220 天使の眼
ルーチェとレイモンドの親子にそれだけ強い目的とつらい過去があったとは思わず、コスモスは二人を見つめていた。
(私を利用とは言うけど、戦力的に頼っている部分もあって利用してるのはこっちも同じ)
一族の復讐と使命の為に父親と二人で旅をする。
恐らくルーチェの占いで路銀を稼ぎつつ情報収集をしていたのだろう。相手に気づかれるわけにもいかないので一箇所に長く留まるわけにもいかない。
(女神様が会うように縁を結んでくれた?)
そう考えてしまいながら、そんなことをするくらいならさっさと相手の居場所を教えればいいのにとコスモスは心の中で毒づく。
「それで、有用な情報はあった?」
「敵に関する情報はさっぱりよ。でも、天使の眼についての記述は色々と得られたわ。神殿の貴重な本を閲覧できるのも、管理下にある遺跡でその痕跡を探せるのもコスモスのお陰よ。ありがとう」
「ううん。私は特に何もしてないよ」
「精霊ちゃんて本当にそれでよく利用されないよね。他人事ながら心配になっちゃうんだけど」
ふわふわの髪を揺らしながら少しだけ困ったような表情をしてレイモンドが笑う。
そんなに心配されるようなことをしているだろうか、とコスモスは首を傾げた。
「コスモスを利用できるやつなんて限られてるだろうし」
「どうして?」
笑う大精霊にルーチェが不思議そうな顔をして尋ねる。
「御息女の姿は通常の人物には認知できないからです。御息女の許しを得られた者のみが認知できるようになっていますので」
「許可も得ず認知できるなら、要注意人物だと思っていいだろうね」
丁寧に説明をするトシュテンに頷きながら大精霊はコスモスへと視線を向けた。
コスモスは、自分の許可なしでは認知できないと聞いて嫌な気持ちになっただろうかと二人を見る。親子は気まずそうな顔をして顔を見合わせていた。
「なるほど。それで不思議な感じだったわけね」
「ハァ。最初からマークされてたわけか」
「それはお互い様だろう」
ため息をつくレイモンドにアジュールが赤い瞳を細めて鼻を鳴らす。
大精霊とトシュテンの説明に納得した様子のルーチェはコスモスを見つめて大きく頷いた。
「例えマスターを利用しようとする輩がいたとしても、先輩と僕がいますから大丈夫ですよ」
「そこに私はいないのですか?」
「だって、オールソン氏は教会の為なら喜んでマスターのこと犠牲にしそうですし」
(分かる)
教会のためというよりもマザーのためならばだろうが。
そんな事を思いながら同意するように何度も頷くコスモス。
傷ついたとでも言うような表情を見せつつ、トシュテンは手を伸ばしコスモスを撫でた。
「私はこんなにも御息女に尽くしているというのに、その思いは届かないのですね」
「えっ、陽炎さんの生贄にしようとした人が何か言ってるんだけどアジュール」
「疲労が蓄積して頭が回らなくなったんだろう。早々に教会へ戻って休養すべきだな」
「僕もそう思います!」
あの時のことはまだ忘れていないぞとコスモスが淡々とそう告げると、アジュールは馬鹿にするような表情でトシュテンを見上げた。
アルズは両手を握って強く同意している。
「そんな……私はただ、御息女様が好奇心に負けて先へ行ってしまわれるのを必死に追いかけていただけですよ。それなのに、そんな心無いことをいわ、グッ!」
目元を拭う仕草をしながら視線を下げ同情を誘う様子は手馴れたものだ。
感心したように眺める大精霊の隣で、巫女が心配そうにコスモスとトシュテンを見ている。
話の途中で変な言葉を発したトシュテンは、鳩尾に受けた衝撃に咳き込みつつも倒れたりしなかった。
目にも止まらぬ速さで鈍い痛みを発したその存在は、「ぐぅ」と唸る彼から離れてレイモンドの頭上に移動した。
「わお、素早くて精霊ちゃんの姿追えなかったよ」
「自業自得だわ」
「あははははは! あー、本当に面白いや。トシュテン、君さぁ仮にもコスモスはマザーの娘だって言うのにそんなことしてたわけ?」
「誤解です」
呼吸を整えて元の体勢に戻ったトシュテンは、完璧な笑顔を大精霊へと向けた。
コスモスはレイモンドの頭に着地してゆらゆらと揺れている。
隙あらば再び鳩尾目掛けて飛び込もうと思っているのだろうかとルーチェは彼女を見ていた。
「ええ、誤解なのです。今は誰よりも御息女のことを大事に思っておりますよ」
「コスモスが胡散臭いって言うわけよね。本当に納得だわ」
「ルーチェ、思ってても言わないの」
腕組みをして何度も頷く娘の唇にレイモンドがそっと人差し指を当てる。
不満げな表情すら可愛らしいと彼の頭上で眺めていたコスモスはニヤニヤとしていた。
「コスモスはそれでいいの?」
「まぁ、いたらいたで便利かなと。オールソン氏がいるからスムーズに入れるところとかもあるだろうし」
