214 結界の修復も仕事の内です
風の大精霊に連れられて到着した場所は礼拝堂だった。
場所を間違っているんじゃないかと言おうとしたコスモスだったが、下にいるアジュールに呼ばれて動きを止める。
「何か、気づかぬか?」
「え、何が」
どこからどう見ても立派な礼拝堂にしか見えず、コスモスは首を傾げながらじっと建物を見つめた。
(アジュールがそこまで言うならなんかあるんだろうから集中してみよう)
大精霊が建物の前で動かずにいるのを横目に、コスモスは深呼吸をする。
目を瞑ればアメシストが補助してくれているのか、今まで見えなかったものが見えるようになっていた。
ゆっくりと目を開いてもそれは消えない。
(強固な結界が礼拝堂を包むように展開されている。内部にある反応は一つだけど、やけに禍々しいわね)
魔物に近い反応だが魔物ともまた違うようなそんな気配にコスモスは眉を寄せた。
「大精霊様、アジュールが指摘した箇所の修復は大丈夫ですか?」
「あぁ、それなら心配いらないよ。あの程度なら自然に修復するだろうし。でも油断は禁物だから神官達には優先的に直すようにと伝えたよ」
「早い」
「そりゃ、一応この神殿の大精霊だし?」
そう言われればそうか、と思いつつコスモスは礼拝堂の中にいる気配が微動だにしていないのに気がついた。
どうしたものかと思ったが、面倒とばかりに口を開く。
「先に様子見てきましょうか?」
「いや、一緒に行くよ。ここで待たされても相手の思う壺かもしれないし」
「危険かもしれないですよ?」
「はぁ。何のためにわざわざ君たちを連れてきたと思っているのかなぁ」
そんなにアテにされても困る。
相手がどういう存在なのかも分からないのに大精霊の命を預けられているような状況なんてプレッシャーでしかない。
「小物だけど油断はできないからね。ここに閉じ込めてみたんだ」
「小物……ねぇ」
それがフラグにならなければいいけど、と呟いてコスモスは礼拝堂の中に入っていく大精霊の後を慌てて追いかけた。
するり、とすり抜ける結界は薄い光の膜のようにコスモスを撫でる。
音を立てて開かれた扉をそのままにゆっくりと歩いていく大精霊。
一応閉めた方がいいのかなとコスモスが扉に近づこうとすると、勝手に閉まった。
(危なかった)
痛みは感じないだろうがいい気分はしない。
勝手に閉まるならそう言ってくれとばかりに溜息をついてコスモスは大精霊の右肩あたりへ移動する。
礼拝堂はガランとしており、ステンドグラスから差し込む月の光が神秘的だ。
奥の祭壇には風の大精霊を模した大きな像があり、それに向かって日々神官や信者達は祈るのだろう。
等間隔で綺麗に並ぶ長椅子の先頭に、誰かが座っている。
ベールを被った修道女かと思ったが、ローブを着た神官だった。
(ふぅん。霊的活力は……魔物にそっくり)
上手く人に擬態できるものだと感心しながらコスモスはこちらに気づいて困ったように眉を下げる神官を観察した。
距離は遠いが警戒は怠らない。
「大精霊様、あの、気づいたらここから出られなくなってしまったのですが」
「どうしてだろうねぇ?」
「私にもさっぱり分からないのです」
するり、と神官の影に潜んでいたアジュールが戸惑う神官の体を背後から襲う。
魔獣の爪に貫かれ、目を大きく開いたままその場に倒れた神官は意味が分からないと離れた場所にいる大精霊へと手を伸ばした。
「自分が、既に人ではなく魔物になっていることに気づいていたよね? それを利用して僕のことを狙っていたのも知らないとは言わせないけど」
倒れた手負いの神官が何をするか分からないのでアジュールはその場にとどまって様子を見ている。
