212 獣が生まれた日
あるところに一人の男がいた。
魔獣退治や傭兵をしていたその男はある日いつものように魔獣退治に出かけて死んだ。
自分と同程度、それ以上の傭兵や騎士がいて、高位の魔術師や神官がいたのにも関わらず全滅してしまった。
虫の息で死を待つだけの男の前にソレは現れた。
面白そうに人の顔を覗き込んできてこう尋ねたのである。
「取引をしてやる」
人外だと感覚的に分かったがもうすぐ死を迎えるだけの男にとってそんなことはもうどうでもいい。
気がかりなのは残した家族のことだけだ。
保障金が払われればいいが、と思いながら瞼を閉じようとした彼をソレは許さなかった。
返事を待たずに勝手に自分を魔獣に変化させたソレに、目覚めた男は噛み付いた。
牙を突きたて爪で切り裂き、ソレの半分を咀嚼した。無我夢中だった。
自分の配下になったはずの男に手酷くやられたことに怒ったソレは男を殺した。
男は死んだ。
死後の世界など信じていなかったが、なぜかぼんやりとした意識だけはある。
暗く淀んで底が見えない空間に身を任せながら、漂い続けた。
周囲の闇に溶けて消えてしまえばいいと思うのも飽きてきた頃、光が見えた。
闇しかない場所で一際光るそれはとても異質である。周囲の闇が取り込もうとしているようだが、上手くいかない。
赤ん坊の泣き声や、若い女の啜り泣き、ヒステリックに叫ぶ中年の男の声など、老若男女の色々な声が聞こえてくる現象にも慣れた男にとって、久々の刺激であった。
独り言を呟きながら歌ったりと変なその光に引寄せられ、名を与えられた。
「うーん、なんとかできましたけど、これは水の精霊石も獲得してからの方が良かったのでは?」
「そうだね」
「そうだね、って」
「だから言ったじゃん、ウチで試してからって」
自分が充填させた結界石を見つめながら唸る主を見つめてアジュールは溜息をつく。
「最初からそれを分かっていた上で、マスターの力を充填させた結界石が必要だったのだろう」
「水の精霊石がないのに?」
「どうやら、思った以上に逼迫していると見える」
何を言っているのやら、と不思議そうな顔をしているのが分かってアジュールは苦笑した。
ぴくり、と片眉を動かした風の大精霊が彼を見るがアジュールは動じない。
『コスモスにバラそうか?』
『別に構わない。知られたところで困ることはないからな』
『はぁ。君みたいなタイプって本当にやりにくいんだよなぁ』
『マスターがそれを聞いたところで契約を切るわけがなかろう』
『それなー』
はぁ、と溜息をつく大精霊は空の結界石を見ながら続けようか悩んでいるコスモスに苦笑した。
彼女の力は強く、結界石を複数充填させたというのに疲労の色が見えない。
「そりゃ、立て続けに神殿が襲われてたら敏感になるって」
「そう言えばエステル様も結界の強化しないとって言ってましたね」
最近遊びにこないエステルのことを思い出しながらコスモスは全ての結界石に自分の力を移すことに成功した。
「それはいいことだ」
「エテジアンは他と比べて平和に見えるんですけどね」
「頑張って平和にしてるからね」
「神殿管理下の遺跡に異常が発生して、姿の見えない第三者もいるにも関わらず平和か」
鼻で笑うようにそう告げたアジュールに、コスモスは確かにと呟いた。
(何となく、大精霊様は強化された魔獣を倒した第三者が誰なのか分かってるような気がするのよね)
けれど彼は決してそれを口にしない。放っておいても魔獣はその第三者によって倒されるのに、自分達を向かわせる理由は何だと考えて目の前の石に思い当たる。
(結界石の浄化は神官ができる能力。高位神官でもあるオールソン氏を使えばその間、風の神殿の守りが手薄になることもない)
「血みどろの争いが繰り広げられるよりマシよ」
「マスター、いい加減諦めろ。最近は慣れてきたじゃないか」
