200 巻き込みたい
「おはようございます、マスター。今日もいいお天気ですよ」
アルズはそう言って今日も何も言わないコスモスに向かって笑顔で声をかける。彼女が眠りに落ちたまま目を覚まさなくなって二日目。命に別状はないので様子見ということになっているが、このまま起きないんじゃないかと不安になったこともある。
しかし、先輩でもあるアジュールが深い眠りについているだけで異常はないと言い切るので今は安心して見守ることができた。
昨日はルーチェも興味深そうに動かないコスモスを観察していたが、今日は朝から神殿の図書室へと行っている。
コスモスの側には常にアジュールがいるので、アルズも神殿の内部で手伝いをしたりしていた。
心配ならば側についていればいいだろうとアジュールに言われたものの、体を動かしていないと落ち着かないのだ。
幸い、アルズの技量を知るトシュテンが巫女に相談し彼向きの仕事をしたりもしている。
「お前は今日も手伝いか」
「はい、もちろん。タダでいさせてもらってますからその分くらいは働かないと」
働くことは嫌いではないのかアルズは独特な体操をし終えると、にこりと笑って部屋を出て行った。
コスモスが起きていたら「ラジオ体操じゃん」と言って一緒にやっていたことだろう。
ころり、とベッドの上で動かぬ彼女をちらりと見たアジュールは自分達以外誰もいない部屋を見回して大きく欠伸をする。
しっぽでペシペシ叩いても反応はない。ころころ、と軽く転がしてもされるがまま。
防衛反応がないのは害を加える気がないと判断しているのかと考えながら、アジュールは彼女を元の場所に戻す。
「中身は別の場所に飛んでるようだね。かと言って、空ってわけでもない」
「興味がなかったのではないか?」
「こう見えて僕も色々忙しいわけよ。それに、コスモスに命の危機が迫ってるわけでもないから後でも平気かなーって」
「それは確かにそうだな」
自分の住まう神殿内にいる限りは身の安全も保障されている。万が一という場合もあるだろうが、コスモスの側には常に賢い魔獣がいるのだから返り討ちにできるだろう。
そう考えていたんだろうなと思いながらアジュールは尻尾を揺らした。
音も無く突然現れて宙に浮かんだままコスモスを見下ろす風の大精霊はあっさりと頷くアジュールに腹を抱えて笑った。
まさか同意されるとは思わなかったのだろう。
「面白い関係性だよねーホント」
「そのままにしておいてくれ」
「強制的に呼び戻すこともできるのに? それを望んでるのかと思ってたのになぁ」
「まさか。寧ろこうなることを望んでいたのはそちらだと思うのだが」
落ち着いたアジュールの言葉に、空中で逆立ちをしながらコスモスを見つめていた風の大精霊は綺麗な瞳を瞬かせた。
探るように赤の双眸を見つめてもその真意は読めない。
「よくあるって聞いたけど本当みたいだね。しかしまぁ、本当に器用に中身だけ飛ばすなぁ。危険な行為を無意識にやっちゃうあたり、魂が強いのか」
「マザーの娘でありフェノールの神子の加護も受けているからな」
そのせいだろうと呟くアジュールに風の大精霊は眉を寄せて首を傾げる。軽く手を翳して返ってくる反応に彼は舌打ちをした。
「何だ」
「それ以外にも変な気配が混ざっているような気がしてさぁ。うーん、ちょっと複雑に絡んでて難しいな」
「そうか」
下手に力を入れすぎては魂に傷をつけてしまう。そんなことをしようものなら大精霊ですらただではすまないだろう。
彼の話を聞きながらアジュールはちらりとコスモスを見て短くそう呟いた。
