230 簡単なおつかい
水の神殿からの依頼で、神殿に来る前にミナモの洞窟からミズチの涙を取ってきてくれと頼まれコスモスたちはその洞窟にいる。
管理しているのが神殿だからなのか、魔物も比較的弱いものしか出現せず楽でいい。
ただ、他では見ることのない動植物が気になって時間をかけすぎているところはある。
急ぐ旅でもないので誰も文句は言わない。ルーチェも興味津々といった様子で淡く光る岩肌や、不思議な形をしたキノコを観察していた。
ミズチの涙とは、洞窟最奥にある泉の水のことらしい。
渡された空瓶はトシュテンが持っている。
(洞窟はオルクスにあるから水の神殿に来る前にってお使いだったわね。簡単にすみそうだから助かったわ)
水の神殿は大陸から海を渡って行かなければいけない。
普通は海路で行くのだが、幸いコスモス達は転移装置を使用できるために苦労することはなさそうだ。
(途中で海の怪物に襲われたり、幽霊船が接近してきたりなんてなさそうだから安心だけど)
そんなことを思いながらコスモスはレイモンドの様子を見た。
どうやら心身ともに回復しているようで、この長子なら無事に転移装置で移動できるだろう。
念の為移動する際もこうしてレイモンドの頭の上に乗っていればいいと思っていれば、先行していたアジュールとアルズが同時に足を止めた。
「どうしたの?」
「どうやら、お客様がお待ちのようです」
「片付け……」
「は~い!」
二人の代わりにトシュテンがそう答え、少し間を置いて喋り始めたコスモスだったが言葉を途中で遮られる。
遮った主であるアルズは元気良くそう答えて突撃して行った。舌打ちをしてアジュールが後を追う。
「いや、うん。ちょっと、冗談だったんだけど……」
「あの子に冗談はきかないと思うナァ」
いつでも許可が出れば攻撃するつもりだったのだろうとレイモンドは苦笑しながら走る。
ため息をついて先を行くトシュテンに隠れるようにしながらルーチェも呪文を紡いでいる。
しかし、途中で止めたのを見てコスモスとレイモンドは同時に首を傾げた。
「ルーチェ?」
「うん」
父親の呼びかけに前を見ながら頷くルーチェ。何が待っているのだろうかと思いながらレイモンドとコスモスは先へと進んだ。
清廉な空気が漂うその場所は、水の精霊が他の場所よりも密集していた。
大小さまざまな精霊はゆらゆらと漂っている。
一際目立つのは中央にある泉である。
ぼんやりした様子でその泉を見つめていたコスモスは、先行していたアジュールとアルズが警戒を解いたのを見て声をかけた。
「何もなかったわね」
「いや、奥にいるぞ」
「はい。眠っている様子なので何もしなければ問題ないかと」
泉の奥には穴がある。暗くて何があるのか分からなかったが、コスモスは「あ」と声を上げた。
相手を刺激しないように様子を窺えば、確かに生体反応がする。
(大きくて長い……何かが寝てるわね)
コスモス達がこの場所にやってきたのは気づいているだろうが起きる気配はない。
害がないと判断してくれたならありがたいとコスモスは空き瓶に泉の水を詰めているトシュテンを眺めた。
「はぁ。毎回こういうお使いばっかりだと嬉しいんだけど」
「まあまあ、お掃除も兼ねてるからしょうがないよ」
「そうですね」
経験を積んで成長する場でもあり、実力を試す場でもある魔物との戦闘はコスモスにとってもありがたい。
神殿側にとっても、他に頼むのではなく直接コスモス達に頼んだ方が楽というのもあるだろう。
(一応マザーの娘だけど、大精霊様の指示となれば関係ないものね)
ちやほやされたいわけではないので助かると思いながらコスモスは周囲に集まってくる水の精霊を見ていた。
きゃっきゃ、と楽しそうに漂う大小様々な精霊達。
他の属性の精霊もいるが、やはり水系の洞窟だけあって水の精霊が一番多い。
出現する魔物も水属性のものばかりだ。
「はい、無事に終わりましたよ。戻りましょうか」
「そうですね。何もなくて良かったです」
「残念だったとさっき言ってなかったか?」
「やだなー先輩。そんなこと言うわけないじゃないですか」
トシュテンが水の入った瓶をしまいながらそう言うと笑顔でアルズがコスモスを見上げる。
そんな彼にツッコミを入れたアジュールだったが、作られた綺麗な笑顔を見せる後輩にため息をついた。
「ふぅ、危ない危ない」
高い岩の上からコスモスたちの様子を観察していた少年は、大きな飴を舐めながら去っていく彼女たちを見つめていた。
「気配に気づかれた時はマズイと思ったけど、勘違いしてくれて助かったよ」
ため息をつきながら可愛らしい少年の眉には皺が刻まれた。何度も邪魔されて、好機とばかりに先回りをして待っていたと思えばどうやら違うらしい。
「何で、アレが僕の名前知ってるわけ? 直接聞けば良かったかなぁ。でもあの方に暫く大人しくしておけって言われてるし」
そう。彼が攻撃をしかけなかったのは彼が尊敬する主に大人しくしろと言われていたからだ。
コスモス達の姿を見かけても攻撃するなと言われている。正直不満だったが、あの方に逆らっていいことはない。
「あーでも苛々するなぁ。あいつらはダメならそれ以外ならいいってことだよね?」
誰に問うでもなく彼は首を傾げて泉の奥で眠る存在へと目を向けた。
にやり、と口を歪めて舐めていた飴がバキンと音を立てて割れる。
「うわっ、何だよお前」
立ち上がろうとした彼の顔を何かが横切る。そして邪魔するようにまとわりついてきた。
手で払おうとするも、感触がなく眉を寄せる。
