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233 渦巻く闇

 にこにこと笑顔でコスモスを見つめてくる女王陛下に、見つめられているコスモスは居心地悪そうにプリニウスへ助けを求めた。

 視線の意味に気づいた彼はため息をついて大きく咳払いをする。

「陛下、それで今回は何用ですか? 御息女が怯えられていますのでほどほどになさってください」

「え~やだぁ、怖がらせたりなんてしてないもの。ねぇ?」

「そこで怖いですと素直に言えるわけがないですよね」

「やだぁ、娘ちゃんたらぁ」

 少しはお忍びの格好くらいしろと軽く睨んだプリニウスだったが、本人には何も響いていないらしい。

「一応、そうだな。私の知り合いの商人ということにしておいてくれ」

「はぁ」

「はいはい。これでいいかしら?」

「最初からやっていただきたいものですね」

 パチンと指を鳴らせば彼女の髪と目の色が変わる。身につけるものも簡素なものになりはしたが、その程度で彼女の美しさが損なわれるわけではない。

「……失礼ですが、現状を理解した上でここにいらっしゃるのですか?」

「あらぁ、オル君怖い顔してもいい男よねぇ」

「えっ安全なはずの公爵邸内で襲撃されるのって、ピュアさんのせいですか?」

 いくら今はお忍びだと言っていようが相手はこの国の女王陛下である。

 どう言ったものかと考えるトシュテンの横で、コスモスは「うわっ」と言いながらそう尋ねる。

「あぁ、なるほど。お忍びがバレているということですね。有り得ますね」

「やだやだ、私そんな窮地に陥るようなことはしてないわよ」

「防御結界の綻びがある箇所からお前の気配がしたのだが、どう言い訳をしてくれるのかな?」

 音もなく現れた魔獣に驚くことはなかったパーピュアだったが、彼が静かに発する言葉に目を泳がせる。

 鋭い目つきで睨みつけるプリニウスから視線を逸らし「うふ」と笑った。

「該当箇所を早急に修復するようにしろ」

「アルズがいる場所だ」

 静かに控える騎士に指示をしたプリニウスにアジュールが一人で暇を潰しているだろう後輩の名前を口にした。

「はぁー」

「あの、その……ごめんなさい。今まで気づかれたことがなかったから油断していたんだわ。私が行って責任をもって修復するわ。前よりも強固にだってするから」

「逆に邪魔なので大人しくしていてください」

「ううっ」

「城内でも油断できないでしょうに、気が抜けすぎなのではありませんか?」

 プリニウスとトシュテンの二人にそう言われてはさすがのパーピュアも大人しくなるしかない。

 自分のせいでコスモスが危険に晒されたとは思ってもみなかったのだろう。

(陛下ほどの力を持っているのにそんなことに気づけなかった? よほど疲れが溜まってるのかしらね)

「狙われると言えば、私もだろうけどピュアさんもですよね」

「あらぁ、心配してくれるの? 娘ちゃん優しい」

 シュンとして反省していたかと思えば、目を潤ませてコスモスを見つめるその変わり様。本当に反省したのか、と疑問の眼差しで見つめ返したコスモスに彼女は「うふふ」と笑った。

