21 乙女は神秘
儀式を成功させるために必要だったとは言え、もっと違うやり方があったのかもしれないとソフィーアにベタベタ触れていたことを後悔しているコスモスは静かに息を吐いた。
今彼女は、ウルマスと共に城にいる。
目の前の両陛下に挨拶をしてその様子を窺うが、疲労しているのが目に見えて分かった。
恐らく、黒い蝶の件だろう。
軽く挨拶をしてソフィーアの状態を中心に会話をしている三人をぼんやり眺めていたコスモスだったが、王妃が申し訳なさそうに息を吐いたのを見て背筋を伸ばす。
「ごめんなさいね、ウル。ソフィーのことで忙しいのに」
「お気遣いなく。求婚の申し込みや僕の仕事は兄達が負担してくれていますので」
「そうか。ソフィーもお前が傍にいるなら安心しているだろうな」
王と王妃の表情は柔らかく、近くで聞いていた宰相も笑みを見せる。
皆がソフィーアのことを心配していたんだなと思いながら、コスモスは王妃に寄り添うように浮遊している精霊を見つめた。
(ん? あれは……)
周囲の精霊やケサランと比べて気配が薄く見えるのは、それだけ力を使ったということだろう。
心配するように近づいていったケサランに、王妃の精霊は小さくその身を左右に揺らした。
会話をしているのは王妃にも見えるのだろう。少し驚いた顔をしていたが「良かったわね」と自分の精霊に話しかけていた。
「それで、ご用件があるとか?」
「ああ、そうなんだが」
渋るような表情で目線を下げてしまう王にコスモスは首を傾げる。ウルマスは穏やかで優しい笑みのままなので本心が分からない。
「アレクシス王子ならば、大丈夫だと思いますが」
「あぁ、そうか。確かに彼は随分と聡明になったものだな。腕白だったあの王子がなぁ」
「王」
コホン、と控えていた宰相が咳払いをして過去に思いを馳せる王に視線を向ける。その視線を受けた王は再び渋面になり溜息をついた。
隣にいる王妃は口元に手を当てて静かに夫の様子を窺うと「あなた」と優しく声をかける。
何となく嫌な予感がしたコスモスは心配そうにウルマスへ視線を向けた。彼は何かを覚悟するように小さく息を吐いている。
「厄介ごとでしょうか? 覚悟はできていますのでどうぞ」
「あぁ、うん。まぁ、そうなんだがしかし……」
「父が許可を出したのであれば、問題ありません」
さっさと言えとばかりに笑顔を浮かべているウルマスに王は溜息をついて王妃と宰相を見る。二人とも無言で頷いたのを確認し、口を開いた。
「黒い蝶の件なんだが……な」
「なるほど。手伝えということですか? それで、研究所に行けばよろしいのでしょうか?」
「は!? う、ウルマス……お前どうしてそれを」
エルに聞いていたのか、と呟きながら王は目を大きく見開いて大仰な反応をする。王妃と宰相は苦笑し「流石は私の甥だ!」と何故か興奮している王を宥めていた。
(王様ってしっかりしてそうだったけど、お茶目というか可愛いなぁ。一国の王としては……うん、きっと大丈夫なはず)
「大体分かります。王が言い辛そうなのは僕に関わらせたくないからでしょうし、実の息子でもないのに身内には過保護な面がありますから」
(そんなはっきり言っちゃって、大丈夫ですかね……)
にっこりと笑顔を浮かべながら優しい声色でそう告げるウルマスに王妃が「私だって過保護ですから」と何故かムキになる。王と王妃でどちらがより過保護なのかという不毛な舌戦がしばらく繰り広げられ、仲裁していた宰相は盛大な溜息をつきながら汗を拭った。
「詳しい説明は研究所で聞いてくれ。すまないな、ウルマス」
「手間取らせてしまって、ごめんなさいねウル」
「いいえ。アルヴィ兄様はこの場を離れられないでしょうし、イスト兄様では外交にも問題が出る可能性があります。あの一件以降他の方々もお忙しいのでしょう? その点僕は時間がありますから」
ウルマスの仕事はイストに押し付けていると言っていた。アルヴィは騎士団に所属しているので忙しいのだろう。
ソフィーアも口にこそ出さないが、次兄にしつこく世話されるよりすぐ上の兄がいてくれたほうが落ち着くはずだ。
お役に立てるのでしたら、と付け足して頭を下げるウルマスに両陛下は目元を綻ばせた。
(本当にこの人達って身内に甘いんだなぁ。まぁ、身内だけってわけじゃないだろうけど)
