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221 寝てはいけない

 思ったよりも気楽な旅ではなくなってきたなぁと思いながらコスモスは息を吐く。

(いや、最初から過酷と言えば過酷だったわね)

 現状に慣れすぎてうっかり忘れてしまいそうになるが、自分の状態がまず普通ではない。

 人魂でいることに慣れてきたのは良いのか悪いのかと思っているうちに、風の神殿が遠ざかる。

「うぷっ……」

「他の方法を探してみる?」

「ううん、少し休めばいいだけだから気にしないでちょうだい」

「そ、そうそう……すこし、休めば、だいじょぶだからネ」

 相変わらず転移装置(ポート)に酔ったレイモンドはフラフラとよろめきながら近くの壁に寄りかかって座り込む。

 その隣で水の入った水筒を渡しながら背中を擦っていたルーチェがゆっくりと頭を左右に振った。

 上手く回らない口で必死に話すレイモンドを暫く見ていたトシュテンはふわふわと浮いているコスモスを両手で掴む。

 顔色が変わったアルズを制したのはアジュールだ。

 何をするのか、と驚いたコスモスはそのままレイモンドの頭上に乗せられて不思議そうな顔をしていた。

「何をしてるの?」

「いえ、気分はどうですか?」

 不審な表情をして彼を見上げたルーチェにトシュテンはレイモンドを見つめながらそう尋ねる。

 口元をタオルで押さえながら吐き気を堪えていたレイモンドは、荒い呼吸を落ち着かせて深呼吸を繰り返す。

「はぁ……吐けないって辛いよね。ふぅ、でも少し落ち着いてきたよ」

「もしかして、これもコスモスの特性?」

「さすが、鋭いですね。御息女は状態異常回復の効果もあるようなので、効くのではないかと思いまして」

「いや、それならそうと先に言ってくれない?」

 自分で移動したのにとコスモスが呟いたのと荒々しく扉が開かれたのは同時だった。

 息を切らして駆けて来たのはプリニウスとその側近達だ。

 どうやら転移装置(ポート)が作動したのを察知して慌てて来たらしい。

 そう言えば連絡するのを忘れていました、と呟くトシュテンは「出迎えありがとうございます」と笑顔で礼を言っていた。

 じろり、と何か言いたげな視線を彼に向けたプリニウスだが、大きなため息と共に気持ちを切り替えると頭上にコスモスを乗せているレイモンドへと視線を移す。

「部屋へどうぞ」

「着いて早々、ありがとう」

「いえ。肉体的にも消耗している様子ですから暫く休んでください」

 プリニウスが指示をすると後方に控えていた男たちはレイモンドを支えるようにして部屋を出て行った。

 そんな彼にぴったりと着いていくルーチェ。

 コスモスは移動するタイミングを失ったと思いつつレイモンドの頭上で小さく唸っていた。

(精神的な消耗は軽減したとはいえ、肉体的には随分と疲弊してるわね。魔力酔いって大変だわ)

 珍しいことではないと言うものの、見ているだけで酔いがうつりそうになる。

 コスモスのお陰で少しは楽になったと言っていたが症状が緩和しただけに過ぎないのだろう。

「ルーチェ、私しばらくこうしてようか?」

「いいの?」

「うん。今後のことは私がいなくても話し合えるだろうし」

 父親の頭の上で揺れるコスモスを見上げながらルーチェは嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 何だかんだ言って彼女も父親が心配らしい。

 楽になったから支えなくとも歩けると言い張っていたレイモンドはフラフラとよろめき足をもつれさせ転びそうになっていたので慌てて両脇から支えられている。

 プリニウスの側近達は少女が独り言を言っていても気にしない。

 コスモスの姿は見えないはずなので異様な光景に見えるはずだが、恐らくプリニウスから説明を受けているのだろう。

(そう言えば来た時もそうだっけ?)