風の大精霊の言葉に、手を伸ばしていた神官は血を吐きながら大きく笑い声を上げ、大量の血を流しながら高らかに叫んだ。
「流石は大精霊様。お察しがよろしいことで。でも、本当にそれだけだとお思いですか?」
「抵抗はやめた方が身のためだがな」
「私の全てはわが主のために。大精霊など死に絶えるが必定ですよ」
息も絶え絶えに目の輝きだけは衰えず、そう呟く男は死というものを恐れていないように見える。
(コスモス、右、左、右斜め上、正面だよ)
どこかで聞いたことのあるような声が聞こえたかと思った瞬間に、コスモスの体が動いていた。
大精霊を背後にして突如襲い来る攻撃を全て弾く。
後ろでは大精霊の息を呑む音が聞こえたが、コスモスは聞こえてくる声とほぼ同時に動いて攻撃を防いだ。
(透明化してるのか、それとも……うーん)
恐怖を感じてもいい状況なのに緊張感に欠けるのは何故だろう。
そんな事を思いながらコスモスは無造作に何もない空間に手を伸ばし掴んだ。
人魂からにょきっと腕が生えている姿は見えるものにしか見えないだろう。
気持ちが悪いのはコスモス自身が良く知っている。
「よし、釣れた」
掴んでいる腕が自分が知っているはずの腕とは違ってムキムキなのは気にしない。
引き抜いたそれをビタンとその場に叩きつけて、じたばたと暴れるので押さえつける。
離れた場所でその様子を見ていた神官の顔は真っ青になっていた。
「くそ、やはり結界石の破壊が間に合わなかったせいか」
「あぁ、あれ君のお陰だったんだ? 教えてくれてありがとう」
悉く阻止されているのに破壊するつもりだったのか、とコスモスは押さえつけている男を凝視する。
大精霊はにこりと笑いながらも目の奥が笑っていないという表情で圧をかけてきた。
「この場で私をどうする? 殺すつもりか? 大精霊が? 神聖なるこの場で?」
馬鹿にするような男にも大精霊は表情一つ変えない。
コスモスは押さえつけている相手を探っていたが、首を傾げた。
「ぐっ!」
「大精霊様、この男はレサンタ王国を狂わせた元凶でもある占い師のようです。まぁ、占い師というのは嘘でしょうけど」
どうやら男にはコスモスの存在が認識できていないらしい。だからこのプレッシャーも全て風の大精霊のせいだと思っている。
「あぁ、なるほど。そんな話は聞いていたけど」
「何を……っ!」
「手下を贄に強化しようとした? 残念だけど、もういないんだよね」
そんな事にも気づかなかったのとばかりに大精霊はわざとらしく大きな溜息をつく。
アジュールが見張っていた神官の男はいつのまにかその姿を消していて、その場に残るのは男が身につけていたものだけだ。
彼はぺろり、と舌で口を舐め小さく唸る。
「レサンタ前王には上手く取り入れたのに何で今回は失敗しちゃったんだろうね?」
「何を言っているのか」
「ふーん。しらばっくれるならそれでもいいけど。僕には関係ないことだし」
大して興味もないと告げる大精霊はとても彼らしくてコスモスは思わず笑ってしまう。
彼女の下で身動きが取れずにいる男は術を唱えることもできない。
紡ごうにも全身にかかる重圧と頭の中を掻き混ぜられているような感覚に吐き気が止まらないせいもあるのだろう。
「私をここで殺したところで終わると思うな」
「思ってないけど」
「ふふふ」
コスモスの声は大精霊とアジュールにしか聞こえない。
だから男には大精霊が自分の発言を嘲笑しているようにしかみえない。
(緊張感がないのも、恐怖を感じないのも、それは私がこの男を簡単に伸せるという自信があるから?)
