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215 早朝散歩

 昨晩はあんなことがあったというのにぐっすり眠れてしまった自分に感心しながらコスモスはごろりと転がる。

 起床時刻にはまだ早く、隣のベッドではルーチェが規則正しい寝息を立てていた。

 外は薄暗いものの、神官達の朝は早い。これから礼拝だろうかと思いながらコスモスは鳥の囀りを聞く。

(一番平和そうに見えたエテジアンでも油断できないか……いや、でもあの手が暴走しなかっただけマシなのかしら)

 突如出現した魔法陣は事前に仕込まれていたものではないと風の大精霊は言っていた。

 しかし、あの二人によるものとは思えない。

(他の誰かが先に仕込んでいた? それなら気づかないはずがないって大精霊様は言っていたし)

 そうなると本当にあの魔法陣はあの時に現れたものとなる。

 黒い蝶がひらりと数羽飛んでいたのが気になったが、もっと注意深く見ていたら何かつかめたかもしれない。

 欠伸をしながらコスモスは部屋を出た。

(さてと、地下牢だっけ?)

 近場にいる風の精霊に案内を頼みながら、コスモスは気配を消して障害物をすり抜けていく。

 神聖な結界もするりと抜ける精霊の後を追うように通り抜け、地下牢へとついた。

 ここには昨晩アルズとトシュテンが捕縛した内通者がいるはずだ。その人物から何か情報を探りだせないかと思ってこの場に来たコスモスだったが、妙な静けさに嫌な予感がして周囲を見回す。

 出入り口にいた神官兵は床に座ったまま動かない。近づいて確認すればただ眠っているだけでホッとしたが、職務怠慢とも言えなそうな状況にコスモスは眉を寄せた。

(眠らされてる?)

 誰に、と考えようとする前に風の精霊が自分を呼ぶ声に慌ててそちらに飛んでいく。

「あー、明らかに何かいた痕跡だけあるわね」

 閉じられた檻の中には簡易ベッドとトイレがある。

 質素だが清潔に保たれているのは神殿だからだろうか、と思いながらコスモスはベッドの上に乗っている神官服を見つめた。

 まるでベッドの上で誰かが寝ていたかのような服の置き方に首を傾げていたコスモスは、何か残っていないか近づこうとして止まる。

「無駄足だったか」

 彼女の周囲にいる精霊たちはぐいぐい、とコスモスを外へ押し始める。どうかしたのかと彼女が思っていれば、遠くで大きく欠伸をする声が聞こえた。

 恐らく眠っていた神官兵が起きたのだろう。

 コスモスは認識されないからこのままここにいても大丈夫だが、精霊たちは嫌なのだろう。

(確かに、ここにいても困惑されるだけかも)

 そう思った時にはもうすでに外に出ていた。周囲を囲む精霊たちをぐるりと見回して、コスモスは行くところがあると告げる。

 そしてそのまま目的地へと向かった。

(さすが、防御は固いわね。正規の通り道じゃないからしょうがないけど)

