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22 翻弄される二人

 研究所は城の近くにあり、王都の中では城に次ぐ大きさだった。敷地も広く、研究所に近づくにつれマザーの気配が強くなるのを感じていたコスモスは溜息をつく。

 手伝えというからには探索に同行しろと言われるのだろうかと不安になる。

 自分に力は無い。ただケサランを始めとした精霊の力を借りて彼らにやってもらっているだけだ。

 得体の知れぬ人魂の指示通り動いてくれる彼らを思えば、何て心優しい子たちばかりなのだと改めて思う。友好的で素直に従ってくれなければソフィーアの儀式も危うかった。

 ぞんざいに扱ってしまうが、自分よりも凄いのは事実だから丁寧に接しないとなとコスモスは心の中で呟いた。

「さて、何が出るかなー」

「想像ついてるんでしょう?」

「まぁね。調査の手伝いだろうし。でも実際現場に出れたりとかするのかな。専門的な事ならそれこそ研究所にいる人やアクシオンさんだっけ? で、足りるだろうし」

 アクシオンとはもしかしてクオークの事だろうかとコスモスは彼を思い浮かべる。ソフィーアの可憐さに頬を赤らめ見惚れていた彼は精霊が見える他の面々を羨んでいた。

 研究者であるならその対象として精霊はとても興味深いものだろう。

 決して人魂に興味なんて持ちませんように、と祈りながらコスモスはクオークの事をウルマスに話そうか悩む。

(別にソフィーに手を出したとか、求婚したってわけじゃないからいいか)

 堅物で研究一筋と呼ばれる彼ですらソフィーアの可憐な美しさに見惚れてしまうのだ、とコスモスは何度も頷く。他を惹きつける要素を持つソフィーアに頬を赤らめるのも正常な印だろう。

「でも、わざわざ僕たちが呼ばれたってことは現場に行けってことだと思うんだよね」

「……楽しそうね」

「え! だって、ワクワクしない? まぁ、ソフィーが本調子じゃないしあの子の儀式で騒ぎが起こったからはしゃいでる場合じゃないのは分かってるけど」

 きらり、と瞳を輝かせたウルマスは現状はきちんと理解していますよとばかりに言葉を続ける。それでもソフィーアと同じ緑玉はキラキラと輝いていた。

 厄介ごとは嫌で回避したいが、こうなれば腹を決めて突っ込んで行った方が早く済むのだろうかとコスモスは考える。

 どちらにせよウルマスも想像している通り、調査隊に加われと言われそうな気がしていた。

 情報収集の役に立つかもしれないと言われたらコスモスとて動かぬわけにはいかない。

 ただマザーが持ってきてくれる情報を待つというのも苦ではないのだが、いつになるのかは分からない。

 動かずにいるより、行動しろと尻を叩かれそうだなと彼女は小さく笑った。

「おお、ようこそおいでくださいましたウルマス様」

「御機嫌よう。ご希望通り馳せ参じましたよ」

 兄弟の中でもソフィーアとウルマスは良く似ている。それに気づいたのか切れ長美形のクオークは僅かに目を見開いたがすぐに自己紹介をして頭を垂れる。

 穏やかな笑顔で出迎えてくれたマザーをジッと見つめながらコスモスは無言で抗議したが笑顔で流されるだけ。

 一通り世間話をし終えたところで、所長であるマウリッツが説明をし始めた。

 用意された椅子に腰を下ろしたウルマスの横に移動して、コスモスはマザーを睨むように見つめる。彼女は相変わらず笑顔を湛えたまま微かに口元を動かした。

(説明をちゃんと聞かなきゃだめよ? あーこれは完全に巻き込まれるパターンだわ)

 またこうして良いように扱われるんだわ、と呟いたコスモスの言葉にウルマスが微妙な表情をする。彼がちらりとマザーを見れば彼女はにっこりと笑みを浮かべて彼を見つめた。

「……というわけで、目撃情報が多数あったにしては成果が無しという結果です」

「ありとあらゆる場所を調べつくしたんですがね。面白いくらいに痕跡が消えている。目撃情報が間違っているかと思いましたがあれだけの人物が同時に嘘をつく理由も無い」

「うーん……幻惑とか?」

「そうだとしたら余計にそこに何かがあるという証拠でしょう」

 どうやらとある洞窟から黒い蝶が出てくるのを見たという目撃情報が多数あったらしい。調査隊は現場に向かい、その洞窟をくまなく捜索したが黒い蝶らしきものは一切発見できなかったという事だ。

