224 二人の魔術師
二人についてどの程度知っているのかノアに問われ、コスモスは簡単に説明した。
ヴァイスは死霊術師であり、シュヴァルツは昔世界を滅ぼそうとしていた存在の右腕だと。
「それだけ?」
「うん、それだけ。あまり深く聞けないような雰囲気だったし、関係ないからいいかなと思って」
「なるほど。はぁ……」
聞くべきではなかったかと後悔しはじめるコスモスにノアは深呼吸を一つすると髪を後ろへ払った。
「二人とも強力な魔術師だわ。シュヴァルツは特に剣の腕も優れていたと言われているわね。何をやらせても簡単にできてしまう稀代の天才、神の申し子と呼ばれていたくらいよ」
まるでその時のことを思い出すかのような表情をするノアに、コスモスは知り合いなのだろうかと思う。
「それが、ある日突然世界を滅ぼす組織の一員になったの。新たな神になるなんて馬鹿なことを言う奴を筆頭に、あいつらは世界を破壊すると宣言したわ」
「うわぁ」
「対策を講じるにもどれも駄目。最終手段として異世界からの力を借りてボスは封印。シュヴァルツも瀕死状態のまま封印されているはずだけど」
「ヴァイスさんはそれに関係しているの?」
「前線で戦った一人よ。精霊の力を借りてシュヴァルツに深手を負わせたのは確かヴァイスだったはず」
(マジですか)
失礼だが思わずそう呟いてしまいそうになってコスモスは慌てて飲み込む。
風の大神殿地下にて出会った彼の話とは思えない。
同名で別人だろうかとも考えたが、風の大精霊とヴァイスのやり取りを考えると同一人物のようだ。
「同期で仲が良かったんじゃない? シュヴァルツの影に隠れがちだけど、ヴァイスの強さも有名だったから」
「へぇ」
「それで、風の大精霊がどうして二人の話をしたのかしら。私にとっても昔話なのに」
てっきり知り合いか何かかと思っていたコスモスは驚いてノアを見つめる。分かりやすく顔に書いてあったのか、一瞬驚いた表情をしたノアは苦笑した。
「今ではその話も聞かなくなってしまったくらい昔の話だものね」
「それはそれでおかしい気もするけど」
「そうですよね。教訓として記録だけではなく、物語として残っていてもおかしくないです」
どうやら弟子もコスモスと同じ気持ちだったらしい。
不思議そうに首を傾げる二人を交互に見たノアは「ふぅ」と息を吐いてからどこか遠くを見つめるような目をした。
「シュヴァルツはね、女神に仕える司祭でもあったの。その力で万人を癒し、救い、神に愛され聖騎士の称号すら得ていた人物。そんな人がある日突然世界を滅ぼす側に回ったのよ? 当時の教会はその存在を消滅させるのに必死だったでしょうね」
「マザー……は、いたの?」
「いいえ。マザーもいなかった時代よ。そうね、シュヴァルツは今のマザーのような存在だったの。そんな人がある日突然、世界を滅ぼし始めたってわけ」
「それは……混乱するわね。教会の存在すら危ういわ」
「教会が悪の巣窟と思われかねませんからね。神に対する信心も失われるでしょうし」
神に愛された聖騎士がある日突然謀反を起こして世界を滅ぼす輩の手下になった。
教会としては信じがたい出来事だろう。どれだけ衝撃が走ったのか、想像するだけで身震いしてしまうとコスモスは弟子からお茶のお代わりをもらう。
「下手をすると教会の存続自体が危うくなるから、シュヴァルツの存在を消したのね。堕ちた元聖騎士として、それはもう酷く言われたんでしょうね」
「そうらしいわね。私が知ってる限りでは、悪に屈した者とか、誘惑に負け邪神に魂を売ったとか散々言われたみたいよ」
「御家族は大丈夫だったんですか?」
弟子の質問は当然だ。シュヴァルツが悪に堕ちたのだとすれば、彼の生家も責任を問われ消滅してもおかしくない。
「幸か不幸か、シュヴァルツは孤児だったのよ。それはヴァイスも同じだけどね。違う孤児院で育った二人がそれぞれ才能を見出され人々の希望となるまでになった。一方は悪に堕ち、もう一方はそれを倒したってことね」
