218 盛りすぎは困ります
マザーの娘で神子であるエステルの加護を受け、大精霊から直接精霊石を貰い女神からも気に入られている。
(事実だけど、盛りすぎよね。ただ帰りたいだけなのにどうしてこうなったのか)
特に最後の女神からの加護も受けているらしい。知りたくない事実を知ってしまったコスモスはだらん、と脱力したように溜息をついてしまった。
(女神様とかそういう類には近づきたくなかったのにな。私を無事に帰してくれれば心の底から感謝してお祈りも欠かさないけど、無理だもんなぁ。それなのに余計なこと頼まれそうだし……いや、頼まれたの? いやいや、頼まれてない)
そういうことは天啓でも下して自分の信者なり聖女なり勇者にでもさせておけ、と乱暴なことを心の中で呟きながらコスモスは「うふふ」と笑う女神を思い浮かべて頭を左右に振った。
「ルミナス様の愛し子とは知らず、無礼な真似をして申し訳ありませんでした」
「いえ、お気になさらず。それより、その呼び方はやめてください。荷が重過ぎるので」
「そうは言っても……」
戸惑う男には申し訳ないが、コスモスは女神の姿を思い浮かべながら苦笑した。
「いえ、本当に偶然に会っただけなので。今思うと幻覚だったかもしれませんし」
ただの人魂や精霊もどきと思われた方が気が楽だ。
そう言わんばかりのコスモスに、大精霊はつんつんと彼女の頬を突いた。
お茶を出してくれた部屋の主であるヴァイスも困惑している。
「そんだけ女神の匂いさせてて、幻でしたーは通らないんだよねぇ」
「え! そんなに臭いの!?」
気づかなかったと声を上げてコスモスは自分の匂いを嗅いでみるが分からない。
どんな匂いなのかと考えるコスモスの反応に、大精霊とアジュールはほぼ同時に噴き出すように笑った。
「いけませんぞ。女神様に対する敬意を忘れないようにしないと」
「あ、すみません」
ヴァイスに強めに怒られてしまったコスモスは、許可したわけでもないのに意思疎通ができると今更ながらに首を傾げた。
(大精霊様が許可を出した? いや、そうじゃないと思うし。だとしたらやっぱり下手に探らなくて良かったってことよね)
「まぁ、女神うんぬんは省いていいんじゃない? マザーの愛娘って言われてた方が気が楽だもんね」
「お前、仮にも風の大精霊ともあろう存在が女神を馬鹿にするというのか!?」
「あーうるさい。誰が誰を信仰しようとそんなの勝手だけど、それを僕にまで押し付けないでよね」
「お前は本当に! 罰が当たるぞ!」
そんなもの怖くなさそうに大精霊は飄々としている。
拳を握って怒る部屋の主を適当に宥めると、大精霊はちらりとコスモスに視線を向けた。
「重い」
「だよねー」
ぽつりと呟くコスモスに大精霊は笑いながら何度も頷く。
正直、嬉しくないと心の中で呟きながらコスモスは溜息をついた。
マザーとエステルだけでも充分すぎるほどで、それに加え大精霊から直接精霊石を受け取った現状も自分には過ぎるのではないかと思っている。
そこに女神の加護なんて変なことに巻き込まれる可能性が大だ。
(もう既に巻き込まれたり、自分で首突っ込んだりしているけど……けど、重すぎる)
「御息女、貴方も色々思うところはあるだろうが、女神様に対しての暴言は……」
「大丈夫です。もう、現状が罰みたいなものなので」
今更何を怖がるというのか、と淡々とした口調で言葉を遮るコスモスにヴァイスは困惑したまま大精霊を見た。
大精霊は知らないふりをしながらお茶を飲んでいる。
(怖いのは元の世界に戻れなくなることくらいだものね。それが一番難しいとか、本当にこの怒りは誰にぶつけたらいいんだろうなぁ)
ぶつける相手がいないというのはストレスがたまる。
戦闘である程度解消しているように見えるが、一時的にすっきりするだけで問題解決にはならなかった。
開き直ってもっとこちらの世界での生活を謳歌すれば変わるのだろうが、コスモスが強く焦がれるのはここに来る前の平凡な生活だ。
こちらの世界が大嫌いというわけではないが、やはり元の世界には適わない。
「それよりも、どうなってるわけ? お前がいなくなっても多少は持ちこたえるだろうけどさ」
「ワシとて分からん。急に制御が利かなくなったんだ。凶暴化、増殖。この場が活性化したにしては急すぎる」
「だよねぇ。僕がいるわけだし。風の大精霊様のお膝元で知らないうちに何かされてたとか不快でしかないんだけど」
