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203 ホームシック

 戻ってきた場所は先ほどの花畑ではなくコスモスが見慣れた場所だった。

 現代風の町並み、往来を行き交う人々の服装も懐かしい。

(地元ではないけど、元の世界だ。私が知ってる日本で間違いない……はず)

 似ていて非なるものという可能性もあるが、ココは自分と同じところから来ただろうと言っていたのでコスモスが帰りたがっている世界だろう。

 懐かしさと切ない気持ちで胸が締め付けられ、鼻の奥がツンとした。

 ぼやけた視界で周囲を眺めているとくすくすと笑い声が聞こえる。

「娘ちゃん、まるでおのぼりさんよ」

「あ、すみません。まさか、こうなるとは思わなくて」

「ちょっとしたサプライズだったんだけど、よけいにホームシックになっちゃったかしら」

「えっ、私もうアラサーですよ? ホームシックとかそんな……」

「年齢なんて関係ないわ。いくつになっても故郷は恋しいものよ」

 恥ずかしがることなんてないと呟いてココは手元のコーヒーカップを持ち上げる。

 細部まで再現されているこの場所は彼女のお気に入りの場所だったのだろうか、と思いながらコスモスは目の前にあるカップを見つめた。

 琥珀色の液体に自分の姿が映っている。

(姿が、映っている?)

 何にも映らない自分の姿は夢の中なら映るということだろうか。そんなこと思いながらコスモスは水面に映る自分を見つめ続けた。

「そう言ってもらえると、嬉しいです。大人だから寂しいとか辛いとか、帰りたいとか駄々をこねるわけにはいかないと思って」

「そうね。でも、いきなり知らない世界に放り込まれたわけでしょ? 望んでいたわけでもなく」

「はい。何が何だか分からないまま気づいたらあの状態で。この世界の人は優しい人も多くて過ごしやすいですけど、でもやっぱり元の世界には適わなくて」

「それは当然よ」

 我儘だと思われようが元の世界に帰りたいとの意志だけで動いているようなものだ。

(本当に帰れるか分からないのに、良くもまぁ縋っちゃって)

 自分の肉体が現実でどうなっているのか分からない。

 魂だけが抜けて違う世界に飛ばされた場合、元の世界に置いてる体の状態は気になる。

 なるべく考えないようにしているが、腐ってしまったり死体として発見された場合は戻ったとしても辛い結果になる。

(腐った体に戻ってゾンビ状態になるのも嫌だし、火葬されてたら骨?)

