216 早朝散歩2
降ってくる槍、落ちる床。
迫り来る壁に、下がってくる天井。
(ここを設計した人の顔が見てみたいわ。どういう意図でこんな場所作ったのよ)
「コスモスー、ちゃんと避けなきゃ駄目だよー」
「面倒になったのでいいかなと」
「もう、すり抜けるからどうでもいいって顔しないの。ちゃんと避ける練習もしておかないと」
言われずとも分かっているが、現状すり抜けられてしまうのでその感覚がどうしても鈍くなってしまう。
生身じゃなくて良かったと思いつつ、作動する罠を無視して進むコスモスに、大精霊は眉を寄せて溜息をついた。
「普通ならその身であってもダメージはあるものなのに、本当に不思議だよねぇ」
「私が一番不思議だと思ってますよ」
「威張って言うことではないかなぁ」
やる気なさそうにそう答えてコスモスは自分を通過していく矢を見送った。
これでも最初は頑張って避けていたのだが、死角から放たれた矢を避けそこなった時に諦めた。
もう駄目だ、と思った矢はコスモスを通過して壁へと刺さる。
それを見た時に、彼女はやる気を失った。
どうせ自分を通過していくなら避ける必要はないだろう、と迫り来る壁も押しつぶそうとする天井も避けたり逃げたり飛び込んだりせずにマイペースに歩いていた。
そんな彼女の姿を見ていた大精霊が怒るのも当然である。
ちなみにアジュールはコスモスの無事を最初から知っていたのか、振り向きもせずに周囲を見回していた。
「随分と罠が多いのだな。地上より敵が強いとはいえ、やりすぎ感もあるが」
「ああ、ちょっと実験も兼ねてるからね。定期的なメンテナンスは必須だよ」
「実験……」
「コスモスに作動させることはないから安心していいよ」
「作動してますけど」
「あー、今回は予定外の敵が多かったからね。処理しきれていないんだ」
朝の散歩とは一体何だったのか、と思いながら溜息をついたコスモスに大精霊はにっこりと笑う。
「散歩は散歩だよ」
「人の心を勝手に読まないでください」
「だってコスモスはすぐ顔に出るから分かりやすいんだよね」
顔と大精霊は言うが、人型になっているコスモスの表情まで判別できる存在は稀有だ。
アジュールは見えていなくても気配で何となく察しているだろうし、マザーも勘で分かっていそうだ。
「カマかけても駄目ですよ」
「駄目かー。それは残念。だけど、大体感覚で分かるでしょ。それに嘘でもないよ」
「えぇ……」
「それぞれの大精霊から直接精霊石を貰っただろう? だから、何となく通じるものがあるんだよね。コスモスだって、分かるんじゃないかなー?」
(なにそれこわい)
そう思いつつも、何となく分かったような気がしたコスモスは唸りながらぴょんと目の前の床を一歩分飛び越える。
「まだよく分からないですね」
「考えながら落とし穴回避するとか、見えてるのかな?」
「何となくは」
「そっか。分かってたらそりゃ避けるよね」
先を行く青灰色の魔獣も匂いで分かるのか器用に罠を避けながら死霊を食いちぎっていく。
飛び出てきた死霊が叫び声を上げながら魔獣に引きずられ、影に飲み込まれていく姿を見ているとどっちが敵なのか分からなくなりそうだ。
「思った以上に馴染みが早いな。生命が脅かされれば上手く調和すると思ってたけど、そんな心配いらなかったってことか」
「え? 何か言いました?」
「散歩楽しいねって」
「それは違う。聞いてなかったですけど、それは違うと思います。そしてこれは本当に散歩なのか疑問ですね」
「コスモス、急に真顔になるのやめて。僕傷ついちゃうから」
泣き真似をしていた大精霊はこれが散歩だとしつこく強調する。
コスモスは絶対に違うと言い返そうとしてやめた。
大精霊が絶対に譲らないだろうと思ったからだ。
「アジュールくらい楽しんでくれてもよくない?」
「過激なアトラクションすぎて私には無理ですね」
「えぇ、優しいほうだと思うんだけどな」
罠がたくさんあるオバケ屋敷のようなものかと思うコスモスだが、全て作り物だったとしてもお断りだと一人頷いた。
「穏やかで平和なのが好きですので」
「それじゃつまらないじゃん。少しくらいの刺激がないとさ」
「神殿内を小さな竜巻で埋めてみるとかですか?」
「結構過激なこと言ってくるよね」
やめてよ、とちょっと引き気味に言ってくる大精霊の顔があまりにも心外だったので、コスモスは溜息をつきながら胸の高さまである壁を乗り越えた。
「ギャー!」
ぬっと間近に姿を現す死霊に思わず絶叫してしまうコスモス。
そんな彼女の反応に気を良くしたのか、死霊はニタリと笑いながら彼女に手を伸ばしたが音を立てて消えてしまった。
バシュン、と弾いたような音と共に消えてしまった死霊に大精霊は片眉を上げる。
未だ叫び声を上げながら頭部を腕で守っているコスモスは気づいていないらしい。
