の魔物はコソコソと逃げてゆく。
偶に背後から噛みつかれそうになったりするコスモスだが、彼らは体をすり抜けてしまうのでウルマスや兵士にあっさり倒されてしまっていた。
「よし、光キノコ採取。それと、光る花も採取。楽しいね、パサラン」
「姉様はぐれないようにしてねー」
「あれは一体何をやっているんですか?」
ウルマスの足元に生えていた薬草が、スッと消えていく。彼の言葉でコスモスが何かしているというのが判ったクオークは消えてゆく薬草を見つめながら首を傾げた。
「珍しいからとりあえず採取してるらしいよ」
「はぁ。珍しい、ですか」
洞窟内に存在するキノコや植物は特に貴重なものというわけではない。
この場所を好んで育つ生物や植物もいるが、どれも他で見る事ができるようなありふれた物だ。
想像以上の世間知らずなのかと見えないマザーの娘のことを考えながらクオークは呟く。
「そう珍しいものでもないのですがね」
「学者先生にとってはそうでも、一般人や良家の子女にとったら違うんじゃないの?」
「ふむ。なるほど」
そのわりに良家の子息であるウルマスは洞窟に入るのが初めてとは思えぬ程落ち着いているのも興味深い。
こういう場所に来るのは初めてじゃないのかとクオークが問えば、僅かに眉を寄せた彼が「初めてですけど」と可愛らしい笑みを浮かべて答えた。
「魔物弱いし、強い人三人もいるし。この布陣ならお化け屋敷も怖くないだろうなぁ」
「なにそれ。凄く楽しそうなんですけど」
「……タノシクナイヨ。チットモ、タノシクナイヨ」
お化けという単語に反応したウルマスの瞳がキラキラと輝いている。コスモスの声が聞こえぬクオークは何を話しているのだろうかと興味津々だ。
唯一先頭を行く兵士は場を弁えていて何も言わない。だが、時折「貧乏くじ引いたなぁ」と掠れるような小さな声で呟いているのをコスモスだけが知っていた。
「おや? そう言えば、蝶の姿が見えませんね」
先程まで宙に停止する形で存在していた蝶の姿が今は全く見えない。見間違いかと何度も大きく瞬きしたクオークは周囲を見回して、眉を寄せた。
どこかへ飛んでいったのかもしれないが、暗い洞窟内では良く分からない。
「貴方たちがあまりにもしつこいから逃げちゃったのかもね」
「ん? 消えてないよ。ただ、見えなくなっただけで」
「いいんだよ、姉様」
「……さっきまであったものが、消えた? 逃げた? いや、消滅した?」
これはどういうことなのだろうと立ち止まって考えていたクオークは、兵士が自分を呼ぶ声に気づいて慌てて彼らを追いかけた。
今考えるべきは黒い蝶の行方だ。幸福の蝶はマザーの娘の傍に好んでいるようなのだからすぐに消えてしまう心配をする必要もないと彼は一人頷く。
近づいてくるクオークを待っていたウルマスは呆れたような視線で溜息をつく。兵士が何かあったのではないかと心配するので、彼は「すみません」と謝ると何事も無かったかのように歩き出した。