 だからこそ、ここへ飛ばされた時と同じ状態で元の世界に戻りたいと強く願うのだ。

 注文が多いとか我儘だなんて言われても知ったことではない。

「良かった。先輩にそう言ってもらえるとホッとします。自分がやってるのは我儘じゃないかって思うこともあるので」

「そんなことないわよ。貴方は被害者だもの。望んで来たのならまだしも強制的にでしょ? 本当に、ヒトを何だと思ってるのかしらね」

「ココさんは……その、元の世界が恋しかったりしませんか?」

 戻れないと諦めたから定住することにしたのか、それとも未だ戻ることを諦めていないのか。

 デリケートな質問なだけに聞いてしまってもいいのだろうかと思いながらコスモスはチラリと彼女を見る。

「恋しいわよ」

 足を組んで顎に手を当てていたココはあっさりとそう答えた。

「けれど私はここにとどまることを選んだの。まぁ、私が足掻いてる時に貴方が探してるような魔道具の存在を知ってたら血眼で探してたかもしれないけど」

「自分を召喚した主が分かっていて、その人の願いが叶ったら元の世界に帰れるんじゃないですか?」

「あぁ、そんな話もあったわね」

 コスモスは自分を召喚した人物が誰なのか分からない。だからこそ元の世界に帰りたくても帰れないから他の方法を探すしかないのだ。

 マザーやエステルには召喚主はもうこの世に存在していない可能性が高いと言われているので、勝手に連れて来られた怒りをぶつける先がない。

 他の召喚された異世界人はどうしているのかと、ココに聞きたいことはたくさんある。

 けれどもどこまで聞いていいのか分からず、彼女との距離感をはかりかねていた。

「私、召喚されてすぐに私を召喚した相手を殺したから。自分で帰り道なくしちゃったのよね。まぁ、相手の願いを叶えたところで無事に帰れるかは分からなかったけど」

「わぁ、召喚されてすぐ能力開花ですか? それとも、元々の素質ですかね」

「……私、あなたのそういうところ好きよ」

「え?」

 何か変なことでも言っただろうかと必死に自分の言動を思い返すコスモスを見ながら、ココは楽しそうに笑う。

 元の世界の風景に異質な格好の二人がカフェでお茶をしている。

 それを誰も咎めず、奇異な視線すら向けずに過ぎていくのが少し寂しいと思いながらコスモスはオーダーを取りに来たウエイターにメニューを眺めながら食べたいものを注文する。

「パニックになって、暴走したのよ。気づいたら周囲は焼け野原ってね」

「すごい火力……」

「うん、食いつくのはそこなのね。いいけど」

「でもそこからよく今まで無事に生き延びられましたね。私なんて幸か不幸か人魂状態だったので身の危険は特に無くマザーに会えましたけど」

 自分の肉体は大事で恋しいが、この世界に普通の状態で放り込まれたとしたらここまで生き延びられる自信はないとコスモスは呟いた。

 ココはそんな彼女を見ながら目を細める。

「私も右も左も分からない状態で呆然としてたけどね、暴走が収まって保護してくれたのは召喚主の師匠に当たる人で、その人のお陰で今があるのよ」

「すごい」

「いや、私からしてみれば娘ちゃんも随分凄いと思うわよ。肉体だけあっちの世界に置き去りで中身だけこっちに来た不安定な状態だっていうのに、マザーに会って娘にされたくらいだもの」

「いや……そう、そうですかね?」

 自分ではそう大した事がないと思っているコスモスだが、ココにそこまで言われると少し照れてしまう。

 マザーに会うまで生き延びられたのは本当に運が良かったとしか言えないだろう。

(つい最近も、死にかけたばっかりだし。もっと危機感持った方がいいんだろうなぁ)

「それでまぁ、私の話もこのくらいにしてちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」

「何でしょう」

「さっき、貴方が突然現れた時にあの子に向かって何か言ってたと思うんだけど」

「あぁ、あれですか。私も何でなのか分からないですけど、気づいたらそう言ってたという感じなんですが」

 顔を見た瞬間に口から出たあの名前。知り合いでも何でもないのに何故その名前が出たのかコスモスが一番良く分からない。

 難しい顔をしながら唸る彼女を見ていたココは、すっと手を伸ばしてコスモスの頭に触れた。

「少し探ってみてもいい?」

「えっ、ぐちゃぐちゃにされる感じならお断りしたいんですけど」

「繊細に扱うわよ。下手するとこっちがダメージ負うだろうし」

「プライバシーもあるので……」

「あの子関連だけに絞るわ」

 そんな器用なことができるのか訝しげな顔をしながらコスモスは頭に置かれた手を不安げに見上げた。

 ココを信じていないわけではないが、無理矢理彼女に手を突っ込まれた感覚を思い出したのだ。

(あれはひどかったな)

「今は少しでも手がかりが欲しいの。協力してちょうだい」

「そんなこと言われたら拒否できませんよ。というか、拒否しても無理矢理見る感じの体勢ですよね」

「やだ、そんなことないわよ」

(いやいや、この人は絶対そうするわ)

 負担はできるだけ軽く、コスモスのプライバシーに関することには一切触れないようにすると誓ったココは自分の言った通り素直に目を瞑るコスモスを見て内心で溜息をついた。

(これは、いいカモにされるわね)

 信頼されていると喜ぶべきなのだろうが、ここまで無防備だと逆に心配してしまう。

 同じ立場だから他より距離が近づくのが早かったのだろうかと思いながら、ココはコスモスの記憶からあの少年に関することを探った。

 時折、少し横道に逸れそうになることもあるが軽く反撥を受けてルートを正されてしまう。

(防衛本能でしょうね。余計なことはするなってことだろうけど、気になっちゃうのは仕方ないわよね)