「え、連れてきた?」

「いやー! さすがにそれはないわよ! いくら私でもそんなことしたらマザーに怒られちゃう」

「今は怒られないんですか?」

「ハッ……オル君」

「当然、報告しますよ」

「ううっ!」

 もしかしてわざとかな、と冗談で言ってみたコスモスだったが微妙な空気になってしまって気まずい。

 慌てて否定する彼女の様子から嘘ではなく、偶然起こってしまったことだと分かった。

 しかし、トシュテンのとてもいい笑顔を見てパーピュアは眉を下げる。瞳を潤ませて彼を見るも、トシュテンは笑顔のままだ。

 サッと助けを求めるようにプリニウスへ視線を向けたパーピュアだったが、彼は優雅にお茶を飲んでいるだけ。

 ちらり、と視線が合ったかと思えばにこりと微笑まれ彼女はコスモスへと視線を移した。

「反省なさっているのでは?」

「そう……そうね。そうだわ。ごめんなさい」

「わざとではないのでしょうが、報告する義務はありますので」

「そうねぇ。娘ちゃんを危険な目に遭わせちゃったのこれで二度目だものね。私の力が足りていないせいだってまたうるさい輩に言われちゃう」

 はぁ、とため息をついて困っているはずなのだがどことなく余裕を感じる雰囲気にコスモスは首を傾げた。

「マスターは特殊故に捕縛されることはまずない。結界が弱まり内部にスパイが増えているとはいえ、万が一の時の対処はしているはずだ。それにあまりにもろくでもない奴等が集合しすぎている。本当に、偶然か?」

「ええ、偶然よ。だってそれがわざとだったら、私は娘ちゃんに嫌われちゃうかもしれないじゃない~。そんなのイヤイヤ」

「……」

 本当にそう思っているのかは分からないが、マザーに怒られるのは嫌だというのは本当だろう。

(ここにエステル様がいたら、ピュアさんについての情報も得られただろうけど……今頃何してるんだろうなぁ)

 最近姿を見せないエステルのことを思いながらコスモスは見合う二人を眺めていた。

 アジュールに睨まれても動じず「くすん」と泣き真似すらしてしまうほど余裕のあるパーピュア。

「今回はそういうことにしておきましょう。幸い、御息女は寛大なお心をお持ちですので気にしていないようですし」

「まぁ、びっくりはしたけどね」

「やっぱり後で私が責任をもって強化しておくわ。侯爵の監視つきなら安心でしょう?」

 にこりと微笑みながらカップを持ち上げるパーピュアにプリニウスはため息をつく。

 疲れたように「申し訳ない」と頭を下げる様には栄養ドリンクを差し入れしたくなったくらいだ。

「それで、ちょうどいい機会だからお願いがあるのだけど聞いてくれるかしら?」

「水の神殿へ向かうよりも大事なことでしょうか」

「もうっ、オル君たら怖い顔のままなんだからぁ」

「陛下」

「ふざけてなんてないわよぉ、真面目にやってるもの」

 その言動のせいでふざけていると受け取られてもしょうがない。

 おっとりとした雰囲気に思わず巻き込まれそうになるが、それも彼女の魅力なのだろう。

「水の神殿は急ぎではないと聞いたのよ。だから、少しお手伝いしてくれないかしらと思って。もちろん、対価は用意するわ」

「話の内容を聞いてからにしましょう。いいですか、御息女」

「どうぞ」

 こういう場面ではトシュテンに任せておくに限る。そう思いながらコスモスは頷いた。

 アジュールも特に文句はないのか大人しくその場で伏せながら様子を窺っている。

「私の知人が困っていて、その助けになってほしいのよ」

「またざっくりとした内容ですね」

「そうねぇ。知人というのは教会の司祭なのだけど、彼が保護している子が虚ろ病にかかっているようなのよ。神官達の力でもどうにもならなくて困っているって聞いたものだから助けになりたくて」