黒い蝶の件が気になっていたコスモスだが、そこまでついていくわけにはいかない。
後でウルマスから聞ける範囲で聞いてみようと思いながら彼女は王妃の精霊とケサランを見つめていた。
「しかし、騎士団の中で僕より優れた精鋭は他にいると思いますが何故僕なんでしょう?」
「マウリッツがどうしてもお前を、と指名するのでな。私は何度も反対したんだが、あいつはあいつで頭が硬くて聞かなくてな」
「所長が?」
黒い蝶に関係する事ならば、ソフィーアの儀式に出現したこともあってヴレトブラッド家の誰かが最適だろうと判断してのことなのか。
ウルマスは武芸も学問もそれなりにきちんとこなしているが、騎士団に所属しているわけではないらしい。有事の際は剣を取って戦うつもりではあるが、お花屋さんになりたいのだと言っていた。
そんなウルマスは自分が何故手伝わなければいけないのか純粋に疑問に思っているようだ。
特殊な力があるわけでもなく、武芸が秀でているわけではない。
それに両陛下が身内に過保護な事はウルマスが一番良く判っていたので、彼らがすすんでそうしようと決めたわけではないと見抜いていたのだ。
「……そうですか。分かりました。それでは研究所の方に行ってきます」
「ああ。無茶な事や酷い事を言われたら遠慮なく言いに来なさい」
「嫌なら嫌だとはっきり断れば良いのですからね」
(言いに来たらきっと所長が危なくなる未来しか見えないんだけど……)
穏やかそうにしか見えぬ笑顔を浮かべた両陛下を見ながら、コスモスはぶるりと身を震わせる。王妃の傍にいたケサランも凄い勢いで戻ってくるとコスモスの背に隠れてしまった。
「……楽しくなってきたね」
謁見の間を出て、長い廊下を歩いているとウルマスが笑みを浮かべながらそう呟く。「え?」と彼を見下ろしたコスモスがどうしたのかと尋ねようとすれば、宰相が小走りで追いかけてきた。
「ウルマス様!」
「はい。何でしょうか」
「こちら、両陛下からの支度金になります」
「え、そんな結構ですよ」
「いえいえ、受け取ってください。受け取ってもらえなかったと知られたら、私が責められてしまいます」
上質そうな布袋に入れられているのは硬貨らしく、金属がぶつかる音がする。何色の硬貨が入っているのだろうかと思いながらコスモスは自分の国とこちらの通貨レートはどうなっているのかと首を傾げた。
国ごとに種類が違うのか、それとも国際通貨なのか。
(単位はなんだろ。いちいち変換して考えるのも面倒だけど。まぁ、人魂だし買い物するわけじゃないからいいか)
ソフィーアにならば気軽に色々と質問できるのだがウルマスにはできない。
自分が一応“マザーの娘”という事になっているからだ。娘なのに何故この世界のことが判らないのかと怪しまれた挙句、鋭く突っ込まれでもしたら逃げるしかない。
物忘れが酷くて、と笑って誤魔化せるレベルならばいいのだがウルマスは勘が鋭いらしく下手な誤魔化しはかえって危ないとコスモスは感じていた。
(知らないうちに様変わりしてて、さっぱり分からないですって言っても信じてもらえるかどうか)
「まったく、困ったものだよね王様たちにも」
「お金はあるに越した事はありません」
「うん……それは、そうだけど」
幾ら貰ったのかちょっと気になってしまうコスモスの視線を感じながら、ウルマスは手にした袋を見つめると何を思ったのかそれを持ち上げて笑顔を浮かべた。
「姉様にあげるよ、これ」
「は? はああああ!? いや、正直嬉しいけどそれは陛下が貴方にあげたものであって!」
「だって僕必要ないし。姉様って無一文じゃないの?」
「そりゃ欲しいですけど、必要あると思う? この私に」
(人魂に金が必要なのは、冥府に渡る時くらいじゃないですかね。あ、六文銭持ってなかったから成仏できなかったりして?)
いい考えだ、とご機嫌なウルマスとは逆にコスモスは慌てたままだ。袋の中身がそれほどでもなかったにしても、受け取る理由が無い。
ただでお金を貰えるなんて恐ろしいとばかりに断り続けるコスモスに、ウルマスは首を傾げた。
「ソフィーにお土産買えるじゃない。それに、姉様だって好きな食べ物とか買えちゃうよ?」
「いやいやいや」
「冗談じゃなくてさ。どっちにしろ姉様も調査に加わる事になるんだろうから、これは前払いの報酬だと思えばいいんじゃないかな?」
(え? 加わることになってるの?)