「はぁ?」
ヒラヒラと舞うのは黒い蝶。自分も使えるそれらと全く同じもののはずなのに、何故か薄気味悪さを感じて彼は半歩退いた。
座ったままだというのに機敏に動く彼にその蝶はしつこくついてくる。
まるで、ここで暴れるのは許さないとでも言うかのように。
「もー! 何なんだよぉ!」
少し力を入れて攻撃してしまえば簡単に消えるはずの蝶。
だが、いくら攻撃しても消える気配がない。それどころか攻撃が通っていないようで彼は君の悪さを感じた。
「うるさいなぁ。消えてよね……僕の邪魔しないでくれる?」
怒気をこめて威嚇するも蝶は彼の顔の前でヒラヒラ飛んで邪魔をし続けた。
いっそ、食い殺してやろうかと少年が思った瞬間に蝶は彼の視界を塞ぐかのように大きく羽を広げる。
『やめて、ジャック』
「!」
優しく宥めるような声が聞こえ少年の顔が一瞬で変わる。
ぞわぞわとした気持ち悪さに身を震わせながら、黒い蝶を凝視した。
蝶は他と比べて特別というわけではない。
たくさんいる黒い蝶のうちの一つ。他の黒い蝶と何も変わりない。
おかしなところもないはずなのに、聞こえたのは嫌な声だ。
優しくてどこか懐かしさを覚えるような声に、誰かの姿が浮かぶ。
「やめろ。やめろやめろ!」
耳を塞ぐようにしながら身を屈め、絶叫した少年を黒い靄が包み込む。
ひらり、と蝶が彼に近づこうとしたが触れる前に彼の姿は消えてしまった。
その場には彼が食べていた飴が転がっているだけ。
静かにその飴に着地した蝶は暫くそこに留まっていた。
特に何事もなく無事に目的の物を入手できたコスモスたちは、プリニウスの屋敷にて一休みしている。
急ぐ旅ではないのなら、支度を整えてから水の神殿へ行こうということになったのだ。
そう提案したルーチェは買い足したいものがあるらしく、明日はレイモンドと共に買い物へ出かけるらしい。
それならば、とアルズも用事で外出すると言っていた。恐らくトシュテンもそうするのだろう。
となれば、必然的に暇になるのはコスモスとアジュールである。
コスモスが密かに集めていたカンテラはプリニウスが用意してくれていたので外出せずにすんだ。
(ただそういうのに興味があって集めてますって言っただけで、すぐ用意してくれたのには驚いたけど)
他にも必要なものがあったら用意しますとにこやかに言ってくれたが少し引っかかる。
「ねぇ、アジュール。お使いには行かせたのに極力外出しないようにされてる気がしない?」
「気づいていなかったのか」
呆れたように見てくるアジュールにムッとしながらコスモスはころり、とベッドの上で転がる。
用意された部屋は人魂が使うにしては充分すぎるほど広くて豪華だ。
「洞窟は街から離れているからな。その場所までは護衛をつけた馬車で移動。マスターが街に行きたいと言わないから向こうも楽だろう」
「うーん。プリニウスさんに聞いてみようかしら」
そう言いながら部屋を出て行ったコスモスを見送ったアジュールは一眠りするかと目を閉じる。
そして、そう時間も経たず戻ってきた彼女に気づいて目を開けた。
「どうだった?」
「笑顔で即答だったわ。必要なものがあれば何でも用意するって言われてしまったし」
「ふむ。お外は危険だということだろうな」
「馬鹿にしてる?」
「まさか。事実を言っただけだ」
なにも危険なのは魔物だけではない、と呟くアジュールにころころとベッドの上を転がっていたコスモスは動きを止めた。
「あぁ、なるほど。マザーの娘がここに滞在しているのがバレると面倒なのね」
「そのようだな。何度かここへ来ているが、その度に人員の変化もある。こんな短期間で何度も人が減るのはスパイを処分したりしてるせいだろうな」
「え、そんなに?」
そこまでの問題なのかと驚くコスモスにアジュールはため息をついて目を閉じた。
「自覚が足りんぞマスター。マザーの娘という存在がそういう奴等にとっては甘い果実に見えるんだろう」
「認識できなかったら意味ないのにね」
「そこは適当に何かしらするだろう。あの神官がマスターを捕獲するのに使った手も流出してると思え」
「あー」
そういえばそんなこともあったと思い出しながら、コスモスは「フフフ」と笑う。
「パワーアップしたから平気だと油断してるとまた痛い目に遭うぞ」
「うっ……」
その通りすぎて何も言えなくなるコスモスに、アジュールはもう一度ため息をついてから欠伸をした。
「まぁ、何があっても私がついている限りは平気だが」
「政治利用とか、実験体とか嫌だから大人しくしてるわよ」
透明人間よろしく好き勝手やっていた頃が懐かしく思える。
「万が一そんな場合になったら何とかできるだろう?」
「命の危機だからね。それはもちろん頑張るわよ」
「そうか」
「……何よ」
「いや」
強い口調で頑張って抵抗すると言うコスモスだったが、アジュールが何か言いたげに見つめてくるので唇を尖らせた。
何か文句でもあるのか、それともまた説教でも始まるのかと身構えた彼女に彼は小さく息を吐いてゆっくりと頭を左右に振る。
前例ができてしまったから心配しているのだが、防御機能が働いたお陰で命を落とすことはなかった。
それがどれほど幸運なのかよく分かっていなさそうだと思いながらアジュールは主人を見る。
(いや、分かっていてあえて知らないふりをしてるのか)
本人が知ったら怒りそうなことを思いながら、彼はベッドの上で飛び跳ねるコスモスを見る。
(……違うな。あれはただ能天気なだけだ)




