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201 二人の願い

 寄せては返す波の音を聞きながら、ほどよく疲労した体を横たえればすぐに眠くなる。

 体を動かし風呂に入り、夕食の時間まで少し休もうかと自室に戻って身を横たえれば睡魔に誘われるのもしょうがない。

 見慣れてしまったはずの部屋は懐かしく、元の世界に戻ったんじゃないかと錯覚してしまう。

 そんなことがないのは、机で作業をしている人物を見れば分かる事だ。

 元の世界ではお目にかかれないようなほどに整った容貌、恵まれた体躯。芸能人ですら霞んでしまうほどの美を間近で見られるのはこちらの世界に来て初めてではないが、それでも彼らは美しい。

(私がそう想像したんだから当たり前だけどね)

 実在する人物というより、物語やゲームに登場するような架空のキャラクターに近い彼らが近しい場所にいるからこそ自分がまだ夢から目覚めていない事を知る。

 どれだけ恋しがった元の世界の部屋でも非常によく再現されているだけであって、本物ではない。

 頭では理解しているはずなのに胸がざわめく。

(部屋だけこっちに召喚とか考えたら少しは気が楽になるかもしれないけど)

 それはそれで困るか、と思いながらコスモスは溜息をついた。

 それに反応した彼が心配そうに彼女に顔を向けて立ち上がろうとしていたので、コスモスは横になったまま軽く手を上げて動きを制する。

 しかしアメシストは困ったように笑うだけですぐにコスモスがいるベッドへと近づいてきた。

御主人様(マスター)眠れませんか?」

「うとうとはしてるよ」

「何か気がかりでも?」

「たくさんあるよね」

「そうですね」

 聞かれるまでも無く不安の種は尽きない。苦笑したアメシストはうとうとしているコスモスを見つめながら彼女の言葉を待つ。

「会いたい人がいるんだけど、夢の中で行けるかしら?」

「あの方ですね。この地は少々特殊なようですから可能かと」

「アシストしてくれる?」

「分かりました。ゆっくりお休みくださいませ」

 眠いのだろう。たどたどしい言葉遣いで自分に指示を出し、ゆっくりと瞼を閉じるコスモスを見てアメシストは苦笑した。

 ここに来てからの彼女がどれだけ成長しているかはアメシストやガーネットがよく知っている。

 コスモスが上手く立ち回れるように細かい調整をするのはアメシストで、身の回りの世話をするのはガーネットだ。

 場合によってはコスモスの練習相手となることもある。

「ずっと、この場に留まっていたほうが貴方のためなんでしょうね」

 穏やかで、彼女を害するものが存在しない空間。ここの主人であるサンタはいつ来ても優しく彼女を迎えてくれる。

 いっそ、記憶を消してしまってここで穏やかに暮らすのはどうだろうか、と考えたアメシストは視線に気づいて顔を上げた。

 開いている部屋の窓の外から中を見つめているのはアメシストとそっくりな顔をしているガーネットだ。

 無言で彼らを見つめていた彼女は困ったように溜息をつく。そのわざとらしさにアメシストは苦笑した。

「アメシスト、変な考えをするのはやめてください。私達の目的は御主人様(マスター)の幸せです」

「分かっていますよ。しかし、考えれば考えるほど理想の地はここ以外ないでしょう?」

「それはそうかもしれませんが、ここにずっと留まることを御主人様(マスター)が良しとしないのもお分かりでしょう?」

「ええ、勿論。本当は全て放棄してここで怠惰に過ごしたいでしょうが、彼らのことが心配でしょうからね」

 アメシストもガーネットもコスモスの一部というだけあって、お互いに考えていることは手に取るようによく分かった。

 それぞれ形を与えられ、今回は名前までつけられ個として確立したが今までとあまり変わらない。

