238 脱出と心残り
いつものように仕事をして、出されたお茶を飲んでから急に眠くなり、気づいたらあの部屋にいたのだと巫女は説明した。
時間の感覚も狂い、近づこうとすれば弾かれて傷ついてしまう精霊たちに心を痛めながら過ごしていたところでコスモス達が来たらしい。
「外に出ようとは思わなかったんですか?」
「何か目的があって私をあそこに閉じ込めていると思ったので、先にそちらを探った方が良いかと」
「随分と行動力のある巫女だな」
「まぁ、褒めてくださって光栄です」
外に出ようとしても出られないようにしてあったので無駄ではあるが。
大人しくあの部屋の中にいたのか、と驚いたように呟くコスモスに巫女はにこりと笑った。
「私達巫女は特に大精霊様と強い繋がりを持っていますので、それが消えぬ限りは大抵のことなら耐えられるのですよ」
「しかし、その大精霊の力が弱まっているようではな」
「……分かるのですか?」
「神殿に良からぬ輩が入っている時点で、力が弱まっていると思って当然だろう」
「それは……私が至らないばかりなので」
「水の大精霊は他の大精霊達の中でも優しく人に寄り添っている存在だと聞いている」
そんなお人好しのところを上手く利用されていいように使われているのではないか、と遠回しに告げるアジュールに、巫女は困った顔をした。
「確かに否定はできませんが……それは大精霊様が悪いのではなく、私の管理不足ですので」
「ええと、それで地下水路に来たのはどうしてですか? あの屋敷の地下がここに繋がっているのも驚きましたけど」
しょんぼりした様子で俯いてしまう巫女に、話題を変えるようコスモスが尋ねた。
「由緒正しい貴族の家には基本的に地下水路があるのです。ここマクリル国は水の国とも言われているのですが、こうして地下に水の大精霊様を讃える祭壇を作るのは当然のことだったのですよ」
「……そう、なんですね」
「今はもう見る影もないがな。長い間開くことのなかった扉、手入れがされておらず魔物の住処になりつつある」
「昔と変わらず水の神殿や大精霊様に敬意を払ってくださる方も多くいらっしゃいますが、そうでない方もおりますので」
怒ることはなく、少し寂しげに言う巫女の横顔を見ながらコスモスは言葉を探した。
アジュールは暗い地下水路でも迷うことなく先を歩いていく。
「水は澱み、汚れ、最悪だな。まぁ、巫女を拉致幽閉するような輩だから当然と言えば当然か」
「それで、このまま行けばいいんですか?」
「はい。この地下水路は万が一の場合の脱出路にもなっています。ですから、このまま行けば恐らくコーウェル領地外に出るはず」
少し悩むような表情を見せるものの、巫女の言葉は確信を持っているように力強い。アジュールはそんな彼女をちらりと振り返ると、小さく息を吐いて足を速める。
「悪いが、浄化してる暇などないぞ。どのみちこの家はもう終わりだろう」
「そうですね。私もそこまで優しくはないので大丈夫ですよ。巫女失格かもしれませんが」
「水の神殿の巫女様なんですから、水の大精霊様が最優先なのは当然ですよ」
「それに、この家がなくなれば淀みは止まるかもしれんからな」
ここに来るまで誰にも会うことがなかった。追っ手が来ていたとしてもアジュールが気づくだろう。
コスモスも念のために索敵はしているが、小物の魔物がちょろちょろとしているくらいだ。
「とりあえず、もう少しのはずです」
「そうだな。匂いが変わった。でも少し待て。私が先に様子を見てこよう」
すぐにでも外に出たいという巫女の心情を察したのか、アジュールは軽快な足取りでピョンと駆け出す。
しかし、出口らしい場所には分厚い扉があって簡単に外に出ることはできなかった。
「私が見てくるからアジュールは巫女様をお願い」
「……分かった」
スゥ、と壁をすり抜けていくコスモスは外の空気を胸いっぱいに吸いながら周囲を確認する。
潜んでいる者の気配もなく、魔物の気配もない。
鳥が囀り、木の葉が揺れる。どこにでもあるようなただの森の中だ。
「誰もいないみたい」
「ふぅ。良かったです。念のためにちゃんと扉を閉めておきますね」
「はぁ……新鮮な空気は美味いな」
大きく伸びをするアジュールの背後で巫女は扉をしっかりと閉める。
閉じた瞬間に淡い水色の光が走ったように見えたが、恐らく簡単に開かないようにするために術がかかっていたのだろう。
「さて、領外に出てから落ち着きましょう。お二方とも、こちらへ」
「私は姿を消していた方が何かと便利だろう。その為に頼みがある」
「まぁ、何でしょう」
「お前の影を貸してもらいたい」
「私の影を? 何をするのか分かりませんが、どうぞ」
(何をされるか分からないのに了承していいの? 大丈夫?)
