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208 結界石

 結界石の浄化がされていないために内部に棲みつく魔物も通常よりは高い。

 しかし、コスモス達の敵ではなかった。

「結界石の浄化がどれだけ大切なのかが良く分かるわ」

「それだけに、何が待っているのか楽しみよね」

「ルーチェの前向きさは見習いたいわ」

 怖くないのかと呟けば怖いわよと返されてコスモスは笑った。怖さよりも好奇心が勝るのだろうが、それが彼女を窮地に追い詰めることがないように祈るしかない。

(レイモンドさんが側にいるから、大丈夫かな)

「相手を見極める前に平気で突っ込んでいくコスモスの方が凄いと思うけど」

「んー? そうかな。そんなつもりはないけど」

「まぁ、周囲が周囲だから分からなくなるのもしょうがないわね」

「えー? 僕はただマスターの手を煩わせないようにって動いてるだけですよ」

 にこにこ、とそう告げるアルズは飛び出してきた魔物をノールックで倒す。

 相変わらずだなと思いながらコスモスは足を止めて先を促すように呼ぶアジュールへ目を向けた。

「恐らくこの先に結界石が置かれているだろう。何か感じるか?」

「微弱ながら結界石の力を感じます。ですが……」

「ですが?」

「いえ、入ってからにしましょう」

 目の前の扉を見つめているトシュテンはその先の光景が見えているかのように笑顔を浮かべた。

「おかしいわね。強敵の気配がないわ」

「意外とそんなんでもなかったりしてーのパターンかな?」

 父娘が顔を見合わせて首を傾げる。

 彼らの経験からいってもこの先にいるのは強敵だと思っていたからだ。

 扉を開けた先にある広間の中央には結界石が鎮座していた。

 台座は半壊しており、施された彫刻が無残な姿になっている。

 それを目にして嘆くような声を上げたのはレイモンドだ。

 台座の上で浮遊する結晶石は黒く澱んでおり黒い靄のようなものを撒き散らしているように見えた。

「これが、結界石」

「話の通り随分と酷い状況ですね。結界石がこんな状態でも魔物があの程度の強さなのは大精霊様と巫女様のお陰でしょうか」

 ぼんやりとした様子でコスモスは結界石を見つめる。

 精霊石とは違う形だが正八面体の結界石からはトシュテンが言うように聖なる力を感じる。

 風の匂いがする力は恐らく風の大精霊の力を受けているからだろう。

「浄化にどれくらいの時間がかかる?」

「そうですね、やってみなければ分かりませんが十分もあれば済むかと」

「思ったより時間はかからないのね。私は警戒しながらこの辺りを探っているわ」

「ルーチェ、危ないから一人では行動しないの」

 父親がついてくると分かっているのだろう。娘を慌てて追いかけるレイモンドを見て、コスモスはちらりとアルズへ視線を向けた。

 彼はそれに気づいてにこりと笑って頷くとレイモンドたちを追っていった。

「ここの守りは私とマスターのみか」

「身動きとれないわけじゃないんだし、オールソン氏もできるでしょう」

「御息女に守っていただけるなんて私は幸せ者ですね」

 結界石に手を翳しながら浄化をし始めるトシュテンはそう言いながら鼻を鳴らす。

 泣き真似までするのか、と思いながらコスモスは少しずつ澱みが消えていく結界石を見た。

「強敵待ち構えてるかと思ったけど、何もいなかったわね」

「……そうだな」

「何よ、アジュール。油断するなっていうなら分かってるわ」

 何かを含むようにちらりと赤い目を向けられてコスモスはムッとする。

 何かがあれば対処できるように防御壁は二重に発動させている。

 これで奇襲されても安心だ。

(風の神殿に戻るまで油断禁物だから気を抜かないようにしないと)

