229 ぶら下げられた餌
場所が変われば生息する生物も変わってくる。魔物も今まで見たことのないようなものが多く見られ、軽くどかしながらコスモスはそれらをじっと観察していた。
(ハサミの大きな攻撃的な巻貝、槍を持つ二足歩行の魚。あのカニ家族の色違いもいたわね)
ほんの好奇心であれらは食べられるのかとアジュールに聞いたコスモスは、アジュールに笑われトシュテンには窘められてしまった。
アルズだけは単純に興味があったから聞いただけで本当に食べる気はないと分かっていたらしく、笑いながら丁寧にどれが食べられるのか教えてくれた。
「マスターがお望みなら調理してみせますよ?」
「いや、遠慮しておくわ」
「そうですか」
にっこりと笑顔で腕まくりをするアルズには、アジュールも言葉をなくしている。トシュテンは何か言いたげに眉を顰め、ため息をついた。
ルーチェはカバンから取り出した本を読んでいて、レイモンドはアルズの話に頷いている。
「魔物を食べるのは下処理が面倒だったり、難しかったりするんだけど美味しいのは美味しいんだよね」
「先輩はどう思います?」
「そこまで味にこだわって食べたことがないから知らん」
「あー、それ損してますよ」
「分かる」
アルズとレイモンドにそう言われたアジュールは渋い顔をしてちらりとコスモスを見上げた。
彼女は知らないとばかりに視線を逸らす。
「生きていく為に必要な食事なら、味なんて関係ないってことでしょ。それに、普通の食事にありつけるのならそれに越したことはないわ」
「その通りですね」
「それでも魔物は意外と食べられるものが多いし、一部の地域では未だに食べてたりするけど」
はぁ、とため息をついてルーチェは読んでいた本を閉じる。
神に感謝しなければ、と祈りを捧げるトシュテンを胡散臭そうな目で見上げた彼女は父親を見た。
「市場に出回ってる獣の肉や切り身も、魔物だったりするんだけど定着し過ぎて忘れてるからね」
「種類にもよるだろう。生物の進化の過程で凶暴化した獣程度ならばいいが、あの槍を持つ二足歩行の魚など無理だぞ」
「分かってる。でもね、世の中には悪食……グルメを追い求める人も多くてさ。色んな魔獣を食べてみた、とか言う人もいるわけ」
ちょっと狂気だよね、と呟きながらもレイモンドは楽しそうに笑う。
「コスモスは味覚があるんでしょう? 貴方ならどれが食べられるか見分けがつきそうなものだけど」
「うーん、どうだろう。確かに、あの巻貝とかカニならいけそうだけど、二足歩行の魚は遠慮したいかな」
こちらを見つけるなり鋭い牙をむき出しに突進してくる二足歩行の魚。
火の攻撃に弱いので精霊の力を借りつつ攻撃していたが、焼き魚の美味しい匂いが漂って思わず涎が出そうになった。
しかし、ぎょろりとした目玉や意味不明な雄たけびを上げる様子から間違っても食したくないと思う。
「魔物を簡単に食べようと思わないでください」
「いざそういう場面になったらの話よ」
「ふむ。毒抜きに便利そうだな」
「アジュール、聞こえてますけど?」
食べられればいいんじゃなかったのか、と睨みつけながらコスモスがわざとらしく大きな声でそう尋ねると彼はニヤリと笑った。
「気のせいだろう」
「はぁ。お二人ともそこまでです。戻ったら美味しい料理を食べさせてあげますから」
「空腹なわけじゃないのよ?」
ただの興味だったのだが、ここまで話が広がるとは思わなかった。
そう言いながらコスモスはレイモンドの頭上へ移動する。
「とにかく、魔物は食べない。もちろん、市場に出回っているもの、認可を得ているものならば可能ですが」
「さすが、神官さんですね」
にこにことアルズがそう言うもトシュテンは動じない。当然のことだとばかりに、レイモンドの頭上で欠伸をするコスモスを見つめた。
「いいですね?」
「はーい」
「はいはい」
「はぁ」
最初の頃は「はいは一度だけです」と注意されていたコスモスだが、何度もそう答えているうちにトシュテンが折れ注意されなくなった。
本当に分かっているのだろうかという目で見られたがコスモスは上機嫌に鼻歌を歌う。
「ここに生息する魔物は弱いのばかりですけど、油断しないでいきましょう」
「緩んでるのはコスモスくらいだと思うけど」
「あら、褒められてる」
「どこが褒めてるのよ」
自分が気張らなくても良い編成に思わず欠伸が出てしまうのも仕方ない。
これは寝すぎたというのもあるのだろうかと、コスモスは先ほど見た夢のことを思い出していた。
「え、全部集める前にその後の手順を教えてくれって?」
「そう。これから水の神殿に行って水の精霊石をもらえるのは確定だから、その後どうしたらいいのか先に聞いておこうと思って」
突撃した先にいた動く鎧を見つけてコスモスは詰め寄る。彼女の圧に驚きながらも鎧は困ったように笑った。
「全部集まってからでも遅くないと思うけどな。それに、他にも方法があるかもしれないし?」
「えぇ、例の魔道具探すのはやめた方がいいって言ったから苦労してるのに」
「言ったって、私が?」
「そうだけど」
「言った覚えないなぁ」
とぼける気かとため息をついてコスモスは彼の周りをぐるぐると回る。
「はぁ。せっかく四属性の精霊石が揃うのに打つ手無しってこと? 勘弁してほしいわ」
「まあまあ。手がないとは言ってないよ。でもそれには場所と道具がなぁ」