「え? 自分の御主人様なのにあまり興味ないかんじ?」
「そうではない。目立つ変化もなく気配も特に悪いというわけではない。問題ないならそのままでいいと思ったまでだ」
「気にならないの?」
「特には気にならんな」
これがアルズやトシュテンなら顔色を変えて心配していたかもしれないが、相手はアジュールだ。喋る魔獣というだけでも警戒すべき存在が大人しく従属しているのだから面白い、と思わず口に出てしまいそうになり大精霊は慌てて言葉を飲み込んだ。
「目覚めたとき別人格とかになってても?」
「根本が変わらんのなら問題はない」
「はー、噂には聞いてたけど本当なんだなぁ。この子が何だろうとその忠誠は揺るがないか……いいなー。僕も魔獣とか従えてみたい」
「相性が合わないにも程があるだろう」
本能的に精霊は魔獣を忌避する傾向がある。それは大精霊も例外ではない。清浄なる神殿にアジュールのような魔獣が滞在していることですら有り得ないというのに、この大精霊は一体何を言い出すんだとアジュールの耳がピンと立つ。
「えーだってコスモスにはできるのに? だったら僕にもできそうだけどなぁ。まぁ、周りに怒られるだろうけど目に触れないような場所でこっそり飼うくらいなら」
「相手の核を取り上げ魂に楔を打ち込んだ上で支配するなら可能だろうが、それに耐えうる魔獣を探すのが難しいだろうな」
「そうなんだよね。みんなすぐ、壊れちゃうもんなぁ。あ、ヒトよりは頑丈だけどね」
愛玩動物が欲しいとねだる子供のような衝動で、さらりと残酷なことを口にする風の大精霊にアジュールは本当に精霊かと首を傾げ少し納得したように頷いた。
精霊も力が強くなるにつれヒトとは違った考え方をする存在だ。
皮肉なことにそういう部分では自分に近いのだから笑えてしまう。もっとも、口に出したが最後、激怒されて八つ裂きにされてしまうかもしれないが。
「だったらやっぱり、コスモスをうちの子に……分かってる、分かってるよ。冗談だって」
「マザーとエステル様の反撃が怖くないのなら好きにすればいい」
「うわぁ、二人にタッグ組まれると流石の僕もなぁ。まずその前にイベリスに怒られるだろうし。それは嫌だ」
マザーとエステルのタッグにどう立ち向かおうか考えてしまうくらいなのに、自分よりも弱い巫女に怒られるのは嫌だというのが面白いとアジュールは思った。
大精霊と巫女は密接な関係だと古くから知られているが、彼にとっての自分の巫女もお気に入りなのだろう。
だから弱い存在の彼女に窘められると落ち込んだ表情をする。
(弟を叱る姉のような構図だったがな)
警戒するにこしたことはない存在だが、主であるコスモスの助けとなるならある程度は我慢しなければいけない。
口調や態度が気に入らないだとか、ピリピリと肌を刺すような殺気が前よりも強くなっているとか。
気にしていないふりをしてやり過ごし、他にすることもないからと寝る。回復も兼ねての睡眠だが周囲には特に何も思われていないようだった。
(本当は私のような魔獣がこの場にいることが許せないだろうに、読めない相手だ)
「君も面白いよね。警戒引き上げたから魔獣である君には辛いだろうに」
「引き上げた?」
「ちょっとね、虫がうるさいからさ」
恐れ多くも内部に入り込もうとする輩がいると軽い口調で続けた大精霊にアジュールはぴくりと耳を動かした。
それは何を狙ってのことかとアジュールは土の神殿でのできごとを思い出す。
(いや、火の神殿でも襲撃を受けたな。全て関係があるとでも?)
