223 いい趣味
目立たず、波風立てずに生きていくのが一番穏やかで平和に過ごせると思ってきた。
それは違う世界に異常な形で存在している今も変わらず、笑ってしまうと同時に安心もする。
自分は何も変わらないんだと。
「そうね。謙虚も過ぎると卑屈だものね。できるだけ自信と誇りを持つようにするわ」
「そうそう。鼻につくくらいでもいいと思うけど?」
「それは遠慮するわ」
完全に噛ませ犬、もしくは途中退場のモブや雑魚のポジションは生存確率が下がるのでお断りだ。
ノアはつまらなそうに頬を膨らませると「似合うと思うんだけどな」と呟いた。
「他に何か知りたいこととか、変わったことはあった?」
「そうねぇ。あ、その前にそっちの進捗状況と目的は聞いてもいいの?」
「そうだわ。すっかり興奮してしまって忘れてた」
こうして会話をしていると歳相応に見えるノアだが、外見には不釣合いな落ち着きがある。
隅にちょこんと座っている弟子は彼女が手を上げただけで、必要なものを持って現れた。
(訓練されてるわね……)
本や資料をテーブルに置いた弟子は一礼して再び元の場所へと戻る。
せめて椅子に座ればいいのに、とコスモスが視線を向けると彼はきょとんとした様子で首を傾げる。
(うん。本人がいいならいんだけど)
「今のところ出会ってないのよね。私達が探している間にコスモスが会うとは思わなかったけど」
「私も会いたくて会ったわけじゃないのよ」
「分かっているわ。もし遭遇したとしても、現状で勝てるわけじゃないから様子見するしかないけど」
「気づかれずに監視はできるの?」
「何度か見かけたことはあるから……多分、可能だと思うわ。仕掛ける前に見失ってしまうから上手くいかないんだけど」
探している人の前には現れず、会いたくないと思っている人の前には現れる。
この場にアジュールがいれば「よくあることだ」と言うだろう。
「それよりも、アレを鍛えなきゃどうしようもないんだけどね」
「訓練はしてるんでしょう? 前に会った時より強くなってる気はするけど」
「本当ですか!?」
後ろのほうで大きな声が聞こえる。コスモスが苦笑しながら振り向けば、嬉しそうな様子の弟子が立ち上がっていた。
「調子に乗らないで。今の貴方じゃメランの足元にも及ばないわ」
「はい、分かってます。訓練頑張ります!」
「すごいやる気じゃない」
「空回りされても面倒なのよ」
「そこを上手く導くのが師としての役目でしょう?」
額に手を当ててため息をつくノアにコスモスは笑顔でそう言った。気が緩めばニヤニヤしそうになるので気をつける。
「そうなんだけど……そう言えば貴方はどうやって訓練しているの? あ、言いたくないなら言わなくていいのよ」
「どうやって、か。うーん、マザーが訓練してくれたり、アジュールが教えてくれたりするわね」
「なるほど。周囲に教えてくれる人がいるお陰なのね。そう言う意味でも恵まれてるわ」
「そう言われるとそうね。自己流でやっても変な癖がついたり、うまく強くなれなかったりするものね」
周囲に色々な人物がいるお陰で順調に強くなっていけるコスモスと違い、弟子にはノア一人しかいない。
ノアの実力が分からないコスモスだが今までの言動を見る限り相当な実力者だろうと想像できる。
「精霊石についてはどう? 精霊に好かれるのは貴方の素質だとしても、精霊石の力を自在に操るのは難しいでしょう?」
「普通に精霊の力を借りて術を発動させるのと変わりないと思うけど」
よく考えたことはない。
なんとなく、感覚で使用していることが多くそれでいいと言われているのでそのままにしている。
そんなコスモスの答えにノアは深いため息をついた。
「できる人はそうなのよね。いいえ、私も分かるわ。だって、私もそうだもの。でも弟子はできないのよ」
「感覚は人によって違うだろうから」
「それは分かっているのよ。でも、やっぱり私は教えることに向いていないのね。なんとかして使えるようにとは思っているけどここままじゃ……」
「そんなことありません! 師匠はとても素晴らしい方です!!」
弟子を他に預けて鍛えてもらおうと考えているのだろうか、とコスモスが思っていると弟子の大声が室内響く。
驚いてそちらの方を見れば、彼はどれだけノアが素晴らしくて自分が幸せなのかを力説していた。
驚いた顔をしていたノアだが、次第に顔が真っ赤になっていく。
甲高い声を上げながらそれ以上喋るのは止めてと叫ぶも、弟子の言葉は止まらない。
(微笑ましい)
師弟のやり取りをニコニコしながら見ていたコスモスは、気力が回復したような気がしてお茶を飲む。
(美味しい)
「あぁ、言い忘れてたけど天使の眼について情報があるなら欲しいわ。それと、ヴァイスとシュヴァルツという人物について心当たりがあるかどうか聞きたいの」
「えっ?」
耳まで真っ赤になりながら片手を振り上げて怒っていたノアは、お茶を飲みながらそう告げたコスモスに眉を寄せた。
もう一度同じことを言おうとしたコスモスだが、ノアの雰囲気が一瞬で変わったことにクッキーへ手を伸ばしていた手を止めた。
「天使の眼に、ヴァイスとシュヴァルツですって?」
「あ、うん」
「ええと、天使の眼って確か神の遺物でしたよね。名前と違って強力な兵器だったような」
弟子の呟きにコスモスは驚いた声を上げる。神の遺物なのは知っていたが兵器だとは知らなかった。
(天使の眼に関する情報は私も不足してるのよね。集めた方がいいのかしら。いや、でも関係ない事だからなぁ)
今こうして情報収集をしているのはあの親子の助けになればいいと思ったからだ。
「名前の通りよ。天の使いが裁きを下すってことだもの」
「でも神の遺物なんでしょう?」
「そういうコンセプトだってこと」
だとしたら製作者は相当な狂信者か。顔を引き攣らせながら「うわぁ」と呟くコスモスに弟子は何かしらぶつぶつ呟いている。
「可愛い天使のお迎え? 天の使いが裁きを下すってシチュエーションはいいよね。綺麗なお姉さん天使が救いと称して焦土化するのもアリなのかなぁ?」
(弟子くんの趣味が怖いわ)
「焼き尽くしてぇって叫んでしまいそうな感じかなぁ。感謝しそう。いや、感謝する」
スコーンと音が響いたと思えば興奮した様子でひとりごとを言っていた弟子くんがぱたりと倒れる。
ころり、と転がるのは石だ。
(魔石ぶつけたの!?)