 壁や天井を抜けながら強力な結界を目の前に思案していたコスモスだったが、一点だけ薄れている場所を風の精霊が教えてくれる。

 そんなことを教えていいのかと思いつつ、これ幸いとそこをすり抜けて目的地へと辿り着いた。

「ふぅ」

 恐らくトシュテンがこの場にいれば、その息苦しさに眉を寄せていただろう。アジュールならば早々に影に潜んでいたかもしれない。

「あれ? 場所間違った?」

 到着した場所が思っていた場所と違っていてコスモスは首を傾げる。位置的には合っているはずだが、途中で道を間違えたか。

「間違ったの?」

「あ、間違ってませんでした」

「ふふ、そうなんだ。朝早くから会いに来てくれるなんて嬉しいねぇ」

 本当にそう思っているのか、と思わず突っ込んでしまいそうになりながらコスモスは憎らしいほど美麗な風の大精霊を見上げた。

 彼はいつからそこにいたのか、床から半分ほど出ているコスモスを興味深そうに見つめていた。

 暗い室内だが障害物にぶつかることもないコスモスには大した問題ではない。

「おはようございます。ここは大精霊様の部屋ですか?」

「うん、おはよう。そうだよ。ここは僕の部屋。精霊の間の奥にあるんだ。他にもいくつか部屋はあるけどね」

 どことなく、マザーの部屋を思い出してコスモスは懐かしくなった。

 カウチに腰を降ろしていた大精霊は、慣れた手つきでお茶を入れるとコスモスを呼ぶ。

 半分床に埋まったまま様子を見ていたコスモスは、優しいその声に誘われるようにふわふわと移動した。

「お茶どうぞ」

「ありがとうございます」

 大精霊に入れてもらったお茶を一口飲んだコスモスは、その美味しさに一気に飲み干してしまった。

 さぞ高級な茶葉を使っているのだろうと思いつつ、注がれるお代わりを見つめる。

「美味しいです」

「そう、良かった。これを飲めるのはコスモスくらいだろうからね」

「えっ、毒?」

「僕がコスモスに一服盛るわけないでしょ。でもそうだね、耐性のない人が飲んだら毒になるかなぁ」

 やっぱり毒じゃないかと警戒しながらカップの中身を見つめていたコスモスだったが、大精霊の言っている意味が分かって溜息をついた。

(風の精霊の力を感じる。これは大精霊様が力を注いだお茶なのね)

「コスモス、今戸惑ってるでしょ? 戸惑っているというか、ちょっと分からなくなってる?」

「自分がやりたいことは分かってますし、揺らいでませんよ? 寄り道が多いのは認めますけど」

 急になんだ、とコスモスはむっとした表情で大精霊を見る。

 彼は優雅な手つきでカップを口元に運ぶと、お茶を飲んで「ふぅ」と息を吐いた。

 いいように使われて、何を考えているのかさっぱり分からない風の大精霊だがその美しい外見に全て許されてしまうような悔しさがある。

 やはり、美しさは武器だなとしみじみ思いながらコスモスはじっくりと大精霊を見つめた。

「急に強くなって、心と体のバランスが崩れているんじゃないかなと思って」 

「からだ……?」

 自分の体はここにはないけれど、と首を傾げるコスモスに大精霊は感覚的なものだと告げた。

 つまりこういうことだろうか、と思ったコスモスは人型になってソファーに座る。

(そう言えば人型になったのも随分久しぶりな気がするわ)

 それだけ球体が省エネで便利だということもあるのだろう。

 人としての感覚はまだ覚えていると確認するようにカップを持つ。

 もう片方の手を添えれば温かさも感じた。

「そうそう、それそれ」

「これ?」

「そう。うーん、思ったほどのズレではないから時間が経てば馴染むとは思うけど」

「そうですか」

「うん。動いてればそのうち慣れる系ね。まぁ、それだけ危険な目には遭いたくないと思うけど」

 そういうものなのか、とコスモスはお茶を一口飲むとカップを降ろして自分の全身を見回した。

 特に変化のない自分の体。

 認識できたとしても球体までの人が多いが、さすがは大精霊と言うべきか。

 どうやら人型になったコスモスの姿もちゃんと見えているようで、彼女は少し気恥ずかしくなった。

「危険な目に遭わずとも何とかなりそうですね」

「戦闘とか、魔物狩りでもいいけどそういうことした方が馴染むのが早いってこと」

「後はゆっくり水の神殿へ向かうだけですので。それまでには慣れていると思います」

 道中で魔物に出会うことがあるだろうから、その時に積極的に体を動かして慣れればいいだけのこと。

 コスモスはにこりと笑みを浮かべながら、綺麗な笑顔で見つめてくる大精霊を見つめ返した。

「ちょっとした運動しながら、貴重品をゲットできるかもしれないんだよ? お徳じゃない?」

「明らかに危険なダンジョンですよね」

「ちょっと様子見程度に行こうか」

「強制!?」

 誰が行くかとばかりに声を荒げるコスモスに、大精霊はニコニコするだけ。

「ちなみに場所はどこなんです?」

 皆を起こして説明しなければいけないのかと考えると気が重い。

 ルーチェを起こすのも忍びないので、アジュールがいればいいかと考えるコスモスに大精霊は「ふふ」と笑った。

「すぐそこだから、散歩しようか。散歩」



 ただの散歩じゃないだろうなと予想はしていた。すぐにアジュールを呼ぼうかと思ったが様子を見てからと判断したコスモスは溜息をついた。

「朝からどうして神殿の地下に潜らないといけないのか」

「散歩だってば」

「一人でこんな場所に来ているなんて知られたら、みんな卒倒しますよ」

 いくら力のある大精霊とはいえ、万が一ということもある。

 土の神殿での出来事を思い出しながら、コスモスは大精霊の後をついていった。

(人型のままでって言われたからそうしてるけど、やっぱりこっちだと消費が大きいわね)

