231 モテ期?
ふわふわ、と漂いながら目的の人物を見つけたコスモスは相手に向かって急降下する。
「御息女、はしたないですよ」
「それはごめんなさいね。でも、予想外なことになってきたから」
「それとこれとは別でしょう?」
トシュテンは笑顔で言葉遣いも丁寧だが怒っているというのが分かる。
しかしコスモスは知らないふりをして彼の頭上に着地しようか悩みながら、中途半端な位置で止まった。
ため息と共に困ったような表情をしたトシュテンは、浮遊する彼女を優しく捕まえようとしたが、するりと避けられてしまった。
「窮屈でしょうが暫く我慢してください」
「分かってるわ。屋敷の外に出たりなんてしないわよ。邸内をウロウロするくらいは許してくれるわよね?」
「できれば部屋から出ないで欲しいのですが、そういうわけには行かないでしょうね」
「軟禁かなー?」
「滅多なことを言うものではありませんよ」
ふざけて言ってみただけたというのにトシュテンに怒られてコスモスは「ごめんなさい」と謝った。
「あぁ、そうだわ。何しようとしてたか忘れるところだった」
「どうかしたのですか?」
「ううん。オールソン氏が作った箱の改良型のような物に入れられたり、協力な捕縛の術がかけられた手袋に捕まったりしたから報告しようと思って。邸内でも油断できないわよねー」
すり抜けられるからどちらも問題ないけど、と付け足してコスモスはのんびりとした口調で告げる。
トシュテンの目が大きく見開き、口が半開きになっているのにも気づかずに。
「なっ! な、何故それをもっと早く……っ。侯爵には私から報告しておきますが、相手はどうされました?」
「アジュールが威嚇して、逃げ出したのをアルズが捕まえてどこかに連れて行ったわ」
簡単に想像がついたのかトシュテンは眉間を揉みながらため息をついた。
俯いたその顔が笑っているように見えたのは気のせいだろうとコスモスは視線を逸らす。
「事前に情報収集してるわりには、二人に慄いて逃げ出すのよね。意味が分からないわ」
「侮っているのかもしれませんね」
「ここの警備を疑ってるわけじゃないけど、侵入しすぎじゃない? それとも、相手がそれだけ必死ってことかしら」
スパイが何度も見つかっている以上、身辺調査も詳細に行われているはずだ。屋敷の主であるプリニウスがずさんなことをするようにも思えない。
「魔法使いが協力しているのかもしれませんね。すり抜けたと言えど貴方を捕まえられるというのも奇妙なものです」
「私を認識できる魔法使いなら、相当な手練なんじゃない? 更に気配を薄くするようにしてるし、身代わりに精霊を押し付けたりしてみてるけど」
「御息女……貴方は精霊を一体何だと」
「本人達が楽しんでるからいいかな、と思って」
コスモスたちを邪魔だと思う存在が、彼女を手に入れたいと狙っている人物に協力していたとしたら。
想像でしかないが、一番考えられるのがそれだ。
アジュールとアルズが暗殺者のような黒ずくめの人物を笑顔でどこかへ連れて行ったが、どこまで情報を引き出せるのか。
土の精霊はコスモスの代わりに捕縛されて、楽しそうな声を上げていたのを思い出す。
彼らは遊んでいるつもりなのだろう。
「はぁ。とりあえず、このまま私と一緒に侯爵のもとへ行きましょう。いいですね?」
「はーい」
特にすることもないので反対する理由がないコスモスは素直にそう返事をした。
(私なんて捕まえたところで利用価値ある? そこにないものをあると証明するにはどうするのかしらね)
コスモスが無事なのはすり抜けられるという能力があるからだ。
トシュテンが作成したものを模しただろう箱や手袋もすり抜けようと思えばできる。
最初から捕まらなければいいのだが、油断しているせいか捕まってしまうことも多かった。
(本当にどうやってアタリつけてるのかしらね。何か目印でもある?)