「申し訳ありませんがお断りいたします」

 詳細を話すパーピュアにトシュテンは即答する。どうしたものか、と彼を見ていたコスモスにトシュテンは口を開いた。

「御息女を危険な目に遭わせるわけにはいきませんので」

「ちょっとだけよ?」

「どこでその情報を知ったのかは知りませんが、ここオルクスで空ろ病が発生しているとは知りませんでした」

「なるほど。つまり、教会がその報告をしていないということか」

 王都にある教会の司祭がパーピュアの知人なのだとしたらそうなるだろう。

 アジュールが面白そうに笑いながら彼女を見つめるが、パーピュアは困ったような顔をして頬に片手を当てている。

 一方、トシュテンの目は鋭くなり少し空気がピリピリとし始めた。

「完全な報告義務違反だな」

「プーちゃんまで~?」

「あぁ……罠か」

「えぇっ! 娘ちゃんまでひどいわっ!」

「司祭が保護しているのは身元不明の修道女でしょう? 何らかの方法……魅了? で洗脳でもしているのかしら」

 ふと見えた光景に納得したように頷きながらコスモスはぶつぶつ、と呟き続ける。

 ただの幻視や幻覚だと笑い飛ばすには鮮明で、気味が悪い。

「……はぁ。ごめんなさい、コスモス。貴方の能力侮っていたわ」

「陛下」

「オル君もそんなに怒らないで! ちゃんと説明しようとしていたのよ」

「それにしては試すような言動だったがな」

「手厳しいわねぇ」

 観念したように息を吐いて素直に謝罪するパーピュアにコスモスは特に何も思わない。

 アジュールもニヤニヤしながら追い討ちをかけるのだが、トシュテンの表情は厳しいままだった。

「つまり、王都にある教会が乗っ取られたというわけですか」

「簡単に言ってしまうと恐らくそう。司祭は何とか逃げ出せて私のところまできたけれど、汚染は酷いようよ」

「そんなようには見えなかったがな……」

「表向きはね。私達の種族は魔力による抵抗力も他の種族よりも高いから。そのせいもあるんじゃないかと私は思っているの」

 となれば教会はほぼ掌握されていると言っても過言ではない。

 意外と早い回復だったなと思いながらコスモスは修道女と魔獣を思い浮かべた。

(恐らく前回よりもパワーアップしてるだろうなぁ)

「虚ろ病が出てるのは本当よ。主に神官や教会に保護されている人々ね。医者に診せてもよくならない、原因不明」

「他に信心深い貴族共も、だろう?」

「ええ、その通りよ」

「まさか」

 そう呟いてトシュテンはコスモスを見る。彼女は不思議そうに首を傾げた。

「御息女が狙われるのはそういうことか」

「え?」

「そうなの。マザーの愛娘であれば虚ろ病もたちまち治るという噂があるみたいなのよ~」

 まだ一部でしか流れていないという噂だがよほど必死なのだろう。

 コスモスは、認識されにくくて良かったと安心するも疑問が湧く。

「もしかして、来いってこと?」

「御息女」

「教会ってどこにあるんですか?」

「賑やかな城下町を見下ろせる場所にあるわ」

 咎めるようなトシュテンの声を聞きながらコスモスは考える。どちらにせよこのままではもっと酷くなっていくだろう。

(黒い蝶の目撃情報はどのくらいあるのかしら? まだそれほどいないのなら、今のうちに叩いておくしかないと思うけど)