 同行していたとされる冒険者ギルドの数人も目撃した人物であり、皆揃って「おかしい」と首を傾げていたとの事だ。

 万が一という事も考えられるのでどうやらギルドには黒い蝶を生け捕りにできたものには高額報酬を保証すると国から依頼が出ているくらいだという。

 そして、その報酬につられた人々が生け捕りにした黒い蝶を研究所に持ってくるのだがどれも偽物ばかりだとクオークは溜息をついていた。

 本物の黒い蝶は幸福の蝶と非常によく似ている。

 そして、クオークの国から研究員と共に到着したとされるその幸福の蝶は、テーブルの上に乗せられていた。

 透明なガラスのような四角い物の中に羽を広げた形で存在するその蝶は、コスモスが保有しているあの蝶と同じである。しかしすぐに消えてしまうのであれば、それも自分の持っているものも本物だという証拠は無いなと眉を寄せた。

「失礼ですが、それが本物であるという証拠は?」

 やはりウルマスも訝しげにクオークと四角い透明のケースを見比べる。実際目にした者が少ないだけにその信憑性も怪しいと疑うのは仕方がない。

 コスモスも自分が持っている蝶が幸福の蝶だとは思うのだが、証拠がないからそれ以上は何も言えなくなる。

「こちらにDr.ウィルの証明書があります。卵から孵した本物の“幸福の蝶”だと」

「あのDr.ウィルだから確かだとは思いますが、やはりどうしても」

「ええ、分かっています。ですから、そっくりな黒い蝶を捕まえる必要があるのですよ。こちらとしても、ね」

 じっとガラスケースの中に入っている蝶を見つめていたコスモスは「あれ?」と首を傾げた。それに気づいたマザーが小さく笑う。

「ウルマス、あの蝶生きてる」

「は?」

「それと、隠してたわけじゃないんだけど私も一応幸福の蝶持ってたりして」

「はぁ!?」

 ソフィーアに近づいて、触れようとした瞬間に事切れましたなんて事は口が避けても言えない。もごもご、と口を動かしながら驚いた声を上げるウルマスからコスモスは少し離れた。

 騙していたわけではないが、本物だという証拠も何もないからとしどろもどろになる彼女にウルマスは「別にそんな事で僕は怒ったりしないよ?」と苦笑する。

 機嫌を悪くしてしまったと思っていたコスモスはホッとしてマザーを見ると、彼女はにっこりと微笑み両手を差し出していた。

(え、何? 蝶を出せってこと? え、でも私と同じく認識できなくなってるんですけどって、マザーなら何とかなるか)

 ぽんぽん、とケサランを軽く叩けば彼は心得たとばかりにマザーへ近づき、その掌にペッと吐き出すようにして幸福の蝶を落とす。

 それを眺めていたマザーは小さく目を見開いた後、笑みを浮かべ何事か呟いた。

 柔らかな光が蝶に落ちたと思えばそれが波紋のように広がってゆく。不思議な光景だとコスモスが見つめていれば光は収まり、僅かに蝶の触覚が動いた気がした。

(え? 生きてる? 蘇生した!?)

「な、なんて事だ! マザーそれは!?」

「幸福の……蝶、ですか? 見せてください、ええ、その裏側です。あぁ、大人しくして!」

 ゆっくりと羽を動かしマザーの掌から飛び立った蝶は、興奮する二人の研究者と唖然とする青年を他所に優雅に飛行する。

 きらきら、と光の粒子のようなものが零れ落ちてゆく光景はとても幻想的だ。

「ほんもの? だって、こんな……え、あれが姉様の?」

「あぁ、うん。私が持ってた時は死んでたんだけど」

 一生に一度見れるかどうかという幻の蝶が目の前を飛んでいる事に頭が追いついていないのだろう。ウルマスは綺麗な瞳を大きく見開きながらその飛行する蝶を食い入るように見つめている。

