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217 早朝散歩3

 周囲を気にせずに思い切り自分の力を試す場としては最適な神殿の地下。

 朝の爽やかな空気もなく、澱んでおり死霊が湧いていた場所もコスモスの聖炎を使った力に全てかき消されていく。

 その後に吹いた場に似つかわしくない爽やかな風は大精霊によるものだろう。

「ふぅ」

 息を吐いて満足そうにしながらコスモスはグッと拳を握った。

 影から覗く赤の双眸が不満そうだが気にしない。

「散歩ではなく、掃除でしたね」

「いやいや、散歩中でも目に付いたゴミはちゃんと拾って捨てなきゃね」

 それはそうなのかもしれないが、自分でなくともいいだろうと思いながらコスモスが大精霊を見る。

 彼はにっこりと笑顔を浮かべて歩を進めていく。

「コスモスだって、何も気にせず思い切り力を揮えて気持ちがいいでしょ?」

「それは……その、そうですね」

「今はこんな状態だけどさ、本当はもっと穏やかな場所なんだよ?」

「おだやか……」

 地下の入り組んだ階層、どこにいるのか分からなくなるような感覚。

 大精霊が同行しているからいいものの、コスモス一人だったら迷っていたことだろう。

 出口を探すつもりで奥へ行ってしまうという事も有り得る。

(方向感覚狂わすような魔術でもかけられてるのかしら。そもそもここには簡単に侵入できないような結界が張られてるから偶然迷い込むなんて無理だろうけど)

 例えすり抜けられたとしても、死霊がうようよしているような場所に自ら飛び込んでいくほど無謀ではないとコスモスは首を傾げた。

「私の嗅覚でも時折迷いそうになるくらい、複雑で面倒な場所だな」

「僕がいるから問題ないでしょ」

「なるほど。偶然迷い込むことはないということか」

「例えあったとしても結界を破ることは不可能だね。あれはこの地に深く根付いているから」

「神殿が破壊されれば解けますか?」

 ふと思いついて尋ねたコスモスに大精霊はにっこりと綺麗な笑顔を浮かべた。

「それが、解けないんだよねぇ」

「……大精霊様に万が一があったとしても?」

「コスモスって無礼なこと言うよねぇ」

「もし、敵? の狙いがそれなら火の神殿が襲撃されたのも分かるかなと。土の神殿では土の大精霊様が直接狙われたくらいなので」

 二箇所の神殿での出来事を思い返しながらコスモスがそう言えば、風の大精霊は「はぁ」と溜息をついた。

「火の神殿への襲撃は王都への襲撃を確実なものとするためじゃなかった? それに土の大精霊が狙われたのも偶然だと思うよ」

「偶然にしてはできすぎてるから嫌なんですよね。同一人物、または同一組織かどうかも分かりませんが私達が行く先々で邪魔するように現れてるのは事実ですし」

 現に、目立った襲撃は未だないものの風の神殿が管理する遺跡や建物に安置されている結界石が汚染され強力な魔物が配置されているということが起こっている。

 強力な魔物は第三者によって倒された後だったが、何かしら共通点があると見るのが普通だろう。

「……コスモスは、同一だと?」

「うーん、分かりません。でも、今まで会った相手が一緒に出てきたら確定でしょうね」

「私は同一組織と推察しているが」

「あまり関わりたくないんだけど、もしまた出てくるようなら本格的に対策考えるしかないわね」

「それは他の奴等も考えているだろうな」

 でしょうね。

 コスモスはそう呟いて少し前を歩くアジュールの尻尾を見つめた。

「マスター、お前は一度殺されかけたのだからもう少し危機感を持て。いくら修練を積んだと言っても油断はできんぞ」

「分かってるわ。まだまだ私には足りないものがありすぎるのも分かってます」

「コスモス、君は死にかけたのかい?」

 驚いた表情で見つめられたコスモスは逆にその反応に驚いてしまった。

 風の大精霊がそんなに驚くとは想像していなかったからだ。

(風の噂で知ってると勝手に思ってたけど……)