マザーは研究所にいるのだと言う。恐らくそこで何かしら手伝いをさせられるのだろう。
しかし、そう考えると報酬を貰うのはマザーからではないかと考え、頭に彼女の笑顔が浮かんだ。
(無いな。タダ働きばっかさせられてるからなぁ。報酬目当てにやってるわけじゃないけど……正直必要ないしなぁ)
「持ってても人魂だから使えないよ。怯えさせちゃうだけじゃない」
「それなら大丈夫。僕が姉様の代わりに買うから。で、代金はそこから払う。ね? それならいいでしょ?」
幽霊が買い物をしてもパニックを起こさせるだけだ。実際自分が店員だったらと想像しただけでも恐ろしい。
律儀で礼儀正しく、ちゃんとお金を払ってくれるにしても怖いものは怖い。
ソフィーアには森で調達できるものをお土産にしようかと考えていたコスモスは、ぽんと投げられた布袋を反射的に受け取ってしまった。
「ウルマス! お金は大事に! 投げたりしたら駄目!」
「うん、ごめんね。でもちゃんと受け取ったってことは、それはお姉様のものだから」
「いや! ちょっと! 本当に判ってる? 粗末な扱いしたら駄目って……」
物凄く反省してます、とちっとも反省していない声で告げられたコスモスはこれ以上怒っても無駄だと悟る。盛大な溜息をついて先に行ってしまっているウルマスに追いつくと、軽く彼の頭を小突いた。
小突かれたウルマスは「ごめんね」とやっと反省した様子を見せる。
思わず受け取ってしまった布袋を見つめながら、返しても受け取ってもらえないだろうなと彼女は溜息をついた。
そこに頭上から精霊が降りてきて、スッとコスモスの手にしていた袋を体内に吸い取ってしまう。ケサランが蝶を吸い込んだように他の精霊もできるのかと驚いていれば、彼は定位置になったコスモスの頭上へと戻った。
「キュルルン」
得意げに鳴いた声にウルマスが一瞬足を止め、笑みを浮かべる。
(精霊って道具袋代わりになったのか。そんなのはケサランだけかと思ってたわ。じゃあ、パサランとか名前付けちゃおうかな)
ケサランと場所を交代してからは常にコスモスと一緒にいる。最初の頃は抗議するように攻撃を仕掛けていたケサランだったが、新人精霊も退く事無く応戦しコスモスは自分の頭が禿げるんじゃないかと何度も思った。
今ではケサランも諦めたのか無理矢理頭上からどかそうとする事はない。
これからも一緒にいる事になるなら、個体識別のために名前をつけておくかとコスモスは頭上の精霊を掴んで目前に持ってくると「パサランよろしくね」と告げた。
キュル、と鳴いた精霊に承諾と受け取った彼女はパサランを頭上に戻す。
(よし! これでケサランパサラン揃った! いや、揃っても別にボーナスとか出るわけじゃないけど、うん)
ゲットだぜ! とガッツポーズを取りながら空中で回転していると、ウルマスが生温かい眼差しを向けている事に気がついた。
「僕さ、研究所行ったら精霊見えるようにならないかちょっと相談してみようかな」
「え?」
「聞こえるってことは、素質はあると思うんだよね。それに、お姉様見れたら退屈せずに済みそうだし」
(そういう事隠さずストレートに言っちゃうのはウルマスらしいよね)
暇つぶしになる気は無いと告げて研究所に行くようにと急かせば、溜息をついたウルマスが唇を尖らせた。ソフィーアがいつも楽しそうに話しているだけに、声しか聞こえぬ事がもどかしいと最近はよく思うらしい。
「別に美人じゃないよ? がっかりだから、想像してるだけでいいんじゃないかな」
「えー、関係ないよ。楽しいのには違いないんだからさ」
「……」
何とかできないのかと尋ねられても「できるわけないじゃない」としか返せない。ソフィーアにやった方法を使えばウルマスもコスモスを認識できるようになるかもしれないが、そのつもりは無い。
認識できぬ者が多いからこそできることがたくさんあるからだ。
もし彼がコスモスを見られるようになってしまえば、彼女は今よりも行動に気をつけなければならない。
例え、ただの火の玉にしか見えなくとも、表情が判らないから問題ないとは言えないのだ。
「貴方が今一生懸命やるべきことは、研究所に行って話を聞く事だけだと思う」
「ちぇーっ。つまんないの」
「……ソフィーア姫に言いつけるよ」
「お姉様それ酷くない? 僕そんな酷い事言ってないのに。お姉様ともっと仲良くなりたいだけなのにさ」
自分でもずるいとは思うがそれがウルマスにも覿面だということをコスモスは知っていた。イストばかりが目立ってしまうが彼もまた妹思いの良き兄なのだ。
「レディーが嫌がる真似をするのはいただけないわね。私は謎と神秘で満ちている。解明されたら存在価値が無くなるわ!」
「そんなことないと思うんだけどな。何があっても幻滅なんてしない自信があるのに」
ここに妹がいたら「流石ですわ、コスモス様!」と言って目を輝かせたんだろうなと想像し、ウルマスは唇を尖らせた。
しかしコスモスが嫌がっているのならば仕方がない。
妹が教えてくれる彼女の話から勝手に姿を想像し、耳を傾けることにしようと研究所へと向かった。