「マザーが何かしたら生き返った」

「あら、だってあの子死んでなかったもの」

「は!?」

 コスモスはその言葉に目を丸くする。

 確かにあの蝶の霊的活力オーラは消えていた。霊的活力オーラが消えるという事は死という事ではないのかと尋ねた彼女に、マザーは頬に手を当て「うーん」と首を傾げる。

「確かにオーラが消えればそれは“死”には違いないけれど。貴方の霊的活力オーラを目視できる性能が低いってことも有り得るわ。私が見た時はほんの僅かではあったけれど、オーラがちゃんと見えたもの」

(えー、つまり私のオーラを見る能力が劣ってたから見間違えたってこと? それにしても瀕死状態だったっていうのに良く持ちこたえたな)

 これは教会に戻ってからまた詳しく霊的活力オーラに関する本を読み直して、練習をしなければいけないと思いながら、コスモスは室内を自由に飛び回る蝶を見た。

「まぁ、元気になったならいっか」

 キュルとケサランとパサランが同時に鳴く。

 口を開けて蝶を見つめていたウルマスは徐々に落ち着いてきたのか姿勢を正して蝶を追いかけるいい大人二人に視線を移した。

 捕まえようと室内を走り回る所長とクオークを翻弄するように、幸福の蝶はヒラリヒラリと飛んでゆく。

「これは! 本物ですよ! 本物! まさか、こんな場所で生きた幸福の蝶が見られるとは!」

「なんと! では裏に印があったのですな!!」

 お茶会でも冷静な態度だったクオークがまさかこんなに興奮する熱い人物だったとは意外だとコスモスは小さく口を開けた。研究者二人はまるで子供のようにはしゃいでいる。

 ウルマスは冷めてしまった紅茶で口を潤わせるとコスモスを呼んだ。

「なに?」

「夢じゃ、ないんだよね」

「ええと、イストさんが食らったように、一発いってみる?」

「いや……遠慮しておくよ」

 トントン、と額を叩きながら反対の手で頬を抓るウルマスは「痛い」と呟く。遠慮しなくてもいいのに、と呟くコスモスの声を無視して彼は深呼吸を繰り返した。

 一頻り二人の大人で遊び終わったらしい蝶は、ひらひらとコスモスの元へ向かってくる。

 外へ逃がしてあげたほうがいいのかな、と彼女が思っていれば蝶は花輪へ止まった。

 キュル、とパサランが興味深そうな声を出したので「食べたら駄目よ」と念のため言っておく。

「はぁ、はぁ、はぁ……空中に、止まっている……ですって?」

「またこれも神秘だな!」

 いつもは冷静なはずのクオークの瞳がギラギラと輝いていて怖い。テーブルの上には自国から持ってきた本物の蝶がいるではないかと叫びつつ、コスモスはじりじりと近づいてくる所長とクオークから逃げ回った。

 一番安全な場所だと彼女が思っているマザーの背に隠れると、興奮していた大人二人は笑顔のマザーを見て姿勢を正した。

 気まずそうに視線を逸らしつつも、ちらちらと彼女の背後へ目を向けている。

「マザー。何とかしてください。これじゃ蝶も可哀想です」

「そうねぇ」

 猫があまりにも好き過ぎて怖がられて逃げられる友人がいたなぁ、と思い出しながらあの友人は今頃何をしているのだろうかとコスモスは考えた。

 鼻息荒く、目をギラギラとさせて近づいてくる姿は正に恐怖で、彼女に追いかけられていた猫の気持ちが良く分かるとコスモスは静かに頷いた。

(好きなのは分かるけど、ドン引きよね)

「マザー。その、説明をお願いしたいのですが」

「私の娘が偶然本物の蝶を拾って保管していたらしいのよ。それで、私は彼が休眠してたところを起こしただけよ」

(彼ってことはこの蝶はオスなのか)

 雌雄の区別もつかないコスモスは驚いたように蝶を見上げる。ソフィーアが作った花輪に止まる蝶はその場所が気に入ったらしく動こうとしない。

 コスモスに駄目だと言われたパサランは、そわそわと蝶を気にしながらも頭上で大人しくしていた。

 自分は言われていないからと向かってくるケサランを手で払い、コスモスは溜息をつく。

(そして、さらりと私の存在もここで言っちゃうわけですか)