「教会をまるごと結界で包み込むことは可能ですか?」

「可能よ」

「御息女!」

「放置しておけば病は城下にも広がるでしょう?」

 それが分からぬ男ではないだろう。そう視線で問えばトシュテンは眉を寄せてため息をついた。

「陛下の知っている情報を全て教えてください。話はそれからです」

「そうね~。ちょっと、真面目にお話しなきゃだめよねぇ~」

「やっぱり真面目じゃなかったんだ」

「あっ、ちが、違うのよ?」

「墓穴を掘ったな」

 ふぅ、とため息をついて表情を変えたパーピュアにコスモスがボソリと呟く。

 慌てたように悪意は一切ないと必死に否定するパーピュアだったがプリニウスが追い討ちをかけるように告げると何とも言えない表情をして深く息を吐いた。

「娘ちゃんがあまりにも可愛いから、ちょっとからかいたくなっちゃって」

「通じないと思いますが」

「も~! プ~ちゃんそこはフォローするところでしょ?」

「そんなことよりも、話を進めましょう。ここで何が起こっていて私達にどうしてほしいのか、正直にお願いしますね」

 にっこりと営業用のスマイルを貼り付けたトシュテンが有無を言わせぬ雰囲気でパーピュアを見つめる。

 さすがの彼女もそれには静かに頷くしかなかったようだ。



 彼女が話してくれた内容はこうだ。

 コスモスが国内で誘拐され、騒ぎになって一段落ついたと思ったが貴族内で怪しい動きをしている者が多くなった。

 自分が狙われているのならある程度放置したらしいが、そこにコスモスが含まれていると知って探りを入れていた。

 そんな中、オルクス国にある教会のトップでもある司祭が瀕死状態で運ばれた。

 秘密裏に運ばれた彼はとても衰弱しており、一目見て魔力による精神操作を受けていると分かったので隔離し、治療した。

 治療は成功し、死には至らなかったものの意識は戻らない。

 周囲を舞う黒い蝶を見て虚ろ病かとそこで初めて分かったとのことだった。

 すぐに教会へ医師を派遣するも、虚ろ病では打つ手がない。

 民衆に不安が広がる前に、感染症が発生したという触れ込みで教会を結界で覆い周囲を立ち入り禁止にした。

(黒い蝶に虚ろ病の症状。完全に罠だとは思うけど、ここまであからさまにする?)

 もっと大ごとになっていないだけありがたいと感謝すべきなんだろうかと思いながらコスモスは小さく唸った。

「なぜ先にそうおっしゃらなかったんですか?」

「最初からそう言ってたら協力してくれた?」

「……」

「娘ちゃんは協力してもいいと思ってるだろうけど、オル君達はそうじゃないでしょう? 一応教会本部にも救援要請をしたけど返事はまだよ」

「当然です」

「教会の判断を待ってからの依頼じゃ遅いのよ」

 だから多少乱暴な手だと知りつつも実行したということか。

 悪びれもせずトシュテンを見つめるパーピュアはいつものおっとりとした雰囲気はない。

「遅いという証拠が何かがあるのですか?」

「ないわ。全て私の勘よ」

「私としては本部に報告したのなら、返事を待ってから動くのが一番だと思いますが」

 トシュテンが言っていることは正しいし、それが普通なのだろう。

 さて、どうしたものかとコスモスは思う。

(この状況で手伝わないってパターンは無いと思うのよね)

「それは分かっているわ」

「どちらにせよやらねばならんなら、やって恩を売っておけばいいだろう」

「そういう問題ではないのですよ。御息女の身の安全に関わることですし、一国の大事でもあります」

 欠伸をしながらコスモスの座っているソファーの前まで移動したアジュールは彼女を見上げてニヤリと笑った。

「偵察してきたぞ。恐ろしいくらいに無用心でいつでも来てくださいと言わんばかりだったな」

「相手は?」

「想像通りだ。隠すことすらしようとしない。そのまま消してしまっても良かったんだが、施設全体に根を下ろしているせいで内部にいる者の命が危ういから自重した」

「どうする?」

「私はマスターにつくぞ。御守役がいなければどうしようもないだろう」

 自分以外に適任がいるかとばかりの口調に何も言い返せなかったコスモスは「そうね」と諦めたように呟いた。

「御息女様」

「オールソン氏の言うことは分かってるつもりよ。でもピュアさんがどんな気持ちで言ってるのかも何となくだけど分かる」

「娘ちゃん~」

「どうしてそこまで私を信用できるんですか?」

 それが疑問だ。

 いくらコスモスがマザーの愛娘であり、虚ろ病を晴らした前例があるとはいえ、そこまで親しい仲ではない。

 一国の王たるものが、そう簡単に良く分からないものを信用できるのかとコスモスは不思議に思っていた。

「あらぁ、そんなの簡単よ。娘ちゃんがマザーの娘であるかどうか以前に、私の大切な幼馴染の命の恩人だもの。それだけで信用するに値するわ」

「ゴホッ」

 胸に手を当てながら笑顔で告げるパーピュアに、お茶を飲んでいたプリニウスが咳き込む。

「そんなことだけで?」

「私にとっては充分よ」

 にこにこと笑顔を浮かべるパーピュアは本当に嬉しいのだろう。

 コスモスがちらりとアジュールを見れば、お前の好きにしろとばかりに視線を逸らされた。



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