 魔石浄化機になっていたことを思い出しながら、コスモスは周囲を見回す。

 転移装置(ポート)を使用して風の大神殿へ移動するのに忙しく屋敷の中でゆっくりする暇などなかった。

「こちらへどうぞ。必要なものは一通り揃えておきましたが、何かあればすぐにお呼びください」

「ありがとうございます」

 ベッドに寝かせられたレイモンドは覇気の無い声でそう礼を言うと彼らが出て行った後で大きなため息をついた。

 ベッドの近くに椅子を持ってきてそれに座ったルーチェは心配そうに父親を見ている。

「大丈夫だよ、ルーチェ。少し休めば良くなるって」

「しっかり休んで。何かあってからじゃ遅いでしょ?」

「でも、今回は精霊ちゃんのお陰でだいぶ楽だから」

「油断しないで寝て」

「はい」

 父娘のやり取りを見ていたコスモスは微笑ましくて思わず笑ってしまう。

 今の会話のどこに笑う要素があったのかとルーチェは不満げだ。

「あぁ、ごめんね。お母さんとレイモンドさんのやり取りもこんな感じなのかなって思って」

「子供って良く見てるよねぇ。本当に彼女にそっくりでさ、ボクなんて気が休まらないよ」

「だから休めてって言ってるはずだけど? 父様?」

「分かった、分かりました。お目付け役もいることだし、休ませていただきます」

「よろしい」

 腕を組んで父親を見上げていたルーチェは満足したように大きく頷く。

 そんな彼女の頭を優しく撫でて軽く抱き寄せると、レイモンドは娘の頭にキスをした。

「おやすみ」

(はぁ、私まで癒される……眠いけど、寝たらロクなことにならなそうだから寝ないようにしなきゃ)

 美しい光景に溶けてしまいそうになりながらコスモスは眠るレイモンドにつられたように大きく欠伸をした。

 ルーチェは椅子に座ってカバンから取り出した分厚い本を読んでいる。

 集中しているので暫く周囲の雑音は耳に入らないだろう。

(寝ちゃだめ……寝たら、また変な……ことに)




 ふわふわ、とした感覚に慌てて目を開けて飛び起きる。

 素早く周囲を見回してからコスモスは頭を抱えて唸り声を上げた。

「だから言ったじゃない! 絶対に変なことになるって! あー、女神様に言われた対処法も忘れてたし何なの私!」

 夢も見ずにぐっすり眠るだけならいい。

 けれど最近は夢に落ちたと同時に変な場所に飛ばされるか、変な人に会うという機会が増えてきた。

 おちおち眠れもしないのかと舌打ちをしそうになれば、近くに気配を感じる。

「!?」

「あ、すみません。あの、師匠に起きたら連れてくるようにって言われてたので。ごめんなさい」

「あー、弟子くん」

 振りかぶった腕をどうしようかと考えながら握った拳を解いて軽く振る。

 柔軟運動をするようなフリをしたが、誤魔化しきれていない。

「ごめん、つい」

「いえ、仮面をつけてるから大丈夫だと思いましたけどやっぱり駄目ですか」

「うーん、気配がメランよね。いや、メランなんだけど」

「気配ですか。そっちも同一と思われないように努力はしているんですが」

 装飾がされている仮面を触りながら落ち込んだ様子でため息をつく彼に、コスモスは腕をゆっくり降ろして彼の肩を叩いた。

「練習していけば、何とかなるかも?」

「そうですね。諦めずに続けてみます。師匠にも言われてますので」

「あの、話は変わるんだけど仮面をつけてから何か変わった? 逆に目立つような気がするんだけど」

 つるりとして光沢のある表面は思わず触りたくなる白さ。金で装飾をされているのは美しいが体をすっぽり覆っているローブのせいで、顔だけが浮いているように見えるので不気味である。