「相手については大体想像がつく」
大精霊の言葉を不思議に思いつつコスモスは二人の会話を黙って聞く。
ヴァイスが入れてくれた特性ハーブティは独特の味がするものの、後味すっきりで爽やかだ。
「誰」
「言えん」
「何だよそれ……あぁ、ヤバイんだな」
不機嫌そうに表情を険しくした大精霊だったが、ヴァイスの様子を見て何かを悟ったように溜息をついた。
「ヤバイと言えないの?」
「それを口にした瞬間に呼び寄せてしまう可能性が高いということだろう」
「うわぁ、嫌だ」
コスモスの疑問に答えるのはアジュールだ。
聞いた途端にコスモスは嫌な顔をする。そんな嫌な相手と対峙しているのかと思うと更に気が重くなった。
「レサンタやオルクスでの出来事も、土の神殿での暗殺未遂も恐らくは同一組織だろう」
「それが、奴等ってこと?」
「そうだ。今のところ各神殿や大精霊が狙われているからな。ここでの出来事もそれに関連したことだろう」
妙に自信があるのかヴァイスは「そうだったのか」と呟きながら一人で何度も頷いている。
コスモスは首を傾げたまま彼を見る。
表情のないつるりとした顔からは何も読み取れない。瞳を見ても、そこには深い闇が広がっているだけ。
「貴方のせいではない。偶然時期が一致しただけだろう。狙われるのは貴方が偶然に彼らの活動を邪魔しているからだろうな」
「モテモテじゃん」
「嬉しくないんですけど!」
不安がっているコスモスを察してか、ヴァイスが優しくそう言ってくれた。
しかし、からかうように大精霊が口笛を吹いてくるのでコスモスは声を荒げる。
「で、奴等の活動っていうのはいつものアレ?」
「アレだろうな。懲りてないとみえる」
「大人しくなったから懲りたかと思ったんだけど、性格考えると無理か」
「二人とも知ってる人なんですね」
まるで旧知の仲のように話す二人。もしかしてグルなのでは? と不安になりながらお茶を飲む。
「昔々に軽く殺し合ったからね。やっぱり完全に消しておくべきだったと思うんだけど」
「女神様の慈悲を悪く言うな。改心すると信じていたのだろう」
「で、このザマだけど?」
「まだ確証はない」
「けど、恐らくそうだろ?」
(殺し合った?)
それはさらりと言ってしまうようなことではないだろう。
何でそんな物騒なことに巻き込まれているのかと現実逃避したくなったコスモスに、アジュールが軽く吠える。
「ええと、あの……その昔々は何が原因でそうなったんです?」
「自分が神になるために世界を一度消滅しようとしたのさ。更地にしてから自分の思い通りに創造するためとかくだらないこと言ってたけど」
「えぇっ」
「これはまた、ろくでもない奴だな」
本当にそんな人物が存在するのか、と驚くコスモスに対してアジュールは溜息をつくだけだ。
何でもなさそうに説明する大精霊には焦りは見られない。
ヴァイスも深く溜息をついてはいるが、慌てた様子はなかった。
「そんな人達がまた活動し始めたって、ヤバすぎるのでは?」
「そうだね。瀕死状態で封印されてたはずだけど、いつ緩んだんだろうね。監視してたアイツは何やってんだか」
苛々したようにそう呟いて大精霊はコスモスを見る。
じっと探るように見つめられて思わず自分を抱きしめながら彼女は身構えた。
「えっ、何ですか」
「コスモスは、空の塔に行ったことあるんだよね。何か変わったことはなかった?」
「え、いや、別に。穏やかなものでしたけど」
「だったら封印は解けていないだろうな」
大きく頷くヴァイスの言葉にコスモスは顔を歪める。
彼らが言うヤバイ奴とやらが空の塔に封印されているとしたら、そんなところに自分は迷い込んでいたのかと思い出しただけでも震えた。
「それは、空の塔に封印されているんですか?」
「いや、亜空間だ」
「空の塔は異変がないか監視する為の塔でもある。異変があれば塔内が穏やかであるわけがないな」
「じゃあ、あの鎧は出ないんじゃなくて出られないってことですか?」
「いいや。別に監視者は必要ないから関係ないよ。空の塔は封印の楔だとでも思えばいいかな」
ということは、空の塔が崩壊したりすればこの世は終わりということか。
だとしたら、封印を解くために何をするか。塔を攻撃するのが一番だが、今のところその様子はなさそうだ。
「回りくどいことしてません? 神殿を襲撃するとか、国を崩壊させようとするとか」