あまりにも簡単に信用しすぎだろうと心配しながら様子を見ていたコスモスに、巫女はにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ。コスモス様の従者ですもの」
「はぁ、それはありがとうございます」
「では失礼する」
するり、と音も無く巫女の影に潜んだアジュールに巫女は「まぁ」と驚いた顔をして声を上げる。
本来忌むべきものであり、敵対するものであるアジュールという魔獣に対して興味津々なのだろう。
それを従属させるコスモスに対して反応が薄いのは、マザーの娘ならばそうなる可能性もあるかと思われているのか。
恐らく巫女同士で情報の共有がされているのも大きいだろう。
「さて、ここから領地外にはなりますがどうしたものか」
「私達はともかく、巫女様は目立ってしまいますからね」
「申し訳ありません。私が油断しなければこんなことには」
「遅かれ早かれこうなっていただろうから、タイミングが良かったと思うべきだろうな」
もしコスモスが各地の神殿を巡ることがなかったら、巫女の救出はもっと遅れていただろう。
(恐らくオールソン氏が王家に連絡してるだろうから、動いているはず)
手際の良い彼らのことだから、神殿に戻った時には神官の数が更に減っていることだろう。
(それだけ水の大精霊も巫女も舐められてるってことだけど)
「巫女様があんな目にあっていると知ったら、大精霊様は大暴れしそうなものだけど……」
それも優しいからで済まされてしまうものなのだろうかとコスモスは首を傾げる。
「それについてなのですが……いえ。今は神殿に戻ることを優先しましょう」
「いえいえ、ここなら誰もいませんから話してください」
厄介ごとに巻き込まれる予感がしたコスモスだが、巫女が躊躇ったのを見て周囲を見回す。
先ほどの場所からは離れており、周囲には嫌な気配もない。
魔物もおらず、小動物が時折姿を見せるくらいだ。
(どうせ巻き込まれるなら今聞いても後で聞いても同じだわ)
そんな事を思っているとも知らずに、水の巫女は感動したように目に涙を浮かべた。
「アジュール」
「大丈夫だ」
確認するように名前を呼んだだけで頷いた獣にコスモスは少しホッとする。
倒れていた丸太に腰を降ろした巫女は、川の水で喉を潤したお陰か先程よりも顔色が良くなっているように見えた。
心配しているのか、彼女の周囲に水の精霊達が集まっている。
「実は、大精霊様はトワの泉に篭られているのです」
「トワの泉?」
「はい。水の大精霊様が住まう聖地で、限られた者しか入れない場所です。最近その泉が枯れかかっていまして」
「それは、まずいのではないか?」
「ええ、その通りです。マクリルは別名水の国と呼ばれるくらい豊富な水資源が誇りなのですが、それらは全て水の大精霊様の恩恵によるものです」
それは書物にも書かれていた、とコスモスは読んでいた本の内容を思い出しながら頷く。
世間知らずのマザーの娘ということを知っているからか、巫女は丁寧に教えてくれる。
「泉の水は水の大精霊様の力と繋がっているので、大精霊様に何かあったりすると水が穢れたり枯れたりしてしまうと言われています」
「今までそういうことは?」
「幸いなことにありませんでした。そうなるだろう、と昔の書物に書かれているだけでしたので対処法を探すにもどうにもならず……大精霊様に関する貴重な本を入手したという誘いに乗らなければこんなことにならなかったのですが」
頬に手を当ててため息をついた巫女を励ますように、水の精霊達が身を寄せ合って彼女にぐいぐいとその身をくっつける。
巫女が彼らを優しく撫でれば、精霊達は嬉しそうに鳴いた。
「なるほど。その話を提案してお茶を入れたのはコーウェル家令嬢ですか?」
「はい……」
警戒心がないのかと思いたくもなるが、家柄がちゃんとしているだけに、まさかそんな行動を取るとは思わなかったのかもしれない。
(ということは、コーウェル家には勝算があったということよね?)
誰も負ける戦をするわけがない。
水の神殿の巫女に手を出しておいてタダで済むわけがないだろう。
その程度考慮の上での行動のはず。
「帰るよりも大精霊様の様子を見るのが先のようね」
「そうだな。アルズには伝えておく」
「よろしく」
「まぁ、よろしいのですか?」
「私達がここに来た目的は大精霊様に会うことですから」
その大精霊が弱っているなんて縁起でもないことだ。
どれだけ酷い状態なのだろうかと不安になりながら、自分が行ったところで何か役に立てるのかと疑問が浮かぶ。
「もしかして、私が行ったところでどうにもならないかしら」
「いいえ。コスモス様の顔を見れば大精霊様もお喜びになるはずです」
「そうかなぁ?」
「はい。あの方はヒトが好きですから」
にっこりと屈託のない笑顔を浮かべて両手を合わせる巫女にコスモスは視線を彷徨わせる。
アジュールは彼女の影に沈んだまま反応しない。恐らくアルズと連絡を取っているのだろう。
「場所はどこですか?」
「本当ならば一旦神殿に戻ってからにしたいのですが、このまま向かった方が良さそうですね」
「お疲れでしたら神殿に帰りましょうか?」
「いいえ。このまま泉に向かった方がよいでしょうね。そろそろ屋敷では騒ぎになっているはずですし」
魔法使い達は倒れ、別館を警備している者達は深い眠りに落ち、幽閉していた巫女はどこにもいない。
(そんな状況を目にしたら、血眼になって探すでしょうね。それこそ、神殿や王家が見つける前に探し出したいはず)
「トワの泉の場所はここから遠いのですが、大丈夫ですか?」
「はい。私とアジュールのことは心配いりません」
「まぁ、頼もしいのですね」
寧ろ心配なのは巫女だ。コスモスは認識できる存在が限られ、アジュールは巫女の影に潜んでいる。
隠れることのできない巫女だけが一番危ない。
(いざとなれば先回りして障害を排除するしかないわよね。とりあえず、防御膜を張っておこう)
ちらり、と巫女の影を見れば赤の双眸が任せておけとばかりに瞬いた。
(先制攻撃はアジュールがしてくれるから、初手で仕留められるでしょう? 逃げるので頭がいっぱいだったけど、あの家燃やしてくるべきだったかしら)
トシュテンが聞いていたら咎められそうなことを思いながらコスモスはため息をつく。
「では大精霊様の元へ向かいましょう」
フードをかぶりなおした巫女がにっこりと微笑んでそう促す。
さすが巫女というべきか、それとも個人の性格なのか。
どっちもかな、と思いながらコスモスは近くにいた風の精霊に周囲を警戒してほしいと頼んだ。