「うん、けどできるだけない方がいいのよ」
スプラッタな場面を見ても気持ち悪くなったり、吐き気がすることはなくなった。
強くなったと思えばいいのだが、精神安定には程遠い光景だ。なるべくなら避けたいと思うのは普通だろう。
(自動的にフィルターがかかってモザイク処理とかできればいいんだけど)
そんな便利な機能があったらいいな、と溜息をつくコスモスの脳裏でガーネットがとびきりの笑顔で親指を立てた。
「ご心配おかけしました」
「気にしてないわ。お陰で貴重な本をたくさん読むことができたし」
「この短時間で回復するなんて、さすがは高位神官ってとこかな?」
もう少し寝てると思ってたよと笑うレイモンドに対し、ルーチェはあっさりとしたものだ。
トシュテンは苦笑しながら反対側のソファーに座るアジュールとその体に凭れかかるコスモスへと目をやる。
「浄化作業がつらいなら、私も手伝いますよ」
「いえ、これは私の仕事ですので」
「そうだな。マスターの手を煩わせるまでもない」
「先輩の言う通りです」
風の大精霊からやり方は聞いているのでコスモスでもできる。トシュテンがここまで疲弊するなら分担しようかと提案したコスモスだが、アジュールとアルズに却下されてしまった。
もっとも、トシュテンがその役目をコスモスに任せることもないのだが。
想像通りの反応にトシュテンは気を悪くするどころか笑ってしまう。
「あんなに言われてるのに笑ってるわ」
「ボクらよりも付き合い長いからね」
「当然よね」
「なになにー? ルーチェは拗ねてるのかなぁ? 精霊ちゃんはルーチェのこと好きだから心配する必要ないと思うけど」
「父様、からかわないで。そういうことではないわ」
別に気にしていませんと告げてそっぽを向いてしまう娘に、レイモンドは目を細めて小さく笑った。
にこにこと父親が上機嫌になるほど娘の機嫌は悪くなる。
「結界石を悉く浄化され、計画を邪魔されてるからそろそろ敵側が焦れて出てくるといいんだけど」
「そうだな……大精霊のやつも頃合だとは言っていたが」
結界石の働きを弱め、周囲の魔物を強化増幅させ神殿や都市の守りを弱体化するのが狙いなのだろうと大精霊は言っていた。
しかし、最奥で待っているはずの強化された魔物は先に誰かに倒され、コスモスたちは増えすぎた魔物を駆除しながら結界石の浄化をする。
(何箇所も回れば疲労が溜まるのは当然。けれど、弱い魔物しか相手にしていない私達の中で一番疲労が大きいのはオールソン氏だけ)
「ルーチェ、次に敵が狙いそうな場所がどこなのか予測できない?」
「私の能力で占えってことね。確かに後手ばかりだものね。たまには先回りして出迎えるというのもいいと思うわ」
「神殿や教会が管理している遺跡や迷宮、洞窟等はいくつもありますが、そこから絞り込むのは難しいですよ?」
トシュテンの言う通りだろうがコスモスは心配していない。
ルーチェもトシュテンと同じ事を考えていたのか準備をしながら眉を寄せている。
「最終的に大精霊様に判断してもらうの。本当なら数箇所に目星をつけてチーム分けするのが一番なんだろうけど……」
「分けられて二つ、かな?」
ぐるり、とメンバーを見回したレイモンドがそう呟く。当然彼は娘であるルーチェと一緒に行動するつもりだ。
「あまりにも危険です」
「二手に分かれたとしても浄化はどうします?」
「私とオールソン氏がそれぞれ担えばいいと思うわ」
結界石の力が失われていなかったとしても万が一のことを考えるとそうするのが一番いいだろう。
神殿の高位神官に同伴してもらうという手もあるのだが、できるだけ巻き込みたくないとコスモスは思っていた。
アルズの疑問にそう答えたコスモスは、軽く睨むように見つめ溜息をつくトシュテンを横目で見る。
「今まで誰かさんのお陰で会敵することはなかったけれど、もし強化された魔物と出会った場合戦うしかないわよ?」