それを隣で眺めながら大精霊は「ふぅん」と呟いた。
「ここはちょっとコスモスと相性が良すぎるかなぁ」
「どこかに行きました? もういません?」
「いないよ。消えちゃったから」
「消えた……」
またどこかに潜んで先ほどのように突然現れたりするんだろうか、と顔色を変えたコスモスは注意深く周囲を見回す。
どこから出てきてもいいように、と心の準備をしながらソロソロと進む彼女に大精霊は笑った。
「消滅したよ。コスモスに触れようとした瞬間にね」
「消滅ということは、もう出ない?」
「出ないね。寧ろ、向こうが悲鳴を上げながら逃げていく方なんだよねぇ」
「え?」
死霊と人魂なんて似たようなものなのにね、と失礼なことを言う大精霊にムッとするものの実際はその通りなのだから何も言えない。
もやもやとした気持ちを抱えながらコスモスは眉を寄せた。
「悲鳴を上げて逃げていくどころか、たくさん寄って来てるんですけど」
「ん? あ、本当だ。でも、全部ではないね。うーん」
「いくら勝手に消滅してくれるとはいえ、精神的にはよろしくないですね」
目を瞑って耐えていれば勝手に消えてくれるだろうかと思いながらコスモスはこちらに近づいてくる死霊たちを眺めた。
「成仏したい派と、暴れたい派で分かれてるってことかな。早く成仏したい派にとってコスモスは救いのようなものなんだね」
「満面の笑みで言われても……」
「さすがはマザーの娘じゃないか」
「えぇ……」
遠回しに片付けてくれるよね、と言われているようでコスモスは渋面になる。
アジュールが処理してくれればいいのだが、と思っていると彼は満足したのかその場で毛繕いをしていた。
周囲に湧く魔物や死霊もアジュールを敵として見ていないのかスルーしている。
「散歩……爽やかな朝の散歩だったはずなのに」
「充分爽やかじゃないか。善行もできてるわけだし」
「タダ働きでは? 修行とか、私の為とか言いながら大精霊様しか得していないような」
「そんなことないよー。周囲に気にせず思い切り暴れられる場所としては最適でしょ?」
「暴れ……暴れられる」
とても魅力的な響きだ。ゆっくりとその言葉を口にしながら、コスモスはぐるりと周囲を見る。
強固な結界が張られているので地上へのダメージは無い。
壁や床も頑丈そうである。
多数の罠に、我が家のように闊歩する死霊達。
コスモスの様子を見て、大精霊はくすくすと笑う。
ふぅ、と息を吐いて大きく瞬きをするとコスモスは笑みを浮かべた。
隣にいる大精霊は腕を組みつつ目の前に広がる光景に苦笑する。
「聖炎の力を利用しての浄化とはね。範囲が広い上に問答無用での強制消滅。確かにこれだけ威力のある術は上では難しいねぇ。前から考えていたのかな?」
「こういうのができたら気持ちがいいだろうなとは思ってました」
「実践は初めてだけど、これは使えると思うよ」
モヤモヤしていた気持ちもどこへやら、とてもすっきりした顔をしてコスモスは先ほどの感覚を思い出していた。
内部で溜めた力を広範囲に放出する。聖炎の力を引き上げて風の力を借り隅々まで行き渡るようなイメージを描いた。
想像以上に上手くいったことに満足しつつ、不満げなアジュールの視線を無視する。
どうやら彼は危うく消えかけたらしい。
危険を察知して影に潜み難を逃れたと愚痴るがコスモスは気にしない。
「ただ、火力が強すぎるからその制御ができればもっと上手く使えるだろうね」
「浄化もできるとは思ってませんでした」
「まぁ、浄化というか消滅というか。高火力で焼いたに近いんだけど、聖炎の属性がついてるから浄化とも言えなくないのかな?」
本来ならできないことだと説明する大精霊にコスモスは聖炎の中に入った経験が生きて良かったと思う。
あれがなければ通常の火属性攻撃に聖属性を付加することはできないのだから。
(神殿で徳を積めば通常の浄化もできるようになるかしら?)
辛く苦しい道のりだろうなと思うと、それと似た力をこんなに簡単に入手できていいのかという疑問がわく。
複雑な表情で自分の手を見つめていたコスモスだが、人魂という特殊な状況だからこそ入手できたのかもしれないと納得した。
「さて、地下もあるからね」
「えっ」
「まだ帰らないよ。お散歩続けようね」
「怖っ」
「朝食にはまだ早いから大丈夫だよ」
下に着いてもここと同じような状況だったら、さっさと片付けてしまおうと思いながらコスモスは大精霊に腕を掴まれた。
すり抜けようとしたが、見越したかのように阻止される。
(相手が上位だとすり抜けもきかないのがつらいけど、しょうがないわ)
アジュールは下に通じる扉の前で早く来いとばかりにこちらを見ている。
主人の身を案じているわけでもなさそうな様子に思わず溜息が出てしまう。
「一番楽しんでるじゃない」