「うーん。瀕死なのか、一度死んだのかはよく分かりませんけど、危なかったことは事実ですね」

「はぁ、あの時は本当に肝が冷えたぞ」

「それでよく生きていたね。死霊が逃げ出すわけだ」

「えぇ、なんですかそれ。私も良く分かりませんけどあの時は終わったなって思いましたよ」

 しかし、そう思った後のことは何も覚えていない。

 気がついたら自分を瀕死に追い込んだ相手が消えていて、自分は怪我一つなくその場にいたということだ。

 気を失っている間に何があったのか疑問だが、体調や精神に問題がないので「ま、いいか」と流していた。

「コスモス、その時の状況を詳しく教えてもらってもいいかな?」

「いいですけど、お話できることは大してないですよ」

 変なローブの男が出てきてあっさりやられてしまったこと。

 死んだなと思ったら生きていて、気づいたらその男が消えていたこと。

 コスモスの話を聞いていた大精霊は顔を引き攣らせながら彼女を見る。

「えっ、マジでマザーとエステルのお陰じゃないの? それと、多少なりとも精霊石の力?」

「いえ、防衛反応のようなものみたいです」

 強制遮断してコスモスの命を救ったのが管理人という存在だと説明すれば、風の大精霊は彼女を覗き込むように見つめた。

 パシン、パシンと何かを弾くような音が数回し、嫌そうな顔をするコスモスに大精霊は舌打ちをする。

「うわ、強制的に中探ろうとしてきましたね。変態」

「大精霊と言えど、やり方は無法者と同じか」

「えー気のせいだよぉ」

「そんなわけないでしょう? 帰りますよ」

「僕がいなくて帰り道分かるのかな?」

 朝の散歩にこれだけ付き合ったのだからもう充分だろう。

 そう思いながらコスモスはスッと大精霊から離れる。

 それを見た彼が脅すような言葉を口にすると二人は沈黙した。

 勝ち誇ったように笑う大精霊の耳に聞こえたのはコスモスの深い溜息。

「すり抜ければ問題ないですし」

「私もマスターについて移動すれば問題ないな」

「あっ……その方法はナシで」

 上手く調整すれば強力な結界に何の影響もなくすり抜けられるだろう。

 実際に試してみないと分からないが、できる気がしてコスモスは上を見る。

 アジュールはコスモスについていきながら影に潜れば何とかなるだろう。

 結界で弾かれたとしても違う方法を考えればいいだけだ。

「もう少しだからさ、付き合ってよねコスモス」

「うわ、だから掴まないでくださいよ!」

 そっとコスモスを自分の方へ寄せたように見えた大精霊だが、見えない場所でしっかり彼女を掴んでいたらしい。

 これだから大精霊は、と愚痴りながらコスモスは気配を薄めて彼の手をすり抜けようとした。

「はいはい、ここにいようね。それとも抱っこがいいかなぁ?」

 両手で顔を挟まれるようにされ、ぎゅうと潰される。

 じたばた、と暴れるコスモスに笑顔のまま大精霊は首を傾げた。

「うわ、抱っことか子供じゃないんですけど」

「僕にしてみたら子供だよ。こんな美青年にそこまで言われたら普通は顔を真っ赤にするでしょ。どうして引き攣らせるのかな?」

「現にマスターが子供の大きさであったとしても、不審者には変わりないと思うが」

 呆れたように溜息をつくアジュールの言葉にコスモスは力強く何度も頷く。

 心外な、と呟きかけた大精霊だが少し考えてからコスモスの腕を掴んでいた手を離す。

「普通は喜ぶと思うんだけど」

「いや、怖いです」

「……そっか。ごめんね」

 もちろん、喜ぶ人もいるだろうがコスモスはドン引きである。ふざけて言っていると分かっているからまだいいが、相手は大精霊だ。本気でそう思っている可能性もあるだろう。

(子供にしか見えていないならその発言もしょうがないかもしれないけど)

「はぁ。人間は難しいね」

「そう落ち込むことないと思いますよ。人間にも変なのが多いのは御存知でしょうし」

「あぁ、そうだね。そうだったよ」

 思ったよりも落ち込んでいた大精霊を慰めるようにそう言えば、彼は爽やかに笑って大きく頷いた。

「コスモスに会わせたい人がいるんだよね」

「……こんな場所にいる人なんて、ろくでもないじゃないですか。会わせてどうするんです?」

「そんな顔しないでよ。何かあっても僕がいるんだから、大丈夫だって」

(それが一番不安なんだけど)

 さすがにそれを口にすると機嫌を損ねそうなので言わない。

 しかし、こんな場所で会わせたい人がいると言われても怪しさしかない。

「最初からそれが目的か。面倒なことをするものだ」

「えー、だって正直に言ってたら来てくれた?」

「……行く理由もないな」

「だろう?」

 アジュールと大精霊の会話を聞きながらコスモスは何も言わない。

 大精霊の言う会わせたい人というのが彼の知り合いならば敵ではないのだろう。

 どうして大精霊が会わせたいのかは知らないが、ここまで来たら会うしかない。

(適当に挨拶すれば大精霊様も満足するでしょう)