 ウルマスが話す相手、マザーが見つめる先は何もない。

 コスモスが見えない研究者二人に説明が必要なのは当然かと彼女は溜息をついた。

「御息女、ですか?」

「ほう、それはそれは。また変わった娘さんをお持ちで」

 怪訝な表情をして首を傾げるクオークに対し、メレディスは楽しそうに笑う。「是非紹介していただきたいですな」と口元を歪めマザーを見つめた彼にマザーはにっこりと笑顔で返した。

「親の私が言うのもなんだけど、とても箱入り娘なものだから世間知らずで困ったものよ。リハビリも兼ねてソフィーア姫の儀式の手伝いをさせていたの」

「となると、ソフィーア姫は守護精霊の他に御息女の助力も得られていたわけですな! それは素晴らしい!!」

「大した事ではないわ。足を引っ張らないかとやきもきしていたくらいよ」

(……頑張った、つもりだったんだけどな)

 この場を上手く収める為の嘘だという事くらいは分かっているが、それでもあれだけ頑張ったのだから褒めてくれてもいいではないかとも思ってしまう。

 いい歳した大人が何を期待しているんだ、とコスモスが自嘲しているとクオークが躊躇いがちに質問してきた。

「その、御息女はどういった方で」

「そうねぇ。精霊に近いもの、かしら」

「…そうですか!」

 話題転換を、とウルマスの傍に行ってコスモスが囁けば彼は小さく頷いて二人に自分が呼ばれた理由を問いかけた。

「あぁ、そうでした。申し訳ありません。興味のあるものが次から次へと出現した事で、興奮し過ぎておりました」

「私も情けないものです。本題を忘れてこれ程無駄に時間を消費してしまうとは」

「しかし、とてもよい収穫となりました」

「いやいや本当に。私も研究所に勤めて長いですが、こんなに興奮するのは久しぶりですな」

 恥ずかしそうに俯いたクオークと目が合う。いや、そう思ったのは勿論コスモスの気のせいで、彼は彼女の花輪に止まる蝶を見つめていた。

 蝶はそんな熱視線を気にすることなくゆっくりと羽を動かしている。

「やはり姫の精霊も一緒にとお願いしたのは間違いではありませんでしたね」

「そうだな。御息女まで同行していただけるとは有り難い」

(なるほど。呼ばれたのはケサランであって、私じゃなかったのね)

 うんうん、と頷き合う研究者二人を眺めつつコスモスは溜息をついた。

 現地でどういう調査をしたのかという説明をされ、そこからやっと呼ばれた理由が明かされる。

「……というわけで、実際に蝶を間近で見た方に協力していただきたかったのです」

「それなら別に僕じゃなくとも……」

「恥ずかしながら我々は精霊が見えませんので、その……」

「ああ、そういうことですね。分かりました」

 合点がいったように笑顔を浮かべるウルマスに、研究者二人はホッとした表情になる。

 つまり、自分のせいだろうかとコスモスが心配していれば気配を察した彼が「気にしないでよ」と呟いた。

「もちろん、護衛の兵士もおりますからご安心を」

 実際に黒い蝶を見ており、精霊の声も聞こえるウルマスほどの適任者はいないと判断されたのだろう。両陛下から頼まれている上、父親も許可している。

 それに可愛い妹に関わることなので彼としては断る理由はない。

「そして是非、御息女にもご参加をお願いしたい!」

「ええ。是非ともお願いしたいですね」

(鼻息が荒すぎる。これは是非ともお断りしたいですけどね)

 人魂が何の役に立つのだとぼやきながらコスモスはケサランを見る。ソフィーアの守護精霊の力が必要ならば彼だけを行かせればいいのではないかと思ったのだ。

 ウルマスとも会話はできないだろうが協力するようにケサランに頼めば何とかなるだろう。

「ええ。一刻も早くこの件を明らかにしたいのはあの子も同じですもの。喜んでご協力させていただきますよ、ね?」

(拒否権ってあるのかなぁ)

 やっぱりそうなりますよね。無駄な足掻きなんてする間もないですよね、とぶつぶつ呟いているコスモスの声に苦笑したウルマスは「姉様がいてくれると、僕も嬉しいな」と可愛らしいことを言って彼女の覚悟を決めさせた。




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