 形を保つだけでも力を消費するのだから、球体でいる時間が長くなるのもしょうがない。

「だいじょーぶ。バレなきゃ平気だって」

「つまり、ばれないように散歩して帰るってことですか?」

「そうだね」

「散歩しないで帰った方がいいのでは?」

 既に足を踏み入れてしまっているが、今ならまだ戻れるとコスモスは大精霊を見る。

 しかし彼は前を見たまま「ははは」と笑うだけ。

 周囲には大精霊の笑い声が反響し、それに反応してか気味の悪い死霊が叫びながら向かってくる。

 ひょい、と避ける大精霊にイラッとしながらコスモスはそれを叩き落とし、待たずに先に行ってしまう大精霊を追いかけた。

「どこか目的の場所でもあるんですか? どうしても今行かなければいけない場所なんですか?」

「特にないよ。散歩だって言ったでしょ?」

「物騒すぎませんか」

 思ったよりも手強い魔物や死霊がウロウロする場所を早朝散歩。

 新しい修行か何かかな、と思わず首を傾げてしまうというものだ。

(神殿の下がこうなってるなんて誰も想像できないわよ。境には強力な結界が張ってあるから地上に魔物が出てくることはないんだけど)

 じゃれつくように出てきた犬型の魔物を軽く蹴り倒し、鎌を振りかぶってくるフードを被った死神のような死霊に溜息をついた。

 避けずとも当たらないのだが、攻撃を回避して鎌を奪うと見よう見まねで振るってみる。

 自分の武器を取られて激昂する死霊を鎌で切り刻み、その姿が消えるとコスモスが持っていた鎌も消えた。

「意外と好戦的だよね」

「え? 何か言いました?」

「いやいや。楽しんでいるようで何よりだなと思って」

「たのしんでいる?」

 やっぱり今からでもアジュールを呼んでおこうか、と思った瞬間に気配を感じてコスモスは思わず笑ってしまう。

「あぁ、君の忠実なる僕がやってきたわけか」

「基本的には手を出さないようにしてもらえばいいんでしょう?」

「分かっているようで嬉しいよ」

 風の大精霊提案の早朝散歩がコスモスのためというのは彼女自身も気づいていた。

 先ほど話したように水の神殿へ移動しながらゆっくりと馴染ませていけばいいと今も思っている。

 しかし風の大精霊はどうやらすぐにでも馴染ませたいようなのでこうして大人しくついてきた。

(嫌だったら帰ればいいんだろうけど、逃げても捕まりそうなのよね)

「アジュール、悪いけどよろしくね」

「マスターの為だからな。面倒がらずに体を動かすしかないのならしょうがない」

「お前、どこから聞いてたわけ?」

「今来たばかりだ。マスターの力が強くなりすぎて戸惑っているのは時間が解決するかと思っていたが、心優しい大精霊様がこうして自ら手伝ってくれるとはありがたい」

 音もなく姿を現したアジュールはわざとらしくそう言うと礼をするように頭を下げた。

「強力な結界張ってるってのに、よく入ってこれるよねぇ?」

「従属している身だからな。方法は他にもある」

「あぁ、なるほど。そうだった。例外がきく存在だったの忘れてたよ」

「残念そうだな」

「そりゃあね。コスモスと二人きりの早朝散歩だったからさ」

「それは申し訳なかった。私のことは気にせずよろしくやってくれ」

 大げさな身振り手振りで邪魔された不快感を示す大精霊。

 一方、アジュールはそう言って暗闇に消えていった。

「はぁ。仲良しですね」

「そう見える?」

「見えます」

「ああいうのは嫌いじゃないからね。知り合いを思い出すよ」

 少し遠い目をしながら懐かしむようにそう告げると、大精霊は再び歩き出した。



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