ヒリつくような緊張感が欲しいわけでも、生と死の狭間でギリギリのやり取りを楽しみたいわけでもない。
けれど、強すぎるというのも考えものかと思いながらコスモスは男の上から退いた。
軽く目を見開いた大精霊の胸部を押して後退させる。
「なんだ、最後の慈悲でも与えようっていうのか?」
「いいや、違うさ。お迎えがきたようだからね」
邪魔するわけにもいかないだろう、と大精霊が笑う。這いつくばっている男は怪訝そうに眉を寄せ、その体を起こそうとした。
「……?」
起こそうとしたのだが体が床に張り付いたかのように動かない。
上から押さえつけられていた圧迫感はないのにどういうことだ、と戸惑っていると周囲に魔法陣が展開される。
紫色に発光するその紋様を見て顔色を変えた男は、そこから逃れようともがくも上手く体が動かない。
周囲の長椅子や柱を巻き込んで禍々しい光を発しながら魔法陣は輝きを増した。
「これは予想してなかったね」
「お迎え来てるのに喜んでないですね」
「先が予測できるからじゃないかな?」
本当だったら生け捕りにしてレサンタ王国に引き渡したい。
だが、そうしないのはそれより危ない何かが接近していると判断したからだ。
恐らく優秀な管理人のお陰だろうと思いながらコスモスは防御壁を張り続ける。
ビリビリと指先が痺れるが耐えられないほどではない。寧ろここで集中を途切れさせたらアレに巻き込まれてしまう。
「ここまでの醜態晒して無事に済むわけないじゃん。僕が上司でも怒るよね」
「情報漏らしてないのに厳しい……」
魔法陣の中央から出てきた巨大な黒い腕は逃げ出そうとする男の足を掴むとそのまま掌に納めるように捕獲してしまう。
巨大な手はそのまま魔法陣へと消えていき、再び静寂が戻った。
「うーん、消化不良」
「無理だと判断して退いたのは良かったと思うよ」
複雑な表情でそう呟いたコスモスに、風の大精霊は慰めるように彼女を優しく撫でる。
そんな大精霊の右肩に乗って息を吐いたコスモスは静かに近づいてきたアジュールを見た。
「私も良い判断だったと思うぞ」
「そうかな」
「ああ。あの状態で深追いした所でこちらが危険だったからな」
「あーやっぱり?」
のんびりとそう答えるコスモスを撫でていた手を止め、大精霊は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの、コスモス」
「もっとバイオレンスな展開がお望みだったか?」
「ううん。妙に冷静になってる自分がいて、そんな自分に慣れないというか。黒い蝶だってチラホラ見えたけど飛び込まなかったのは良かったのよね」
パニックになってギャーギャー騒いでいるだけのうるさい存在になりたいわけではない。
自分の方が優位だとどこかで確信しているからこその余裕というやつなんだろうか、と首を傾げてコスモスは魔法陣が広がっていた床へと下りる。
「気配はもう消えているぞ。追うのも無理だろうな」
「裏切り者の神官からも黒い蝶が見えて、魔法陣から出てきたあの黒い腕の周囲にも黒い蝶がいたけど、見えた?」
「いや、靄を纏っていたのは分かったが形までは分からなかったな」
「僕もそうだね。ぼんやりとした靄にしか見えなかったな。コスモスは黒い蝶に見えたの?」
黒い蝶を見たのが自分一人だったということに、コスモスは途端に自信をなくす。
気のせいだったかなと呟いて思い出すも、ひらりと舞う形は忘れもしない黒い蝶だった。
「アジュール、体調は大丈夫?」
「あぁ、呑みこんだあの神官か。大して味も素っ気もなかったぞ。中身はスカスカだ」
「うわ、悪食だなぁ」
ちらり、と大精霊に視線を向けられたコスモスは自分の指示じゃないと必死に頭を左右に振った。
アジュールが攻撃したのも、最終的に神官を呑んだのも全て彼の判断である。
「さてと、お掃除しないとね」
大精霊がパチンと指を鳴らせば礼拝堂内に大きな竜巻が発生する。
お掃除とは、と疑問になるコスモスとアジュールだったが、竜巻が消えれば礼拝堂は何事もなかったかのように元に戻っていた。
「コスモスのお陰で結界が壊されなかったからね。あれだけヤバイもの召喚されたのに壊れないって凄いよ。あの手の目的があの男だけにしろ、巻き込まれる可能性は高かったし」
「あー、あの男以外には興味なさそうでしたね。邪魔したらひどいことになりそうですけど」
流石のコスモスも、あの手と握手はごめんである。アジュールも気配を殺していたくらいなのだから正直出会いたくない存在なのだろう。
「魔法陣は元から仕込んであったんですかね」
「うーん、どうだろうね」
「あのスカスカの神官程度に描けるわけがないだろう、ってことだ」
「なるほど」
大精霊の考えを読み取ったかのようにアジュールがそう説明してくれる。それに大きく頷いてからコスモスは眉を寄せた。
「第一、あれだけの仕込みをしてたなら僕が気づかないわけないんだよねぇ。でもまぁ、僕も油断するから万全というわけじゃないけど」
「結界修復の見回りしますか?」
「疲れてないならお願いしたいなー」
「いいですよ。心配で寝るに寝られないことになりそうですし」
大精霊の右肩に座っていたコスモスはもぞもぞと位置を直す。
アジュールはゆっくりと瞬きをしてから近くの影に潜った。
礼拝堂の外は入る前と変わらず静かで穏やかだ。中であんな騒ぎがあったとは三人以外知ることもない。




