198 神話
本に書かれているのは世界に関することだった。
絵本や書籍で読んだような有名な創世神話から始まっていたが、コスモスは違和感を覚え首を傾げる。
「神から世界の守護を任された女神達は? あの世界を創ったのは女神じゃないってこと?」
何度も同じ箇所を読んで思わず口に出してしまった。
今までコスモスが目にしてきた創世神話は二人の女神によって世界が保たれているということ。
日々の感謝をしながら祈りを捧げることによって、女神からの加護を受けられ平和に暮らせるというものだ。
女神に一番近い位置にいるのが教会のトップ、つまりマザーとされている。
(教会は女神の使者で構成され、信者が集まるにつれて拡大していった。マザーの娘である私にルミナスが接触しても加護を与えても不思議ではないんだけど)
問題は異世界人であるコスモスを簡単に従えさせることができなかったということだろう。
世界の住人であればルミナスの雰囲気に圧倒され、何もできないまま素直に頷くだけの人形になっていたに違いないとコスモスはあの時のことを思い出す。
(世界を保つ手伝いなら、マザーにそう言えばいいのにわざわざ私を呼び出したのは好奇心とあわよくばってところかしら)
狡猾には見えず、どこまでも穏やかで優しげな様子だったのでつい騙されてしまいそうだが自分に危害を加えようとする気配はなかったとコスモスは一人頷いた。
ルミナスが気に入らなければあの場で消失していたかもしれないからだ。
(いくらマザーの娘という加護があり、エステル様からも加護を受けているとはいえ女神からしてみれば何てことはないだろうし)
神は気まぐれだとよく言うが気まぐれにも程がある。
「結局女神様の指示に従わなかったとしても、やることは変わりないか……いや、でも私は無事に帰るために頑張るだけだし」
それだけで手一杯なのに女神のお願いなんて聞いていられないとコスモスは溜息をつく。
不敬だと罵られようとコスモス自身、女神に心身共に捧げるほど信仰が篤くないのでしかたない。
喜んで死地に飛び込む者は他にいくらでもいるだろうに、と彼女は額に手を当てた。
「ワシが言うのも何じゃが、神との契約はよく考えることじゃ。見返りは大きいが自分の運命を一生握られると言っても過言ではないからのぅ」
「はぁ……ですよね。悪気はないと思いますし、人手不足で直接声が聞こえる対象を探していただけでしょうけど。マザーの娘という立場も便利そうなのは分かりますし」
「ふむ。怒ってはおらんのか?」
「怒るというよりも、戸惑うというか、呆れるというか。本心は口に出せませんでしたけどね。死にたくないので」
人魂の身で何を言っていると突っ込まれそうだが、かろうじてまだ死んでいないとコスモスは心の中で強く頷いた。
蝶は彼女の左手に止まりコスモスと一緒に本を読んでいるようにも見える。
触覚を動かして円らな瞳を本に向けている姿は愛らしいものだ。
「それは賢明じゃな。マザーの娘であるお嬢さんが女神から直接加護を受けたと大々的に知られればそれだけで注目度は上がる。各国の王族や貴族達が揃ってお嬢さんに注視しはじめればそれだけ事を進めやすいと考えたのか」
「力を制御して直接降りてくればいいんじゃないですかね……」
「辛辣じゃの」
「神様なんだからそのくらいは朝飯前じゃないですか? 適当に奇跡起こして女神のお陰ですとか言いながら旅してれば信者は増えるでしょうし、本人の力も増すんじゃないかと思うんですけどね」
人々の信仰がそのまま力になるのならそうすればいい。自分に心酔する信者たちを動かしてもまだ足りないというのならそれが一番だろう。
ちょうどいい存在であるコスモスがいたから、それでいいやとばかりに呼び出してお願いという名の強制任務を指示する。コスモスとしては恐怖でしかない。
「世界に下りるには繊細な調整が必要じゃから、大変じゃろうな」
「そうなんですか?」
「器を用意して自分がそれに降りるか、自ら生み出した使者を遠隔操作するかじゃろうな」
そう教えてくれるサンタを見つめながらコスモスはそんな方法があるのかと頷いた。もしかしたら後者は既にあの世界にいるのかもしれない。
「器を用意するのも手間がかかるし調節が難しい。人を依り代にする場合もあるが、耐久性という問題もある。これは自分で器を作る場合も同じじゃな」
耐久性という言葉にコスモスはぶるりと身を震わせた。あのルミナスが目星の人物に憑依なんてしたら、うっかり壊してしまいそうだと思ったからだ。
そして悪気無く「やっちゃったわ」と呟く彼女の姿が思い浮かんでしまう。
「お嬢さんのように神託という名で異世界人を自分の使者とする場合もあるな。時にはは憑依する場合もあるんじゃ。どうやら異世界人の体は女神の器として耐久性があるらしく、それで今回お嬢さんも目をつけられたんじゃないかと思うんじゃが」
「恐ろしい話ですね……逃げられて良かったです」
逃げようと思っても無理なあの状況でどうやってここに辿りつくことができたのかはコスモスも分かっていない。
どんな方法にせよ、ルミナスの手元から離れられたことには感謝しかなかった。
(憑依されるなんて絶対に嫌だわ。乗っ取られて隅に追いやられた挙句、最悪消滅させられそう)
悪気無くあの女神ならやるとコスモスは思った。そんなつもりはなかったんだけど、と本気で悲しげな顔をする彼女の顔が思い浮かんで溜息をついた。
(だからこそタチが悪いのよねぇ)
そんな存在は遠くから眺めているだけでいい。近づいてもメリットよりデメリットが上回るだろうと沈んだ表情をするコスモスにサンタは苦笑した。
「こんな場所に流れ着くくらいなら、女神の元にいた方が良かったじゃろうに」