「もちろん」
「はぁ、簡単に言ってくれるわね」
戦うのがその遺跡内に一体だけとも限らない。焦れた相手が姿を現せば連戦という可能性もある。
レイモンドが広げた地図を見ながら、トシュテンは今まで浄化してきた場所に印をつける。
「わーお、また面白いことしてるねぇ」
「相変わらずお耳が早いですね」
「はははは」
「うふふふふ」
コスモスの背後から突然姿を現した風の大精霊は宙に浮かびながらコスモスに肘を置いて地図を見下ろす。
びくっと驚いた他のメンバーは、笑いながらも静かな火花を散らしているコスモスと大精霊をヒヤヒヤしながら見ていた。
「いやいや、僕もさたまには先手打とうかなと思って相談しに来たんだよねぇ」
「相談という名の命令ですね」
「やだー、コスモスってば辛辣ぅ」
風の精霊を通じて覗いているのは理解していたコスモスだが本当にいい趣味だと笑顔を浮かべる。
(神殿内は特に彼の影響下だものね。常時監視に盗聴とは気が狂いそうになるけど、悪口言っても天罰下るわけでもないから気にしないようにしないと)
だからこそ早く神殿から出て行きたいのだが、大精霊はそれをやんわりと阻む。
今更コスモスが無害アピールをしたところで、有用さが分かっているので無駄だった。
(三属性の精霊石を取り込んで、エステル様の加護も受けてるマザーの娘だものね。そりゃ手元に置きたくなるのも分かるわ)
取り込んだのも普通の精霊石ではなく、大精霊が自ら分け与えたもの。
風の大精霊がしきりにウチの子にならないかと勧誘する理由も分かってしまうとコスモスは頭に置かれている彼の肘を跳ね上げた。
「大精霊様に目星がついているのなら、私の出番はないのだけど」
「いやいや、楽しそうだから見せてよ」
「……」
「僕も手伝うからさ」
首から外したペンダントを手にしたルーチェの背をレイモンドがポンポンと優しくたたく。
ウインクをして投げキッスをしてきた大精霊に嫌そうな顔をしたルーチェだったが、ペンダントの魔石が淡く発光したのを見て顔色を変えた。
「風の力だわ」
「そ、僕の力をちょっと注いだから精度は高くなったはずだよ?」
「最初から大精霊様が予想すればいいだけの話なんじゃ……」
「僕も忙しくてさ、できるだけ力は温存しておきたいんだよねぇ」
「こんな状況で暢気によく言える。ただ面白そうだからという理由だろうに」
ぼそり、と呟くコスモスに眩暈がしそうだよとオーバーリアクションをする大精霊。
アジュールもまた呆れたように溜息をついてそう呟いた。
「いいわ。披露してあげようじゃない。こんな機会ないんだし」
「ルーチェがやる気に満ちてる」
「やる気というより、挑発に乗ってしまった感じもしますけれど……」
「うちの子可愛いだろ?」
ルーチェの背後に燃え上がる炎が見えそうだとコスモスが驚けば、トシュテンは少女を同情するような目で見つめる。
レイモンドはいつも通り親バカ全開である。
「今回もいつも通り僕らは現場に行けないからコスモス達に全部任せるよ」
「……全部ですか?」
「そう、全部」
不測の事態が起こった場合の対応や処理も含めてということか、とはっきり口に出して問おうとしたコスモスだったがやめた。
「必要なものがあれば言ってくれ。不足なく用意しよう」
「できれば何事もなく帰ってきたいんですが」
「僕もそうだったらいいねって、思ってるよ?」
「人の心配をしている暇があるのなら、さっさと例の強化でもしてきた方がいいのではないか?」
「うっわ、アジュールまでそんなこと言うの。ま、その通りなんだけどさ。気晴らしに来るくらいいいじゃん。場所が特定できたらちゃんとお仕事するって」
早くもダウジングで場所を特定したルーチェが得意気な顔をしてコスモスを呼ぶ。
彼女は大精霊と顔を見合わせて一際強く発光する魔石が指し示す場所を見た。