「あ……」
「どうしました?」
「ううん。認識できない人がどうして私を捕まえられるのかなと考えてたんだけど」
「ええ」
「もしかしたら精霊が多く集まるところに目星つけて、適当に捕獲を試みてるのかしら? と思って」
ふわふわ、と周囲に漂う精霊はそれぞれが勝手気ままに動いている。
身を寄せ合うこともあるが、コスモスの周囲に集まる精霊の数は通常目撃するものよりも多い。
だから逆に目立って分かりやすいのではないかと思ったのだ。
「けれど、精霊に好かれる人は他にもいるから当てはまらないかしらね」
「いえ、それかもしれませんね。あとは、こうして私達と話している視線から場所を推定しているのかもしれません」
「捕まえたところですぐ逃げられるって分かっているのに懲りないわよね」
「……それだけ必死なんでしょうね」
スゥ、と彼の瞳が鋭くなったのを見ながらコスモスは首を傾げる。
彼女が知るところでは、依頼主は複数だ。せめて同一であれば楽なのにと思うもしょうがない。
(実体がなくて良かったと思うのはこういう時よね)
これで五体満足で存在していたら、簡単に誘拐されていただろう。
それからどうされていたのかと想像するだけで恐ろしい。
「冷静に考えて、リスクが高すぎると思うんだけど」
「そうまでしても叶えたい何かがあるのでしょう。理解できませんが」
「うわぁ、絶対にロクでもないことだわ」
「でしょうね」
教会のトップであるマザーの娘を捕まえてすること。失敗した時のリスクを考えても尚、叶えたいこと。
(叶えたいことがあって必死になってるのは、こっちの方なんだけどな)
プリニウスの執務室の前まで行くと、扉の両脇に控えた護衛騎士が声をかけてくる。
当主に用事があるとトシュテンが告げれば、一人がノックをして室内へ来客を告げた。
「入ってもらってくれ」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
礼を言って入室したトシュテンとコスモス。仕事中だったらしいプリニウスは持っていた書類を置いて二人をソファーに座るよう促した。
「御息女には息苦しい生活をさせてしまって申し訳ありません」
「いえ。少し驚いてはいますが、危険な目に遭ったことはないので大丈夫です」
コスモスがそう言えばトシュテンとプリニウスは同時にため息をついた。
何かおかしなことを言ったかと考えていれば、トシュテンが呟く。
「一度誘拐されたではないですか」
「あぁ、優秀な神官様がいるにも関わらず?」
「……」
そうは言うもあの件がなければユリアに出会うこともなかった。
リーランド家から依頼を受けていたルーチェとレイモンド親子に会うこともなかっただろう。
月石鉱山には別の方法で侵入したことになったかもしれないが、リーランド家とアルテアン家もどうなっていたか分からない。
(アルズはあのタイミングで出会えなくても、偶然を装って接触してきそう)
「王家の馬車に乗って襲撃されて、家出したリーランド家のユリアの屋敷に運ばれてからお家騒動に巻き込まれて……考えてみるとひどいわね」
「あの騒動以降、アルテアン家は女王陛下に忠誠を誓った」
「あれだけの騒ぎを起こしてお咎めなしですか」
「そこは陛下も心苦しく思っている。しかし、御息女の存在をあまり大っぴらにしたくないとなれば……」
本来ならばアルテアン家は王家の馬車を襲撃させたことがバレて取り潰しになっていただろう。
しかし、教会側からの意向でコスモスの存在は表に出さないでほしいと連絡がきたそうだ。
「……それがマザーの意思であれば仕方ありませんね」
「でも、それってオルクスはマザーに大きな借りを作ったってことよね」
政治的なことは良く分からないが、その関係性は大丈夫なのだろうかと心配になる。