 それでも少しずつ変わっているのは、前ほどお互いの考えが分からないということだ。

 全てを共有していた一つの存在が二つに分かれたのだから当然だろう。互いの目を見れば、少し会話をすれば相手の考えていることが良く分かる。

 前はそんなことせずとも分かっていたが状況が変わったのだからしょうがない。

「アメシストは、御主人様(マスター)が望めばここにとどまれるようにしますか?」

「ええ。貴方と同じ答えですよ」

「でしょうね。元は同じですもの」

 桟に肘をかけて頬杖をついたガーネットは少し不貞腐れたような表情をした。それをコスモスが見ていたら「美人は何をしても美人!」と興奮していたことだろう。

 てっきりそのまま中に入ってくるかと思ったアメシストはその場から動く気配のないガーネットに首を傾げる。

御主人様(マスター)はお休みですし、これから人に会われるのでしょう?」

「ええ。いいのですか?」

「いいもなにも、貴方が適任だというだけでしょう。繊細な制御は私には無理ですからね」

「一応……」

「言われずとも備えています。今のところ現実世界でも動きはないようですし」

「かと言って油断は禁物です」

「ええ、当たり前です」

 二人で会話をしているはずなのに自問自答をしているような感覚。

 それを特に不快と思うこともなく、二人は無言で頷くとお互いの意志を確認し合った。

御主人様(マスター)の為に今日の夕飯も頑張らないといけませんね」

「そうですね。貴方の料理は美味しいと言っていましたから」

「これも全ては御主人様(マスター)の知識のお陰なだけなのですが。喜んでいただけるなら私も幸せです」

「知っています」

 両手を合わせてうっとりとするような表情をしているガーネットを優しく見つめながら、アメシストも嬉しい気持ちになる。

 鼻歌を歌いながら上機嫌にその場から去っていく彼女を見送り、アメシストは深い眠りに落ちたコスモスへと視線を移した。

検索(サーチ)目標確認(ヒット)……回路接続(チャンネルリンク)開始(スタート)

 眠っているコスモスの手に触れて呟いたアメシストは、無事に成功したことを確認してゆっくり目を瞑った。



 艶やかな黒髪が綺麗に風に靡いている。アジュールと似ている赤い瞳は意志の強さを表し、相手を射抜く鋭さを持っていた。

 いつ見ても綺麗な人だなと思いながらコスモスはぼんやりと彼女を見つめる。

(まさか本当に会えるとは思ってなかったわ。私の管理人は優秀すぎるわ)

 流石だなぁ、と感心していると視界が明瞭になっていく。コスモスに気付いたココと目が合って、彼女が口を動かしているのが分かるが何を言っているのか分からない。

 首を傾げどうしたのかと思っていると、間近で爆発音がした。

「は?」

 意味が分からないと思ったと同時に防御膜によって衝撃が緩和された。ふわり、と流されながら殺気を避け、相手を確認する。

 目を見開いて楽しそうに笑いながらはしゃいでいる少年の姿。どこかで見たことがあるような、とコスモスが思っていると彼からひらりと飛び立つ黒い蝶。

 火の神殿でアジュールとココと戦っていた少年か、と思い出したコスモスだがふと何かに気付いて首を傾げた。

「どうなってるの?」

 一体何がどうなっているのかと状況把握をしようと周囲を見回せば、一面焼け野原。チリチリと燃え上がる炎が点在し、大地は所々抉れている。

 ココに目立った外傷はなさそうだが、霊的活力(オーラ)の様子を見ても疲労が蓄積しているようだ。

 魔力も大量に消費したのだろう。

「うーん」

 少年からコスモス目がけて飛んでいく攻撃は全て無効化して終わる。それが気に入らない彼の攻撃は更に過激になっていくのだが、コスモスは大して危機感も抱かず探る。

(疲労してるのは相手も一緒か。現実かと思ったけど違うような感じもするし、だとしたら……)