「あぁ、なるほど。それは確かにそうだわ。教会や神殿関係のことにはぴったりだものね」
「私を有用としてくださってありがとうございます」
公に姿を現せないコスモスの代理となるならトシュテンが一番相応しいだろう。
てっきり怒るかと思ったアルズが反応しないところを見ると、自分の立場を分かっている様子だと大精霊は苦笑した。
「それに、ルーチェ達が天使の眼を探すんだとしたら教会関係者であるオールソン氏はいた方がいいでしょう? それより上位で人格もあって友好的な人が協力してくれるなら話は別だけど」
「マスター、さらっとオールソン氏を入れ替える可能性を口にしてますね」
「そうだな」
自分で口にしておきながらその可能性が限りなく低いということはコスモスもよく分かっている。
恐らくトシュテンもそうなのだろう。
悲しげな表情をしながら、どれだけ自分がコスモスを大切に思っているか涙声で話し始めるので彼女は顔を引き攣らせた。
「そうだね。精霊ちゃんの言う通り、オル君がいてくれた方が助かるよ。ボクらが神殿や教会にまともに取り合ってもらえるとは思えないし、正直に話したところで捕まって殺される可能性もある」
「巫女や司祭に取り次いでもらうと思っても、その前段階で帰されるだろうな。もしくは内部に潜んだ裏切り者に命を狙われる可能性も高い」
「そうそう。ボクらのような一般人、しかも荒事をするような怪しい旅人は特にね。神殿も教会もあらゆる者に門戸を開いてはいるけど、それは誰もが入れる部分まで」
「普通なら、万が一の為にマークはしておくだろうな。何があってもすぐ対処できるように」
大精霊とレイモンドのやり取りを黙って聞きながらコスモスは改めて自分が恵まれていることを気づかされた。
膝に置いた手をぎゅっと握り唇を噛むルーチェの様子からもこれまでのことが窺える。
「見るからに怪しい二人だけど、コスモスが平気なら大丈夫だろうね」
「ええ。大精霊様にもあれだけ意見を言える方々ですもの。心配はいらないかと思います」
「そこは怒るべきところじゃない?」
「御息女様がたを騙した大精霊様がそれを言うのですか」
ニヤニヤと親子を見ながらそう告げる大精霊に、彼の隣で静かに座っていた巫女が穏やかな口調で微笑む。
自分の味方をしてくれなくて拗ねる大精霊にも気にせずに巫女は親子を優しい表情で見つめる。
「そうでしたね、御息女。私は駄目で大精霊様は良いのですか?」
「わぁ、凄い。神官と大精霊を比べるんだ」
「ふふふっ」
「笑うなアルズ。マスターは時々ああして本音が漏れることがある」
「はい。楽しいです」
コスモスが狼狽するとでも思ったのだろうか。感情の篭っていない声で言われたトシュテンは咳払いをして誤魔化した。
大精霊は口をへの字にして不満げな視線をコスモスへと向ける。
「精霊というものは人とは違うから理解しようと思うな、振り回して当然だろうと言っても好感度下がるだけなのでやめた方がいいですよ」
「……やだ、コスモス。ぼくの心が読めるんだ?」
「あー、いただいた精霊石のおかげですかねぇ」
(全く嬉しくないけど)
何となくそうなのではないかというのが分かる程度だが。
トクン、と胸をときめかせる乙女のようなキラキラとした瞳を向けられたところで何も思わないコスモス。
彼女は呆れた目で大精霊を見つめながら溜息をついた。
「そうだね。ぼくが大事に育ててきた結晶が今はコスモスの中にあると思うと、とても嬉しいよ」
「その言い方やめてくれません? 頬を赤らめるのもやめてください」
「コスモスが冷たいよぉ」
「大精霊様が悪いです。おふざけが過ぎますよ」
えーん、とわざとらしい泣き真似をしながら巫女に訴える大精霊だが冷静に返されて舌打ちをする。
ノリが悪いなぁとの呟きが聞こえるが、付き合っていれば疲れるのはこちらだとコスモスは心の中で呟いた。
「で、ここではいい情報は集まった?」
「興味深い文献はたくさんあったけれど、天使の眼については全く。大精霊様は天使の眼について知らないの?」
「うーん。期待に満ちた目で見つめられても、困るなぁ。昔のことは忘れてることも多いし」
「そう」
がっかりしたように肩を落とすルーチェを慰めるようにレイモンドがポンポンと軽く背中を叩く。
「何か思い出すことがあったら知らせるよ」
「ありがとうございます。大精霊様に直接そう言っていただけるとは思いませんでしたから」
「まぁ、コスモスの仲間でもあるからね。それに、二人のことはボクも嫌いじゃないし」
女神が関わっているなら無視もできない、との呟きにコスモスも同意するように静かに頷いた。
下手に無視すれば何があるか分からないから怖いとの思いもある。
できれば今後も会いたくないが、もし会うことがあったら天使の眼についても聞いてみようと思うコスモスだった。