 しばらく歩いていると先ほどとは空気が変わったのを感じてコスモスは周囲を見回す。

 自分達が片付けてしまったせいもあるが、魔物がいない。

 静かすぎて不気味なくらいだ。

 大精霊が歩く足音だけが周囲に響き渡り、先行していたアジュールは行き止まりにある扉の前で少し警戒するような素振りを見せた。

 急ぐ様子もなく到着した大精霊は重厚な扉に軽く手を当てる。

 重い音を立てながらゆっくりと開いた扉からは冷気が漏れ出して、コスモスはぶるりと身を震わせた。

 アジュールが低く唸る。

 大精霊の知り合いだろうが警戒するに越したことはないと判断したのだろう。

「さてと、ここにいると思うんだけど……あ、いたいた」

 この場にそぐわない明るい口調で大精霊は部屋の奥にいる人物へと視線を向けた。

 ハイバックチェアに気だるげに座るその人物は足元まで隠れてしまう濃紺のローブを纏い、フードを被っている。

 探りを入れてきたのが分かったので大精霊の時と同じようにそれを弾く。

(今のは明確に分かったわ。逆に言えば私が相手にそうしてもあんな風に感じるということね)

 対象を見る(・・)時には気をつけろと口を酸っぱくするように言われていたが実際に体験してみると良く分かる。

(力が強ければ気づかれることなく見れるとは言うけど。その感覚もまだ良く分からないのよね)

「ほぉ。弾くか」

「全く、尋ねてきた客人に対してその態度は無礼だと思うけどな」

(さっき、貴方もやりましたけどね)

 心の中でそう突っ込みながらコスモスは何も言わず大精霊と部屋の主を見比べた。

 部屋の主は外見から年齢を推測することは難しいが、声を聞くに男で恐らく初老かそれ以上だろう。

 深みのある渋い声は重苦しく室内に響き渡る。

「客人? ハッ、侵入者、略奪者の間違いだろうが」

「えー、心外だなぁ。僕らは散歩ついでに挨拶に来ただけなのに」

 男の嫌味も意に介さず風の大精霊は頬に手を当てながら首を傾げた。

 何かが大精霊へと飛んできたが、彼に届くことなくその場に落ちて壊れる。

(うわ、ナイフじゃない。怖いんですけど)

「散歩ついでの挨拶だ? ワシの大事な配下を悉くあんな目に遭わせておいて言うことがそれか!」

「凶暴化して襲われたのはこっちのほうだけど。管理くらいしっかりしてよね」

「ぐっ、そ、それは……」

「はーあぁ。せっかく善意で住居を提供しているっていうのに、自分の配下の管理すらまともにできてないってどういうことなんだろうね? 耄碌するには早くない?」

(うわー、辛辣。ん? 配下の管理ってことはここに来るまでに出てきた死霊の類はこの人の部下だったってこと?)

 それを自分が勝手に倒してしまったのか、とコスモスは睨みつけるように大精霊を見つめた。

「し、仕方がなかろう。制御がきかなかったのだ!」

「へー。で、引きこもって嵐が過ぎ去るのを待ってたって? 職務放棄じゃない?」

「ワシの手にも負えんほど暴走し、増殖し続ける奴等をどうしろというんじゃ!」

「どうにかしたけど」

 ドンッと肘掛を叩きながら悔しそうに叫ぶ男に大精霊は淡々と返す。

 男は仮面をつけているので表情が分からないが、恐らく泣きそうな顔をしているのだろう。

「どうにかって、アレをどうしたんだ? 倒しても倒しても湧いてくるアレらを」

「強制消滅」

「は?」

「広範囲に強火力で一気にさよならって」

「はぁ?」

 大精霊が簡単に説明するが男は理解し難い様子で戸惑ったような声を上げる。

「あんなもの、高位神官が五人程いて同時に力を使用すれば可能かもしれんが、あまりにも難しいことだろう。何より、体力も魔力も消耗が激しすぎ……なるほど、ソレか」

 最後まで言いかけた男はふと何かに気づいたように大精霊の右斜め後方にいるコスモスへと視線を向けた。

 仮面をつけてはいるが、見られていると感じたコスモスは嫌そうに眉を寄せる。

「あー、客人に対してソレとか言うのやめてよね。こっちはコスモス。マザーの愛娘でエステルの加護もあり、大精霊達にも気に入られてるんだからさ」

「えっ」

(気に入られてる? 気に入られてるのかなぁ)

 探るようにコスモスを見つめていた男の声が動揺したように震える。

「その上、女神様のお気に入りだよ? いいのかな、そんな態度で」

「ヒッ!」

(え、どうして大精霊様が女神様のこと知ってるの? というか、お気に入り? お気に入りではないと思うけど)

 何よりも一番それが怖いと椅子に座る男とコスモスは恐怖でそれぞれ身を震わせた。



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