 少年を中心に巻き起こる激しい風に彼の悲鳴が聞こえた。風が止めば少年は憎らしげにコスモスを見つめてくる。

「何だよお前!」

「……ジャック?」

「!?」

 少年と誰かが重なり、気付けばコスモスの口からはぽろりと人名が漏れていた。自分で言っておきながら誰のことだろうと眉を寄せる。

 コスモスの呼びかけに少年は大きく目を見開いて身を固くした。

 小さく震え、信じられないものを見たような表情のまま黒い靄に全身が包まれると、ココの放った魔法に燃やし尽くされる。

「逃げた、か。ま、しょうがないわね」

「邪魔しちゃったみたいですね」

「ううん。お陰で助かったわ」

 パチンとココが指を鳴らせば景色が一変する。色とりどりの花が咲く綺麗な花畑と青い空。

 地平線まで続く花畑を眺めていればココに呼ばれた。

 彼女は花畑の真ん中にあるガゼボの中でお茶を飲み菓子を摘んでいる。花の匂いを吸い込んでくるりと一回転しながらコスモスは彼女の元へと向かった。

「アポもなしに突然すみません」

「いいのよ。結果としてはこっちも助かったし」

「さっきのは……」

「残念だけど本物。隙を突いてここまで侵入されるとは私も油断しすぎよねえ」

 自嘲気味にそう笑うココを見つめながらコスモスは自分の前に置かれたお茶を飲んだ。

 ふんわりと良い香りがして美味しい。

「それだけお疲れならしょうがないです。何事もなくて良かったですし」

「娘ちゃんのお陰よ。ナイスタイミングで来てくれるんだもの」

「狙ったわけではないんですけど」

 好きに食べてと言われたのでコスモスは遠慮なく用意されたお菓子を食べ始める。ぺろりと平らげてしまいそうだと思ったが、彼女が食べたそばから補充されるという夢のようなことが起こった。

「それで、私に用があったのよね」

「はい。あの、エステル様からココさんが私の先輩だと聞いて」

 直接的に聞くのは何故か憚られて遠回しな言い方になってしまう。だがココは理解したかのように綺麗に微笑んだ。

「ええ、そうよ。あの時はバタバタしていたし貴方も忙しそうだったから落ち着いて話せなかったものね」

「周囲の目もありますし」

「だったらちょうどいいわね。でもまさか、娘ちゃんが私の後輩にあたるとは思わなかったけど納得もしたわ」

「納得しました?」

 そんなに分かりやすい態度や雰囲気が出ていただろうかと思い返してみるが良く分からない。それとも見抜く能力でもあるのだろうか。

「異世界人は霊的活力(オーラ)が少し特殊なのよ。それでも熟練の者じゃなければ分からないけどね。首輪は無いし、人魂状態ですぐにでも消えそうなのに存在してるでしょ? それでいてマザーの娘でありエステル様の加護も受けているから普通じゃないなとは思ったけど」

「マザーの娘なら当然とかは思わなかったんですか?」

「うーん、最初はね。でも肉体のないその状態を探るのは本当に難しいのよ。あとは、勘かしら」

「勘?」

「ええ、ああこの子何となく私と似た匂いがするーみたいな」

 それは何となく分かるような気がするとコスモスは頷いた。その言動が自分と近しい匂いがするからだろうか。

 しかし、コスモスは目立って変な行動をとった覚えは無い。

「異世界人かなとは思ってたけど、同郷っぽいとは思ってなかったからね。異世界って言っても他にも色々あるから」

「あー、そうなんですね」

 異世界と言ってもそんなに色々あるとは知らなかったコスモスは、ちょっと会ってみたいと思った。

 相手がどんな人物かは知らないが今のコスモスならば相手に気付かれず近づくことも観察することも可能だろう。しかし、相手も異世界人となれば認識される可能性も高いということ。

 前よりも気配を消すことが上手くなったので何とかなるだろうが、安全な距離を保って観察するのが一番だろう。

(向こうから近づかれたら終わりだから、そっちの察知もできるようにしておかないと)

 空になったカップを見つめながら考えていると、ティーポットが宙に浮いてお茶を注いでくれる。

 何でもありだなとそれを見つめながらコスモスはケーキを頬張った。


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