「ええと、僕には良く分かりませんがこれを着けていると僕の顔はその辺にいる一般的な男の人の顔に見えるそうです」

「仮面よね」

「仮面ですね」

 詳しいことはノアに聞いた方が早いかとコスモスが思っていれば、弟子は慌てたように仮面の表面を触りながら説明し始める。

「あ、あの、その、これには特殊な加工がしてあって、いや、そもそもこの材質自体が特別なもので……って、知ってますよね」

「苦労して取ってきたものだからね」

「その節は本当にお世話になりました」

「ど、土下座はやめようよ」

 あの時のことを思い出すとまだ心臓がきゅっとなる時がある。

 バレずに大それたことをしたものだ、と楽しそうにその様子を見ていてくれたエステルが恋しくなった。

 そんな彼女に向かって素早く平伏し感謝を伝える弟子。

 ギョッとしながらコスモスは立ち上がるように告げる。

「いえ、コスモス様のお陰ですから」

(メランと同じ顔で様づけ……いや、いいんだけど)

 複雑な気持ちになりつつ、ちらちらとこちらを窺ってくるメランにコスモスは再度立つようにと告げた。

 嬉しそうな声で礼を言いながら立ち上がった彼は、ローブについた汚れを手で払ってトントンと頬を叩く。

「月石鉱山で採取された魔石は他の魔石と違っているのは御存知ですよね? これは高純度で非常に価値が高いものなんです。上手く加工すれば高級な魔道具の出来上がりですよ。とは言ってもできるだけ加工せずに本来の特性を活かすのが一番ですけど、今回はそんな事言ってられませんからね。僕だって袋叩きに遭いたくないですし、いや、いいか。引きこもってれば問題なかったです。でもそうすると師匠の役には立てないし怒られるし。まぁ、怒られるのはいつものことなんですけど。あ、師匠は宝石や魔石を表面にあしらいたかったみたいですけど、目立ちそうなので必死にお断りしたんですよ。怒られましたけど」

「うん、ちょっとゆっくり言ってくれるかな? 嬉しいのは分かるけど、聞き取れないのよ」

 詳しいことは分からないんじゃなかったのかと突っ込むタイミングさえ失ってしまうほど早口で話されて、コスモスは困惑する。

 指摘されてハッとした表情をする弟子は、スッと流れるような動作で再びその場で土下座した。

(だから土下座はやめてってば……)

「ごめんなさい、僕の悪い癖です。許してください」

「私が酷くいじめてるように見えるから、土下座と叫びながらの謝罪もやめてほしいな」

「あ……ご、ごめんなさい」

「小声で言えばいいってものじゃないけどね。ほら、立って」

 そう簡単に何度も土下座するものじゃない、と叱りながら彼を立たせるとコスモスはため息をついた。

「謝罪するたびに土下座するクセも直したほうがいいわね」

「き、気をつけます」

「とりあえず土下座して謝罪しておけば許してもらえるだろう、っていう気持ちは分からないでもないけどね」

「びゃっ! そ、そんなことは」

 変な叫び声を上げた彼はぶるぶると震えている。どうやらコスモスの言葉は図星なところもあったようだ。

「あ、あの……その、簡単に説明すると人の記憶に残らないようになれるらしいんです」

「へぇ」

「そんな人がいたようないなかったような、とか。どんな人だったか忘れたなとか」

「あら便利」

「大抵の人物に適用されるらしいので、これで僕も安心できます」

 えへへ、と嬉しそうに笑う彼に合わせて仮面も笑顔になったような気がしてコスモスは首を傾げた。

(私にはホラーかな? って感じにしか見えないんだけど)

 暗がりから突如、弟子が現れる光景を想像するだけで怖い。

 可愛くない叫び声を上げる自信もある。

 そんなことを思いながらコスモスは彼に連れられて応接間へと向かった。

 到着が遅いと怒られて体を震わせながら謝罪する弟子と、泣けば許されると思うなと怒るノアの間に入って宥めることになるとは知らず、コスモスはのん気に今日のお菓子は何かなと考えていた。



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