「神殿が何かと敵対しているということか?」
「うーん、敵対……なのかな。まぁ、そうなんだろうね」
「曖昧だな」
「僕たちに戦う気はないからね。向こうが邪魔をするなーってやってくるだけで」
「相手が誰なのか特定できてるのか」
神殿が誰と敵対していようなそんなのアジュールには関係のないことだ。勝手にやっていてくれと思うのだが、それにマスターであるコスモスが関わってくるとなると話は別である。
軽く両手を上げて肩を竦める風の大精霊はその虫に対してあまり興味がないらしい。
攻撃してくるなら迎撃するまでという態度は神殿にしては頼もしい。
「防戦一方だと思った? 基本的にはその通りだよ。争わないのが第一。でも僕らがうっかり手を滑らせるのはしょうがないし」
「なるほど。火の神殿、土の神殿でも変なのがいたようだが全ては共通の相手というわけか」
「恐らくね。向こうの狙いは何だと思う?」
「大精霊自らそんな重要な情報を漏らすなど、巫女に怒られるぞ」
「あー、うん、でもまぁ、ほら、独り言みたいな?」
「マスターに関係することならば聞こう。でなければ聞く気はない」
これ以上余計なことに巻き込まれてコスモスの目的が果たせなくなるのはアジュールにとっても本意ではない。
流されやすくお人好しの彼女だからこそ、自分がしっかりしなければと彼は風の大精霊を見上げた。
臆すことを知らないような赤の双眸を見つめていた風の大精霊は空中で胡坐をかくと眉を寄せる。
「そうだよねぇ。正直、こっちとしては戦力的に不利だからマザーの娘であるあの子の力を借りて反撃、または未然に撃退したかったんだけど」
「そんなポロポロ漏らして怒られんのか?」
「いいんじゃないのー? 騙して利用してそれが後でバレたら心象悪くなるのは決まってるし。だったら最初から知ってた方が準備できるじゃん」
「ならば皆の前で言えば良かろう」
「周囲が賛成しようが反対しようが最終的に決めるのはコスモスだろう? だったらその従者である君が知ってるべきかと思ってさ」
従者というのならアルズもトシュテンもそうだ。アルズは過去コスモスに助けられたことを恩義に感じて慕っているのが分かる。トシュテンはコスモスが敬愛するマザーの娘だということで忠義も篤い。
それが逆にコスモスには胡散臭く見えてしまうのだが仕方がないだろう。
あえてその二人がいない今、しかも本人が深い眠りについているタイミングを見計らって訪れたのは偶然ではないのかとアジュールは尻尾を揺らす。
「マスターの目的が一番だ。神殿から依頼された掃除は今もやっているはずだからそれで充分ではないか?」
「あー確かに。そう言われるとそうだよねぇ」
アルズだけではなくトシュテンやレイモンドが時々神殿を出てどこかに出かけているのをアジュールは知っている。
戻って来た時の彼らの雰囲気や漂う匂いで何となく察することはできるが、何も言わない。
彼らが言ってくるなら話は聞くが、アジュールからあえて聞く必要は無い。
「そのマスターちゃんが欲しがってるものを、相手も欲しがっていたとしても?」
「その証拠はどこにもないだろう。惑わすのが十八番だろうが乗らんぞ」
「“風の噂”さ。彼らはコスモスも欲しがっている願いが叶う魔道具を探している」
「あんなものを探しているのか? 誰が持っているかも分からず、所有者がいるかどうかも分からないアレを?」
「ふぅん。やっぱりその知識もあるんだね。面白いなぁ」
ぞわり、と殺気を膨らませるアジュールに風の大精霊は腹を抱えて笑う。周囲にいた精霊たちは怯え隅に逃げて震えていた。
ふと、アジュールは魘されているコスモスの声を聞いてゆっくりと息を吐き殺気を消す。
「厄介だな。厄介すぎる」
「まぁ、あの道具は僕らの力を注ぎこんで女神の祝福を受けた特別なものだからね。大抵の人の願いは充分に叶ってしまう。今となっては壊しておけばとも思うけど、どこに行ったか分からないんだからしょうがないよね」
「壊せるのか?」
「うーん。やってみないと分からないかなー」
「はぁ」
のんきなものだとアジュールが呟けば、風の大精霊は音も無くベッドに降りて寝そべる。ちらり、と目を向ければコスモスと添い寝をしている状態になっていて彼は再び溜息をついた。
(マスターが今起きたら悲鳴を上げそうだな)
彼女が目覚める気配はまだない。
コスモスを真ん中に大精霊とこんな風に話をするなんて想像もしていなかった、と彼女をツンツンと突いて反応を楽しむ大精霊を見ながらアジュールは尻尾で彼の手を叩いた。