「ヴァイスは死霊術師だから、恐らく教会は彼の存在もなかったものとして伏せたかったんじゃない?」
「鋭いわね。貴方の言う通りよ」
何となく嫌な予感がして、その予感が外れてくれることを祈りながら聞いたのだが、ノアはあっさり肯定してしまう。
風の大神殿の地下で会ったヴァイスを思い浮かべながら、コスモスは眉を寄せた。
「どうしてですか? 死霊術師なんてすごく格好いいじゃないですか!」
「そう思う人は稀なのよ。死霊術師の特性考えてみなさいな。死体を操る気持ち悪くてろくでもない陰湿な魔術師ってイメージが主よ」
「えっ、それが格好いいのに?」
きょとんとした顔をして首を傾げる弟子にコスモスは苦笑いをする。
変な趣味を持つ彼のことだから、左手が疼くだの右目に封じているものよ静まれなんて言ったら目を輝かせて見つめてきそうだ。
(あの年頃ならどこも一緒なのかしら)
そんなことを思いながら額に手を当ててため息をつくノア。
いつもこんな感じで彼女のフラストレーションはたまっていくのだろう。
「神聖、光、神々しい、善、そんなイメージを持つ教会にとっては、いくら実力があってシュヴァルツを仕留めるのに尽力したといってもヴァイスの存在は煙たいものだったはずよ」
「でも、ヴァイスさんも教会に属してたならそんなことで差別するなんて変ですよ」
「……貴方が考えていることが大体正しいわ」
ちらり、とノアを見たコスモス。ため息をつきながらカップに口をつける彼女弟子の相手をしたくないのだと言っているようで苦笑した。
「ええと、弟子くんは正義の味方とか悪の組織とかが出てくる物語知ってる? その、動画でよくやってたりするんだけど」
「はい! 知ってます。一人だけで戦うのも痺れますけど、仲間と協力したり、仲違いしたりして絆を深めていくのもいいですよね! 役者さんが演じてるのもいいですけど、二次元も好きです!」
「あ、そう」
同じ世界から来たかどうかは分からないが、そちらの世界でも似たようなものがあるのなら話は通じやすい。
「じゃあ、光の力を使うヒーローが悪堕ちして皆を裏切って、一般的に忌み嫌われる闇の力を使うキャラがヒーローを退治した場合、褒め称えられると思う?」
「あ……」
内容的には何も変わっていないのだが、ただそれだけで理解したかのように弟子の表情が変わる。
同じことを言ってるだけなんだけどな、と思いながらコスモスは黙ってしまう弟子を見つめた。
「あぁ、闇ですね。それは、闇だ。最初に闇使いのキャラを救い上げて手を差し伸べるのは大抵光の力を持つ主人公なのにその主人公が悪に落ちて闇使いのキャラが倒さなきゃいけなくなるパターンですね。最終的に正気に戻って悪の親玉ごと自分を殺させるのか仲間の元に戻って一緒に倒すか悩ましいところですね。どちらにもいい味がありますから」
(あぁ、また早口が始まったわ)
「何でそれで通じるのよ。同じことじゃない」
ノアはがっくりと大きく肩を落としながらぶつぶつと呟き続ける弟子を冷めた目で見つめていた。
組織が腐ってるだの、権力と民衆の声に逆らうことはできないだの聞こえてきたがコスモスは無視した。
付き合ってしまえば暫くあの語りを聞かされるはめになる。
「ノア、もしかしてヴァイスは教会の暗部のようなところに所属していたの?」
「そこまでの詳細は分からないわ。本人がいるなら聞いてみるのが一番だと思うけど」
「そう。それが重要じゃないからいいわ。マザーにでも聞けば教えてくれるでしょうし」
「あのトシュテンとかいう神官には聞かないの?」
「無駄だと思うから聞かないの」
「そう……そうね」
何かを考えるような素振りをしたノアは、これで分かったでしょうと告げてカップに砂糖を入れる。