 無駄な戦闘をしなくてすむのはコスモスとしてもありがたい。

 何かあっても側にアジュールがいれば負ける気もしない。

「はい、終わりましたよ」

「えっ早い」

「特に何の気配もないからさっさと終わらせたか」

「厳しいですね。偶然上手くいっただけですよ。私の信仰心ゆえかもしれません」

 黒く澱んでいた結界石は透明に輝いており、浄化が終わったことを示していた。

 トシュテンに疲れた様子は見られない。彼は翳していた手で結界石に触れると何かを確かめるように目を細め、数回頷いた。

「これで暫くは大丈夫でしょう」

「うーん、もぐもぐ」

「御息女! 何を食べているのですか!?」

「いや、結界石の浄化が無事に終わったのはいいんだけど周囲の靄が消えないから。食べられるかなと」

「なぜ、食べようと思うんですか!」

「え、黒くてマズそうだけど害はないみたいだからいいかなと」

 この場にアルズがいたら吐き出してくださいと水を持って詰め寄られたことだろう。

 ぺろり、と口の周りを舐めるアジュールはトシュテンに怒られているコスモスを助けようともせず、黒い靄を自分の影に引きずり込んでいた。

「そう心配するな。害があったとしてもマスターが少し苦しむくらいだ。大した害はない」

「苦しいのですか!?」

「ううん、全く。でもこの味、どこかで……?」

「黒い蝶と似ているな。だが、それよりも濃くて攻撃的だ」

「あぁ」

 影に引きずり込んで分析しているのか分からないがアジュールはそう呟く。

 その言葉に顔色を変えたトシュテンは、未だ咀嚼を続けているコスモスを掴もうと素早く手を伸ばした。

 しかし彼女はスィと簡単に回避する。

「御息女!」

「大丈夫よ。ほろ苦くてピリ辛ってところかなぁ」

「マスターのお陰で私は力が湧いてくるぞ」

「あぁ、属性的に相性いいのかしらね。そのままアジュールに流れているわけか」

 自分の力がアジュールに影響を与えているのは何となく分かっていたコスモスだったが、そんなこともできるのかと驚きながら獣を見る。

 トシュテンの手から逃れながらくるくると彼の周囲を回り、結界石の下に着地した。

「ふぅ」

「コスモス様……」

「大丈夫。さすがの私も危ないものは口にしませんよ。それに結界石が浄化されても周囲が汚染されたままではしょうがないでしょう?」

「……結界石が浄化するので心配いりませんよ」

 トシュテンにそう言われてコスモスはうっと言葉に詰まる。せっかく浄化したばかりの結界石を汚すようなことはしたくないと言い訳したところで無駄なのは分かっていた。

 かといって、好奇心に抗えなかったと素直に言えるわけもない。

(そんなこと言ったら強制的に捕まれてまた箱の中に入れられそう)

 目の前の神官は迷いなくそうするだろうという確信があった。

「アーソッカー、スッカリワスレテタワ」

「はぁ……。次から気をつけてくださいね」

 まだ他に言いたいことはあるのだろうが、トシュテンは大きな溜息の後にそう言うとそれ以上は何も言わなかった。

 言ったところで無駄だと思ったのかもしれない。

「何かあればアレも飛んでくる。それが無いということは大丈夫ということだ」

「アジュール殿は御息女に甘すぎなのではないですか? 駄目なものは駄目だと言わなくてはなりませんよ」

「そうは言ってもなぁ。私は所詮、従僕だからな。マスターに逆らうなんてとんでもない」

(うわぁ、嘘ばっかり)

 従順な僕のフリをしながらわざとらしい口調でそう告げるアジュールにコスモスは顔を引き攣らせる。

 自分より付き合いの長いアジュールにはそれ以上強く言えないのか、トシュテンはグッと唇を噛んで額に手を当てた。

「私を火の大精霊にぶつけようとしていた人が言うこととは思えないわね」

「一体誰がそんなひどいことを?」

「そういうところだけどね」

 貴方だって最初は利用する気満々だったくせに、とコスモスが呟くもトシュテンはそしらぬ顔だ。

 心から心配していて、無礼を働いた相手に憤っている演技も上手い。

(この演技に騙されてる人多いんだろうなぁ)

「向こうにはいかなくてもいいのか?」

「必要なものはないと思いますよ」

「まぁ、そうだろうが」

「?」

 首を傾げるコスモスをよそにアジュールとトシュテンはルーチェ達が向かった先に何があるか分かっているかのようだ。

 ここが安全なら、少し様子を見てくるかとコスモスはスゥと壁を通り抜ける。

 トシュテンは結界石を見ていて気づいておらず、アジュールはちらりと目を向けただけだった。

(これは……血の匂い?)

 ルーチェ達の気配を追うように壁を通り抜けると三人の姿が見えた。

 何かを囲むように下を見ているのでコスモスも近づいてそれを見る。

「え、何これ」

「マスター」

「あら、コスモスがこっちに来たってことは無事に浄化が終わったのね」

 三人が見ていた床には赤と黒の模様が広がっていた。

「恐らく予想していた敵さんだと思うんだ。この体格から見るにそれなりの強さだったとは思うけど」

「血と……影? いや、これは肉体が溶けてこびり付いた?」

「そうね。それも一瞬で」

 レイモンドの説明を聞きながらコスモスが既に乾いてしまったそれを見つめる。

 端から少しずつ縮んでいくのは結界石が正常に稼動し浄化されているという証拠だ。

「私達より先に誰かが倒したってこと? この間みたいに?」

「あぁ、やっぱり貴方もそう思うわよね」

「まぁ、思いますよ」

 強敵と出会わず無事に浄化を終えることができたのはありがたい。

 しかし、結界石を汚した人物とそこで待ち構えていただろう強化された魔物を倒した人物が繋がらない。

(それぞれ別だとしても、理由が分からないわよね。まぁ、アルズの言う通り楽ができて助かったけど)

「これを倒した人もいなそうだし。浄化が終わったなら合流して帰ろうか」

「そうですね。報告してあとは神殿に任せましょう」

 そこを考えるのは自分の役目ではないとばかりにレイモンドの言葉に頷いたコスモスは、そのまま来た時と同じようにスゥと壁を通り抜けていった。

「結界を壊すことなく結界石の能力を低下させたり、敵は倒すけど浄化はしなかったり。頭が痛いけどコスモスの言う通り、神殿に任せるのが一番ね」

「そうそう。面倒なことは回避するに限りますよ。ね?」

「その通りだわ」

 経験があるのか揃って溜息をつく親子をにこにこと見ながらアルズも部屋を出て行った。



 風の神殿に戻って報告をした後、休息を取る。

 遺跡をハシゴするにしてもトシュテンの疲労が多いから一旦戻ることにしようと決めたのだ。トシュテン自身は平気だと言うが、何かあってからでは困るとコスモスが言えば大人しく従った。

(面倒かもしれないけど、ちょくちょく回復してアイテム補充してから向かうタイプなのよね)

 そんな風に心の中で呟きながらコスモスは面白そうな顔をしている風の大精霊を見つめた。


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