「まだですか?」

「そう焦らないの。リラックスして、肩の力を抜いて楽にしてちょうだい」

 そんなことを思いながら彼女を傷つけない程度に軽く探ってみようかと思った瞬間、ココはゾクリとした悪寒に思わず手を離しそうになった。

(だめだめ、こんな状態で手を離したらコスモスも私も危ないわ)

 重苦しい空気に監視されているプレッシャーを感じる。これもコスモスの防衛本能だろうかと思いながらココは軽く舌打ちをして最初に説明した通り、必要最低限の情報を得ることに専念した。

「え、今舌打ちしました?」

「気のせいよ」

「いや、しましたよね」

 動揺して思わず出てしまった舌打ちに眉を寄せながらも、ココの言葉は穏やかだった。コスモスを緊張させないよう、優しい声で宥めるようにリラックスしてと告げる。

「探すの難しいですか?」

「ちょっと、辿りつくのは大変そうね」

(目的の場所はこちらだとばかりに決まったルートを案内されているみたい。私が探っているんじゃなくて、案内されてる時点で負けよね)

 主導権は自分にあると思っていたココは思わず笑いそうになって必死に堪えた。

 目を瞑ってリラックスしているコスモスがまた動揺しかねない。あまりにも彼女の感情が波打つと弾かれてしまい二度と探れなくなる。それは避けるべきだ。

(肉体を持たず召喚されても発狂もしない。そのままの姿でマザーの娘になったのならこの状態がベストってこと)

 辿りついた先にある断片的な情報を見たココは、ゆっくりとコスモスの頭から手を離して目を開けるようにと告げた。

「終わりました?」

「ええ、お陰さまで。ありがとう」

「ということは、何か収穫があったんですね」

「ええ、でもそれはこっちの問題よ。貴方は他にやることがあるでしょう?」

 手を貸してくれるならありがたいがそんな余裕はないはずだ、とココは笑う。

 好奇心に負けて思わず聞いてしまったコスモスはそう言われて表情を曇らせた。

「そうでした……。ありがとうございます」

「ううん。でも、気になって眠れなくなりそうだから今分かってることだけ教えてあげるわ」

「いいんですか?」

「一応貴方も巻き込まれたわけだもの。可愛い後輩だし」

 可愛い後輩とココから言われると少し恥ずかしい気分になる。むず痒いというか嬉しいというか。

 この世界にも自分と同じ境遇の人がいるというだけで、こんなに気持ちが違うのかとコスモスは自分でも驚いていた。

「聖炎の中で前王妃と姫に会ったじゃない? あの子はベリザーナの関係者でしょうね」

「あー、あの時ですか」

 会ったというよりも彼女たちの記憶が流れてきたと言ったほうが正確だろうか。

 受け入れる受け入れない関係なく見てしまったあの記憶に、どうやら例の少年は関係しているらしい。

「ベリザーナさんの関係者……」

「詳細は調べてみないと分からないわよ。でも、彼女と何らかの繋がりがあったと考えるのが妥当ね。まぁ、遠くからこっそり見てましたでも繋がりはあると判定されてしまうのが悩みどころだけど」

「え、ストーカー?」

「まだ決まったわけじゃないわ。例え話よ」

 どの程度の関係なのかは分からないが少なくとも密接でないことは確か。しかしベリザーナの記憶にその姿がある以上、何らかの繋がりはあったはず。

 そう考えながらココは笑ってコスモスの言葉をやんわりと否定する。

「何か、思い出したことがあれば連絡しますね」

「あら気が利くのね」

「私の先に彼が現れないとも限りませんから。少しでもその正体を知っていれば対策ができるかなと」

 回避できるのが一番いいんですけどね、と溜息交じりに呟くコスモスに思わず笑ってしまったココは不思議な顔をして見つめてくる彼女に謝罪した。

(あの魔獣がお目付け役でちょうどいいみたいね)


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