「冗談じゃないですよ! 命どころか魂さえ握られてる状態で身動き取れなかったんですから。それに比べたらここは天国です」
三度目ともなれば愛着もわく。
この場所にはコスモスを害するものはなく、のんびりとした時間が流れているだけだ。
ずっとこの場にいられたらいいのにと思ってしまうほど居心地がいい。
(そういうわけにもいかないのは分かってるけど)
万が一、帰還を断念せざるを得ない場合はここに住まわせてもらおうとこっそり決めているくらいだ。
「創造主は別にいるみたいだけど、主とか創造主としか書かれてないわね。もう少し詳細知りたいんだけど、難しそう」
マザーに聞けば簡単かもしれないが、そうあっさり教えてくれるだろうか。
あの世界は女神によって創られ保たれていると誤認されている状態で、創造主は他にいましたと言っても白い目で見られそうだ。
(そもそも、女神信仰が一般的な世界でそれをひっくり返すようなこと言ったらそれこそ女神様に何されるか分からないし)
「そう難しく考えんでも良いじゃろ。創っただけで後の管理を女神二人に託したと思えば」
「でもそれで本当の創造主は怒らないんですかね」
「嘘は言っておらんからのぅ。女神は自分が創造主だと言ったかの?」
「いいえ」
うふふ、と笑うだけで世界を創った偉い女神様であると言ってきたりはしなかった。上手い具合にぼかしてそう思わせるようにしているだけか、とルミナスとのやり取りを思い出しながらコスモスは眉を寄せる。
考えてみれば教会の聖書にも女神は世界を保ち、全ての被造物を愛し人々を見守っているとしか記されていない。
世界創造の話にしても女神が作ったことには言及されておらず、二人の女神によって守られ平和な世界が保たれていると書かれていたことを思い出した。
「創造主はどこへ消えたんですかね?」
「それを知っておるのは女神ぐらいじゃろうなぁ」
「創造主が今も存在してたら、私の願いは簡単に叶えてもらえましたかね?」
「容易じゃろうな。しかし、まず創造主のもとまで辿りつくのが非常に困難じゃろうが」
それは何となく想像がつく、とコスモスは呟いた。
世界を創造して後の管理を女神二人に託してどこかへ消えてしまえるくらいだ。他の世界から来てしまった人を元の世界に帰すのは簡単だろう。
ただし、サンタの言う通り創造主に会うまでが大変だ。
(祈ったところで会えるわけでもないし。女神様に会えたのも、あっちからの呼び出しが原因で私が望んだわけじゃないからなぁ)
「主がいなくても世界は女神二人に託されて保たれてるんだから問題はないってことか。世界は誰が創ったかっていうのも他の人にとってはそう大事でもないのかな」
現状世界が穏やかに保たれているのは女神のお陰なのだろう。
コスモスが来る前はどうだったのかは知らないが、最近はそこそこ物騒になってきたぞと彼女は頁を捲る。
淡い色で描かれた三人の人物の絵は金が施されていたり、宝石を粉にしたもので彩色されている。
二人の女神と顔の見えないもう一人の人物が恐らく創造主なのだろう。初めて見る姿だが他二人の女神と同じくローブを着ているのではっきりとした顔が分からない。
「最初から女神二人しか知らないのであればそうじゃろうな。創造主も腹を立てて天罰を下したりすることもないじゃろうし」
「あぁ、そのようですね。教会関係者が知ったら気絶しそうですけど」
「知ったところでどうすることもできんよ。大多数を占める女神信仰者とそのトップであるマザーに適うものか」
「その言い方だと、マザーはまるで悪役ですねぇ」
「誰かにとっては悪役じゃろうなぁ」
それを言ってしまえばコスモスも悪役になっている可能性が高い。だとしたら誰にとっての悪役になっているのかと考えたが分からなかった。
「女神様が世界を保っているのは事実でしょうからね。実際私もルミナス様に会ってしまいましたし……あの威圧感は今思い出しても嫌なくらいでしたよ」
「ここでゆっくりしていくといい」
「ありがとうございます。はぁ、一見するとそれなりに平和そうに見えるんですけど、直接女神様から世界平和の手伝いを言われるくらいこの先危ないことでも待ってるんですかね」
「お嬢さんは平和だと思うか?」
「大なり小なり争いはありますが、国同士の戦争があるわけでもどこかの国で虐殺が起こってるわけでもないですから平和な方かと」
それこそ、過去に栄華を極めたフェノールが一瞬にして滅亡してしまうようなことがなければと思いながらコスモスは心配になった。
「いや、平和? 平和……でもない?」
「確かにお嬢さんの言う通り、国家間の戦争はなくあるのは小さな争いくらいじゃ。完全なる平和となればまた難しい話じゃがな」
「女神様がわざわざ私を呼んで世界平和の手伝いをさせようとしていたくらいだから、滅亡の兆しでもあるってこと?」
具体的に何をしろという話まではいかなかったが、興味があるだけで呼んだにしては大掛かりだろうとコスモスは考える。
そんなに自分を動かしたいのならやはりマザーを使うのが一番なはずだと思ったからだ。
女神がマザーに話して、マザーがコスモスへと指示をする。その際、女神にそう頼まれたからと言わなければ渋々ながらも従っていたはずだ。
女神から直接頼まれるよりマザーから頼まれた方がコスモスが動きやすいと女神自身も分かっていただろう。
(あえて私を呼んだのは完全なる好奇心と、何となくそう思ったとか? あの女神様ならやりかねないからなぁ)
できればその好奇心が他に向いてくれと祈るしかないのがつらい。しかし、コスモスにできることといえばそれくらいだ。
お断りの練習はしっかりしておこうと思いながら、彼女は本へ視線を向けた。