リーランド家も大変な目に遭っている。混乱させることが目的かと思えるくらいだ。
各地で騒ぎを起こしている間に塔を破壊しようとしているのだろうかと思ったが、風の大精霊曰く現在の空の塔には異変がないとのことだ。
「レサンタでは聖炎を奪おうとして失敗。オルクスでは高純度の魔石を得ようとしてまた失敗してるんだよね。笑っちゃうけど」
「そのどちらにも御息女が関わっていたとなるならば、相手にとってこの上なく邪魔な存在じゃな」
「マザーとエステルに加え、女神の加護も増えた以上、下手に消すこともできなくなったってわけか。逆に返り討ちにあってるから、悔しくてしょうがないだろうね」
あはは、と笑っている場合ではないのだが大精霊は楽しそうに笑う。
ヴァイスは感心したような眼差しを向けてくるような気がしてコスモスは居心地が悪かった。
彼女はただ無事に帰りたいだけ。それだけのために必死に行動し、偶に寄り道をしていただけだ。
「そうなると、程よくマスターに強くなってもらった上で贄にでもするのが一番か」
「えっ!」
「そうだろうね。そう簡単にいかないから邪魔しつつ制御権を奪おうとしてるみたいだけど、失敗してるからねぇ。今後も必死で戦うしかないね、コスモス」
「他人事!」
「えーだって、僕は関わってないしぃ」
「助けるとかあるでしょう!? 滅びますよ」
「冗談。冗談だって」
ニヤニヤしながら言ってくる大精霊に、コスモスは真顔になってそう呟いた。
どうなっても知らない、とそっぽを向いた彼女に大精霊は慌てて冗談だと告げる。
ヴァイスが大精霊を窘めるが、彼はえへへと笑うだけ。
(頭が痛い……避けて通れないなら倒すしかないのよね。相手の望む通りにしてたらきっと私は帰れないだろうし)
「配下は昔と違うんですか?」
「違うね。あれの手下は全て消したはずだから。新しい配下だろうね」
「封印の緩んだ隙を狙っての勢力拡大か。心酔する輩はいるだろうからな」
女神に心酔する信者がいるように、世界を破滅させるような存在に強く惹かれる者もいるのだろう。
圧倒的な強さになのか、破壊活動に惹かれるのかは分からないが魅力的だと思えるから協力者が増える。
レサンタに巣食った占い師も、火の神殿で襲ってきた少年、オルクスでの怪しい修道女もそうなのだろう。
(そして、メラン)
世界の半分をお前にやろうなどと言われたら喜んで飛びつきそうな性格だ。
「あ、でも一人消し損ねたのいたよね」
「一人?」
「そう。右腕的な存在のあいつ」
「……シュヴァルツか」
「別空間に封印するか、消しちゃえば良かったのに。女神様も中途半端に優しいよね」
「慈悲だと言い直せ。自分の世界を壊そうとする相手も許容する御方だぞ」
(つまり、元凶もその右腕も女神様のありがたく優しい慈悲のお陰で中途半端に生きていると。風の大精霊様に同意するわけじゃないけど、こうなる予想がついたなら消しておけばいいのに)
そうしていたら自分はこんなに苦しまなくてすんだとコスモスは心の中で呟いた。
「……私の現状がソレのせいだったら、私は女神様も恨まなきゃいけなくなるのよね」
「あっ」
「それは……まだ、そうだと決まったわけではないじゃろ」
自分が復活するために利用された、巻き込まれて呼び寄せられたのだとしたら二度目は無い。
回避したいと思っていたコスモスだが、跡形も無く消滅させる方法はないものかと考えはじめていた。
「直接聞いても“はい、そうです”なんて答えてくれなさそうですけどね」
「僕もまだ決め付けるのは早いと思うけど」
「時期的に私と似たような存在が増えたなら、大当たりですよね?」
もごもご、と言葉を濁らせるヴァイスの言う通り、例えそうかもしれなくとも証拠がなければ分からない。
いっそ、その為に必要なものとして無理矢理召喚したと相手に言われた方が楽だ。
聞いたところで素直に教えてくれるとも思えないが。
「それについては詳しく調べてみるよ。ヴァイスも、霊の動きくらい探れるだろ?」
「うぬぅ」
「最近はぐれが多いってぼやいてたよね?」
「それはそうだが」
「困りごとを解決してくれたのは僕とコスモスだよね?」
「分かった。協力せんとは言っておらん」
二人とシュヴァルツという人物の間に何があるのかは知らないが、今言わないということは言いたくないのだろう。
無理に聞き出す必要もないか、と思いながらコスモスがアジュールを見ると、彼も無言で頷いた。