うーん、と困った様子で唸る鎧の正面で止まったコスモスは演技には見えない彼の様子にため息をついた。
他人を頼りすぎていたのが悪いといえば悪い。本来なら自力で情報を集めなければいけないのだろう。
今まで会う人に恵まれていたせいで、頼るのが当たり前と思ってしまっているところがある。
(ある程度頼むのはいいんだろうけど、やっぱり地道に行かなきゃダメか)
楽な道はないのか、と呟く彼女を労るように掌の上に乗せると鎧は庭へと移動した。
いつものガゼボでふかふかのクッションに座りながらコスモスは人型へと変わる。
それにも驚いた様子もなく鎧は丁寧な手つきでお茶を入れて新鮮な果実を皿へと取り分ける。
「四属性の精霊石を入手したら、それらの力をぶつけ合わせて強制的に空間を歪ませるって方法もあるんだけど」
「移動先の固定も、移動する対象の生存と状態も分からないランダム仕様になるんでしょう?」
「簡単に言えばそうだね。それに加え、よくない事も起きるかもしれないからオススメしないんだけど」
「よくない事?」
「まぁ……。邪神復活とか?」
嫌な予感がしたが認めたくなくてコスモスは冷や汗を流しつつ鎧の言葉を待つ。
軽い口調でそう言った彼に笑うべきかと思いつつも過ぎるのは別の場所に封印されているというろくでもない存在。
「私が帰ろうとする方法は、ろくでもない存在の封印を解く方法でもある?」
「正式な手順ではないと思うけどね。そういう乱暴なやり方もあるってことだよ。普通の人にはできないだろうけど、キミは特殊だから」
それはコスモスが異世界人だということなのだろう。
(何が何でも帰りたいっていう執念がもっと強いなら、この世界がどうなろうと構わないって思うんだろうけど)
そう思うにはあまりにも長居しすぎた。
「いいわ。急がば回れだものね。平和にそして確実に、無事に帰れる方法を探すことにするわ」
「いいの?」
「急ぎすぎて最悪な展開になるのは嫌だもの」
「そうだね」
笑いながら頷く鎧に自分がそう答えるのが分かっていたのかとコスモスは少し不機嫌になった。
「私の反応見て楽しんでるだけじゃないの?」
「まさか。心からキミに協力したいと思ってるよ」
(本当かしら)
疑わしいが彼も大事な情報源の一つだ。ここで切り捨ててしまうにはあまりにも性急だとコスモスも分かっている。
「とりあえず、水の神殿に行って水の精霊石を貰っておいで」
「分かったわよ」
「そうしたらまたここに来るといいよ」
そんなやり取りがあったのだった。
(結局、私もライトに頼めば何とかなるとか思ってる時点でダメなのよね)
面倒だからといって相手を完全に信用し、言われるがまま動くのもどうなんだと言われたばかりだったことを思い出す。
あまりにも的確に指摘されて何も言えなかった。
(ライトさんのことはまだ誰にも話してないけど、鎧には話しておいた方がいいのかもしれないわね)
動く鎧も、ライトも、どちらも完全に信用はできない。
けれど有用な情報を持っているのが彼らくらいだから思わず飛びついてしまうのだ。
もっと疑い深くなるべきかと悩みつつ小さく唸っているとレイモンドが声をかけてきた。
「どうしたの、精霊ちゃん」
「ちょっと悩んでて」
「ん?」
「目の前にぶら下がってる餌に飛びつきたいんですけど、自力で頑張ってそれが本当に食べられる餌なのか確かめるしかないのかなと」
あまり詳しいことが言えないからぼんやりとした説明になってしまう。
「なるほど。もしかしたら毒かもしれない、疑似餌かもしれない、食いついた途端に幻かもしれないってことかな」
「そうですねぇ」
「それはもう、時間はかかるかもしれないけど自力で餌取るしかないだろうね」
やっぱりそうか、と呟きながらコスモスはため息をついた。
「信用できる相手から与えられる餌にも注意が必要だよね。相手が騙されてる場合もあるから」
「むむむ。何も信用できない……」
「結局は、自分で何とかするしかないのか」
「そうそう」
経験者が言うのだからそうなのだろう。
今までこうして水以外の精霊石が手に入っているだけ順調すぎるのだろう。
(早く帰りたいとは思うけど、落ち着いてるつもりでやっぱり焦ってるのかなぁ)
急がば回れと言い聞かせなきゃ危ないなと思いながら、コスモスはアジュールだけには情報を共有しておくかと考えた。
彼はもうコスモスの手足であり、影である。
彼女に忠実に従う姿や戦う姿を見ていれば、裏切られたとしても「まぁ、いいか」と思ってしまえそうだ。
(それはそれで危機感がないって怒られそうだけど)
「精霊ちゃんが何をしたいのかは分からないけど、手伝える範囲でお手伝いするから気軽に言ってね」
「えっ」
「えっ、何その意外だなって反応」
アジュールがいて、アルズもいる。トシュテンも渋りながら手伝ってはくれそうだ。
それだけの頼れる相手がいるなら充分だと思っていたし、レイモンド達にはやらなければいけないことがある。
だからこちらのことを気にする余裕はないはずだ。
社交辞令だとしても気軽には言えないだろう。
「無理しなくていいですよ。お気持ちだけいただいておきますね」
「あっ、気遣われてる」
「そりゃそうですって」
「まぁ、そうなるかー」
営業スマイルを浮かべてよそ行きの声色でそう答えたコスモスにレイモンドは笑った。