貴重なものなのになんて雑な扱いをと思ったコスモスだったが、弟子が静かになったので咎めたりはしなかった。
一瞬気絶していた弟子は小さく呻き、ゆっくりと起き上がりながら頭を押さえる。
「えっ、あれ? あっ、ぼくまたやっちゃいましたか?」
「ええ。非常に不愉快だったわ」
「ごめんなさいごめんなさい。悪気はないんです」
(悪気があったら大問題よ。やっぱりメランじゃないってなるし)
土下座しながら必死に謝罪する弟子は仮面をつけているというのに涙やら鼻水やらの液体でぐちゃぐちゃな顔をしている。
仮面の内側から溢れるそれらを目にしながらコスモスが様子を見ていれば、彼の目の前に立つノアは腕組みをしたまま弟子を見下ろしていた。
「本当はそうなってほしいって思ってるんじゃないの? あなたもメランだものね」
「違います! 違わないけど違いますぅ! 確かにそう思いましたけどあれはあくまで妄想で楽しむためであって、実現して欲しいなんて全く思ってません!」
(妄想が口から漏れるのもどうかと思うけど)
やはり弟子の趣味が分からないとコスモスは複雑な心境になる。理解したいとは思わないが、と言い訳をするように心の中で呟けば、管理人が苦笑した気がした。
「ノア、説教はあとにしてくれる?」
「ええ、そうね。そうしましょう」
「ううっ。すみません」
ぐすぐすっ、と鼻を鳴らした弟子は平伏したまま「そんなつもりじゃなかったんですぅ」と呟いている。
「それで、その親子が追っているのが天使の眼についてだってことね。なるほど。あの一族の生き残りだとなればそれは当然だわ」
「目的が違うから途中で別れるかもしれないけど、当面は一緒に行動する予定なの」
「当面ねぇ。縁とは妙なものだから、貴方も避けられないかもしれないわよ?」
「えっ、天使の眼にってことよね」
「ええ。相手にしているものがものだし。貴方は女神の加護まで得ている状態よ。彼ら親子も旅立つ理由は神託でしょう?」
うふふふふ、とふんわりした笑みを浮かべながら手を振る女神の姿が見えたような気がして、コスモスは慌てて頭を左右に振った。
「私の目的はもっと簡単なはずなのに何で……」
「必要なことであれば逃げても無駄よ」
「ううっ。女神様の加護を返還してしまいたい」
「……コスモス、思っていても口に出すのはやめた方がいいわ。私の前では構わないけど」
相手を思いやるような口調でノアは優しくコスモスにそう告げると彼女の手に自分の手を重ねた。
慈しむような目で見つめられ、コスモスは頷く。
「分かっているわ。誰かさんとは違うからそんなことはしない」
「振り回されていることには同情する。けれど、こちらとしても貴方の力が必要なのは本当よ。私だって貴方を利用しているわけだし」
「それはこっちも同じだから大丈夫」
「天使の眼についてはさっきアレが話していた説明の通りよ」
アレ、と呼ばれた弟子は未だ床に寝転んだまま泣いている。
「神殿を巡って情報を集めるのはいいやり方ね。コスモスについていけば入りやすいし」
「封印が解けたの危なくない?」
「非常に危険だわ。でも天使の眼が本格的に起動するまで時間がかかるのね。私も詳細は知らないから知っている人に聞くか、資料を集めるしかないだろうけど」
親子の目的は復讐と再封印。それに再封印については神託があったからだ。
女神に聞けば情報を得られそうだがそう簡単には会えないだろう。
できればコスモスもあまり会いたくない。
(会ったら、協力してくれると勘違いされて協力しなきゃいけなくなるんだわ)
「気をつけておくわ。自分のことでも手一杯なのに、あっちもこっちもやるなんて私には無理よ」
「ええ、分かるわ。貴方は貴方の目的のために進めばいいだけ。ただ、心に留めておいて。そういう危険なものもあるということ」
「分かった」
「それで、ヴァイスとシュヴァルツについてなんだけど……どこでその名前を知ったの?」
レイモンドもルーチェもついでに力を貸してくれなんて言ったりしなかった。
自分達の力で何とかするつもりなのだろう。
「風の大精霊様から」
「……本当に?」
「ノアも知っているのね。その二人のこと」
呼び寄せる危険性があるからあまり名前を口にするなと言われたこと、ここにはノアがいるからいざということも安心だろうと言うコスモスに彼女は盛大なため息をついた。
「あぁ、そうね。呼び寄せる危険性……あるわね。あったわね」
「ごめんね。名前なしで説明したり聞いたりするのは難しいと思って」
「いいわ。私の力をそれだけ高く評価してくれているってことだもの。ええ、あんなやつらの名前出したところで私が負けるわけがないわ」
何故か知らないが非常に燃えているノアの目に炎が見えるような気がしてコスモスはお茶を飲んだ。