無事だったから大丈夫とコスモスが言ったところでどうにかなる問題でもないだろう。
「ええ、その通りです」
「けれど確かオルクスの現陛下はマザーとは知り合いでいらっしゃるとか」
「ですからその程度で済んだのです」
「なるほど。監視下において最大限に利用する、ですか」
アルテアン家に大したお咎めがないことが不満だったらしいトシュテンは、プリニウスの話を聞いて頷いた。
「あの事件後、早急にアルテアン家に捜査が入りました。主犯とされるコルダ家は取り潰されましたが」
「デニス・コルダ……」
アルテアン家の三男であるギュンターを利用していた彼の従兄弟。謎の修道女に入れ込んでおり、ユリアの姉であるドリスを唆した男でもある。
(結局、いいところまで追いつめたけど消えてしまったのよね)
完全に消滅させたわけではないから、今後も会うことがあるかもしれない。恐らくその時も彼が妄信していた謎の修道女と一緒だろう。
(オールソン氏の攻撃で修道女は致命傷になったはず。魔獣も瀕死に近い状態で助かっていたとしたら、誰かが裏にいるのは確定よね)
「そちらも行方を追っています。本当に御息女には申し訳ない事ばかりで……何かありましたら何でもお申し付けください」
(国と貴族と豪商と、保有する貴重な鉱山と教会トップの娘誘拐事件。頭が痛いどころじゃないわね)
薄紅梅の髪をしたおっとり美人を思い出しながらコスモスは周囲を見回した。
会話をするトシュテンとプリニウスの声を聞きながら、何かを探すように室内を観察する。
「オールソン氏、隣の部屋に陛下らしい人がいる気がします」
こそこそ、と小声でトシュテンに耳打ちしたコスモスはそのまま静かにお茶を飲む。
「……はぁ」
「申し訳ない」
「いえ、貴方のせいではないでしょう」
(聞こえないように小声で話したはずなんだけど、聞こえちゃった?)
ころり、とソファーの上で軽く転がったコスモスを手で押さえたトシュテンはプリニウスと顔を合わせて同時にため息をつく。
静かに立ち上がり歩いていくプリニウスが向かうのはコスモスが指摘した隣室だ。
あ、と声を上げそうになったコスモスだがプリニウスが口の前に人差し指を立てたのを見てこくこくと頷く。
(まぁ、大丈夫でしょう)
「きゃあ!」
スッと素早くドアを開けたプリニウスは悲鳴を上げて倒れた人物を見下ろしため息をついた。
「もぉ~ひどすぎない~? ぷーちゃんたらぁ」
「ぷーちゃん……」
「オホン、不法侵入ですか。随分と大胆ですね」
「違うのよぉ。散歩してたら迷っちゃって~」
そんな言い訳が通ると思っているのか、とコスモスが呆れながら二人のやり取りを眺める。
緩やかに波打つ薄紅梅の髪と淡い紫の目。どことなくアメシストと似た目の色だ、と彼女は自慢の管理人を思い浮かべた。
妖艶な美女を絵に描いたような人物だが、その仕草は幼さを滲ませる。
「陛下……」
「違うわよぉ。私はピュアお姉さんよぉ」
「はぁー……。お二方とも本当に申し訳ない」
「いえ、相変わらずのようで安心しました」
額に手を当ててため息をついたプリニウスは座り込んだままの彼女に手を貸して立たせる。
トシュテンは笑顔を浮かべて立ち上がると女性に向かって頭を下げ挨拶をした。
「あ~ん、いいのいいの。そう畏まらないでちょうだい。プライベートのピュアお姉さんなんだから」
「そこまで言うのなら変装くらいしたらいかがですか? それに安易な名前は特定してくれと言わんばかりですが」
「もうっ! 咄嗟だったんだからしょうがないじゃない」
(二人は仲良しなのね……なるほど)
一国の女王陛下とその臣下とは思えぬやり取りに、平和だなぁと思いながらコスモスはポットからお茶を注いだ。