「うーん。水の神殿に行って、水の大精霊様に会うのが最優先だろうけど、これは聖地巡礼もしないといけなくなるのかしら」
「行けばシュヴァルツの情報を得られるとでも?」
「望みは薄いけど、かき回すにはじゅうぶんかなと思って。フェノールの祠周辺に展開されてる結界をすり抜けられたくらいだから、いけると思うのよ」
ヴァイス本人に当時のことを聞くのが手っ取り早いだろうが、彼は教えてくれないような気がした。
「マザーに怒られてしまうわよ」
「だったら、マザーが素直に答えてくれればいいだけの話でしょう?」
いくら聖地であり、教会本部がある場所だとしても張られている結界はすり抜けられるだろうという変な自信がコスモスにはあった。
「ふふっ、厄介な娘を持つとマザーも大変ね」
「あの人のことだから、随分遅かったわねとか言いそうだわ」
「言いそうね」
容易に想像できる、とコスモスは驚いた様子もなく、うふふと笑うマザーを思い浮かべる。
どうやらノアはマザーを知っているらしくお腹に手を当てて笑っていた。
(外見通りの年齢だとは思わないけど、ノアに関してもどこまで突っ込んで聞くべきか迷うのよね。私に関係ないのならこのままでも問題ないし)
そう、あるのはただの好奇心。
現状はノアの正体を知らずとも問題はない。今後、必要になったらその時に聞くだろうと思いながらコスモスは未だ独り言を言っている弟子へ視線をやった。
「悪堕ちが解けるか否か、最初から全て分かった上で敵側に回ったのか。うーん、いいですね興奮してきましたよ」
「それでいうと、メランと貴方の関係は何なのかしらね」
思わず呟いてしまったコスモスの言葉は弟子の動きを止めるにはじゅうぶんだったようだ。
彼は喋るのを止めてゆっくりとコスモスの方へ目を向けた後、俯いてガタガタと震えだした。
「オリジナルとコピー……最終的にコピーがオリジナルを乗っ取るか倒すかして自分が成り代わるパターンですか? ヒッ!」
「アレ本当になんなの?」
「想像力豊かなんでしょうね。想像なら自分が相手を追いつめてもいいのに、やられることばかり想像してるなんて。メランが相当怖いのかしら。一応、弟子くんが本体なのよね?」
「……本人の申告だけど」
「師匠!」
力のほとんどを向こうに持っていかれたらしく、残った弟子は仮面をつけていてもその情けない顔が分かるくらいに怯えている。
悲鳴にも似た声でノアを呼び、彼女は呆れたようにため息をついた。
「最終的に吸収されちゃうこともありますね。だとしたらぼくはもう……もう、だめだ」
「あのね、自分が奪い返してやるんだって気概がないからだめなのよ! ほら、しゃんとする! 自分が勝つイメージをしなさい!」
ビクッと体を震わせて縮こまっていた弟子はノアの言葉にぶつぶつと言い訳を口にする。
イラッとしたノアが再び怒る前にコスモスは弟子へと声をかけた。
「ねぇ、弟子くん。メランに勝つ自分を想像しましょう。実力は……うん、あなたの師匠が鍛えてくれるだろうから、よしとして精神力も鍛錬しないとね」
「でもぼくは体力もないですし集中力も続かないし、ダメダメばかりで」
「そんな調子だと本当に乗っ取られてバッドエンドだけど」
「嫌です!」
「だったら、やるしかないわよ? 向こうから貴方を探しに来る可能性だって高いんだから」
「えっ」
目を大きく見開いて想像していなかったことに弟子は頭を大きく左右に振った。
自分達が一方的に追いかけているだけで、まさか自分が探される立場にある可能性を考えていなかったのだろう。
「はぁ。それも最初に言ったのに何も聞いていないのね」
「ヒッ、ごめんなさい」
「いいわ。貴方のメニューを考え直しましょう。期待しててちょうだい」
にっこりと綺麗な笑みを浮かべるノアに、弟子はか細い悲鳴を上げる。
「はぁ、お茶が美味しいわ」
コスモスはそれを聞きながらお茶を飲むと、そうしみじみと呟いた。




